第二章 教師たちのジレンマ #7
「後発組が先に着いてたら間違いなく怪しまれるわよ?」
という二三香の判断により、準たちは徒歩でジュラ紀に向かうことになった。
特に会話もなく、三者三様にどこか上の空で歩くこと数分。
「お待たせしました。さっそく入りましょう」
ドアの前に佇む塩崎と初島の姿を見るなり、二三香はドアに手をかけた。
「妹尾さん、ちょっと待った!」
「急にどうしたんですか、初島先生」
「店に入る前に確認しておきたいことがある。久坂さんも渡末君も、ここの店長の顔を見たことある?」
二三香は初島の問いに首をかしげながら、
「言われてみれば、アルバイトの人しか見たことないかも知れません。未波も同じだと思うけど……渡末君は?」
「俺はありますよ。スキンヘッドにサングラスの人ですよね? 見た目の割に普通の人だって聞いてますけど」
数日前、ルイと2人で駆け込んだ時のことを思い出しながら、準は見たまま聞いたままを答える。
と、初島は短いため息と共に二三香へと向き直った。
「聞いてのとおり、ここには見た目がヤクザかチンピラそのものの店長がいる。でも、渡末君の言うとおり普通の人だから、なるべく驚かないでやってほしいんだ」
「ふふ。下手なクレームよりヤクザに間違えられる方が100倍辛いって、よく言ってるものね、久世川さん」
「あの……先生はここの店長さんと知り合いなんですか?」
初島の横でいたずらっぽい笑みを浮かべている塩崎に、未波から疑問の声が飛ぶ。
これには準も同感だった。ただ、塩崎の言葉から察するに、業務上の愚痴をこぼせる程度には親しい間柄らしい。
「それはいずれ分かるわ。ここは渡末君たちが先に入った方が面白いことになりそうね」
塩崎は含み笑いを隠そうともせず、準たちに先鋒を割り当ててきた。たかが喫茶店に入るだけなのに、何とも物騒なものだ。
初島は初島で「久世川さんがいればの話だけどな」とだけ呟いて沈黙してしまった。
準は「仕方ないな」とばかりにドアノブに手をかける。
果たして、久世川店長はカウンターで雑誌を読みながらコーヒーブレイク中だった。
スキンヘッドとサングラスが、一様に凶々しい光沢を放っている。昼間でも薄暗い店内でサングラスをかける意味がよく分からないが、おそらく彼なりのセンスやこだわりなのだろう。
「いらっしゃいませー。――あれ? 今日は今日はお一人ですか?」
久世川はおもむろにカップを置くと、雑誌を足下のラックに戻しながらたずねてきた。相変わらず、一般人然とした話し言葉と浮き世離れした風貌との落差が半端ではない。
「いえ、今日は5人です。席、空いてますか?」
「大丈夫ですよ。あとの4名様は……」
直後、不安げな顔の未波と二三香が店に入り、続いて塩崎と初島が顔を覗かせる。
その瞬間、久世川の口調がほぼ180度変化した。
「おっ!? 奈津に史郎じゃねえか! 久しぶりだな!!」
突然の大声に、未波と二三香、さらには準までもが身を震わせる。
「あ、あの、先生……!?」
「大丈夫よ、怖くないから」
半分涙目の二三香を宥めるように、やさしく声をかける塩崎。未波も相当驚いたらしく全身が完全に硬直していた。
と、そこに初島の声が割って入る。
「久世川さん、あんまりデカい声出さないでくださいよ。それに、久しぶりって言っても先月の末に会ったばかりじゃないですか」
「あ、言われてみりゃそうだったな。でも急にどうしたんだ? 奈津と史郎が同じクラスの担任になったとは聞いてたが……あのお三方は教え子か?」
「ええ。うちのクラス委員を任せてるメンツなんですけど、まだお互いのことをよく知らないのと、学校だと話せないようなこともあるんで」
あのヤクザ顔をものともせず、初島は淡々と久世川の問いに答える。
「なるほど、秘密の首脳会議ってわけだな?」
「まあ平たく言えばそんなところです」
「来いよ。案内するぜ」
久世川に先導されて階段を昇り始める初島に倣い、準たちも半ば放心状態のまま後に続く。
幸い、2階は準たち以外に客の姿はなく、完全貸し切り状態だった。あまりにも閑散とした様子を見て、塩崎が呆れたように言う。
「ちょっと、客席ガラガラじゃない。今日の売上、大丈夫なの?」
「代わりに昼の客足が多めだったからな。そんなに心配するほどでもねえさ」
まだ昼間の疲れが残っているのか、背伸びをしながら軽く受け流す久世川。首や膝の関節が乾いた音を立てるあたり、どうやら1人で店を回していたのかも知れない。
「あの……ずっと気になってたんですけど、先生もここの常連なんですか?」
ようやく放心状態から復帰したのか、未波が唐突に口を開いた。
「久世川さん、説明よろしくね」
「うぉぉい、史郎じゃなくて俺かよ!?」
「店長義務ですよ、久世川さん」
塩崎と初島に解説役を押しつけられ、うろたえる久世川。それを見て、未波もあわてて言葉を挟む。
「えっと、無理にとは言いません! 言いにくいことだったら別に……」
「いやいや、そんなことはないですよ。奈津と史郎が元々オフ会で知り合った仲だって話は、もうご存知ですか?」
「はい。って言うか久世川さん、さっきと口調が随分違いますね。そんなに畏まらなくても……」
「そうは言ってもお客様相手ですからね。こう見えて、公私のけじめはつけるようにしてるんです。それに、かく言う自分も奈津や史郎と同じオフ会のメンバーでしたから」
数秒間の沈黙が、場を支配した。
「オフ会のメンバー、店長さんと先生たち以外にもいると見て間違いなさそうね」
いつの間にか準の背後に陣取った二三香が耳打ちしてくる。
「花火大会前からの顔見知り同士もいたわね、そう言えば」
さもありなん……とため息をつく間もなく、塩崎が唐突に切り出した。
「史郎と深歩ちゃんがそうだったな」
(!)
