第五章 作戦会議は下ネタがいっぱい! #3
「ご注文は後の方がよろしいですか?」
店員は2人を席に通すと、メニューを手渡しながらたずねた。
ファミレスならいざ知らず、喫茶店に来て注文する物と言えば、だいたい相場は決まっている。とはいえ、空腹時のコーヒーは何かと胃に負担がかかるので、たんぱく質も同時に摂取できる物がいい。
「ロイヤルミルクティー、アイスでお願いします。ルイは決まった?」
「私はレモンスカッシュ、アイスでお願いします」
ドヤ顔のアイス指定に、準は思わず噴き出しそうになった。ホットのレモンスカッシュなど見たことも聞いたこともない。そもそも熱を加えた時点で、せっかくの炭酸が抜けてしまうではないか。
「かしこまりました。すぐお持ちしますね」
準は店員が階下へ消えたのを確認すると、鞄からメモ帳を取り出した。今は普通に会話していても問題ないが、半藤が現れたら即座に筆談に切り換えなければならない。
「考えてみたんですが、私たちに見つからずに尾行するのが目的だとすれば、店の中まで踏み込んで来る可能性は低いかも知れませんね。提案しといて何ですが」
「そりゃ来ないに越したことはないよ。一応念のためだ」
「承知しました。それでは作戦会議スタートですね」
周りを確認して高らかに宣言するルイ。曲がりなりにも追われる身の上だと言うのに、どうしてこうもハイテンションなのか。
準は半分なだめるように口を開く。
「とりあえず落ち着けよ。最初に現時点で把握できてることを整理しとこう」
「そうですねぇ……半藤の気功波は封じたも同然ですが、あの探知機まがいの札がありますから、中途半端な逃げ方ではすぐ見つかってしまう。逆に言えば、一刻も早くあの札の有効範囲外に身を移すことが大前提になる。……今言えるのはこれくらいでしょうか」
「あいつの札を奪い取っちまえば一気に解決なんだけどな」
「さすがにそれは無理でしょう。透明人間になる能力でもあれば別ですが……」
「結局逃げるしかないってことか。そうなると二三香の出番だな」
準はついに逃亡作戦の鍵となる人物の名前を口にした。今はまだ外枠中の外枠、大雑把もいいところだが。
「二三香さん、ですか?」
ルイは一瞬首をかしげたが、すぐにピンと来たのか、
「あ、なるほど。瞬間移動ですね?」と目を輝かせた。
「そう。問題は、半藤の目に触れることなく使うにはどうするかだ」
「たしかに。そこが一番のネックですね。二三香さんに迷惑はかけられませんし……」
準は無言で頷いた。
二三香を覆面レスラーとして扱わなければならない理由。要約すると、今まさにルイが口にした言葉そのものになる。
半藤との鬼ごっこに一気にカタを付ける上で、二三香の瞬間移動ほど打ってつけの能力はない。しかし、3人が一斉に――いや、たとえ1人ずつでも一瞬で姿を消すような超常現象を、ただのマジックや幻覚として見逃すほど半藤の目も節穴ではないはずだ。
それに、半藤は消失前の神社の位置ばかりか、守り神が宿っていることまで完璧に把握していた。人としての姿形を持たないはずの存在を知っているということは、半藤の曾祖父に当たる武者小路俊山までの歴代神主のうち誰かが何らかの形でルイに接触し、その時のことを記録に残していた可能性もある。念のため確認しておく必要がありそうだ。
「ところルイ、今までに半藤以外の武者小路一族と接触したことは? たとえば、話をしたとか、顔を合わせたとか」
「初代神主の俊蘭となら1度だけありますよ。社が完成して何日かたった頃に『それじゃよろしく』みたいな軽い挨拶を交わした程度ですけどね」
「やけにフランクだな」
「だから言ってるじゃありませんか。堅苦しいだけの宗教家気取りは嫌いだって。信仰対象が基本的に1人だけの海外ならいざ知らず、私は日本全土に800万いる神の1人に過ぎないんですから、馬鹿のひとつ覚えみたいに畏まる必要なんてないんですよ」
「――マジっすか?」
新事実が発覚した瞬間だった。
たしかに、たくさんいることの例えで『やおよろず』と表現することはある。だが、それは人間側の勝手な解釈に過ぎず、その代表格たる日本人でさえ、神様が1人の狂いもなくちょうど800万人いると考える人は皆無に等しい。
常識が覆されることは往々にしてあるが、欠片も想像できない――定説も逆説も存在しない事象を真実として提示されると、驚きの言葉すら口にできないほど呆然としてしまうものらしい。ルイの言葉に疑問を抱きながらも額面どおり受け止めつつある自分に、準は一瞬戦慄を覚えた。
「いるんですよねー、これが。さりげなく埼玉県の総人口より多かったりします。さすがに東京・神奈川には負けますけど」
「変な比べ方するなよ。県庁所在地とか覚えたての小学生じゃあるまいし」
神様の威厳やありがたみが隕石並みのスピードで地に落ちるような錯覚を覚え、準は半笑いで苦言を呈する。
