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第一章 悪夢のち握手時々あくび #3

 2日ぶりに拝む太陽は、準が予想していた以上に眩しかった。うだるような暑さを伴うのはまだまだ先のことだろうが、病み上がりの身には少しばかりこたえる。

 早く日当たりの悪い廊下側の席に腰を落ち着けたい……。足を早めようと息を吸い込んだ次の瞬間、

「おはよう」

 およそ朝のさわやかなイメージとは程遠い、背後から静かに忍び寄るような声が耳に飛び込んできた。

 準が振り返るよりも早く、すぐ隣に回り込んできた声の主は、立ち止まるでもなく返事を待つわけでもなく、先へと進んで行く。

「か、神沢(かんざわ)さん?」

 挨拶を返すタイミングを完全に失った準は、戸惑い顔のまま仕方なくアサミの背中を追いかける。

「ところで――」

 不意に、アサミがこちらを振り返った。

 立ち止まる、あるいは速度を落とすといった予備動作は一切なく、顔だけが機械仕掛けのように180度動いたので、準は完全に虚を突かれて後ずさる。いつだったか、秋津駅の改札前でルイに奇声を上げられた時のように、間抜けな声が漏れなかったのは不幸中の幸いだったかも知れない。そのまま歩を進めていたアサミとの距離は、再び不自然に空いてしまったが……。

「あれから、どう? 部長に絡まれたりしてない?」

「部長? ――ああ、半藤(はんどう)のことか。あいつなら金曜日の夜にさっそくやらかしてくれたよ」

「……詳しく聞かせてほしい」

 白く透き通った――それ故に表情が欠けているようにも見える顔が至近距離に迫る。

 やはり、アサミは何も知らなかったようだ。これで、半藤がアサミの目を盗んだ上で単独行動に出ていたことが、ほぼ証明された。

 ――が、因果関係を解き明かしたところで問題が解決するわけではない。準は、半藤に延々と尾け回されたこと、激怒したルイが半藤を突き飛ばして頭を負傷させたかも知れないこと、念のため二三香(ふみか)の能力で病院まで送り届けたことなどを洗いざらい話した。もちろん、準たちが守り神であるルイから能力を付与されていること、そのルイが分身として準に憑依(体内に吸い込まれているので〝格納〟または〝吸収〟と表現すべきかも知れないが)していることの説明も忘れない。

 現状ではアサミも半藤も、ルイを準の相棒か同居人としか見ていない。目の前で準の体から突然ルイが這い出て来ようものなら、いくら冷静な彼らでも混乱することだろう。

 もっとも、こんな話を真顔でしている自分も、はたから見ればとんだ眉唾野郎だが……半ば自嘲気味なため息と共に、準は言葉を区切る。

 と、聞き役に徹していたアサミが、静かに口を開いた。

「自業自得。100パーセント部長が悪い」

 苦笑まじりの瞳が、逃げ場を求めるように準から逸らされる。アサミにしては珍しく、人間味のある――長いこと抑え込まれていた感情が、本人の意思とは関係なく前面に押し出されたような表情だった。

「あれでも一応先輩なんだろ? 怪我をさせた当事者が言うことじゃないのかも知れないけど、心配にならないのか?」

「別に……。日曜日に一緒に出かけたけど、いつもどおりだった。大した怪我じゃなかったのかも」

「それならいいけど……いや、待てよ? そうなると、また逃げ回る生活に逆戻りか」

 どちらに転んでも、準にとっては気の重い話だ。漫画のように、頭をぶつけたショックで人格が変わったり、ルイに関する記憶をまるごと喪失したりしてくれれば助かるのだが……。

「ひとつ提案がある」

 マイペースに歩を進めていたアサミが、立ち止まるなり唐突に切り出した。準もそれに倣い足を止める。

「提案?」

「そう。連絡先、交換しよう。私も部長のそばに年中いられるほど暇じゃないし、万が一逃げられたら手の打ちようがない。緊急時のホットラインは必要不可欠」

 未波・二三香との連絡先交換の際、ひどく狼狽して未波にからかわれたトラウマが、準の脳裏に一瞬フラッシュバックした。携帯に手を伸ばそうと反射的にポケットに突っ込んだ手が、マナーモードの振動を受けたかのように震える。たった2回(実質1回)の経験で要領を把握できるほど、準の神経は図太くなかった。

 しかし、である。この件に関しては、当事者が全員生身の人間(顕現後のルイも含め)なだけに、ホットラインの出番は確実かつ突発的にやってくる。そもそも、合コンの締めに儀式的に行うようなアドレス交換とは意味合いからして違うのだから、恥じらいや後ろめたさを感じる道理は何ひとつとしてないはずだ。準は煩悩を二酸化炭素に乗せて吐き出すように深呼吸をすると、

