第四章 監視員、現る #2
と、ようやく話が終わったのか、男がこちらを見て優雅に一礼した。
「おっと失礼、自己紹介がまだだったね。私は半藤達尚。2年1組に籍を置き、史跡研究会の会長を務めている者だ。こちらは……」
キザ男――半藤(自称)が女にも自己紹介するよう促す。
「神沢アサミ。同じく史跡研究会所属……予定。あと、あまり関係ないけど1年10組の学級委員長。以上」
無駄に大仰な半藤とは対照的に、こちらはあまりにも淡々としていた。事務的を通り越して、機械的ですらある。
しかし、今さら自分たちの身元を明かしたところで何をしようと言うのだろう。そんな準の疑念を代弁するように、ルイが毅然と言い放つ。
「半藤さん、と言いましたね。それがどうしたと言うのです? 予め言っておきますが、情報は等価交換などと御託を並べられても応じられませんからね」
「やれやれ。あくまでもシラを切るおつもりですか……。いいでしょう」
半藤はそう言うと、ポケットから定期入れを取り出し、二つ折りの内側をルイに突きつけた。
中には古びた和紙が1枚。定期やカードと言うよりは、古くからの民家や旅館によくあるお札のような風体だ。敢えて違いを挙げるとしたら、この和紙は何も書かれていないただの紙切れだった。
「この野郎、いい加減に……っ!?」
突如、定期入れの中で紙切れが赤く発光を始めた。思わず言葉が途切れる。
裏に小型LEDでも仕込んであるのだろうか? しかし、その推測は見当外れもいいところだった。
光はどんどん強さを増し、やがて謎の模様が現れた。地図記号と象形文字を掛け合わせたような、強いて言えば大名や武家の家紋に近い。
と、今まで強硬な姿勢を貫いていたルイが、その模様を目にした途端、小刻みに震え始めた。
半藤はその様子を見て満足そうに頷く。
「ようやくお分かりになられましたか? たしかに半藤と聞いただけでは分からなくて当然です。私の説明不足でした。しかし、武者小路俊山のひ孫と言えば分かっていただけるはずだ」
「武者小路……俊山……」
「ルイ、知ってるのか?」
「……はい。私を祀っていた社の神主です」
「何だって!?」
準は思わず目を見開いた。
今、半藤はたしかに武者小路俊山のひ孫だと名乗った。それはつまり、神社が焼失することなく残っていれば次期神主となっていたかも知れない、ということになる。
噂をすれば何とやらで片付けるには、あまりにも不気味すぎる巡り合わせだ。
と、ルイが半藤に向き直った。
「戦災で死んだものと思っていましたが、どうやら私の思い過ごしだったようですね」
「私の曾祖父――俊山は5年前に他界しました」
「それで、60年以上も梨の礫だった武者小路家の者が何の用です? もっとも、初対面のあなたに聞くのもお門違いというものでしょうが」
「今すぐ武者小路家にお戻りください……などとは申しません。ただ、ひとつだけお聞かせ願えませんか? なぜそのような俗世にまみれたお姿で、しかも下賤な常人風情と戯れておいでなのです?」
「俊山に聞けと言いたいところですが、鬼籍に入った今となってはそれも叶わないのですね」
あきらめとも達観ともつかぬ、どこか生気を失った声でルイは答える。
「分かりました、特別に教えましょう。私を祀った社が空襲で焼失しているのは知ってますね?」
「はい。幼少の頃に俊山から聞いております」
「話が早そうで何よりです。私は社が焼失する際に憑依していた場所――鳥居に封印されたまま、自力で外に出られなくなりました。再び自由の身となる方法はふたつ。ひとつは鳥居だけでも再建されること。もうひとつは参拝者――と言うと語弊がありますが、その願いに憑依する形で外に出ること。私は社の再建を60年以上、ほんの数日前まで待ち続けました。しかし、ついに再建されることはなかった」
