今日も推しは尊いけど、中身は嫌いなので悪しからず
「カタリナ・フォン・シルフィード! 貴様のような不遜で淑やかさの欠片もない女との婚約は破棄し、断罪する!」
冷酷な第一王子ルークの、氷のように冷たい眼光。
……今思い出しても胸クソが悪い。
前世の私は、現世でいう悪役令嬢だった。
王子の婚約者として相応しくあれと過酷な妃教育を叩き込まれ、息をひそめるように生きる日々。少しでも羽目を外せば「淑女らしくしろ」「我が国の恥だ」と冷たく叱られる。挙げ句の果てには、身に覚えのない罪を着せられ、婚約破棄。そして断罪、処刑。
もちろん、私を氷の瞳で容赦なく裁いたルーク王子のことは大嫌いだった。
だからこそ。現代日本に「葛城華乃」として生まれ変わった私は、心に強く深く誓っていたのだ。
「今世は誰にも縛られず、天真爛漫に、自由気ままに生きてやる!」
校庭の木に登って心地よい風を感じるのも私の自由。
購買で争奪戦を勝ち抜き、焼きそばパンを口いっぱいに頬張るのも私の自由。
授業中に眠くなったら机に突っ伏すのも——まあ、これは先生に怒られるからほどほどにするけれど。
淑女の嗜みなんて知ったことか! 私はこの自由で素晴らしい世界を全身全霊で謳歌するのだ!
……そう意気込んでいた。
いた、はずだった。
「今日も顔がいい……拝む……」
校舎の陰から、中庭を眺める。
そこには数人の男子生徒がいた。
その中心にいるのは――
桐生葵。
校内一のイケメン。成績優秀、運動神経抜群、性格も爽やか。当然、女子からの人気も凄まじく、歩くだけで黄色い悲鳴が上がるレベル。
そして。前世で私を容赦なく断罪した、あの嫌味なルーク王子と完全に同じ顔を持つ男である。
(……くっ、悔しいけど顔がいい……ッ!)
前世の恨みは忘れていない。ルークは嫌い。絶対に関わりたくないし、視界にすら入れたくないはずだった。
だけど。
(顔がいい……!! 造形が神!!)
前世では「ルーク王子」というお堅い肩書きと「大嫌い」という分厚い感情フィルターに邪魔されて、ろくに顔なんて直視していなかったのだ。恐怖と重圧しかなかったから。
でも今は違う。
少し着崩したカジュアルなブレザー制服。秋風を受けてサラリと揺れる黒髪。友人と楽しそうに笑い合う無邪気な姿。
そして——
「……ふっ」
葵が眩しい笑顔を浮かべた。
(うわあああああああああ!!)
心の中で全オタクが絶叫する。
(今、笑った!? あの氷の彫刻みたいな冷血漢の造形が、柔らかく微笑んだ!?)
私は胸元をギュッと押さえた。尊さの過剰摂取で心臓が痛い。
前世では散々嫌っていた顔なのに。今世では何も害を及ぼしてこない。それどころか、制服姿の男子高校生としてフラットに見ると――
(めちゃくちゃかっこいい……次元が違う……)
私は悟った。
人間性と顔面は、完全に切り離して考えるべきなのだと。ルーク王子(中身)は大嫌い。でも桐生葵(顔面)は最高。よって。
「推します」
私は小さく拳を握った。もちろん、遠くから遠撮風に眺めるだけ。絶対に関わらない。恋愛なんてもってのほか。
推しは推し。神棚に飾って崇める展示物。それ以上でも、それ以下でもない。
……そう思っていた。
その日の放課後。
「あのさ、華乃」
放課後の教室。一人で帰る準備をしていた私の机に、ポンと手が置かれた。
推しがいる。目の前に。顔が。近い。
(近い近い近い近い!! 近距離攻撃やめて!! 眼球が破裂する!!)
長いまつ毛の陰影、すっと通った高い鼻筋、綺麗な唇のラインまでくっきり見える。作画のタッチが他の生徒と違いすぎるだろ。
「な、なに? 桐生くん」
「お前、いつも遠くから俺のこと見てるだろ。……俺がどこにいても、すぐ視線感じるし」
葵はどこかソワソワした様子で、少し耳を赤くしながら私を見下ろしてくる。
言い訳しよう。私も確かにこの時イヤな予感がしてた。けれど、逃げれなかったのは、現実逃避に忙しかったからだ。
葵は意を決したように、少し照れくさそうに言った。
「……そんなに俺のこと好きなの?」
はいきました。イケメンゆえの自意識過剰! 私は迷わず満面の笑みで即答した。
「うん! めっちゃ好き!」
「っ……そうか。じゃあ、俺たち——」
「推しとして!」
葵の言葉がピタリと止まる。
「……は?」
「いや〜今日も顔が良いね! 視界に入るだけで眼福! 存在してくれてありがとう!」
「……推し……?」
葵がまるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
当たり前だ。前世で私を殺した男だぞ。今世で中身まで好きになるわけがないだろ
だけど、この顔面だけは別だ。拝む価値しかない。
「あ! もう言っちゃったから公認ってことでおけ? 明日もよろしく。じゃ!」
私は風のように教室を立ち去った。
勝った。完全に私の勝ちだ。告白を華麗に断り、推しに直接ファンであることを伝え、明日からも遠目から堂々と拝める権利(公認)を手に入れたのだから!
