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第一章 お願いは計画的に #2

 2月中旬。

 準は第一志望校である土浦学園の推薦入試に合格し、あとは中学卒業を待つだけの身だった。自宅と学校をただ漫然と往復する、受験の重荷から解放された以外は特に変わり映えのない日々。

 いつものように帰宅すると、両親と小5の妹がリビングで何やら話し込んでいた。いくら公務員とはいえ、父親が夕方5時前に帰って来ているのは珍しい。

 とりあえず制服から着替えるため、2階にある自分の部屋に向かおうとする。

「準、大事な話がある。着替えたらすぐに降りてきてくれ」

 父親の呼びかけに、準は足を止めて振り返った。

「何? 大事な話なら今聞くよ」

「そうか。実はな、父さん4月から静岡に転勤することになったんだ。単身赴任も考えたんだが、次は色々と忙しい職場でな。母さんと宏美も一緒に来てもらうことになった」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。それはつまり俺も向こうの高校の編入試験か何かを受けて、父さんたちと一緒に引っ越すってことか?」

 あまりにも唐突な引っ越し宣言。

 正直、訳が分からない。ただ、確実に土浦学園に通えなくなることだけは理解できた。

 ショックのあまり全身の力が抜け、準は思わず膝をついてしまう。

「準、落ち着いて。たしかに今のまま土浦学園に通うのは無理だけど、何が何でも静岡までついて来いって言ってるんじゃないのよ」

 息子の落胆ぶりを見かねた母親が、ついに口を挟む。

「それじゃどうすればいいんだよ……。いや、俺はどうなるんだよ!」

 夢にまで見た土浦学園への入学を諦めなければならない無念さ。

 これからどうすればいいのかという不安。

 進むはずだった道を突然塞いだ挙句、言葉を濁して本音を明かそうとしない両親への苛立ちと不信感。

 これらが一気に爆発し、つい語気が荒くなる。

「問題はそこなんだ」

 父親が静かに口を開く。

「お前が必死に努力して合格を勝ち取ったのは、父さんも母さんもよく分かってる。だから、もう1度試験を受けろなんて言わない」

「試験なしで入れる高校がどこにある。それとも高校行かずに働けとでも言うのか?」

「いや、今のお前にはあるんだよ。試験なしで行けるところがな。秋津学園ってとこだ。ほら、いつだったかお前が学校説明会の時にもらってきたパンフレットに系列校として載ってただろ。系列校同士での編入なら無試験でOKだそうじゃないか。静岡に行きたければもちろんそれもアリだぞ」

 受験前、それこそ手垢が付いてボロボロになるまで読み返したパンフレットを思い浮かべる。たしかに、系列校の地図や外観写真などと一緒にそんなことが書いてあったかも知れない。

「そう言えば、関東と東海に何ヶ所か系列校を抱えてるって書いてあったな。でも、秋津ってたしか東京じゃなかったか? ここから通えないこともないけど、片道2時間くらいかかるぞ」

 秋津――東京と言ってもほとんど埼玉との県境に近く、小規模ながら私鉄とJR線それぞれの駅を擁する街だ。ふたつの駅を結ぶ道は、実質1本しかない。道沿いには古くからの商店や飲食店、銀行やパチンコ店などが立ち並んでおり、街と言うよりは賑やかな商店街という表現が似合っている。準の最寄り駅からは1回の乗り換えで済むが、その路線は地図上でぐるりと円を描くようなルートを走行するため、実際の距離以上に時間がかかるのが難点だった。

「でも仕方ないな。静岡行きよりはマシだし、ここに残れるなら……って、いや待てよ? ここに残るなら、そのまま土浦に通えばいいだけの話だよな?」

「父さんの従兄(いとこ)が新秋津駅の近くでマンションを経営しててな。お前はそこで一人暮らししながら通うんだ。大学もそこから通ったっていいんだぞ? いずれにしても1人で住むには十分な広さだ」

「この家はどうなる?」

「貸家にする。借り手も今日見つかった」

 矢継ぎ早の質問にも淡々と答えが返ってくるので、準は逆に面食らってしまった。転勤になることや家を人手に明け渡すこと自体は、かなり前から決まっていたと見て間違いなさそうだ。それならそうと一言欲しかったが、今となっては後の祭りである。

「あと少しで、こことお別れなんだね」

 それまで黙っていた妹の宏美が感傷的な面持ちでぽつりと呟いた。

「いや、それは違うぞ。あくまでも持ち主はうちなんだからな。戻ってくる日もいずれ必ず来る。必ずな。母さんも準も、そのことだけは頭に入れておいてくれ」

 家族を励ますと言うより、自分に言い聞かせているように感じられる言葉だった。

「父さん、ごめん。ろくに話も聞かずに怒鳴ったりして」

「いや、お前が怒るのももっともだ。気にするな。ただ、3月の半ば過ぎには完全にここを引き払うから、荷物はしっかりまとめとけよ」

 生まれた時から15年間住み慣れた家を離れたのは、それからちょうど1ヶ月後のことだった。


*     *     *


「それにしても『史郎ちゃん』にはびっくりですよ。オフ仲間だったからなんて言われても、苦し紛れの後付け設定にしか聞こえませんでした」

 目を輝かせながら食いついたのは、意外にも二三香だった。そんな二三香に初島は、

「さっき話した広告会社を不況でリストラされて困ってるところに、塩崎先生がこの学校の教員採用枠を紹介してくれたんだ」と説明する。

「でも、かなり畑違いですよね」

「幸い教員免許は大学時代に取ってたし、こう見えて個別指導塾でもバイトしてたから一応専門だよ。実際、簡単な面接と模擬授業だけで採用してもらえたし」

「なるほど」

「ただ、オフ会のことは他の先生たちにも他言無用で頼むよ。特に教頭先生みたいな頭の固そうな人の耳に入ると厄介なことになるから」

「大丈夫ですよ。誰にも言いません」

 半ば哀願するように釘を刺され、二三香は笑って答える。

 教頭に限らず『教師=無駄に生真面目で融通が利かないもの』と勝手に思い込んでいたが、必ずしもそうではないらしい。

「ところでみんな、この後空いてるかしら。まだ20分くらいお昼休み残ってるし、少し外でも歩かない?」

 親子丼の最後の一口をお茶で流し込んだ塩崎が唐突に切り出した。

「俺も行くのか?」

「あなたもです! 史郎ちゃ……じゃなくて初島先生」

「参ったな。いや、俺も昨日今日来たばかりで学内のことをよく知らんから、そういうツアーみたいなのがあると助かるといえば助かるんだが」

「じゃあ決まりね。さっそく行くわよっ! ほら、そこの若い衆も急ぎなさい」

 言うが早いか、塩崎は丼と湯飲みが乗ったトレーを抱えて食器返却口へとダッシュしていく。やや遅れて追いかける初島。

「ちょ、ちょっと……!」

「待ってください先生!」

「お茶が鼻に入ったぁ」

 準たちもあわてて立ち上がり、塩崎と初島の後を追った。


*     *     *


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