「では、参拝者の……その男の願いに憑依して顕現されたと」
「端的に言えばそういうことになります。この姿になったのも顕現した時です。プライベートに関わることなので詳細は伏せますが」
「だからと言って、なぜよりによってそのような低俗な格好を……。おおかた、この男が不埒な妄想をしていたからなのでしょう!」
「念のため言っておきますが、私は結構気に入ってますよ、この制服。社の再建をこれ以上待ち続けるより、この方と一緒に過ごす方を私は選んだ。ただそれだけのことです」
戸惑いを隠せない様子の半藤に対し、ルイはこともなげに言い放った。
「一緒に暮らす? まさか、この男とひとつ屋根の下に……それだけはいけません!」
「なぜです?」
「守り神様の今のお姿を見れば猿でも分かることです。無礼を承知で申し上げれば、今の守り神様は、その男の薄汚い欲望や性癖を具現化して歩いているようなもの。守り神様が変態の毒牙にかからんとしているのを黙って見過ごすわけには行きません!」
(おいおいおいおい。そりゃないよ)
実際はルイがセクハラまがいの言動で準を振り回しているのだが――準は反論せず耐えることにした。言ったところで半藤は聞く耳を持たないだろうし、まして自分が崇め奉る守り神様を侮辱されたとあっては、逆上してさらに凶悪な攻撃を仕掛けてくるおそれもある。
無論、準としては侮辱する意図など欠片もない。だが、相手は言葉より先に手が出るならまだしも、気功波が出てしまうような特異体質の持ち主(?)だ。言語を交えてのまともなコミュニケーションは、予め絶望視しておく方が賢明だと言わざるを得ない。
そんな準の思いをよそに、ルイの言いたい放題はさらに続く。
「それなら余計なお世話というものです。だいたい、そのような紙切れで人の居所を嗅ぎ回るストーカーに、この方を変態呼ばわりする資格はありません!」
準自ら反論するまでもなく、ルイが一刀両断してしまった。身の潔白を証明するには至らなかったが、こんな歴史オタクもどきにどう思われようと痛くも痒くもない。
それよりも、準としては赤く発光した紙切れの正体の方が気になる。
「ところで、あの古びた和紙みたいなのは何なんだ?」
小声でルイに尋ねる。
「あれは武者小路家の初代神主が作った守り神センサーみたいなものです。元々は鳥居に貼られていた札のはずですが、俊山がいつの間にか持ち去っていたみたいですね」
どんな因果関係で紙切れが半藤の手に渡ったのかまでは、さすがのルイでも分からないらしい。
ただ『センサーみたいなもの』と言うからには、ある程度の距離まで近付くと反応する仕組みのようだ。GPSのように居所を特定するタイプではないので、継続的に追い回される心配はおそらくないと思われる。
しかし、厄介な代物であることに変わりはない。
準は学園から数百メートルと離れていない超至近距離に住んでいる。センサーの有効範囲次第では、見つかる確率は自ずと高くなるだろう。格納することでルイの存在を物理的に消すという自衛手段もあるが、それで紙切れが反応しなくなる保証はどこにもない。
自分の部屋に半藤が踏み込んでくる様子を想像して、準は青くなった。
(学園の中で出くわす分には、まだ対処のしようもあるんだけどな……)
と、先ほど神沢アサミと名乗ったツインテールが、半藤にまた何やら耳打ちを始めた。
無駄だと知りつつ、とりあえず準は耳を澄ましてみる。――やはり何も聞き取れない。普通の話し声からして小さかったので、ある意味当然と言えば当然だった。
あのようなしゃべり方で学級委員長が務まるのだろうか? 他人事ながら心配になってくる。もっとも、自分だって偉そうなことを言える立場ではないのだが。
「――何だって!?」
半藤が急に顔色を変えて叫んだ。そして、猛然と後ろを振り返る。
いったい何があったと言うのだろう?
