第四章 監視員、現る #3
背後から現れたのは、半藤の後頭部に手刀を叩き込んだ姿勢のまま、彫像のように固まっているアサミの姿だった。彼女は半藤が地面に伸びたまま動かないのを確認すると、構えを解いた。
「危なかった……怪我はない?」
無表情のまま唐突に問いかけられ、準はびくっと身を震わせる。
「あ、ありがとう。それより、こいつの方がヤバいんじゃ……」
倒れたままぴくりとも動かない半藤を見下ろしながら、とりあえず礼を言う。
「彼なら大丈夫。ほんの数分で目を覚ますはずだから。退散するなら今のうち」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。君は半藤の仲間……なんだよな? 勝手に俺たちを逃がしていいのか?」
準は思わず尋ね返す。
しかし、返ってきたアサミの答えは意外なものだった。
「私は史跡研究会への入部希望者として彼についているだけ。守り神などに興味はない」
「どういうことだ? 半藤と同じ目的で動いてるんじゃないとしたら……?」
「彼が守り神にこだわるのは、史跡研究会を史跡研究部に昇格させることが目的。正式な部として認められれば、部室や活動費が割り当てられる。でも、それには5人以上の部員と一定レベルの成果が必要」
「でも、半藤は神社絡みの古文書を粗方読みこなしてるんだろ? 成果としてはそれで十分なはずだ」
「彼は完璧主義者。守り神が実在すること、札の効能、神社の正確な位置、すべてを実証すると言って聞かない」
「とんだ頑固者だな。それじゃ反発する部員もいるんじゃないのか?」
「正式な部員は彼だけ。『実績を出せば有志はいくらでも集まる』と言い張って、勧誘活動は一切していない」
「やれやれ」
半藤の人となりについてアサミの話を聞けば聞くほど、半藤自身のプライドの高さだけが浮き彫りになってくる。もはや呆れるしかない。
と、黙って会話を聞いていたルイが口を開いた。
「その計画、おそらく失敗に終わるでしょうね」
「どういうことだ?」
「仮に研究の成果が認められて、部員の頭数も揃ったとします。でも、それまでの研究の題材が題材だけに、単なるオカルトマニアの集まりにならないとも限りません。半藤もそれをよしとはしないでしょう」
「要するに、半藤が扱ってるテーマそのものがプロモーション向きじゃないってことか」
「一言で言うとそうなります」
「私もそれが心配。研究そのものには協力するけど、それをいたずらにアピールするのは正直言って賛成できない」
「おおかた名声に目が眩んだんでしょうね。ところで、余計なことかも知れませんが」
「?」
「あなたが半藤と知り合ったきっかけは?」
「同じ中学で同じ部活に入ってたから」
「となると、やはり歴史関係ですか?」
「テニス部。そもそもうちには文化系の部活がなくて、帰宅部も認められていなかった」
スポーツ方面に特化した私立校だったのだろうか? もっとも吹奏楽部や美術部ならいざ知らず、中学生の部活に歴史研究のようなマニアックなことをやらせる学校も、ある意味珍しいが。そんなことを考えながら、準も言葉を挟む。
「いずれにしても、本人に無断で事を進めようって考えは感心しないな。研究成果をどう発表するにせよ、平たく言えばルイを晒し者にするってことだろ? 神様相手におこがましいかも知れないけど、保護者的な立場として見逃すわけには行かない」
「私もあなたと同じ考え。だから早くここを離れるべき」
「君はどうするんだ? こいつのことだ、君が俺たちを逃がしたと知ったら怒り狂うんじゃないのか?」
「私なら心配ない」
「でも……」
「準さん、ここは彼女に……アサミさんに任せましょう」
ルイが腕をつかんで訴えかけてくる。
「守り神の言うとおり」
「ルイと呼んでください。それと、半藤にこう伝えておいてくれませんか? 『準さんを傷つけて死なせると、私も一緒に消えてしまう』と」
「どういうこと?」
「今の私は準さんの願い事に基づき、分身として顕現しています。その宿主――つまりコピー元であるである準さんが死ぬとどうなるか。ここまで言えばお分かりですね? さっき準さんが受けたダメージですが、現に何割か私にフィードバックしてますし」
そう言いながら、ルイは制服の上着とブラウスを一気にまくり上げた。透き通るように白く、引き締まった脇腹が露わになる。
