第五章 作戦会議は下ネタがいっぱい! #6
会計を済ませて店を出る間際、準は携帯を取り出して開いた。が、何をするわけでもなく、すぐに閉じてポケットにしまう。
7時54分。
終電が出るまで5時間弱。
つい1ヶ月前まで実家暮らしだったこともあり、こんな時間まで外にいる習慣はあまりない。陸上部を引退後、受験前の半年だけ塾通いをしていた頃は帰りが9時過ぎになることもあったが、基本的に家で私服に着替えてから出かけていたので、連続外出時間としては(遠足や修学旅行などを除けば)確実に最長記録を更新していることだろう。
「準さん、いましたよ! あの駐輪場の影に隠れてます」
ルイが向かいの有料駐輪場を盗み見ながら告げる。
「まだいたのか……」
忌々しげな口調と裏腹に、準の目は半分笑っていた。
ここで半藤がいない、つまり退散してしまったとなれば、先ほどのストーキング行為について詰問することができなくなる上に、二三香まで呼んで考えた作戦も無駄になってしまう。
しかし、半藤はこちらの思惑どおり居座っていたばかりか、よりによって逃げ場のない駐輪場に潜んでいる。ルイと2人で挟み撃ちにしてしまえば言い逃れもできまい。
――あいにくカツ丼は手元にないが。
と、二三香が何食わぬ顔で新秋津駅の方から歩いて来るのが見えた。そのままプレハブ小屋のような管理室の横に陣取ると「いつでもOKよ」とアイコンタクトを送ってくる。
「よし、行動開始だ」
「はいっ!」
準はそう言うと左へ、やや遅れてルイは右へとそれぞれ散開した。そのまま猛ダッシュで駐輪場へ突入する。元々『小さい・狭い・乗り換え客しか通らない』の三重苦を抱えていることもあり、2ヶ所しかない出入口を塞いでしまえば、あとは袋のネズミも同然だ。
半藤は一瞬戸惑ったような表情を浮かべたものの、小柄な外見から腕力で御しやすいと判断したのか、ルイの方へ向かって走り出した。
「半藤! そこまでです!」
ルイの怒声が響く。
(ぶつかる……!)
反射的に目を閉じた次の瞬間。
鈍い金属音と共に、半藤の呻き声が準の耳朶を打った。そして――
「準さん、やりました!」
ルイの底抜けに明るい声が聞こえてくる。
無事だったようだ。とすると、今の音は……?
準はおそるおそる目を開け、絶句――そして納得した。
おそらく、ぶつかる寸前にルイの捨て身タックルを食らったのだろう。半藤は駐輪場の柱に頭を強打して悶絶していた。頭を手で押さえているのを見る限り、辛うじて意識はあるらしい。準はさっそく半藤に詰め寄る。
「さっきから俺たちを尾け回してるみたいだが、どういうつもりだ? 『もう手を出さない』ってのは口から出まかせだったのか?」
「私が……そう簡単に約束を破る男に見えるかね?」
声は弱々しくかすれているものの、キザったらしさ嫌味っぽさは健在のようだ。
「さあ、どうだろうな。少なくとも今の俺たちにはそう見える」
準も負けじと冷ややかな言葉を選んで返す。
「ふん、言ってくれるじゃないか……。しかし考えてもみたまえ。私の約束は、君たち自身が平穏無事に暮らすことで、ある意味果たされる。だが、君から提示してきた約束はどうだ? 私を含め客観的に判定できる第三者がいない限り、正しく履行されているという証明にはならない。違うかね?」
「それは……」
準は思わず返答に詰まる。こればかりは半藤の言うとおりだ。
「では、学園を出てから延々と尾け回していたのは、私ではなく準さんの行動を監視するためだった、と」
「平たく言えば、そういうことになります」
声の主がルイだと知った途端、最敬礼モードになる半藤。
「無駄を承知であなたに通告します。今後一切、こういうことはやめなさい」
「なぜ守り神様はこの男の肩を持たれるのですか? 私とて、かつて守り神様を60年以上に渡って捨て置いた武者小路家の末裔。守り神様に好かれようなどとは到底考えておりません。しかし、いつ寝込みを襲うとも知れない凡人風情と一緒にいたがる守り神様のお考えが、私には分からない……」
「寝込みを襲われても構わない、むしろ襲われたいと思うからですよ。改めて言わなくとも意味は分かりますね? そもそも、誰かを好きになったり愛したりするのに理屈を求めること自体が無意味なんです」
さらりと過激なことを言ってのけるルイ。準は準で、二三香に聞かれてやしないかと気が気ではない。
「ま、俺は何があっても手は出さないけどな」
「準さんの意地悪……。ところで半藤、あなたはそれだけの怪我をしてもなお私たちを尾け回すつもりですか?」
ルイはそう言うと、半藤の顔を覗き込んだ。特に目立った傷はないが、だからと言って油断はできない。
「念のため医者に見せた方がいいかもな。ルイ、どうする? 連れてってやるか?」
「そうですね。少しの間、病院のベッドで頭を冷やしてもらいましょう」
「守り神様、お手数をおかけして申し訳ありません……」
ついに半藤が白旗を上げた。