「場所を変えましょう。このままここにいては先生たちに見つかってしまう」
半藤が忌々しげに告げた。
準とルイもあわてて同じ方向に視線を移す。数学教師の小村と化学教師の乃木が揃ってこちらに向かってきていた。が、2人とも話に夢中なのか、まだこちらには気付いていないようだ。
「こっちへ」
ツインテールが半藤の手を引いて走り出す。
「あ、ああ……。守り神様も我々の後についてきてください! そこの凡人も遅れを取らないよう気を付けてくれたまえ!」
後ろを向いて叫ぶ半藤。
「私たちも行きましょう!」
ルイも準の手を取って駆け出す。
「へいへい。分かりましたよ」
「とりあえず今は機嫌直してください。彼の無礼は後で必ず償わせますから……ね?」
「そうだな。……頼むから、ぐずってる子供を宥める母親みたいな目で見ないでくれ」
色々と納得できないことはあるが、今最も優先すべきことが何であるかくらいは自分なりに心得ているつもりだ。
と、再び半藤が振り向いた。
「何が気に入らないのか知らないが、くれぐれも守り神様に迷惑をかけるようなことだけは慎んでくれたまえ」
「すべての元凶はお前だろうが! 無駄口叩いてる暇があったら足動かせ! ちんたら走ってんじゃねえぞ!」
「き、君ぃ! 先に走り出した私を追い抜くとはどういう了見かね! 慎みたまえ!!」
「うるせえ!」
無意識に元陸上部の本領を発揮してしまう準だった。
アサミに先導されて辿り着いたのは、いつぞやの部室棟裏だった。
塩崎に半ば引きずられるような形で訪れて以来、ここには足を踏み入れてない。相変わらず鬱蒼としたロケーションだな、と準は思った。
たった2日前のことなのに、入学式のすぐ後というタイムテーブルに則って振り返ると随分と昔のことのように感じられる。かと言って、早くも学園生活に馴染んでしまったわけでは決してないのだが――なまじ一緒にいる時間が長いせいだろう。こと未波たちとは完全に打ち解けつつあった。ルイに関しても同じことが言える。
そのルイは呼吸を整えながら辺りを見回していたが、やがて半藤に向き直ると、嫌味たっぷりに言い放った。
「ここが秘密の隠れ家ですか? センスの欠片もありませんね」
が、半藤は動じない。
「身を隠すには打ってつけの場所です」
特に悪びれた様子もなく淡々と答える。
しかし、ルイの嫌味は執拗に続いた。
「そして俊山にとっては、私を60年以上も封印したまま放置しておくのに打ってつけの場所だった……。理由こそ違いますが、血は争えないみたいですね」
「その件につきましては、俊山に代わってお詫び申し上げます」
「今さらそんな神妙な顔をしなくても結構です。それより、俊山の子や孫――あなたの両親や祖父母は何をしているんです? この件、ひ孫のあなたが単独で動いているとも思えませんが」
俊山亡き後の武者小路一族の内情を探るかのように、ルイはなおも挑戦的な視線を向ける。
しかし、半藤はゆっくりと首を横に振った。
「これは私の単独行動です」
そして、視線を神沢アサミ――1年10組のクラス委員長を務める少女に移し、
「もっとも、こちらの神沢君に助手を依頼している時点で、すでに単独行動ではないのかも知れませんが」
「それで、あなたが私を付け回す目的は? その札を持ち歩いているところを見る限り、かなり前から私に目を付けていたようですが」
「この札を私が見つけたのは5年前、祖母の命で俊山の遺品整理に駆り出された時のことです。彼には子供が3人いましたが、その全員が女だったのに加え養子を迎えることもしなかったため、すでに武者小路の家系は途絶えていました」
「俊山の兄弟はどうしたんです? たしか俊山のすぐ下に妹が1人、さらに弟が2人いたはずですが」
「弟2人は社が焼けた数日後に出征先で戦死。妹も今から10年ほど前に他界していたそうで、最後は俊山だけになっていました。そこで、俊山の長女である私の祖母が最期を看取り、遺品整理や遺産分与を主導的に行うことになった次第です。もちろん見つけたのは札だけではありません。社の見取り図や歴代神主が遺した文書、当時の小銭や切手なども出てきました。そして、その中には守り神様に関する記述や札の効能書きも……」
