第二章 教師たちのジレンマ #8
「カッコいいわ~、シビれるわ~。見た目怖いけど」
「久坂さんはああいう強面が好みなの?」
うっとりと目を細める未波に、塩崎が意外そうな顔でたずねた。
「うまく言えないんですけど、あの独特の雰囲気に惚れちゃいました。〝安心して〟って言うよりは〝心から信頼して〟何でも話せそうな」
「直接本人に言ってやればよかったのに。まあ俺も奈津も久世川さんには色々相談に乗ってもらってるし、話しやすいってのは同感かな」
そうつぶやく初島の手元には、新聞記者よろしくB6サイズの手帳が広げられている。
準は二三香を皮切りに自分自身、そして未波と、能力発動・行使の瞬間に幾度となく立ち会ってきた。しかし、初島と塩崎は未知の能力に対する戸惑いから立ち直っていないばかりか、自分を除く4人分の能力をいっぺんに把握しなければならない。さらにルイの説明が加わるとなると、人間の記憶力ではもはやお手上げだろう。
「さて……口頭であれこれ能書きを垂れるよりは、この場で実演した方が分かりやすいと思うんだけど、どうかしら? 問題なければ挙手願います」
シャーペンを片手に臨戦態勢の初島に代わり、塩崎が音頭を取り始める。
「「「「異議なし!」」」」
「み、見事にハモったわね。順番はどうする?」
「発動した順番でいいと思いますよ」と未波。
「OK、それで行きましょ。誰が最初?」
「はい、私です」
おもむろに二三香が立ち上がった。
能力に関しては、おそらく5人の中で最も扱いに慣れている二三香。
しかし、能力の〝行使〟ではなく〝披露〟となると話は別らしい。固く真一文字に閉じた唇が、その緊張感を物語っている。
そして、意を決したように顔を上げた次の瞬間。
音もなく二三香の姿がかき消えた。早くも塩崎がパニックに陥る。
「消えた!? 透明人間になる能力……じゃないわよね……?」
「……さあな。妹尾さんの説明を聞かないことには何とも。とりあえず落ち着けよ。奈津らしくないぞ」
意外にも冷静な反応の初島に、準と未波は思わず顔を見合わせた。
と、次の瞬間。
「ただいま戻りました」
忽然と姿を消していた二三香が再び現れた。
「おかえり――じゃない、急に消えたんでびっくりしたよ。ところで後ろに持ってるのは何?」
「すみません、初島先生。うまい台詞が浮かばなかったので前振りなしでやらせてもらいました。渡末君と未波は何回も見てるから今さら驚かないわよね? あと、これは一応ヒントのつもりです」
二三香はそう言うと、後ろに隠し持っていたモノをテーブルの上に置いた。
「これは……学級日誌じゃないか! 職員室を出る時、たしか奈津の机にあったはずだぞ」
「はい。職員室に行って取ってきました。たった今」
「テレポート、つまり瞬間移動ね」
呆然自失で沈黙していた塩崎がぽつりと呟いた。
「正解です! ただし、移動できるのは私が記憶している場所に限られますけどね。……塩崎先生、大丈夫ですか?」
「な、何とか。一応覚悟はしてたつもりなんだけど、いざ目の当たりにすると結構来るわね」
実際、塩崎の頬はバカ殿メイクでも施したかのように白く色褪せ、額にはじっとりと玉の汗が浮かんでいた。
「その点、あたしと準ちゃんの能力は二三香のと違って精神的な負担が少ないから安心だねっ」
「いやいや、普通の人間からしたら俺たちも十分おかしいから。そのあたりの感覚が麻痺してきたら人間どころか地球上の生命体として終わりだぞ」
冷静さを保っているという点では未波も大したものだが、こちらはいささか楽観主義が過ぎる。
いくら人間離れした能力を授かったからとて、人間社会から隔絶されても問題なし、ということにはならない。むしろ、人間社会で上手く立ち回るために使う能力だとさえ準は考えている。もっとも、その願いは良い意味であっさり潰えてしまったが――少なくとも手品のようなノリでひけらかすシロモノではないはずだ。
と、ひととおりメモを取り終えた初島が2人の間に割って入った。
「次は渡末君と久坂さん、どっちかな?」
「準ちゃん、出番だよ」
そんな未波の声に押されるように、準は椅子から立ち上がる。本当はいちいち席を立たなくとも、座ったままで事足りる〝儀式〟なのだが……興醒めにならないよう、そのまま進めることにした。
「俺から目を離さないでください。ヒントも答えも、すべてそこにありますから。あ、別に瞬きくらいはOKですよ?」
「「……」」
塩崎と初島が無言で頷く。
それを確認すると、準は静かに目を閉じた。
普段ならば絶対にしないような、大仰極まりないパフォーマンス。自分でやり始めておいて言えた義理ではないが、さすがに少し恥ずかしい。必死に笑いをこらえる未波と二三香の顔が脳裏に浮かんだ。
それをかき消すように、心の中で叫ぶ。
(いでよ、我が守り神・ルイ!!)
準はルイ召喚中の姿を見たことがない。アニメに登場する忍者や超能力者が使うような分身術を何となく想像したことはあるが――あるいは、生死の境を絶賛さまよい中の人間に稀に起こると言われる幽体離脱とか――それ以上の事は今までしてこなかった。
しかし、である。どちらにせよ、人間の体から赤ん坊ではない別の人間が出てくる光景は、さぞかし猟奇的でグロテスクなものに違いない。まさに、二次元では許されるが三次元では許されない現象の典型だ。万が一、塩崎と初島をショックで卒倒させてしまったら……と思うと憂鬱になってくる。
やがて、ピンクのパーカーとデニム素材の短パンを身に纏った黒髪ロングの少女が、準の傍らに姿を現した。ちらりと横目で確認し、塩崎・初島へと向き直る。
「どんな能力かは見てのとおりなので割愛します。あと、この子の自己紹介も後ほど改めて。次、未波」
〝当人の体から、12~13歳くらいの女の子が分裂〟
何とも要領を得ないメモを取る初島を尻目に、準は再び席に戻る。
と、ルイが手招きをしているのが目に入った。
「どうした?」
「こんな説明で大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、問題ない。むしろ少し大雑把でちょうどいいくらいだ。あの2人の顔を見てみろ」
「あっ、たしかに。〝何の能力か〟以前に〝何が起こったのか〟状況そのものを把握できてない感じですね」
「だろ? だから、出番はもう少し待っててくれないか? 下手に先生たちを混乱させるのは得策じゃない」
「承知いたしました」
ルイはそう言うと、空いている椅子にちょこんと腰を下ろした。
同時に未波の声が耳朶を打つ。
「じゃ次は先生たちですね」
「未波……? もう終わったのか」
準がルイと話し込んでいる間に、未波は自分の出番を終わらせてしまったらしい。
「だって、あたしの能力はその場で宙に浮いたらおしまいだもん。それに準ちゃんは何回も見てるし、今さら改めて説明するまでもないかな~と思って」
「……正論だな」
未波のことだ。デモンストレーションとなれば、無駄に張り切って天井スレスレまで上昇するに違いない。
しかも、その水平座標は準のすぐ隣。未波の動きを目で追いかけようものなら、たちまちスカートの中を凝視するような構図が出来上がってしまう。そして、向かいの席には塩崎と初島がいるわけで――。(社会的な意味で)知らず知らずのうちに命拾いをしていたことに気づき、準は安堵のため息をついた。