第三章 セーラー服と守り神 #2
「そう言えば、まだお話ししてませんでしたね。未波さんの言うとおり、私は閉じ込められてたんです。あの鳥居に」
ルイは淡々と落ち着き払った口調で答える。準たちのそれとは対照的だ。
「……迂闊だったわ」
今度は二三香が静かに口を開いた。
「どうしたの?」
未波が不安げな声で尋ねる。
「私たちに不思議な能力が宿りました。やがて、私たちの前に女の子が現れます。彼女は『例の鳥居が原因だ』と言いました。しかも、能力が宿るための条件など、鳥居についてやたら詳しく知っています。2人ならそこで何を考える?」
「うーん……『ルイにゃん、キミは何者だ!』とか?」
「俺も未波とだいたい同じかな。もう少し具体的に言うと、ルイは例の鳥居とどんな関係なのか、とか」
二三香の質問に若干戸惑いつつ、それぞれの見解を述べる2人。
「でしょ? 超能力に振り回されて忘れちゃってたけど、それを真っ先にルイちゃんに聞くのが自然じゃない? まあ直接聞かないにしても、少しくらい疑問には思うはずよ」
「あ、たしかに……」
「話の辻褄が合ってる割に、俺たちはルイに関する根本的なことを何ひとつ知らないもんな。たしかに二三香の言うとおりだ」
「ルイちゃん。差し支えなければ、あの鳥居がルイちゃんとどう関係してるのか教えてもらえないかしら? あと、もし分かれば鳥居の素性も」
二三香は半ば懇願するように、真剣な眼差しをルイに向けながら言った。
「分かりました。まず私の自己紹介から行きましょうか。申し遅れましたが、私はあの鳥居の守り神……でした」
――沈黙が訪れた。
『守り神』という単語が頭の中で高速回転を始める。
複雑怪奇の一言では済まされない現象が立て続けに起こっているのだ。ルイの話そのものは眉唾もいいところだが、そういった背景を考えれば信じるに十分値する。いや、平常心を保つために信じざるを得ないと言い換えてもいい。
それだけに、ルイから発せられる一言一言が準たちに与えるショックはあまりにも大きすぎた。
いち早く思考を整理し終えた二三香が、おそるおそる口を開く。
「守り神って、要するに『神様』ってこと?」
いやな汗が背中を伝っていくのを準は感じた。
不法侵入者と勘違いして怒鳴りつけてしまった相手が、
ドヤ顔で俗世まみれな名前を付けてしまった相手が、
ファミレスで気軽に食事を共にした相手が、
――――――神様?
喉がカラカラに渇いて、それなのに目の前のアイスコーヒーに手を伸ばすこともできない。ルイの言葉があたかも呪文だったかのように準の身動きを封じていた。向かいの席で未波と二三香も固まっていることだろう。
「準さん?」
ルイに呼びかけられ、ぎこちない動作で顔を上げる準。
(チャンスだ。今までの非礼を詫びるなら今しかない!)
