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 そのアパートは、夏は暑く冬は寒い、安普請の建物だった。

 だが、足を怪我して職を失い、生活保護で暮らしていた小室にとって、たとえ安アパートでも、雨露をしのげるだけで有り難かった。

 そのアパートと美咲の家の間には、塀代わりに何本ものイヌマキが植えられていた。

 それらの木は恐らく、アパートから美咲の家の内部を見えにくくする目的で植えられていたのだろう。その目的通り、アパートの多くの部屋からは、美咲の家の様子がほとんど見えなかった。だが、二階にある小室の部屋からは、イヌマキの隙間を通して美咲の家のリビングが微かに見えた。

 そして、そのアパートに住みはじめて半年ほどたったある日、小室はその隙間から、昭二による美咲への性的虐待の様子を目撃した。

 もちろん、驚いた。

 だが、正直に言うと、驚きよりも好奇心や性的欲望が勝っていた。その日以来、小室は隣家でしばしばおこなわれる悍ましい行為を、日常的に覗き見するようになった。

 その日も、小室はいつものように隣家を覗き見していた。そして、昭二と三人の子どもたちによって引き起こされた事件のすべてを目撃した。

 小室は、すぐに警察が来ると思っていた。が、何時間たっても、警察が来る様子は一向になかった。大した怪我ではなかったのかもしれない。

 あるいは、美咲が手に持っているものが刃物のように見えたのは単なる見間違いで、あれは刃物ではなかったのかもしれない。

 そう思った。

 ただ、そのできごと以来、昭二の姿を見かけることはなくなった。そして、それから数ヶ月がたった早春の頃には、美咲と母親である早苗の姿も見かけなくなった。

 さらに数ヶ月がたった、夏前だったろうか。空き家となっていた隣の家には、見知らぬ中年男が入居してきた。近くの小料理屋で会ったとき、それとなく話を聞いてみたところ、昭二の兄である堀池修一だと名乗った。

 あの家はもともと修一の名義で、弟である昭二が家族を残して家を出ていってしまったので、残された弟の家族には家を出ていってもらって、代わりに自分が住みはじめたとのことだった。

 やがて、修一と親しくなった小室は、修一の家の修理などを、実費と酒の奢りという安い対価で引き受けるようになった。彼と話をするうち、もともとその家に住んでいた美咲が、今は有名な作家になっていることを聞かされた。

 その後、小室は近隣のF市に引っ越したが、修一との緩やかな交友関係は続いた。修一にとっては、ちょっとした飲食代と交通費で家のメンテナンスを何でも引き受けてくれる便利な友人という認識に過ぎなかったのかもしれない。

 だが、小室にとっても特にデメリットはなかったので、小室は敢えてその交友関係を受け入れていた。

 そして二週間ほど前、電話で修一から和室の床板の点検を依頼された。床板が腐っているのか、和室の床が柔らかくなっているとの話だった。

 依頼を引き受けた小室は、すぐに修一の家を訪れ、作業に取りかかった。

 作業をするために畳を上げ、床板を剥がしてみると、床板の下に並べられているはずの根太が切断されていた。さらに、床下の地面に掘り返したような跡も見つかった。古い跡だったが、明らかに不自然な状態だった。

 気になった小室は、修一が席を外しているのをいいことに、無断で掘り返してみた。すると、古ぼけたグレーの布切れや劣化したビニール袋とともに、白い破片が姿を現した。

 どうやら、何かの骨のようだった。

 いや、破片の緩やかな丸みは、それが明らかに人間の頭蓋骨であることを物語っていた。

 そのとき、小室の脳裏に、忘れかけていた十四年前のあの日の記憶が蘇った。

 ――あのときの、痕跡か?

 同時に、ある計画が頭の中に閃いた。小室は地面から露出している骨の写真を撮影した後、地面を埋め戻した。そして、根太を簡易的に修復すると、何食わぬ顔で床板を交換し、工事の終了を修一に告げた。

 床下の秘密を知った小室は、まずは当時の関係者のなかで唯一、身元がはっきりしているうえ、あの家の住民でもあった美咲に連絡を取ることにした。最初は、SNSで連絡を取ろうと考えた。有名な作家なら、SNSぐらいはやっているだろうと予想した。

 だが、小室はもともとインターネット関連の知識に乏しい。

 ――見てもらえるかわからない一方的なSNSのメッセージよりも、直接会って話をしたほうが確実だ。

 そんな理由をつけ、美咲のサイン会に赴いたうえで、直接メッセージを手渡すことに決めた。


          *


 美咲は、小室が語った内容を西住に告げると、俯いたままで唇を噛んだ。

 痛々しい姿だった。

 あまりに痛々しい美咲の姿を前に、西住は思った。

 ――何とかしなければ……。

 美咲を救いたいという衝動を抑えきれなかった西住は、相談を受けた翌日、あの事件のもう一人の当事者である坂口に、すぐに連絡を取った。

 大学卒業後に警察官になったという話は、風の便りに聞いていた。内容が内容だけに、念のために公衆電話を使った。

 十年以上、連絡を取っていないので、携帯電話が繋がるかどうかは自信がなかったが、電話番号が十数年前と変わっていなかったのは幸いだった。

 話を聞いた坂口は、とても驚いた様子で、すぐに打ち合わせ場所を指定してきた。H市にある駅近くの喫茶店だった。

 その日の午後、約束の五分前に待ち合わせ場所に着いて待っていると、坂口は時間通りに現れた。スーツが似合う立派な大人になっていたが、鼻筋の通ったスッキリとした顔立ちや、目を細めると目尻に現れる僅かな皺は、十歳代前半の頃と変わっていなかった。

 再会を喜ぶ挨拶もそこそこに、西住はすぐに本題に入った。


 先日、サイン会で美咲と再会したこと。

 あの事件について知っている小室という男が現れたこと。

 小室は、床下に昭二の死体が埋められている事実に気づいていること。

 そのことで美咲を脅迫し、二百万円の口止め料を要求してきたこと。


「で、俺自身は、この事態を何とか打開したいと考えているんだが、いい方法が思い浮かばないんだ」

 坂口と連絡を取るに至った経緯を詳しく説明している間、彼は腕を組んだままで西住の話を黙って聞いていた。そして、話を聞き終わると「事情は飲み込めた」と大きく頷いた。

「ただ、ここですぐに結論が出るような話じゃない。少しだけ、待ってくれないか。善後策を考えるから、明日の昼前に公衆電話から連絡してほしい」

 翌日の昼前、西住は坂口の提案通り、公衆電話から坂口のスマートフォンに電話をかけた。坂口は、すぐに出た。

「昨日と同じ喫茶店で会おう。来れるか」

 西住は坂口と異なり、定職に就いているわけではない。

「ああ、大丈夫だ」

 二つ返事で承諾した。

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