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 肩を落とす西住の耳に、坂口の声が響いた。

「俺が実行犯を引き受けた理由は、それだけじゃない」

 西住は、坂口の後ろ姿に視線を移動させた。

「昭二おじさんの死体を隠すことを最初に提案したのは、俺だったからな」

 死体を床の下に隠しさえしなければ、小室が死体に気づくこともなかった。そう考えていた坂口は、自分が死体を埋める提案をしたことに対して、ずっと責任を感じ続けていたのかもしれない。

 いや、きっと西住や美咲の考えとは関係なく、自分自身を「二人に重い十字架を背負わせた張本人」と捉えていたのに違いない。

「あと、お前だけには言っておかなきゃならないことが、もうひとつある」

 坂口の口調が、急に緊張を帯びたものに変化した気がした。

「何だ?」

「俺は、ミサキに刺された昭二おじさんの脈拍を確認したんだけど、覚えてるか?」

 もちろん、覚えていた。

「俺はあのとき『いや、手遅れだ。もう死んでる』と言った。だが、あのとき、昭二おじさんは微かにだが、まだ息があったんだ」

 西住は「え?」と聞き返した。

 西住の驚きを当然のことと受け止めた様子で、坂口はさらに告白する。

「あのとき、昭二おじさんはまだ生きていた。しかし、俺はこのまま昭二おじさんが死んでいくことを望んだ」

「なぜ……?」

「そりゃ、ミサキをあんな目に遭わせた昭二おじさんが許せなかったからだ」

 そうだ。

 聞くでもなく、答はわかりきっていた。西住自身も、あのときは坂口と同じことを考えていた。

 ――こんなやつ、死んでしまえばいいんだ。

 もちろん、たとえ救急車を呼んだとしても、助かる可能性は低かっただろう。しかし、助かるか助からないかにかかわらず、あのときの西住は昭二の死を願っていた。

 一方、そのときの坂口は、昭二が性的虐待をおこなっていたに留まらず、児童買春の斡旋までおこなっていた事実を知っていた。そのため、小室に対する感情と同じように、昭二に対して西住以上に強い憎悪の感情を募らせていたのだ。

 その憎悪の感情が、坂口に「昭二が死んでいる」という偽りの証言をさせただけでなく、「昭二の死体を埋める」という現実離れした行為をも決断させたであろうことは、容易に想像がついた。

 実を言うと、西住はこの十四年間、あのとき坂口が決断した「昭二を埋める」という行為の唐突さに、ずっと小さな違和感を持ち続けていた。

 当時は、幼かったがゆえに現実を直視することができずに、西住と美咲は昭二を埋めることに同意した。

 ――しかし、冷静沈着ないつも通りのコウなら、ほかにもいくつかの選択肢を提示することができたのではないだろうか。

 もちろん、西住の頭の中に「そのほかの選択肢」の具体的な内容が浮かんでいたわけではなかった。

 ――それでも、コウならあのとき、何かしらの妙案を示すことができた気がする。

 そんな思いを、ほとんど意識することのないほどに深い胸の奥に、西住はずっと抱き続けてきた。

 だが、昭二に対して強烈な憎しみを抱いていたあのときの坂口の心の中には、昭二の生存を隠し、埋めること以外の選択肢は端からなかったのだ。

 坂口は、怒りを内に秘めているときほど、冷静になる。西住は、坂口との長い付き合いを通じて、その事実を誰よりもよく知っていた。

 西住は、ふと思う。

 ――もし俺が。

 ――俺がコウと同じ立場だったら、どんな決断を下した?