――翌朝。
「おはよう、華乃」
「…………」
勝利の余韻に浸りながら校門をくぐったところで、桐生葵が待っていた。朝日を背負ったシルエットが神々しすぎる。立ち絵が良すぎるんだよな。
「お、おはよう……」
「昨日の話なんだけど」
「忘れよう!」
「無理」
即答された。冷酷王子ゆえの強引さかと思いきや、その顔はどこか余裕がなくて必死だ。
「俺、お前に好きって言われたんだけど」
「推しとしてね」
「そこ!」
葵が頭を抱えた。校内一のモテ男が今、登校風景のど真ん中で全開で頭を抱えている。
「俺は普通に、男として好きになってほしいんだけど」
「ごめん、それは無理」
「早っ!」
「だって推しと付き合ったら、推しじゃなくなるじゃん! ファンと推しの間には適切なディスタンス(心の距離。最低5メートル)が必要不可欠なの!」
「俺は美術館の展示物じゃない!」
「でも顔は国宝だよ」
「褒めてるのかそれ!?」
葵が困ったように眉を寄せる。私はそんな彼を見て、うっとりした。
(怒ってても困ってても顔がいい……作画崩壊ゼロかよ……一生見ていられる……)
「……何?」
「いや、今日も顔がいいなって」
「…………」
葵が深く息を吐いた。照れくささと呆れが混ざり合った、なんとも言えない顔だ。
「じゃあ、俺が本気でアピールしたら?」
「?」
「それでも無理?」
「うん」
「絶対?」
「絶対」
「……分かった」
葵がくすっと笑った。
その笑顔は、昨日までの爽やかな偶像の笑顔とは少し違った。男の執着が混ざったような、甘く危険な微笑み。
「じゃあ、今日から頑張る」
「何を?」
「華乃を落とす。俺を『推し』じゃなくて『男』として見せるから。」
蒼はしっかりと私の目を見ていった。
「覚悟しといて」
「いや、しないけど」
「そこはしてよ!」
――そして。
私の平穏な推し活生活は、その日を境にドタバタと終わりを告げた。
葵の怒濤のラブコメ的猛アタックが始まったのだ。
「華乃、一緒に昼食べよう」
「ごめん、友達と食べる」
「じゃあ俺も混ざる」
「なんで!?」
「好きだから」
「推し活の邪魔しないで!」
「俺自身のことなんだけど!?」
放課後。
「華乃、一緒に帰ろ」
「今日は寄り道するから」
「じゃあ付き合う」
「なんで!?」
「好きだから」
「その理由便利すぎない!?」
翌日。
「華乃」
「なに?」
「今日も可愛い」
「ありがとう! 最高のファンサだね!」
「違う。口説いてる」
「お疲れ様です!」
「なんで他人事!?」
さらに翌日。
「華乃、これ」
「何?」
差し出されたのは、昨日ジャンケンで負けて買い逃した『超特濃プレミアム焼きそばパン』。
「えっ、覚えててくれたの!?」
「当たり前。お前の言ったことなら全部覚えてる」
「神……! ありがとう!」
私は嬉しくて、満面の笑みを浮かべた。
「やっぱり葵くん最高! 一生推す!」
「…………」
葵の顔が引きつる。
「……俺さ」
「うん?」
「結構頑張ってるんだけど」
「知ってる。毎日すごい手厚いファンサだよ。全オタクが泣いて喜ぶレベル」
「じゃあなんで落ちないの?」
「だって私は葵くんのこと――」
私はにっこり笑った。
「推してるから」
「…………」
葵が天を仰いだ。両手で頭を抱えてハァーッと大きなため息をつく。
「強敵すぎるだろ……!」
そんな彼を見て、私はくすくす笑う。
前世では、あの男に冷たく振り回された。今世では絶対に違う。私は誰にも縛られない。天真爛漫に自分の人生を生きるのだ。
ましてや、前世で私を断罪した男と同じ顔をした推しなんかに――
「絶対、恋なんてしないからね」
「……聞こえてる」
「えっ」
「でも、絶対諦めないから」
葵がまっすぐに私を見つめて笑う。その瞳の熱さに、一瞬だけ胸が跳ね上がった。
「覚悟してて、華乃」
「…………」
(……前世の冷血漢のくせに、そんな必死な顔で迫ってくるのはズルい)
――けれど。
「……まあ、顔がいいから許す!」
「そこから一歩、進んでくれない!?」
今日も私は、推し(顔面)を崇めて推し活を全うする。
そして葵は、私を『男』として落とそうと躍起になる。
前世の断罪劇からは想像もつかないこの甘くて騒がしい攻防戦は、どうやらまだまだ始まったばかりらしい。
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