「なるほど……。だいたい読めてきました。あなたが札の使い方を知っているのも、これで納得が行きます。しかし5年も前となると、あなたはまだ小学生だったはず」
「『どうやって内容を把握したのか』と仰りたいのでしょう? 私は幼少の頃から毛筆を習ってましてね、大抵の旧字体なら小4くらいで普通に読みこなしていました。肝心の中身にしても、特別に難しいことが書いてあるわけではない。両親や祖父母に頼らずとも分かりましたよ。今ひとつピンと来ない部分もいくつかありましたが、そこは一緒に見つけた見取り図や写真が参考書代わりになってくれましたし。もっとも、解読できるようになったからと言って部外者が学園の中をうろつくわけにはいきません。実際に札を持ち歩くようになったのは、ここに入学してからですよ」
こちらが聞いてもいないことを、半藤は実に得意そうに語りまくった。学校の授業で習う日本史は準も得意だが、向こうは筋金入りだ。自分で立ち上げたのか先輩から引き継いだのかは分からないが、史跡研究会の会長を務め上げるだけのことはある。
「鳥居に封じ込められてる間、札の反応はどうだったんだろうな?」
ふと小声でルイに尋ねる準。
「凡人にしては、いい所に目を付けたものだな。特別に教えよう」
耳ざとく聞きつけた半藤が大仰に語り始めた。
「もちろん反応はあったよ。この札は守り神様から50メートルくらいの地点で存在を感知する。だから単に見張るだけなら、こんな場所まで来なくても部室棟1階のトイレからで十分事足りた。しかし、一昨日の夕方4時頃だったかな? いつものように巡回に行ったら、札が反応しなくなっていた。私は真っ先に疑ったよ。守り神様が何らかの形で外に出たのではないか、とね」
つまり、ルイは自分の預かり知らぬ所で1年も監視されていたばかりか、ようやく自由の身になれても実質2日で見つかってしまったことになる。もはや同情するなどというレベルではない。このような事態にあっても毅然とした態度を崩さないルイの健気さに、準は胸が痛んだ。
「ところで話は変わるが」
不意に半藤が準を見据えながら切り出した。
「さっき君を吹っ飛ばした技……あれは守り神様由来の力ではない、とだけ言っておこう。独自の流派なんだが、祖父が空手の道場をやっていてね。そこで鍛えられて身に付いた技なんだ。したがって、間違っても守り神様を逆恨みすることのないように」
「お前に言われるまでもないよ。俺のそばで一部始終を見ていた守り神様とやらも、その力の出所が分からないみたいだったからな」
「そうかね。ならいいが」
ルイという名前で呼ばないよう注意しながら反論する準。半藤も納得したのか、それ以上は追及してこなかった。心の中で安堵のため息をつく。
しかし、そんな平穏も束の間だった。
「守り神様なんてよそよそしい呼び方しないでくださいよ。せっかくルイって名前付けてくれたのに」
曲がりなりにも神の口から発せられたとは思えないような子供っぽく間延びした声に、準は思わず額に手を当てる。
「……ルイ? 名前を……付けてくれた……だと?」
途端に眉根を寄せて、ぶつぶつと何かを呟き始める半藤。
まずい。非常にまずい。さすがにこれは説明のしようがない。
悪寒とプレッシャーで全身に鳥肌が立ち始める。
「いかがわしいコスプレをさせただけでなく、変な名前まで付けて……もう1度その体に教えてやらなければならないようだな!」
「ま、待て。早とちりするな! この名前はルイに頼まれて付けただけで……そうだ、ルイからも何か言ってやってくれよ!」
「守り神様をその名前で呼ぶなと言っている……」
半藤の右手が青白い光を纏い始めた。光は輝きを増し、やがて掌で野球ボールくらいの大きさの球面体になる。
どこからどう見ても気功波だった。
昼間でも薄暗いはずの場所が、まるで業務用ライトで照らされているかのような明るさに包まれる。
「ま、まさか……やめろ! 落ち着いて話を聞け!」
「……問答無用」
完全に据わった目で準に狙いを定め、ピッチャーの投球フォームのような構えをとる半藤。
しかし、その気功波が準に向けて放たれることはなかった。
光が一瞬で消え、元の薄暗さに戻る。
そして――
どさっ。
半藤が足下から崩れ落ちた。仁王立ちで塞がれていた部分の視界が急に開ける。