エピローグ
「いよう、お二人さん!」
病院の玄関先にはおよそ相応しくない、妙にハイテンションな声が響き渡る。
顔を上げると、目の前に未波が立っていた。どうやら、半藤を受付まで案内している間に、二三香が瞬間移動で連れてきたらしい。
「半藤は無事に送り届けて来ました」
未波の背後に立っている二三香に、ルイはミッション完了を告げる。
「お疲れ様。これからどうするの?」
「晩飯まだなんで、とりあえずどこかで食事でもして帰ろうかと思ってる」
「だったら、ちょうど未波もいることだし、私が半藤を飛ばすつもりだった場所に行ってみない?」
二三香の目がいたずらっぽく細められた。
準は本能的に察知する。これは何かを企んでいる目だ。
「いい加減、腹が減って1歩も動けん」
とりあえずの抵抗を試みる。
「もちろん食事もできるわ。安くておいしい店もたくさんある所だし」
と、その時。
「おいしい店っ? 行きたいです! ものすごく行きたいです! 想像するだけでイっちゃいそうです……あッ――!」
突然、ルイが二三香の提案に食い付いたかと思うと、派手に悶絶し始めた。
「いきなり18禁モード発動してんじゃねえよ」
一瞬だけ呆気に取られた準だったが、すぐに気を取り直し、ルイの後頭部に軽く水平チョップを入れる。これが神様でなく人間――たとえば実の妹や従姉妹だったら、ハリセンで思い切りどついてやるところだ。
「だって安くておいしい店ですよ?」
「そりゃ俺だって行きたいよ。ところで二三香、そこは日本……なんだよな?」
ルイが再び暴走しないよう宥めながら、おそるおそる確認する。ここ数十分の二三香の言動を考えると、正直言って油断ならない。
とはいえ『安くておいしい』というフレーズに抗い難い魅力があるのも事実だ。それこそ準の理性に反し、腹の虫が解放軍を結成して暴動を起こしてもおかしくないほどに。
恩恵にあずかれるのは、何も空腹中枢だけに限らない。財布にしても、敬愛してやまない諭吉さんや樋口女史や野口博士、滅多にお目にかかれない紫式部との別れが先延ばしになれば、涙を流して喜ぶことだろう。
そう考えると、ルイが一瞬だけ垣間見せた痴態は、味と量と値段の暴力に虐げられた生物の哀れな一面に過ぎないのかも知れない。もっとも、値段の暴力と相対すべく矢面に立つのは、ルイの宿主である準の役目だったりするが。
「もちろんよ。ハワイなら2歳の頃に家族旅行で行ってるみたいなんだけど、さすがに覚えてないわ」
「そうか。ならいいけど」
海外渡航経験のない準は、ほっと胸をなで下ろす。
もっとも、二三香とてパスポートの期限はとうに切れているだろうし、財布の中身だって日本を出てしまえば換金でもしない限り紙屑ないし鉄屑同然だ。冷静に考えれば考えるほど取り越し苦労だったことが分かり、準はさらに脱力した。
「なるほど……ルイにゃんが食欲と性欲を同時に持て余すと、あんなふうになるんだね」
不意に未波の呟きが耳に入った。
それを聞き付けたルイが抗議の声を上げる。
「人を野蛮なケダモノみたいに言わないでください!」
いつもの人を食ったような冷静さはどこへやら、ルイの頬はトマトのように赤く染まっていた。
「いや、ケダモノだろ。どう見ても」
「もう! 準さんまで何なんですか! 『自覚がないのは、ある意味幸せな証拠だ』みたいな顔して!」
抗議の矛先は準にも容赦なく向けられる。
「人の心の中を勝手に読むなよ」
「私にはそんな能力ありません――って、本当にそう思ってたんですか!? ひどい! ひどすぎます……」
「いいじゃん、ケダモノでも。最近、自己主張のできない子が増えてるって言うけど、その点ルイにゃんはえらいと思うよ?」
――ルイの場合、自己主張がはっきりしていると言うより、欲望や煩悩がだだ漏れなだけではなかろうか。そうツッコみたい衝動に駆られる。
「はい、みんな注目! 積もる話もあると思うけど、まずは腹ごしらえしましょ。聞き分けのない悪い子は置いてっちゃうわよ?」
クールビューティーなイメージを取り戻しつつあった二三香の表情が、Sっ気全開のドヤ顔へと変貌を遂げた。
「じょ、冗談だろ!? 勘弁してくれよ。ここがどこかも分からんのに。いや、そんなことより二三香はどんだけ食べるつもりだ!?」
「お腹すきましたー!」
「よーし、こうなったらルイにゃんの好きな物、何でもおごっちゃるけんね!」
下から順に二三香→準→ルイ→未波と、あわただしく右手が重ねられる。
「全員揃ったわね? じゃ、行くわよ!」
次の瞬間。
定点観測動画がリピート再生で冒頭に戻るのを再現するかのように、準・ルイ・未波・二三香は忽然と姿を消したのだった。
第一部はここで一区切りとなります。
10月よりシリーズを改めて第二部を先行投下していますので、
引き続きお楽しみいただければ幸いです。