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時間とともに「うめよう」という言葉が、少しずつ耳に馴染んできた。同時に、体じゅうの汗腺という汗腺から冷たい汗が一気に噴き出した。掌が、じっとりと汗ばんでくるのがわかった。
テレビやインターネットなどでは、死体が地面に埋められていたというニュースをときどき目にすることがあったが、それは自分たちからは遠い世界のできごと、半ばフィクションのようなものに過ぎなかった。
――そんな行為を、コウは今まさに実行しようとしている?
重苦しい空気が忍び寄り、俺とミサキを包み込んだ。周囲の景色が、ぐにゃりと歪んだ。歯を食い縛っていないと、意識を失って倒れてしまいそうだった。
だが、コウだけは違っていた。コウは、深く息を吸うと、平然と言った。
「地面の下に、埋めよう。昭二おじさんは、普段からふらりと出かけたまま、何日も帰ってこないことがときどきあるだろ。お母さんに聞かれたら、またいつものように出かけてしまったって言えばいい」
まるで、今日の晩ご飯のメニューを決めるときのように落ち着いた、迷いのない口調だった。あまりにも冷静な口調に、一瞬、何の抵抗もなくその言葉を受け入れそうになった。
だが、次の瞬間、俺は考えを改める。
もし、何かのきっかけで死体が見つかったら、今の状況とは比べものにならないほどの大きな騒動になる。警察を挙げての大規模な捜査がおこなわれ、ミサキどころか、俺やコウも逮捕され、ニュースで大きく報道されるに違いない。
そもそも、いくら母親が明日まで帰ってこないとはいえ、何のノウハウもない中学生の三人に、死体を埋めるなどということができるとは、とても思えない。
あまりにも大それた計画だった。
「そんなの、無理……」
言いかけたとき、コウはすかさず口を開いた。恐らく、俺の反論を予想していたのだろう。
「大丈夫。今の季節は気温が低いから、夏みたいにすぐに腐って臭いが漂うなんてことも少ないはずだ。恐らく七十センチから八十センチぐらいの深さなら、臭いはかなり抑えられるから、そう簡単には気づかれないと思う」
なぜ、適切な深さなどを知っているんだろうと、つい考えてしまう。コウはときどき、周囲の予想をいとも簡単に超えてくる。
コウは振り向くと、意思を確かめるように二人を見つめた。
日常生活では有り得ない状況のなかで、三人の頭の中は、普段とは異なる異常な思考回路に支配されはじめていた。
やがて、俺に支えられたミサキは、小さく頷いた。ミサキの意思表示に、俺も覚悟を決めた。
「わかった」
三人が、一線をこえた瞬間だった。
――もう、後戻りはできない。
だが、覚悟を決めた時点で、新たな問題が生まれた。
「いったい、どこに埋めるんだ?」
俺の問いに、右手を顎に当てたコウが、一瞬の間を置いて答える。
「俺たちの力で、死体を家の外に運び出すことはできない。かと言って、庭に埋めようとしても誰かに見られてしまうだろう」
そこまで話すと、コウは口をつぐんだまま、おもむろに歩きはじめた。リビングから出たかと思うと、廊下をずんずんと奥に進んでいく。俺に肩を支えられて、ミサキもゆっくりと後に続く。
コウは、廊下の一番奥にある引き戸を開けると、中を覗き込んだまま腕を組んだ。俺も、ミサキと一緒に部屋の中を見渡した。
薄暗さに戸惑ったが、徐々に目が慣れる。和室だった。
電気製品や組み立て式家具などの空き箱らしい段ボールや、中身が何かわからない箱などが、乱雑に放置されている。日常的に使われている部屋というよりは、倉庫のような部屋だった。
かび臭さが、鼻を突いた。
「この部屋、物置代わりに使ってるの」
コウは、腕を組んだまま部屋の中を見回すと、ミサキのほうを振り返りながら言った。
「物置代わりなら、人の出入りも少ないよな」
ミサキは黙って頷いた。
「よし、この部屋の床下に埋めよう。人があまり入ってこないなら、さっき言ったぐらいの深さに埋めて、消臭剤をこまめにまくようにしたら、気づかれる可能性はさらに低くなるはずだ」
小さな声だったが、その声には並々ならぬ意志が感じられた。
「まずは、畳を運び出すぞ」
何をどうしたらいいのかわからずに、ただ立ったまま畳を見つめている俺とミサキにそう言うと、コウは一人で行動を開始した。
和室に敷かれた畳を一枚ずつ持ち上げ、部屋の外に運び出す。我に返った俺が慌てて手伝おうとすると、コウが視線を落としながら言った。
「まずは手を洗って、掌の血を落としてこい。そのまま作業をすると、畳にも血がつく。畳に染み込んだ血の染みは、なかなか消えないからな」
言われて、俺は掌を見た。昭二の真っ赤な血が、べっとりとついていた。俺は、自分の体が不純なもので穢されてしまったような気持ちになり、溜め息をついた。
「あと、ブレザーは脱いだほうがいい」
「ブレザー? なぜ?」と俺は問いかけた。
「ブレザーにも、血がついてる」
視線を落とすと、濃いグレーのブレザーの右側にも血がつき、長さ十センチほどの染みをつくっていた。
――後で、洗うしかないか……。
俺は台所に行ってシンクで手を洗い、ブレザーを脱ぎ捨てて床に置いた。和室に戻ると、コウが四枚目の畳を剥がしているところだった。
俺は、コウが剥がした畳を受け取った。
一段と強まったかび臭さが、畳の移動とともに部屋の外まで広がった。
気がつくと、部屋を出たミサキが、玄関から三人の靴を持ってきていた。
畳をすべて運び出し終えると、コウはミサキを振り向いた。
「釘抜きはあるか? あと、玄関横にシャベルが二つあっただろ。あれも持ってきてほしい」
言われたミサキは「釘抜きは倉庫にあったと思う」と答えると、再び大急ぎで部屋を出ていった。ミサキを追って部屋を後にした俺は玄関から外に出て、ドアの脇にあった二本のシャベルを抱えて和室に戻った。
部屋に戻ると、玄関から持ってきたスニーカーを履いたコウが、すでに釘抜きを使って床板を剥がしはじめていた。
床板の隙間に釘抜きの先端を差し込み、力任せに倒す。てこの原理で板が外れるたびに、バリバリという音が室内に響いた。
畳二畳分ほどの床板を剥がし終えると、その下に数十センチ間隔に敷かれた角材が姿を現した。スマートフォンを取り出したコウが、検索エンジンで床下の構造について調べる。
「この角材は、根太っていうらしい。このままだと邪魔になって死体が埋められないから、何本か切ってしまおう」
その声を合図に、ミサキが今度は鋸を取りに倉庫へと走る。
想像を超える大仕事だった。俺は、家の構造の複雑さを恨めしく思うとともに、果たして死体を埋めることなど本当にできるのかという強い不安を感じ、コウに視線を送った。
「やるしかないんだ」
コウは、まるで自分自身に言い聞かせるように呟く。床下の地面に降りたかと思う間もなく、ミサキが持ってきた鋸を使って、根太を切り落としはじめた。




