第二章 教師たちのジレンマ #6
「……まず最初の質問に答えさせてもらうぞ。未波たちなら先に学食行ってる。それにしてもルイ、今日はやけに未波に対して棘があるじゃないか。いったいどうしたんだ?」
「準さんと同化している間、私の意識は半分眠っている状態になるんですけど……実は、かなり後味の悪い夢を見てしまいまして」
「へぇ、どんな夢だ?」
「私の目の前で未波さんが、その……スカートをめくって準さんを誘惑する夢です」
その瞬間、準は凍りついた。心当たりがありすぎる――と言うより、準視点での現実世界がルイの深層心理に直結しているとしか考えられない。動揺を隠せという本能からか、無意識に乾いた笑いが漏れる。
「はは……ある意味ルイらしい夢だけど、それだけでこんなに思い詰めるなんてルイらしくないな」
「そうでしょうか? でも、妙な胸騒ぎがするんです。未波さんが準さんにちょっかいをかけるなんて日常茶飯事のはずなのに……」
ルイはそこまで言うと、苦しそうに手すりを握る指先に力を込めた。
「とりあえず冷静になろう。だいたい、未波のターゲットは他ならぬルイなんだぞ? 自分の身を心配するならともかく、俺が色仕掛けに惑わされるなんて考えすぎだ」
反論する隙を与えないよう、準は一気に畳みかける。
と、視線を宙に迷わせていたルイが、ようやくこちらに顔を向けた。
「そう、ですよね……。準さんに限って、そんなことありませんよね」
ハグでもするかのような距離まで間合いを詰められ、準の心臓はより激しく高鳴る。昨日の高熱が再発したかのように、額から耳の先までが熱い。
「ああ。そりゃ未波は人並み以上にはかわいいけど、少なくともルイが想像してるような見方はしてない。その前に、ルイは二三香の存在を見落としてるぞ」
「二三香さん、ですか……?」
「あいつがいてくれる限り未波の思いどおりには行かないし、俺の立場も守られるってことだ。それより放課後の件、よろしく頼むぞ」
「承知しました。当面の安全なくして色恋沙汰じゃありませんものね」
ルイはそう言うと、空を見上げて微笑んだ。
「当面の安全、か……」
正直なところ、半藤との争いに何らかの形で終止符が打たれたとしても、ルイ・未波・二三香との関係に目立った変化が訪れるとは考えにくい。ルイが自由の身を望む限り、ルイは準のそばに居続けるだろうし、未波・二三香にしても離れ離れになるのは早くて来年の三月だ。……いや、実際に離れ離れになったとしても、二三香や未波が準の存在を心の片隅に留めていてくれる限り、物理的な距離はゼロに等しい。ルイから授かった、チートまがいの能力があるのだから。
数日先のことも予測できないような凡人中の凡人に、彼女たちはいつまで付き合ってくれるのだろう?
ふと、そんな疑問が脳裏に浮かんだが、実際に口に出して問う勇気はなかった。
* * *
大人の事情。
しばしばそんな表現に置き換えられることもある。
職員会議があるから。あるいは「少し遅れることくらい察しなさい!」という、遠回しにして無言の圧力。
事前に前者より幾分良心的な説明をしてくれた塩崎は、初島を従えて教室に現れる時間も良心的だった。
「みんなお待たせ! 思ったより早く会議が終わってラッキーだったわ」
準たちと黒板の上の掛け時計を交互に見ながら、心底嬉しそうな声を薄暗い教室に響かせる。元々『6時過ぎ』としか聞かされておらず、6時半頃まで共同で宿題に没頭する算段を立てていた準たちは、それぞれに苦笑いを浮かべた。
「大丈夫ですか? かなり息上がってますけど」
「病み上がりなんですから油断は禁物ですよ?」
「……渡末君もね。ルイちゃんに風邪移しちゃダメよ?」
未波に便乗する形で釘を刺したつもりの準だったが、横から二三香にツッコまれてしまった。さらに、初島の一言が準を追い詰める。
「ん? さっそく新しい知り合いでもできたのかな?」
「え、ええ。そんなところです」
しどろもどろで嘘をつきながら、非難の意図を込めて二三香を睨む。すると、こちらの怨嗟の視線に気づいたのか、両手を合わせる仕草と共に「ごめん」とアイコンタクトが返ってきた。
「まあ親しいのは主に二三香で、俺と未波はおまけ程度のもんですけどね」
こうなった以上はヤケクソだ! とばかりに、準は脚色を重ねる。むしろ、噛まずに言えたことで信憑性は上がっているはずだ。
「そうなのか。じゃあ早く完治させないとな」
「熱は下がりましたし、3日もあれば大丈夫だと思います」
あっさり納得してくれた初島への申し訳なさと、慣れない嘘をついた緊張感との相乗効果で心拍数が急上昇する。息切れを押し殺すのが精一杯で、これ以上何か問われてもまともに答えられる自信がない。
(誰か、この流れどうにかしてくれ!)
と、その時。
「6時になりました。教室や部室、図書館に残っている生徒の皆さんは下校の際、必ず照明・冷暖房を落としてから退室するようご協力ください」
予鈴も前置きもなく、帰宅と節電を暗に促すような校内放送が鳴り響いた。
「あらら。私たちも急ぎましょうか」
言葉の割に焦る様子を微塵も感じさせない口調で、塩崎が誰にともなく呟く。
「さっそく場所を変えて本題に移ろう」
何が入っているのか、やたら重そうな鞄を持ち直して移動開始の態勢に入る初島。
「それじゃお三方、手はずどおりジュラ紀の前で落ち合いましょ」
塩崎の言葉に、早くも初島が引き戸をスライドさせる音が重なる。
よほど能力のことが気になっているのか、それとも生来の決断力ゆえなのか。2人はそのまま振り返ることもなく、早歩きで去って行った。