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やる気が出ない。

作者: 霧島

 どうにもやる気がみなぎらない。最早これはどうしようもないのか。いやどうしようもないことはない。それに、いずれはどうにかしないといけない。しかし、今はそんな気持ちになれない。どうしてか。どうしてだろう。とはいえ、これがどうにかなろうものなら今のどうしようもないやる気もどうにかなろうというものである。

 さて、一所に留まって大量のアルファベットの文字列とにらめっこしてそれを日本語に訳すような集中力とはさっぱりすっきりご無沙汰してしまった私は、誰が目にしても明らかな旅の荷物(うちわ、牛乳の入った愛用マグカップ、携帯電話、USBメモリ)をぎゅうぎゅうとポケットに詰め込んで、ついでにギターを背負って、寝室の窓からそそくさと妄想の旅路へと躍り出た。そのときの私の頭の中はまさに至福であったが、後の地獄から目を背けていたのはもはや自明である。



 最初に目にしたのは木でできた看板であった。ゲームなどで真っ先に姿を見せる看板には何かしらのヒントが書いてあるものだ。とはいえ、この場で与えられるヒントが何の役に立つというのか、そもそも私のこの旅路にヒントなるものが必要であるのだろうか。そうは思いつつも、私は少しばかり心を躍らせ何かが書かれた看板を覗き込む。

「わたしをあおいで」

 全く以って意味がわからない。いや、文字列としての意味は理解できるが、ここにこの言葉が記されている意味がわからない。とりあえず、あおげばいいのだろうか。幸い、うちわを所持しているためこの看板の命令に従うのは容易である。

 私は今一度周囲を見回した。周りにはこれ以外に特に目に付くものもない。指示に従い何か変化が訪れることを期待して、私は何故かでかでかと「祭」と書かれたうちわで看板に風を送って差し上げた。するとどうだろう。看板に記された文字が徐々に姿を変え、やがて別の文字列として新たな意思を示したではないか。そこには次の文字が書かれたあった。

「お疲れ様(笑)」

 私は無言でギターを叩きつけ看板をへし折った。そして、皆目見当のつかない次の目標物を目指してその場を立ち去ることにした。余談だが、何故かギターは無傷であった。



 私は看板のすぐ脇にあった獣道を進んでいた。しかし、何も遭遇しない単調とした景色に飽きてしまい、道をそれ、森の中を某猫のバスのように駆け抜けていたところ、少し開けた場所で仰向けに倒れている人影を見た。私はぎらぎらと光っていた目を一端消して、しかし、その人影へと歩み寄るにつれて再び光りだそうとする目を必死になだめながら、私はその顔を覗き込んだ。

 それは美しい少女であった。ここでその様子を詳しく描写すれば私の神経が疑われるという真に心外な結果を招く恐れがあるので、不本意ながら割愛させていただくが、それは美しい少女だったのである。決して言葉が思い浮かばないわけではない。断じてない。

「こんにちは。ここは誰?」

 倒れていた少女は目を擦りながら起き上がり、開口一番、言い間違った。全く油断していた私はその言葉に咄嗟に切り返すことができず、「うえあ!」などという奇声を発した上に少女のあどけない無邪気な表情に、陳腐な表現ではあるが、見とれていた。今なら変態の称号を与えられても不思議ではないと、私は強く思ったが、実際に与えられてはたまらないので口を閉ざすことにする。

「おい、うえあ。飲み物を持ってませんか? ぼくはのどが渇いたのです」

 少女は私の顔をまっすぐに見て言い放つ。どうやら、「うえあ」を私の名前と勘違いしているらしい。それは一向に構わないのだが、第一声の「おい」というのはいかがしたものか。あまり言葉遣いが達者ではないのは、なんだかんだでポイントが高かったりするものだが、しかしこれは……アリである。

「まだ? 飲み物。かけて欲しいの早くなのです」

 急かされ、再び少女に見入っていた私は我に返る。そういえば、牛乳を持っていた気がする。私はポケットの中から私の愛用マグカップを引っ張り出した。そこには何も入っていなかった。「あれ?」と声を上げるが、コップを逆さにしても一滴として垂れてこない。そして、ふと思う。……ズボンが冷たい。