そこには、まるでルイが半藤の気功波を受けたかのように、うっすらとアザができていた。
「……!! ルイ、どうして今まで言わなかったんだ!」
準は思わず激高した。
自分だってアザくらいできているかも知れないし、痛みもまだ残っているが、動き回るのに何ら支障はない。しかし、何事もなかったような顔で「何割か私にフィードバックしてますし」などと言われても、こんな姿を見せられると「実は自分と同じくらいのダメージを受けたのではないか」と勘繰ってしまう。自分で感じる身体的ダメージに対し、ルイのそれは見るからに重傷だ。
しかし、ルイは準の心配などどこ吹く風で答える。
「私の体は準さんみたいに鍛え抜かれてるわけではありませんからね。たとえば準さんのダメージの30パーセントが私にフィードバックするとしましょう。しかし、その計算式は準さんと私の防御力に少しでもズレがあると、誤差が生じて成立しません。仮に私の防御力が準さんの半分なら、体感的なダメージは60パーセント相当にまで跳ね上がる計算になります。自分で受け切れるダメージかどうかくらい、私にだって判断できますよ」
「そういう問題じゃないだろっ!」
「誤解のないように、ひとつだけ言わせてください。この体は外見や性格を除く大部分が準さんを基準に設定されています。これでもダメージは最小限に近いレベルに抑えられてるんですよ? いずれにしても、このことを話せば効果は絶大なはずです。半藤のように脳味噌が筋肉でできた単細胞生物でも、小学生レベルの計算式くらいは理解できるでしょう」
ルイはそう言いながら、ちらりとアサミに視線を走らせた。
「……分かった。それなら彼も手荒な真似はできなくなると思う」
「くれぐれもお願いします」
ルイにつられるように、準も軽く頭を下げる。表情から何を考えているのか読み取れない不安はあるが、こちらの話を冷静に聞いてくれる人間をむざむざ敵に回すような真似はしたくない。
「それじゃ準さん、行きましょうか」
「ああ」
他の生徒や教師たちに見つからずに出るには、どこを通ればいいのだろう。そんなことを考えながら足を踏み出した瞬間。
「待ちたまえ……話は……聞かせてもらったよ…………途中からだが……」
「!?」
驚いて振り返ると、半藤が地面に手を付いて立ち上がろうとしていた。薄暗くてよく見えないが、アサミに後頭部を強打されたショックが抜け切っていないのか、まだ少し顔色が悪いようだ。
しかし、途中からとはいえ話を聞かれていたとなると、また厄介なことになる。アサミも同じことを考えたようで、いつでも半藤を昏倒させられるよう再び臨戦態勢に入った。
「守り神様にまでダメージが及んでいるとは知りませんでした。申し訳ありません」
よろよろと立ち上がり、深々と頭を下げる半藤。
準は「まず俺に詫びるのが筋だろうが!」と怒鳴りつけてやりたい衝動を必死にこらえた。今それを口に出しては、半藤の怒りに再び火がついてしまう。自分の一挙手一投足がゲームで言う自爆ENDに繋がっていると思うと、何ともやりきれない思いがした。
「彼にも謝るべき」
準の思いを代弁するかのように、アサミが口を開いた。抑揚のない声が薄暗い部室棟裏に響く。
今までの第三者的な表情とは打って変わって、正面から射抜くような視線が半藤に向けられていた。
「わ、私は……ただ……守り神様が……」
途端に口ごもり始める半藤。
今まで黙々と付き従うだけだった後輩から厳しい視線と言葉を投げかけられ、明らかに戸惑っているのが分かる。
と、ルイが手招きしているのが目に入った。
「どうした?」
「ちょっとお耳を……。準さん、チャンスですよ!」
「何が?」
「あれだけ強気だった半藤が顔ひとつ上げられないでいます。今こそ言いたいことを言うんですよ!」
「ちょっと待てよ。そんなことして大丈夫なのか? 『窮鼠猫を噛む』じゃないけど、何をしでかすか分からないぞ?」
まして半藤は、平常時でも何食わぬ顔で気功波を使いこなす男だ。ネズミと同列に扱うには基本戦闘能力が高すぎる。
しかし、ルイは首を縦に振らない。不敵な笑みまで浮かべ、さらに続ける。
「心配いりませんよ。ネズミ捕りを仕掛けますから」
「ネズミ捕り?」
「アサミさん、ちょっと……」
「……何?」
「万が一に備えて、半藤の背後で待機していてください。大丈夫だとは思いますが、逆上して再び準さんに襲いかからないとも限りませんので」
「お安い御用」
