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 華奢な体つきから考えると、少女のようだった。そして、もっと驚いたことに、屈強な体つきの男が、少女にのしかかっていた。男の後ろ姿の向こうに、わずかに少女の顔が見えた。

 ミサキだった。

 ミサキは、何かに耐えているように固く目を瞑っていた。よく見ると、のしかかった男は腰を前後に動かしている。

 獣のような呻き声が聞こえた。

 体が凍りつくような恐怖を覚えた。ミサキの身に危険が迫っていることに対する恐怖だった。俺はすぐ横にあった勝手口を開けると、建物内に飛び込んだ。そのまま、キッチンを走り抜けてリビングに駆け込む。

 肩で息をする俺の前で、ミサキにのしかかった男が振り向いた。その顔を確認して、俺は声を失った。

 ミサキの父親、堀池昭二だった。

 昭二は、ズボンもパンツも脱ぎ捨てていて、下半身が露わになっている。脱ぎ捨てられたズボンが、部屋の隅に放置されていた。

 定まらない視線を無理矢理ミサキに移すと、はだけたスカートから真っ白な太腿が覗いていた。ミサキと目が合った。

 ミサキは驚いているのか、悲しんでいるのか、よくわからない冷たい表情をしていた。いや、驚いているのでもない、悲しんでいるのでもない。

 抜け殻のような表情だった。

 気がつくと、俺は昭二に飛びついていた。後ろから首に縋りつき、ミサキから引きはがそうと、腕に渾身の力を入れる。だが、腕力で昭二に敵うはずもなかった。

 腕を振りほどいた昭二が俺の胸を勢いよく突くと、俺の体はいとも簡単に壁際まで吹っ飛ばされた。

 昭二は立ち上がり、俺に歩み寄ろうとする。すると、コウがその間に割って入った。

「お前ら、誰の許しを得て家に入ってるんだ!」

 目を吊り上げ、鬼のような形相をした昭二は、コウに向かって拳を振り上げた。その拳が振り下ろされると同時に、コウは二メートルほど後方の床に俯せに倒れ込んだ。

 昭二は「けっ」と吐き捨てるように笑うと、倒れたコウを無視して俺に詰め寄った。壁を背に座り込んでいる俺の胸倉を掴み、引っ張り上げて壁に押しつける。

 次の瞬間、数発の膝蹴りが、俺の腹にめり込んだ。息ができなくなり、思わず腹を押さえて前屈みになると、遅れて、痺れるような痛みが全身に広がった。

 同時に、腹から喉にかけて、胃液だろうか、酸味を帯びた液体がせり上がってくるのがわかった。喉の奥が、ヒリヒリと焼けるように熱い。

 平衡感覚を失った俺は、再び床の上に尻餅を突いた。昭二は、仰向けになった俺の上に馬乗りになると、左の頬に拳を叩きつけた。

 意識が遠のき、目の前の景色が水に滲む水彩画のようにぼやけていった。

 ――このまま、死ぬのかな。

 命の危機を漠然と考えた、そのときだった。

 拳を振り上げた昭二の動きが止まった。

「うっ」という微かな呻き声が聞こえ、今まで嚙み締められていた昭二の口が半開きになった。

 昭二はよろりと上半身を捩じって後方に視線を送ると、俺に向かってどさりと力なく倒れ込んだ。

 俺は恐怖のあまり、反射的に目を瞑り、体を硬くした。

 そのまま、数秒の時間が過ぎた。

 昭二は、一向に動く様子を見せなかった。何が起こったのか理解できなかった俺は、無意識に昭二の背中に手を回した。

 右手に、ぬるりと温かい感触があった。視線を、右手が置かれた昭二の左の背中付近に移動させる。指先が置かれた付近から、真っ赤な血がどくどくと溢れていた。流れ出た血は、掌を濡らしながら床に滴り落ち、大きな血溜まりをつくっていた。

 大量の血に動揺した俺は、「ひっ」と叫び声を上げながら、昭二の体を勢いよくはねのけた。昭二の後ろには、包丁を両手で握り締めたままで床にへたり込み、肩を細かく震わせているミサキの姿があった。

 包丁の刃と、それを握り締めたミサキの両手も、真っ赤に染まっていた。

 俺は、ミサキの姿で、すべてを理解した。ミサキは、俺を助けるために、自分の父親である昭二を刺したのだ。

 ただ、頭の中では理解したのだが、その一方でドラマの一場面を見ているような現実感のなさも感じていた。

 数秒後、取り敢えず凶器である包丁を何とかしなければならないと気づいた俺は、慌てて立ち上がるとミサキに近づき、彼女の両手に手を添えた。

 ミサキの両手は、包丁を握り締めたまま、硬直していた。俺は、震える手に力を込めて、ミサキの指を一本一本、包丁から引きはがす。

 ようやくのことでミサキのすべての指を開かせた俺は、自分の視野が急速に狭まっていく感覚に襲われた。

 ミサキとコウの存在がどんどん遠ざかり、意識の彼方に薄く広がる靄の向こう側に消え去っていく。

 気がつくと、音も光もない、真っ暗な世界に閉じ込められていた。

 そのまま、どれくらいの時間がたっただろう。

 意識がようやく現実世界に戻ってきたとき、俺はミサキから取り上げた包丁を手にしながら、叫ぶように提案していた。

「救急車を呼ばなきゃ」

 その言葉に、コウが動かなくなった昭二に近づいて、首筋に手を当てた。

「いや、手遅れだ。もう死んでる」

 無念そうに呟いた。

 確かに、床に広がる血の量を見ると、とても生きているとは思えなかった。

「じゃあ、警察に……」

 俺が警察という言葉を口にした瞬間、ミサキの嗚咽が室内に大きく響いた。

「どうしよう、どうしよう……」

 そうだ。もし警察に通報したら、ミサキは逮捕されて、刑務所に入れられてしまうだろう。

――それじゃ、ミサキがあまりにも可哀想だ。

――じゃあ、どうすれば。

 今まで、経験したことのないできごとに、頭の中は混乱の極みにあった。すべての考えは上滑りするばかりで、まったくまとまる気配を見せない。当然、名案など浮かぶはずもない。俺は、なす術もなく唇を噛んだ。

 すると、呆然と立ち尽くしたままのミサキに近づいたコウが、静かに口を開いた。

「お母さんは、何時頃に帰ってくる?」

「叔母さんの看病で、実家に帰ってる……。戻ってくるのは、明日……」

 その言葉を聞くと、コウは覚悟を決めたように言い放った。


「埋めよう」


 一瞬、時間の流れが止まった気がした。

 俺は、耳を疑った。

 ――うめよう?

 言葉の意味が、すぐには理解できなかった。俺の耳元にあったミサキの唇から「ひゅっ」と息を吸い込む音が、微かに聞こえた。

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