直感的に悟り、必死に唇を動かす。
だが。
「…………て……失礼を…………た……」
――声が出ない。
言いたいことは頭の中でまとまっているのに。
それをありのまま口にすればいいだけなのに。
焦りがいよいよ頂点に達する。
「準さん、しっかりしてください。念のため言っておきますけど、守り神と言っても皆さんが考えてるような大それたものじゃありませんからね? それに、変に畏まられると私も何だか話しづらいですし……。ほら、こんな時は深呼吸です。はい吸ってー」
焦点の定まらない目で必死に何かを話そうとする準に、改めて呼びかけるルイ。
気管に餅を詰まらせた老人の苦しみが何となく分かる気がした。思考回路の維持に脳機能の大半を奪われ、呼吸の優先順位が極限まで下がっているような――それどころか、呼吸の仕方すら忘れてしまったような感覚に陥る。
不意に背中に衝撃を感じ、準は現実に引き戻された。
背中に目を向けると、手のひらが当たっていた。
腕から肩へと視線を移し、最後にルイの顔が視覚情報として入ってくる。
そして、双方の目が合った瞬間。
「おかえりなさいませ」とルイ。
「ああ……た、ただいま」
――声が、戻っていた。思わず力の抜けた笑いが漏れる。
それを見て、ルイも満足そうに微笑んだ。
「それでは続けますね。えーっと、どこまでお話ししましたっけ?」
「鳥居の守り神ってとこ……だったかな」と未波。
「あのお化け鳥居ですが、元々は実在の神社でした。まあ、神社と言っても建ったのは都が東京に移ってすぐ後なので、大した歴史はありませんけどね。日本中の数ある寺社仏閣の中では新参中の新参、青二才もいいとこです」
「ってことは明治の初め頃ね。でも実際にあったはずの神社が、どうして……?」
二三香が質問を挟む。
「そもそもの発端は戦時中の空襲です。たまたま鳥居に憑依している最中に社が焼失してしまい、私は自力で外に出ることができなくなりました」
「ちょっと待って。神社ってことは神主さんがいたはずだよね? 焼けたまま再建されなかったってこと?」
信じられないといった顔の未波に、ルイは淡々と答える。
「再建されれば話は早かったんですけどね。結局、神主一族は終戦後も消息不明。残る手段はただひとつ、訪れた人の願いを叶えるために『強制的に引きずり出されること』だけになってしまいました。とはいえ、昔から人通りの少ない場所でしたから、40年ほど前に鳥居を覆い隠すような格好で学園ができると、チャンスはますます遠のきました」
神社が焼失しても、願いを叶えるだけの力は残っていたらしい。
「しかも、5人組の訪問者なり参拝者でないと駄目だって話だったもんな」
一昨日の朝、顕現したばかりのルイと交わした会話を思い出しながら準は呟く。
「そうなんです。人が来たかと思えば、みんな揃いも揃って少人数。鳥居の幻影を作り出して存在をアピールしても、誰も気づいてくれやしない。しかも、そこに来る学生の目的ときたら、ほとんどが告白か逢引きか果たし合いか隠れタバコのどれかでしたからね。古くさい学園ドラマを延々見せられてるようで正直うんざりでしたよ」
堂々と自分の年齢を棚に上げ憤慨するルイ。神様にも年齢という概念があるのかどうかは分からないが、明治初期の生まれでは140歳くらいになっているはずだ。
「ちなみに、それで能力を授かった人は私たち以外に誰かいたの?」
二三香から投げかけられた質問に、ルイは無言で首を横に振った。
「昨日もお話ししたように、5人組であることに加えて、全員が強い願いや深刻な悩みを抱えていることが必須条件です。空襲で焼ける前は5人組で訪れる人もちらほらいましたけど、みんな2つ目の条件でアウトでした。昔の人はリア充が多かったんですね」
悩みがないのはリア充と言うより、ただの脳天気ではないのか? そんな思いが準の脳裏をよぎる。
その一方で、ある疑問が浮かんでくる。
「ところで、リア充だの学園ドラマだの、そんな言葉どう覚えたんだ? 60年以上も前から鳥居に閉じ込められてたってのに」
「外界の情報だけは閉じ込められてても何とかキャッチできてたんです。今思えば、内容的にちょっと偏ってたみたいですけど」
ブルマを何の疑問も違和感もなく穿きこなして登場するあたり、ちょっとどころではないような気もするが、いずれにせよ世間一般の常識はきちんと把握しているようだ。
「おかげで思ったより退屈せずに済みましたけど、やっぱり外に出ないと体がなまってしまいまして……。若く見目麗しい体で顕現させてくださった準さんには、ひたすら感謝感謝ですよ」