うっすらと聞き覚えのある名前が久世川の口から飛び出し、準は思わず顔を上げる。
「あ、参考までに言っておくと、深歩ちゃんってのはここでウェイターやってる女の子。この近くにある秋津薬科大に通ってて、今たしか3年生だから――史郎ちゃんと初めて会った時は、まだ高校生だったのね」
「う~ん、そこはかとなく漂う犯罪臭……」
塩崎の説明を聞くなり、誰にともなく呟く未波。すかさず初島から抗議の声が上がる。
「人聞きの悪いこと言わないでくれよ。暇潰しに募集をかけたら、偶然女子高生が来てしまった。ただそれだけの話だ」
「何をやってたかにもよりますね」
「府中のゲーセンでダーツとかビリヤードをやったくらいだ。とにかく、法に触れるようなことは何ひとつしてない。第一、下手に手なんか出そうものなら他の参加メンバーが黙っちゃいないよ」
と、久世川が「なるほどな……」と頷いた。
「?」
頭上に巨大な疑問符を浮かべながら久世川を注視する未波。
「史郎のヤツ、見るからに運動神経悪そうなのに、ダーツはやたら上手いんですよ」
「余計なお世話です」
「あれって真ん中に近いほど点数高いんでしたっけ?」
未波は初島のツッコミを難なくスルーして久世川にたずねた。
「真ん中も一応それなりに高いんですが、1回のスローで入る最高得点は60点、つまり20のトリプルゾーンにダーツが刺さった時ですね。ちなみに真ん中は50点なので、17から20のトリプルゾーンに次いで5番目ということになります。――こっからは史郎が説明してくれや」
久世川は初島へと視線を流しながら言葉を区切った。
「ダーツもトランプと同じように、遊び方が色々あるんだ。どのゲームでも1ターンあたり3回投げるのが基本ルールなんだけど、特にスタンダードなのは8ターン分の合計点を競う『カウントアップ』かな」
「その場合、全部20のトリプルゾーンに刺されば、1440点満点でパーフェクトって解釈でいいんですか?」
「理論上はね。でも、実際にやってみると思ったほど上手く行かないし、初心者のうちは的に刺すだけで精一杯。おおよその目安としては、そうだな……初挑戦で300点越えれば上出来だと思うよ。ちなみに俺の自己ベストは796点」
初島はそう言うと携帯を取り出し、何やら操作してから未波に手渡した。それを横から覗き込む準と二三香。
表示されていたのは、私服姿でガッツポーズをキメる初島の写真だった。日付は5年前の12月23日。祝日で仕事は休みだったようだ。高さ2メートル以上はありそうなダーツの筐体も一緒に写っており、ディスプレイには確かに『796』の数字が並んでいる。
「今のダーツって機械式なんですね。それにしても、ほとんどプロ並みじゃないですか!」
「いや、これでもせいぜい素人に毛が生えた程度のレベルだよ。プロ同士の対戦とか地区大会決勝になると1000点越えが当たり前の世界だし。ダーツは大きめの漫画喫茶に行けば大抵置いてあるから、機会があったらやってみるといい」
「奥が深いんですね。何だか面白そう……」
「ね。先生、今度私たちも連れてってくださいよ」
おもちゃやゲームをねだる子供のように、初島の腕をつかむ未波と二三香。
「え、えーっと……そうだな、例の件が落ち着いたら、みんなで行こうか」
と、ジト目の塩崎からツッコミが入った。
「……史郎ちゃん、顔赤いわよ?」
「そ、そうか? 気のせいだろ」
平静を装いつつ答える初島の顔は確かに赤く染まり、目に至っては完全に泳いでいた。
見かねた久世川が2人の間に割って入る。
「奈津、そのへんにしとけよ。……悪かったな、史郎。長々と話を脱線させちまって。俺は下にいるから、注文決まったらいつでも呼んでくれや」
「助かりました。最近やたらと絡んでくるんで困ってるんですよ」
初島は軽く頭を下げながらメニューを受け取る。それを不機嫌そうに横目でにらんだまま、無言を貫く塩崎。
準たち3人も、ただ居心地が悪そうに沈黙するしかなかった。1000人を超す秋津学園の生徒の中で最も塩崎・初島に近い、1年3組のクラス委員という立場を考えれば、至極当然の反応と言える。
にわかに険悪なムードを漂わせ始めた元オフ仲間に、久世川は苦笑いを浮かべた。
「奈津の言い分も何となく分かるけどな。直接口に出さねえだけの話で。ま、何はともあれ史郎、俺はお前さんの味方だ」
「……どういう意味です?」
一拍の間を置いてたずねる初島。
しかし、久世川はその問いに直接的な答えを返すことなく、
「仕事の時間だ。これから大事な話があるんだろ?」
改めて念を押すように低い声で告げると、足早に1階へと消えて行った。