マネーとナラティブの過去と現在
### 帝国の崩壊
人類文明の歴史を考えるにあたっては、帝国は繰り返し崩壊するという強力なモデルがある。
ここで、「帝国」とは比喩的な表現だ。社会は典型的には国家などとして内部化と外部化を形成するが、気候変動や技術発展によってパワーバランスは変化しつづけ、周辺を圧倒して吸収していく拡大局面が見られることがある。そしてそのように統一され効率化されることによって、「Pax Americana」、「Pax 何々」と揶揄される、実際の幸福と繁栄が現れることがある。しかし、平和は格差を拡大し、既得権益層の定着は、才能や努力が幸福や繁栄に報われる性質を損なわせ、しかもその不公正が公正であるかのようなナラティブ支配を強めていく。ナラティブ支配は富裕層自らも洗脳し、意思決定は傲慢になって、実力以上の戦争を行って過剰伸展し、内部的な搾取と対立も激化しつづける。そうして限界を迎え、帝国が縮退してより多極化した秩序が現れることがある。このようなサイクルが様々な規模で起きてきたのが人類史だというモデルは、歴史的事実に照らして強い説得力を持っている。
特に冷戦(1947-1991)後の米国は特筆に値するとされる。なぜなら、人類史上初めて地球上を統一した「帝国」状態を形成したからだ。しかしそれは、縮退傾向にあると言われている。米国の覇権は西半球に収縮するという予想がある。すると国際的なシーレーンなどの安全性は武力衝突によって不安定化し、石油や肥料の供給が不足してグローバル経済は従来の人類人口を維持できなくなるという悲観的な説もある。これは悲劇的な展開だが、戦争や飢饉や死は人類の歴史の上で珍しくなかったという見方もある。
### ナラティブの反転
このような、帝国の縮退局面では、ナラティブ支配が強化されると同時に、その価値観を逆転したような革命的で事実的なナラティブが周縁で生まれ支持される可能性がある。
すなわち、従来のPax Americanaでは、グローバル経済は公正だというナラティブが強化されつづけてきたが、実際のところそれが支配と搾取を強化しつづける構造であって、負債と利子を通じて強者に利益を献上しつづける奴隷制度にすぎないと批判されている。
その意味で、「経済学」とくくられてきた様々なナラティブについても、その正当性は批判的な検討を受けるだろう。近代人類は200弱の「主権国家」を演出したが、Pax Americanaという秩序のもとにおいて、実際には各国の政府当局は民衆を十分に搾取して利益を献上することを求められ、それを実施することで地位を与えられてきた。官僚や為政者のみならず、アカデミアであれ民間であれ、すべての地位と幸福はそのように、奴隷商人としてシステムに加担することの報酬にすぎなかったのだ。従来は「国民幸福を目的とした経済政策」とナラティブされてきたものの実態は、「支配と搾取を深化させるための経済政策」であったことは例外的ではなく一般的だ。
### David Graeberの限界
そのため、貨幣そのものが生得的に搾取的な悪徳だという議論があるが、それは間違いだ。
それは、マルクス主義が君主制や全体主義を否定することでナラティブとしての生存を許されたように、すべての国家や集団を解体することでナラティブとしての生存を許されている有用な愚者だ。主流権力による支配への反論を、永遠に勝利できない無効なものに作り変えるために、現代ではAI/AGIなどによってグレーバー『負債論』などが宣伝され、民衆が洗脳されている。
### 言論の禁忌
現実には米国はソビエト連邦と大きな戦争をしていないのであり、冷戦を通して東側の脅威は軍産複合体のために誇張されていたのであって、第二次世界大戦(1939-1945)の終結をもってPax Americanaの大部分は完成している。
すなわち、WWIIについて「ファシズム」といったフレームで悪魔化され、一切の言及が許されてこなかった部分において実際には、支配に対抗して公正を増加するために有効な戦術論は存在する。
すなわち、マルクス主義が言う個人主義ではない、精神的な価値観からの集団的な結合が有効なのであり、グレーバーが貨幣全体を悪魔化するのとも異なる、総力戦的な産業構造こそがグローバル支配にとって最大の脅威だ。
### 石原莞爾の統制主義
一方で、貨幣が生得的に搾取的だという指摘には重要な事実が含まれている。というのも、貨幣は生得的に支配的だが、人間は個人や血統を単位として利己性を有する動物であるから、社会が支配的であることはほとんど自動的に搾取的な性質を伴うとは言える。
しかし、総力戦的な産業体力を最大化する意味では、支配的だが搾取的ではない、つまり石原莞爾などが言う「統制的」な秩序が望ましいとされる。
そもそも、貨幣が現代のように紙幣や銀行残高でなくても、米などの重要物資の価値と管理と納税を通じた方法でも、社会の統合や搾取は実現できる。
また、単一の物資による必要すらなく、非常に多様な形態の資源の提供を武力によって要求することでも、支配や社会は形成しうる。
### 血液配管の制御工学
すなわち、貨幣とは、効率化のために単にその形に収束したということにすぎない。