 見れば、コップの入っていたズボンの左側半分が何かに濡れたような色になっているのである。つまりそういうことである。そのうち臭いもしてくるのだろう。何といっても牛乳である。

「ごめんよ、飲み物、ないみたいだ」

 私は少女にマグカップを逆さにして見せる。しかし、少女はそんな私の様子も目に入らないようで、ジッと私の顔より下のほうを見つめていた。少しばかりか、思い切り嫌な予感がしたのは私の思い違いであって欲しいと切に願う。

「なあ、そこチュウチュウすれば、飲み物なのですか?」

 少女の言葉以前に、私は期待が見事に裏切られるのを華麗に予測していた。少女にチュウチュウされるのもやぶさかではないが、しかし、状況を見ればただの変態である。私は早々に少女に背を向けると、脱兎のごとく駆け出した。手には懐中時計(を持っているような気持ち)、口走るのは「急がなきゃ」。まるで少女を不思議の世界に迷い込ませた兎である、などと物思いに耽るのもつかの間、ふと振り向けば、少女が満面の笑みを浮かべて追いかけてくるではないか。

「うへ、うえあ、まだか。ぼくの飲み物となるのですね。へへへ」

 私の喉から「ひっ」と引きつるような声が聞こえて、これは男にあるまじきへたれっぷり、などと自身を戒めてみるが、驚異的スピードで迫りくる少女がどう控えめに見ても恐怖の対称にしかならないのは、どうしてだろうか。にへらと崩した表情が明らかに危ない人のあれだからだろうか、それとも、口走るセリフがどう聞いても捕食者のものだからだろうか。いや、あるいはその両方か。どちらにせよ、今はとりあえず逃げるだけである。

 ひたすらに走って、私の体力の貧弱さが露呈しようかという頃、未だに後ろから追いかけてくる少女をギターで殴って黙らせようかと、不穏な考えが脳裏をよぎる。これは普段の紳士な私からはまるで想像できないことである。とはいえ、体力の問題もある。いっそ一思いに……そんな葛藤を繰り返していた最中、正面に、まるでとってつけたかのような洞穴が見えた。そういう場所が見えれば、当然入りたくなるのが人間の性である。後先考える暇もなく、しかし、私は迷うことなく穴の中に飛び込んだ。一歩、踏み込んだ瞬間バランスを崩す。というか、崩したのも仕方ないことであった。何せ地面がないのである。そのまま、ダイブするような形で、私の体は自由落下を開始した。冷静に分析するならば、どうやらこの洞穴は、横穴ではなく、縦穴だったということらしい。ご存知ではあると思うが、一応主張しておくと、私は飛ぶことが出来ない。



 真っ暗な洞穴に落ちてしまった私だが、携帯を持っていたのが幸いだった。私は携帯電話の照明機能を酷使し、洞穴の探検を始めた。引き返せばよかったのだが、私はそれをしなかった。その理由は三つある。一つは、私の後を追って例のぶっとび少女が現れるのを恐れたこと。二つ目はこの場所に対する好奇心。そして、最後の一つ、これが最も重要なのだが、私がどこから飛び込んだのかわからなかったことだ。

 少しの間自由落下していたのだが、突然きた背中から叩きつけられるような強い衝撃に、私は薄情者と罵られても仕方のないほど瞬時に意識を手放した。そして気がつけば、私はどこでどうやって汚したのか、泥だらけの服で、暗闇の中に倒れていたのである。私の想像では、どこかの坂道の途中に落ちた私は慣性の法則に従いその坂道を転げ落ち、坂道の終わりの少し先で慣性の法則に従い停止し、その後にどこかから現れた小人に運ばれるが、縛り付けられる前に彼らの天敵が現れ、小人を追い払ってくれたのち、私のズボンをチュウチュウしようとしたが、泥だらけでとてもチュウチュウできたものではなく、腹いせに私のうちわを掻っ攫い、ビンタを一発二発食らわせてどこかに消えてしまったのだろうと考えているが、とはいえ、それは過ぎたことである。私は出口を探すべくただひたすらに放浪していた。余談ではあるが背中のギターはなお無事である。

 さて、突飛ではあるが一言訴えておきたいことがある。先日、携帯電話ショップに行って聞いた話によれば、膨らんだ電池パックというのは電池の持ちが非常に悪くなるらしい。ここでこの話題を出したことをどうか察して欲しい。