「よし、決まりだな!」
準は管理室の横に待機している二三香のもとへ走る。
「予定変更だ。ここから少し離れてて大きめの病院、どこか知らないか?」
「病院? まさかルイちゃんが怪我でも……っ!?」
「ま、待て! 怪我をしてるのは半藤の方だ」
奥へと駆け出そうとする二三香を、準はあわてて押し留める。
「どういうこと?」
「……俺とルイが別々に突入したところまでは見てたよな?」
「うん。じろじろ見てると怪しまれるから、はっきりとは確認できなかったけど……」
「ルイがタックルで半藤を突き飛ばしたんだ。ヤツは柱に頭をぶつけて伸びちまってる。打ち所が悪いと最悪の場合……」
「意識はあるの?」
予想外のアクシデントに、二三香の声にも緊張が走る。
「幸い、な。病院送りに関してはヤツも了承してるし、あの様子では検査やら何やらで少なくとも一晩は出て来れないと思う。とりあえず来てくれ」
二三香を伴って戻ると、半藤は先ほどと同じ姿勢で横たわっていた。
「まだ痛むか?」
「ああ……さすがに鉄骨と渡り合えるほど石頭ではないのでね」
「それだけの減らず口を叩けりゃ安心だな。さっそく今から病院にワープするけど、ひとつ注意点がある」
「何かね?」
「絶対に目を開けるな。ほんの一瞬とはいえワープ中の視覚情報の負荷は半端じゃない。下手すりゃショック死する可能性もある」
「――承知した」
(おいおい……)
一歩間違えれば嘘だとバレかねないギリギリの誇張表現をしたつもりだったが、半藤の返事は実に素直で、準は拍子抜けした。
「それじゃルイ、頼む」
元の緊迫した表情でルイの名前を呼びながら、二三香に手で合図を送る。緊急事態とはいえ、やはり第三者の存在を明かすわけには行かない。
二三香が準とルイの手を握る。
続いて、ルイが半藤の肩に手を乗せた、次の瞬間。
半ばBGMと化していた商店街のざわめきが途絶え、外灯に冷たく照らされた芝生が視界に飛び込んできた。あまりの静けさに、周りの空気も冷たくなったような気がして、準は思わず身を震わせる。
降り立った場所――と言うより、二三香がピンポイントで設定した移動先は、どこかの総合病院の裏手だった。同じ裏手でも秋津学園の部室棟裏と違って、湿っぽさや暗さはほとんど感じられない。
準は二三香が物陰に隠れたのを確認すると、
「もう目を開けてもいいぞ」と半藤に呼びかけた。
「……ずいぶん早いな」
「これが守り神たる私の力です。せいぜい驚くがいいでしょう」
ルイは強硬な姿勢を崩すことなく言い放つ。「ふふん!」とばかりに小鼻を膨らませて。ドヤ顔に慣れておらず、精一杯の虚勢を張っているのが丸分かりだった。
「立てるか?」
「ああ、何とか」
そう言うと半藤は、よろよろと立ち上がった。頭をぶつけた衝撃で軽い脳震盪を起こしたのか、目は半分ほど開けるのが限界といった様子で、軸足もふらついている。意識があるだけ御の字だが、これは相当な重傷だ。
「とりあえず受付までは連れて行きますが、そこから先は1人で行ってもらいますよ。検査や応急処置の現場に素人がいても邪魔なだけですから」
ルイの容赦ない言葉を全身に浴びながら、半藤は歩き出した。
一口に受付と言っても、たしか診療科目によって管轄が違ったはずだ。準は小走りでエントランスに先回りすると、見取り図の中から『脳外科』の文字を探す。
診療や面会の時間はとうに過ぎてしまい、今は非常口を示す緑色の常夜灯と、15メートルほど離れた当直室から漏れてくる薄明かりを頼るのみ。まだ外の方が明るく感じられるほどだ。
やがて、自動ドアの開閉音と共に、ルイと半藤が姿を現した。
「脳外科は右の突き当たりだ」
「ありがとう。……守り神様、私はもう1人で行けます」
そう言うと、半藤は先ほどよりは幾分しっかりした足取りで再び歩き始めた。
ある程度遠ざかったのを見届け、準は小声でぽつりと呟く。
「あいつから『ありがとう』なんて台詞を聞くとは思わなかったな」
「ともあれ、一件落着ですね。一時はどうなることかと内心冷や冷やしましたが」
緊張の糸が切れたのか、ルイが背中からもたれかかってくる。準は拒むこともなく、その肩を両手で受け止める。
あの半藤を、ルイは一撃で昏倒させた。その一撃は下手をすれば、半藤を三途の川へとダイレクトに放り込みかねない、危険なものだった。無意識とはいえ――いや、無意識だからこそ、ルイは肝を冷やしたに違いない。準の胸元で繰り返される深呼吸のようなため息と、小刻みに震える体が、それを如実に物語っている。そう、どんな言葉よりも。
「帰ろう。二三香も待たせてることだし」
「はい。私、お腹すきました」
「そういや晩飯まだ――」
ぎゅるるるるるるる。
まさに口を開きかけた瞬間、準は自分の腹の虫に先手を取られた。
恥ずかしい……などとは不思議と思わなかった。準は言いかけの言葉を飲み込んだまま咳払いをすると「今なら食べ放題に行っても余裕で元を取れそうだな」と1人ほくそ笑んだ。