ぐっと親指を立てて、アサミは戦闘配置(?)につく。
「さあ、準備OKです」
「いや、しかしなぁ……」
「準さんも男でしょう?」
「!」
ルイの一言に、準の心の中で何かが弾け飛んだ。
男のくせに。
男らしく。
男だろう。
男だったら。
男に生まれた以上。
性別だけを理由に個人の勝手なイメージを押しつけるのは心底バカバカしい。
くだらない。
昭和脳ここに極まれり。
しかし、いざ自分が言われると話は別だ。
「……言ってやろうじゃないか」
何も半藤に素手で勝負を挑むわけではない。
思うままを、思うままに、ぶちまけるだけだ。
――ただし、あくまでも紳士的に。
そう自分に言い聞かせながら、準はできるだけ穏やかに半藤に語りかける。
「形だけの謝罪なら、する方にとってもされる方にとっても無駄なだけだと思うぞ? 自分の助手――神沢さんにはっきりと反論できないのは、自分に非があることを少なからず認めてるからだろ? あんたにそれだけの良心があると見込んで、ひとつ頼みたいことがある。今後一切、俺やルイに手を出さないと約束してくれ! 俺もルイに変なことはしないと約束する」
とうとう言ってしまった。
自分の言葉を心の中でもう1度反芻する。
(別に変なことは言わなかったし、大丈夫だよな……?)
半藤はしばらく俯いたまま黙っていたが、やがて静かに口を開くと、
「……分かった。潔く手を引こう」
とだけ言って、再び膝をついた。
(どうだ! 俺だって言う時は言うんだ)
「してやったり!」と言わんばかりに、自信満々でルイとアサミの方を見やる。
しかし、2人は顔を歪めて苦笑いを浮かべていた。ルイに至っては、両目にうっすらと涙まで滲ませている。
「……あ、あれ? 俺、何かまずいことでも言ったか?」
準は大いに困惑した。
成り行き上仕方なくとはいえ、一世一代の大演説にも近い台詞を吐いた直後にそのような顔をされて平然としていられるほど大物ではない。
ルイ、アサミ、生ける瓦礫と化した半藤。
準の視線は、その3点を目まぐるしく移動する。そうすることで、ほんの少しでも事態を把握しようと試みたのだが――
そんな中、最初に口を開いたのはルイだった。
「私という分身のあり方について、近々真剣に話し合う必要がありそうですね」
最後の1球をライトスタンドに叩き込まれたピッチャーばりに熱い涙を流しながら滔々と言葉を継ぐ姿に、準は圧倒される。
しかし、いかんせん言葉の意味が分からない。分からないがゆえの意思表示として、反射的に首をかしげてしまう。
それがルイの言動にさらなる異変をもたらした。
「準さん、あなたは人間が有性生殖であることを忘れすぎです! どこまで乙女チックなんですか!」
「は? ますます意味が分からん。有性生殖? 乙女チック? たしかに俺は乙女座だけど、それがどうしたってんだよ」
暗にバカにされているのではないかという疑念と、ルイの言わんとすることがまったく読めない苛立ちで、準は徐々に頭に血が昇ってくるのを感じた。しかし、ここでキレてしまっては何とも大人げないし、自分から半藤に持ちかけた約束を光の速さで反故にすることになる。とりあえず冷静にならなければ。
準は深呼吸をすると、涙目で低い唸り声を上げるルイに再び向き直った。
「話は後でゆっくり聞かせてもらうよ。それより、俺が何か変なことを言ってたのなら、はっきり教えてくれ!」
と、アサミが「耳を貸して」というジェスチャー付きで準に手招きをした。
いったいどうしたのだろう。はっきりと口に出して言いにくいことなのだろうか?
準は言われるままに耳を貸す。
「ヒント。彼は拡大解釈の名人」
「彼って半藤のことか?」
「そう」
それだけ言うと、アサミは「もう話すことはない」とばかりに、準の耳元から顔を離してしまった。
「どういうことなんだよ!」
単体では意味を理解できない言い回しをするのが流行っているのだろうか? 間接的にしか正解に結びつかないからこそのヒントであることは準にだって分かる。しかし、ルイにしろアサミにしろ彼女たちの口から発せられるのは、言葉や言い回しと言うよりも、ほとんど単語に近い。
準は底意地の悪い大学教授に『タイトルから内容を想像せよ』という問題を出された学生のような暗澹たる気分になった。
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