ルイはそう言うと、ただでさえ密着気味な体をさらに密着させてきた。狭いボックス席では逃げ場もなく、かと言って邪険に扱うチャレンジ精神は持ち合わせていない。準はされるがまま、ルイの発展途上な胸の感触を味わうことになった。
と、二三香が新たに質問を投げかける。
「もし、神主一族の子孫か何かが今ひょっこり現れて『神社を再建する』とか言い出したら、やっぱり……その……戻らなきゃいけないわけ?」
ルイの表情が一瞬曇る。
「今さら戻るつもりはありません。もっとも、私がいることで皆さん、特に準さんのお邪魔になるようでしたら考えます。それでなくても、私は準さんの希望と若干ズレた存在のようですし……」
低く、感情を押し殺したような声に、準は胸が締め付けられるような痛みを覚えた。
おちゃらけた物言いの陰で、こんなにも傷つき悩んでいたことを、欠片も察してやれなかった自分が途端に腹立たしくなってくる。
「本気で邪魔だと思うなら、おとといの朝、うちの台所に転がってた時点で警察に突き出してるよ。自分勝手なことばかり考えて現実逃避してた俺が悪いんだ。少なくともルイのせいじゃない」
「ひとつ気になってたんだけど」
会話に聞き入っていた未波が、準とルイを交互に見つめながら切り出した。
「何でしょうか?」
「能力が備わるためには強い願望とか悩みが必要だって言うけどさ、ほとんど無関係なことがきっかけで発動してるよね? たとえば、私は家と学校の長時間移動が退屈で『空を飛んで移動できたらいいなー』って思ってたんだけど、実際に発動したのは昼休みに屋上へ行こうとした時だったし。たしかに階段を昇る手間が省けるのは便利だよ? でも、いくら無意識とはいえ、こんな下らないことに能力使っちゃっていいのかなーって思うんだよね」
「言われてみればそうね。私も未波と同じで、特に朝の移動時間をどうにかしたいと思ってた。もっとも私の場合、その解決手段が瞬間移動だったわけだけど、最初に発動したのはお父さんに買い物頼まれてコンビニに行こうとした時だったわ。渡末君は?」
「俺が大人数の前でうまくしゃべれないのは、もう話したよな? クラス委員になった時、俺はたしかに『分身が欲しい』と思った。もっと具体的に言えば、人前に出る時だけバトンタッチしてくれる〝身代わり〟が欲しかったんだ。でも、渡末準として人前に出る以上、姿形は俺の完璧なコピーでなければならない。――もちろん細かい注文だってことは自覚してる。そして、実際に現れたのは……」
ルイに配慮して、準は言葉を濁す。
「うーん、外枠の部分だけを拾って叶えられちゃったってことかな? 用途とかは一切関係なく、でもどうせならかわいい女の子で……とか」
のんびりした口調とは裏腹に、変な所を鋭く指摘する未波。
とりあえず〝かわいい女の子〟に〝準好みの〟という修飾語が付かなかったのが不幸中の幸いか。
「それに関してですが、私は準さんにお詫びしなければならないことがあります。未波さんの言うとおり、私は準さんの願い事の細かい部分を見落として……いえ、正直に言うと把握しきれてませんでした。しかも、その願い事を成就させるのにかこつけて、自分自身が外に脱出するための口実として利用しました」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。逆に把握できてた部分ってのは、具体的にどんなことなんだ?」
「願い事に直結する要素に限って言えば『分身が欲しい』という願望そのものだけです」
「その〝願望〟にはルイちゃんの外見とかも含まれてるの?」
際どい質問を二三香に投げかけられ、準は心臓が止まりそうになった。
「先程も言いましたように、準さんの願い事は私の外見に直接関係ありません。顔立ちや髪型は準さんの潜在思念を参考に、顕現時の服装や年齢設定は私の独断で決めてしまいました。ちなみに性格は素の私そのものです」
準は「なるほどな……」と呟くと、アイスコーヒーを一口啜った。
自分の意思で外見を選べないというルイの言葉は、ある意味真実だったようだ。当の準自身、分身の存在を望んでいながら「自分のコピーで本当にいいのか」と自問自答するだけで、具体的かつ綿密なイメージはまったくと言っていいほど固まっていなかった。まさに己の詰めの甘さが招いた結果とも言える。
もっとも、設定を勝手に脳内補完して強引に転がり込んでくるあたり、分身ではなく押しかけ女房と言う方が表現的には正しいような気もするが……。
しかし、準は不思議とルイを責める気にはなれなかった。
よくできたコピーも、クラス委員の任期を全うすれば無用の長物と化してしまう。それならば1年間耐えてルイと末永く過ごす方が、得られるメリットとしては遙かに大きいのではないだろうか?