 答は出てこなかった。

 だが、それでも今なら、これだけは自信をもって言える。

 ――あのときコウが下した決断は、間違っていなかった。

「そうだったんだ」

 長年の違和感に対する答を見出した西住は、一人そう呟くと、バックミラー越しに坂口を見つめた。視線に気づいた坂口は、バックミラーの向こうで、静かに笑った。

 その笑顔は、西住が心中を語ることを制止しているようでもあった。

 坂口の心中を察した西住は、「ところで」と話題を変える。

「俺と小室が、一度だけとはいえ面識があったことは、捜査員たちに気づかれなかったのか」

 前方の信号が、赤に変わった。坂口は、ゆっくりとブレーキを踏むと、西住を振り向いた。

「警察は、ミサキと今回の事件の繋がりを把握していない。だから、かつて小室の家の隣にミサキが住んでいたことも、ミサキの家で俺たちが小室と出会ったことも、警察は知らない。しかも、お前と小室がともにA市内に住んでいた期間は一年半ぐらいと短かったし、年齢も離れている。聞き込みでも、二人の間に面識やトラブルなどは認められなかった。だから、事件当初に捜査本部が下した『過去に偶然、近くに住んでいただけ』という判断が変わることはなかったよ」

「そうか……」

 唯一の不安要素ではあったが、杞憂に終わったことに、西住は安堵した。

 だが、冷静に考えてみれば、当然の結果だった。当時の西住と小室は、本当に接点らしい接点などなかったのだから。

 ――昭二おじさんが刺された現場での、一瞬の出会いを除いては……。

 目の前の疑問は解決した。だが、聞きたいことはまだあった。

「それにしても、なぜ俺は一度、逮捕されなきゃならなかったんだ? 逮捕される前に、アリバイを主張すればよかっただろう」

「逮捕という選択肢を取ったのは、警察の目を真実から遠ざけるためさ」

「真実から遠ざける? どういう意味だ?」

 意味がわからなかった。

「いいか。お前は釈放されたが、捜査本部の内部には、お前を釈放せざるを得なかった事情を理解しながらも、今でもお前が犯人だと信じている者も多い。何故だと思う?」

 答に窮していると、坂口はもどかしげに解答を口にした。

「捜査員も人間だ。犯人と思われる人物を一度、逮捕してしまうと、その人物にどうしても執着してしまうんだよ。ましてや、アリバイ以外には、お前が犯人だという証拠が揃っている」

 西住は、小さく頷いた。

「だから、捜査員たちは何とかお前を犯人に仕立て上げるための証拠を集めようと、今まで以上に躍起になる」

 信号が青になった。坂口はアクセルを踏み込んだ。西住の体が、シートの背もたれに押しつけられた。

「そして、捜査員たちの目は、犯人は俺であるという真実から、どんどん遠ざかっていく。同時に、真実から遠ざかっている時間が長くなればなるほど、お前以外の人物が犯人である可能性を示す証言や証拠も、どんどん風化していく」

「そんなもんなのか」

 坂口は、西住をちらりと見ると、やや自嘲気味に笑った。

「そんなもんだ。だが、お前にわざと捕まってもらった理由は、もう一つある」

「何だ」

「単純な話さ。殺人と簡単に言うが、証拠をまったく残さずに殺人を犯すのは、現実にはかなり難しい。それならいっそ、偽の証拠を残してしまおう。そう考えたんだ」

 坂口の言葉には、説得力があった。巷に防犯カメラが溢れ、科学的な捜査手法も日夜、進歩しつつある現代社会において、証拠を残さない殺人は一昔前には考えられなかったほどに困難なものになっている。

「幸い、計画は上手くいった。だが、その代償も小さくはない」

 ミラーに映り込んだ坂口の顔が、微かに曇った。

「警察は今後も当分の間、お前が犯人であるという見立てに従って捜査を続けることになるが、お前を再逮捕するためには、アリバイを覆す新しい証拠が不可欠だ。それが難しいなら、次に考えられるのは別件逮捕という奥の手だ。別件で逮捕して勾留し、そのうえで今回の事件についての供述を得ようというわけだ。そこで、お前を犯人だと信じている捜査員たちは、お前を逮捕する口実を何とかして見つけようと、しばらくの間、お前をマークし続けるだろう。本当に、申し訳ない」

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