「でも実際問題として、私たちの仲間は息苦しさを感じるあまり、神社みたいな場所に寄り付かないケースが圧倒的に多いんですよ。もっとも寄り付いたら寄り付いたで、日本中がパワースポットで溢れ返ってしまいますけど」
「それじゃルイの仲間は普段どうしてるんだ?」
「9割がヒッピーかヒッキーですね。青木ヶ原樹海や出雲大社に引きこもってネトゲに明け暮れてたり、横浜の中華街や秋葉原の電気街を徘徊してたり、代々木公園で踊ってたり。みんな好き勝手やってますよ。もちろんこの秋津近辺にも何人かいますし、私が外の情報をキャッチできてたのは彼らのおかげです」
たしか、代々木公園の歩行者天国は10年以上前に廃止されているはずだが…………。ルイとは対照的に、自由の身でありながら、しっかり時代に取り残された神様も中にはいるらしい。
「ルイの話を聞く限りだと、大半は駄目人間と世捨て人――もとい駄目神様と世捨て神ってことになるぞ。ってか、他に神様がいるなら助けてもらえばよかったのに」
「それが、そうも行かないんですよ。いくら好き勝手やっているとは言っても、私たちの中には長老神という800万の最高位に君臨する神様がいます。その長老神が決めた、少々厄介な掟がありまして……」
「掟?」
「はい。『800万の中の誰かが何らかの事故で封印されても、他の神は許可なくこれを助けてはならない』という、何とも理不尽な内容の」
「それで何十年も出られなかったって言うのか?」
「恥ずかしながら、そうなんです。もちろん、他の神を通じて許可を得ようとはしたんですが、いかんせん長老神も石頭ですからね。『ただで出してやるわけには行かん。その代わり、5人の願いを同時に叶えるか、1人の願いでもうまく利用することができたら自動的に出られるようにしてやろう』なんて言ってきやがりまして。まじファックですよ!」
ここぞとばかりに長老神とやらの悪口を言いまくるルイ。聞いているうちに、思わず苦笑いが漏れる。
準とて「石頭って言うよりはドSの領域だよな……?」と軽く引いたりはしたものの、相手は曲がりなりにも800万の頂点に立つ神様だ。敬意どころか礼儀の欠片もない台詞を堂々と吐くのはいかがものだろうか。
「ところで、どうしてそれを二三香たちがいる時に言わなかったんだ?」
「私も話すべきかどうか悩んだんですよ。二三香さんも未波さんも、心がきれいでやさしい方です。古くさい言い方をすれば、情にも厚い。それだけに、お二人が真実を知ったら、怒りの矛先が長老神様に向いてしまいかねません。長老神様はいい加減なように見えて、意外とプライドの高いお方ですので……」
「ルイみたいな神様ならまだしも、人間ごときに文句を言われたとあっては怒り狂って何をしでかすか分からない、ってか? まぁ何はともあれ、これでひとつはっきりしたな」
「何がですか?」
「半藤の前で二三香の能力を使うべきじゃないってことだよ。ルイに関してどんな記述が残ってるのかは分からないけど、おそらく半藤は俺たちが考えてる以上にこっちの内情を知り尽くしてる。俺たちのそばをうろついてるだけでも『私は関係者です』と触れ回ってるようなもんなのに、まして能力なんか使ったら、二三香まで監視の標的にされちまう」
「能力発動の現場はおろか、姿を見られるのもNGと。困りましたね」
準は左手でネクタイを緩めながら、
「ここで焦っても仕方ない。もう少しじっくり考えよう」と答える。
ろく考えもせず泣き言を言いたくはない。しかし、早くも制約が加わってしまったのは事実だ。
どちらともなく、ため息が漏れる。
と、その時。
「お待たせしましたー。ロイヤルミル……あ、あの、お客様……?」
顔を上げると、先ほどの店員がトレイを抱えたまま棒立ちになっていた。
「はい?」
「……っ!!」
「?」
どうも様子がおかしい。
店員は頬をトマトのように赤くして、1ヶ所をひたすら凝視している。その視線を何となくたどり、準はハッとした。
ネクタイを緩め、第1ボタンだけを外すつもりが、いつの間にか一番下のボタンまで外してしまっていた。これでは、どこをどう見ても見紛うことなきス・ト・リ・ッ・パ・ー。
青ざめたのと赤面したのが入り混じり、準の頬は一瞬にして紫色に染まる。
「すみませんっ! 第1ボタンだけ外すつもりだったんですけど……いや、本当ですって!」
「で、ですよね。あは、あはははは……」
「ほんと、何やってるんでしょうね、俺。はははは……」
沈黙が続くのも耐え難いが、互いに向き合ったまま誤魔化し笑いを続けるのも、気まずさの点では同格だ。かと言って、即興でうまい切り返しが思い浮かぶはずもなく。
「いつまで笑ってるんですか?」
30秒は笑い続けただろうか。ルイの冷ややかな声で、準と店員は我に返った。「故障したサンプリングマシーンじゃあるまいし」とでも言いたげな呆れ顔が目に入る。
「そ、それではごゆっくり……」
ルイから立ち上る不吉なオーラを察知したのか、店員は空いたトレイで顔を半分隠しながら、そそくさと立ち去ってしまった。