そこまで考えて、準は諭すようにルイに語りかける。
「たしかにコピー人間は便利だけど、用が済めば目障りになるのがオチだからな。自分の銅像でも作って悦に入ってるようなナルシストならいざ知らず。そんな無駄なことをするくらいなら、俺はルイと一緒にいる方が断然楽しいよ。それに、クラス委員の仕事がなければ、未波や二三香とは同じクラスってだけで知り合うこともなかっただろうし、結果オーライでいいんじゃないか?」
「……!」
突如、ルイの顔がくしゃくしゃに歪んだ。
「ルイ?」
「準さん、私……準さんの分身になれて……よかった…………」
瞳から大粒の涙が溢れ、頬を伝う。
あわてたのは準の方だ。
嬉し涙であることは承知している。しかし、経緯はどうあれ年端も行かない女の子を泣かせてしまったという事実は、これでもかと罪悪感に拍車をかけた。
「な、泣くなよ。『分身になれてよかった』って自分で今言ったばかりだよな? だったらここは喜ぶ場面だろ」
言いようのない焦燥感と理不尽さを感じながらも、精一杯のやさしさを込めてルイを宥めにかかる準。
しかし、ルイは泣きやむどころか、ついには両手で顔を覆ってしまった。
……もはや手詰まりのようだ。我ながら情けないとは思いつつも、準は向かいの2人に視線で助けを求める。
「60年以上も同じ場所に缶詰め状態じゃ仕方ないわよ。それに……怖かったのよね? 嘘がバレて渡末君に嫌われるんじゃないか、って」
二三香がやさしく問いかけると、ルイは小刻みに肩を震わせながら頷いた。
「変に混乱させた俺が悪かったよ。だから、いい加減泣きやんでくれ!」
頭を抱えてテーブルに突っ伏し、準は許しを乞う。
不意に、誰かの手が準の手にやさしく重ねられた。反射的に顔を上げると――
「未波……?」
「泣かせてあげようよ。気が済むまで……ね?」
「未波の言うとおりよ。ほんのちょっとだけ我慢しましょ? 私たちは別に渡末君を責めたりしないから安心して」
そう言って、二三香はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
準は返事の代わりに安堵のため息をついた。今まで生きてきた中で一~二を争うほど深く長いため息を……。
正直なところ、準は2人から叱責されるのを半分覚悟していた。
こういう時の女の団結力は驚くほど固い。これは男側の思い込みでも勘違いでもない。実際、小中学校の9年間で嫌と言うほど思い知らされ、いつしか経験則として刷り込まれてしまった。男に生まれた者の宿命とも言える。
準も身に覚えがある。
たしか小学校5年の時だ。ある日、準はふとした出来心で、同じ班の男子数名と共に掃除当番をサボった。それで何をしていたのかは覚えていないが、たぶん校庭でサッカーでもやっていたのだろう。何食わぬ顔で教室に戻った準たちは、すぐさま『クラスの女子全員に』身柄を拘束され、待ち伏せていた担任(これまた中年の女性教師だった)から鉄拳制裁をありがたく頂戴したのだった。
そんな過去の話はともかくとして。
「気が済むまで泣けばいい」などと気前のいいことを言ってしまったものの、ルイはすぐに泣きやんでくれるだろうか? どれだけの涙を流せば気持ちにケリを付けられるのだろうか?
ふと考えてはみるものの、何と言っても60年以上だ。それなりに起伏のある人生を歩んできたつもりの準だが、ルイの場合は閉じ込められていた期間だけでも、その4倍に相当する。あまりにもスケールが違いすぎて、もはや想像がつかない。
ところが、そんな懸念は結果的に杞憂に終わった。
準はルイの震える肩に釘付けになり。
未波はアイスコーヒーをすすっては戻しを繰り返し(案の定、二三香に「汚いからやめなさい!」と止められた)。
二三香は氷を口に含んだまま物思いに耽り。
そんなことをしているうちにルイはようやく顔を上げたのだった。1ヶ月遅れの花粉症でも発症したかと見紛うほどに目を腫らして。ちなみに準も花粉症持ちだが、ここまで目を腫らしたことはいまだかつてない。