 しばらく歩き、私の携帯電話が「この膨らんだ体を休ませてくれ!」と耳障りな音で訴えだした頃、私は前方に小さな光を見た。かなり距離があるのだろう、携帯の大きさと同じくらいの光だった。私はそれに向かって進んでいった。しかし、近づくに連れ、言い知れない違和感が私を襲う。光の大きさが、ちょうど16インチモニターくらいのサイズになったとき、私はその違和感の正体を知った。

 それは紛れもなくモニターであった。よく見ると、モニターの手前にキーボードもあった。横には四角い箱のようなものもある。最新のモデルではない、どこかで見たことのある型のパソコンであった。白い画面には見慣れたサイズより一回り大きい文字が、あまり見慣れたくない順番で並んでいた。

「はぁはぁ……ねえ、その、あなたのそれを入れて! 挿し込んで! 早くっ!」

 特に何も考えることなくギターに手が伸びるが思いとどまる。たった今、携帯の電池が息を引き取ったばかりである。ここで光源を失うのはできる限り避けたい。

 とりあえずキーボードを適当に叩いてみるが、「あんっ」だの「そこはダメっ」だの不愉快な単語が増えていく一方だったので、私は無意識に、ポケットの中を探る。左手にこつんと当たる感触を引っ張り出せば、USBメモリである。私はそれをパソコンに挿し込んだ。すると画面に「白いミルクがビクンビクン」などと表示されて画面はブルーに染まってしまった。私の気分までもブルーになったのは言うまでもない。

 ブルースクリーンはキーボードを叩く間に消えてしまった。そうして訪れたのは真っ暗闇。携帯の電池はとうに切れている。パソコンは何をやっても反応しない。私は途方に暮れていた。これが夢であったらよかったのに。ぼんやりと思う。そして、ふと思う。


「これは私の妄想だ」



 ぱちりと目を開けた。私は寝室のベッドの上にいた。部屋の明かりは点いていない。窓の外から街灯の光が差し込んでいるのが唯一の光源である。私は明かりを点けないまま、周囲を見た。

 私の傍には長年連れ添ったギターが私と同じように寝そべっている。でかでかと「祭」と書かれたうちわは、ベッドのすぐ脇に落ちていた。電池の膨らんだ携帯電話は開いても画面はつかなかった。あとの二つ――牛乳と、USBメモリはどこか。

 私は寝室を後にし、居間の電気をつけ、部屋の隅にあるパソコンの側に置かれた愛用マグカップを見る。少しだけ入った牛乳に、USBメモリが沈んでいた。思わず「ほわああああ!」と叫んで、急いでミルクの中から助け出せば、沈んでいたのは幸い端子とは逆の方だった。これなら恐らく無事であろう。

 さて、と、私は今一度現実と向き合うことにした。しかし、そうするとズボンの股間の辺りの湿った不快感を認めることになるので、やはりこれは私の妄想なのであろう。いや、そうに決まっている。


 おしまい。

 どうも、霧島と申します。

 最後まで読んでいただきありがとうございます。ここで、作品に関してちょっとした話をしたいと思います。

 あれは今年の雨の色薄い梅雨も明け、怒涛の猛暑日週間が始まる前だったように覚えています。そのひと月以上前に英文を渡されて、要約してこいとの課題を受け取った僕は、そんなものの存在をすっきり忘れてのほほんと過ごしていたのですが、ふと課題の提出が近いことを思い出し、というか、一週間前の月曜日に来週は自分の番であると気付き、やべえよやべえよ、なんて言うだけ言っていたわけなんですが、「いまいちやる気が出ない!」というまるでダメ人間といった理由で週末まで手が付かず、土曜日の夜になり、そろそろ少しくらいやらないと一日じゃ終わらない、とパソコンの電源をつけてみたはいいものの、僕のやる気には電源がつかず、ふと思いついた文章をその場で打ち込んでいったのです。そうして気がつけば興に乗ってしまい、日をまたいで一時間も経ったころ、この話が書きあがっていたのです。もちろん、課題は手付かずのまま。余談ですが、次の日は徹夜でした。

 とまあ誕生秘話的などうでもいいエピソードを語ってみましたが、こんな馬鹿みたいな話を読んで少しでも笑ってくだされば僕は幸せです。

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