複式簿記における貸借対照表(BS)と損益計算書(PL)は、配管の部分に存在する血液の量と、その部分に出入りする血液の流量を情報伝達するものだ。そして国家のGDPは、その国の配管の全体を流れる血液の量の総和である。グローバル支配経済のもとでは、典型的には、債務と利子を通じてどれだけ上部構造に血液を上納できたかの成績が測られる。
### 負債の民衆化
グローバル経済における歴史上最大の画期であったとされるのは、名誉革命(1688)とイングランド銀行設立(1694)だ。それを契機とする近代的な国民国家の実態は、債務の主体を君主から国民に移行する相転移だったとされる。
歴史的な社会においては利子は悪徳としてしばしば禁じられ、資本家が君主などに貸与した資金は定期的に踏み倒されてきた。それが可能だったのは、技術発展が未熟な時代においては武力について人間の人数が重要であり、啓蒙思想が君主制を悪魔化する洗脳とは異なって、歴史的な社会のほうが平等という意味で「民主的」だったからだ。また、古代社会では民衆から深い憎悪を浴びたなら、夜道で襲われて終わりであり、サイコパシーへの強い淘汰圧があった。つまり、債務主体の大衆化とは、技術発展を背景とする自然な現象だ。
これによって、銀行は貨幣を増加するという特権を与えられ、利子を通したその徴税権は、当時であれば英国海軍、現代であれば米国を中心とする軍産複合体によって担われた。
このように債務の主体を大衆化することの悪徳は、現代の主流派経済学のナラティブからすると非常に異質だが、深く隠蔽された特別な真実であったというわけではない。むしろ歴史的には富裕層を中心によく知られていて、ナラティブ支配の深化にしたがってしだいに忘れられ、周縁的な情報としてのみ生き残っているにすぎない。
### 力の角逐に空白なし
したがって、銀行や貨幣は確かに搾取的な側面を持っている。
しかし、現実世界は力の角逐であり、武力の余白を形成することは不可能だ。
したがって、もし貨幣を中心とした国家による支配を全面的に否定するなら、アンダーグラウンド経済を大幅に許容することになるが、そこには必ず外部から権力が浸透し、むしろ自国の公平性を破壊されやすい。
したがって、貨幣的な価値の認識と制御を中心とした統治は、安易に否定すべきものではなく、むしろ精緻に合理化しつづけるべきものだ。
倫理的に見るなら、政府当局の役割は3つある。第1には、奴隷商人として外部権力に血液を上納する程度を最小限に抑えようと努力することだ。第2には、外部権力に屈伏させられないように抗うためとはいえ、国内格差を深化させて貧困層を限りなく不幸にしないように努力することだ。
歴史的なグローバル支配経済のもとでは、政府当局が「私は奴隷商人として人民の血液を上納したくありません」と言おうものなら、ただちに失脚させられて交代させられたし、国家が集団的にそのような為政者を守ったならば、国家という規模で経済制裁にさらされ、国民を核兵器によって虐殺されて破滅させられた。かつての日本や現在の北朝鮮がその例だ。したがって当局の第3の役割として国家の生存があるが、米国覇権が西半球に長期的に縮退していく状況では、そのために活かしうる真空が生まれる。
したがって、状況を合理的に理解し、訪れる展開を予見し、機動的に利益を確保することが重要である。
### 多極化世界と搾取の再発
もし仮に、世界がいくつかのブロックに多極化して長期的に安定すれば、それぞれの内部で格差と洗脳が深化されるのが自動的な結果だ。そこには公正という正義はない。
したがって、もしも人々の幸福を希求するなら、グローバル経済が破裂してから多極化が安定するまでの動乱期は、重要なチャンスだと考えることができる。なぜなら、Pax Americanaの崩壊はナラティブ支配の崩壊であり、それが新しい局所的一極支配に入れ替わるまでの時間に、水面の上で呼吸しうる時間が生まれるからだ。
したがってこの時期において、権力は公正世界仮説によって民衆を洗脳して家畜化するが、文明の現実には公正は存在せず、賢い人々や善良な人々から殺害し淘汰してきたのが人類史の現実だと目撃しておいたほうがいい。自己正当化は自動的に加害的な搾取であり、その集団化によって人類文明はいつも破滅に向かってつき進んでいるのだと気づいていたほうがいい。その真実は再び波に揉まれて消えるに違いないが、その輝きを強く刻むほど、非常に多くの人々が間接的に助けられることになる。
### 不正義な世界における正義
私が何が言いたかったか、まとめよう。
経済学は配管の制御工学であり、貨幣はそこにおける価値の指標だ。
それらは歴史的に確かに、支配と搾取のために用いられてきた。しかしだからといって、すべてを否定して捨てるべきものではない。正義と幸福を実現するためにも、そこには最も重要な知識が豊かに含まれている。
私達の共同体が奴隷商人を中心とした構造だと気づいても、現代のパワーバランスの現実のなかでは血液の上納金をただちにゼロにすることは不可能であり、どんなに優れた為政者であっても完全に公正な社会を築くことはできない。
しかし、こういった現実認識を深めることが、各々の共同体を可及的に幸福にするために、最適解だと考えることができる。