「そうだな……そうしよう」

 努めて冷静に、了承の意を伝える。

 が、次の瞬間。準の〝心の準備〟は思わぬ形で梯子を外される格好となった。

「じゃあ、これが私の番号とアドレス。気が向いたら送って」

 番号とアドレスが走り書きされたメモ用紙サイズの紙切れが、営業マンの名刺交換のように差し出される。

「え? 赤外線は……?」

「私の携帯は赤外線通信に対応していない。5年以上前に買ったものだから」

 アサミはそう言うと、制服の胸ポケットから携帯を取り出した。

 およそ近年の高校生の持ち物とは思えないほど古めかしく角張ったデザインに、やたらと面積の狭い液晶画面。端末の背面には、赤外線ポートはもちろんカメラすら付いていない。5年どころか、下手をすれば10年近く前の機種では? と、思わず疑いたくなるような代物に、準は「嘘だろ?」と小さく驚きの声を漏らす。

「私にはこれで十分。ちゃんとメールもネットもできるし、着信音だって16和音。フル充電しても半日持たないのがネックだけど……そろそろ買い換え時?」

「いやいや、1日持たなくなったあたりで買い換えようよ。ってか、それだけ長く使ってりゃポイントが大分貯まってるだろうし、最新機種に拘らなければかなり安く買えるんじゃないか?」

 16和音をドヤ顔で強調するアサミに思わず苦笑いを浮かべながら、さりげなくアドバイスを送る準。60年以上に渡って外界と遮断されていたルイでさえ、最新家電事情に関しては人並みの心得を持ち合わせているというのに……まるで、一昔前からタイムスリップしてきたかのようだ。

「珍しい?」

「少なくともその携帯に関してはな。珍しいというか、変わってるというか……驚くのは多分俺だけじゃないと思う」

「やっぱり……でも、何となく私にも分かる。私に対するみんなの視線は十中八九、普通じゃない」

「さすがに気のせいじゃないかな。誰しも慣れで使い古してる物はあるはずだし、持ち物のひとつが偶然古かった、ってだけで人となりを判断しちまうヤツの方が、むしろ視野狭窄ってもんだ」

 準は改めてアサミの姿を上から下まで凝視した。少なくとも服装や体格は、まさしく現代の女子高生そのものだ。

 そんな視線の動きを察知したのか、アサミは悲しげに呟く。

「物や服に関係なく、私自身から普通の人とは明らかに違うオーラが漂ってるのかも。中学の頃、よく友達に言われた。『いつも自分の世界に入り込んでる』とか『人形みたいだ』とか」

 その声は弱々しく、しかし、低く抑えられたトーンに明確な不快感が滲み出ていた。

 無理もない。表現こそ婉曲的ながら「不気味なヤツだ」と容易に解釈できるような言い方をされれば、誰しも少なからずショックを受けて当然だ。

「〝夢を見る人形〟と、みんな私を呼ぶ……か」

 準はアサミから目を逸らしながら呟いた。無意識に80年代のアイドル歌謡の一節が思い浮かぶあたり、まさに自分も『古い人間』の1人かも知れない。

「でも1人だけ、私のことを笑わなかった人がいる。それが部長。そして、たった今、もう1人増えた」

「たった今増えた、って俺のことか?」

「うん。ちょっと――いや、すごく……嬉しい」

 アサミは小さく頷くと、こちらをじっと見つめてきた。

「そっか……それにしても、世の中にはデリカシーのないヤツがいるもんだな」

 別に喜ばれるほど大したことはしていないはずなのだが……。面と向かってそんなことを言われると、正直言って照れくさい。準はアサミの言葉に小さく相槌を打つと、見えない〝敵〟に悪態をついた。

 普段冷静な人間が弱気になったり自虐的になったりするのを見るのは、精神衛生上あまりよろしくない。ルイにもある意味同じことが言えるが、特にアサミの場合は放っておくと、自分を見失ったまま風船のように消えてしまいそうなオーラが漂っている。

 その点、何があろうと思考がブレる素振りすら見せないのが半藤だ。半藤がアサミを半ば強引に導く一方で、アサミが半藤を陰から支え、時には暴走を押し止める。一見アンバランスなように見えて、実はこの上なくお似合いのコンビなのかも知れない。

 一定の結論を得たところで、準は話題を変えることにした。

「そう言えば神沢さん、10組の委員長をやってるって前に言ってたよな? 実はさ、俺も3組で副委員長の片割れやってるんだ。クラス委員会議とかで顔を合わせるようなことがあったら、その時は改めてよろしく。人前に立つのに慣れてないんで、色々と苦労してるけど……お互いにがんばろう」

 神沢さん、あんたは別にひとりぼっちじゃないんだぞ。そんなニュアンスを込めて言ってやると、

「こちらこそ、よろしく」

 返事と共にアサミの右手が差し出された。

 半藤を一撃で昏倒させるほどの猛者らしからぬ白い指先が、朝日を受けて眩しく光る。

 準も同様に右手を伸ばし、互いの掌が触れた――その瞬間。


「お前ら、朝から青春するのもいいが遅刻しない程度になー」


「は、はい!」

「……すみません」

 準側に若干ぎこちなさの残る握手は、生活指導顧問を兼任する化学教師・乃木(のぎ)の一声で

無惨にも中断されたのだった。

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