20
第八章
釈放の当日。
地元のマスコミ各社は朝から、今回の一連のできごとを「明らかな不当逮捕」、「県内でまた誤認逮捕。今度はK警察署」と、ニュースでことさらスキャンダラスに報じた。
テレビ画面の向こうでは、事情をどこまで知っているのか疑問符がつくような俄かコメンテーターが、得意げに警察の失態を責め立てていた。
街では、歩きスマホでニュースを閲覧しているサラリーマンが、日本の治安を警察が守っていることも忘れ「だから、警察って信用できないんだよな」などとしたり顔で語った。
捜査員たちにとっては、屈辱的な日だった。
*
留置場が連なる廊下を歩く靴音が、少しずつ近づいてくる。
廊下の壁に反響するカツカツという乾いた音が、西住がいる部屋の前で止まった。
続いて、ガチャリと鍵が開けられる金属音が、耳に刺さる。
俯きながらベッドに腰かけていた西住が顔を上げると、目の前には制服姿の警察官が立っていた。
「西住さん、釈放です」
警察官は短い言葉を発すると「こちらへ」と、ドアを広く開けて見せた。
西住は腰を上げ、言われるがままにドアから廊下へと足を踏み出した。
そのまま、廊下を進み、階段を降りる。
入口近くにある部屋で荷物を受け取り、書類にサインをした後、先ほどの警察官の先導で、再び廊下を進む。
廊下の突き当たりを右に折れて十数メートルほど進むと、正面玄関のはずだった。
突き当たりで右に曲がろうとすると、警察官が軽く腕を掴み「こちらです」と無表情に呟いた。
どうやら、左に曲がれということらしい。西住は理由もわからないまま、警察官に続いた。
「正面玄関は、逆方向じゃないですか」
警察官は前を向いたまま、感情の感じられない表情で答えた。
「正面玄関は、マスコミが待機しているようなので、あなたの身の安全のために、裏口から警察車両に乗り込んでもらいます」
そういえば、先ほどから正面玄関の方向が何となく騒がしかった。あの喧騒の正体は、マスコミだったのだ。西住は、その騒がしさの理由を理解し、納得した。
廊下を歩いているとき、数人の署員たちとすれ違った。軽く頭を下げると、署員たちは敬礼で応えた。
間もなく、裏口に辿り着いた。ドアのすぐ前に黒塗りの車が横づけされていた。どうやら、覆面パトカーのようだった。
警察官が開けたドアから、一歩を踏み出す。約二十日ぶりの、外の世界だった。
太陽が眩しい。西住は、思い切り伸びをした。
「急いでください」
やや緊張感を伴った声に、西住は慌てて手を下ろし、自分の横に目を遣った。
一人の刑事が立っていた。取調べのときに何度か顔を合わせていた坂口だった。
「K警察署の坂口と申します。本日は、西住さんをお送りする役割を仰せつかりました」
坂口は、慌ただしい状況に似合わないほどの仰々しい挨拶をすると、後部座席のドアを開け、車に乗るよう手で合図した。
坂口に勧められるまま、西住は車両の後部座席に腰を下ろす。坂口は西住の乗車を確認すると運転席に乗り込み、すぐに車を発車させた。
後部の窓を振り返る。すると、西住が裏口から出たことに気づいたマスコミ関係者なのだろうか、カメラやマイクを持った数人の男たちが慌てて走ってくる様子が見えた。
坂口が、自分の運転する車を容赦なく加速させると、男たちの姿は見る見るうちに小さくなっていった。
車は、そのまま警察署の門を出て、国道を北に向かった。西住は顔を上げ、バックミラー越しに後ろの景色を確認する。約三週間にわたって西住の自由を奪っていた警察署はどんどん小さくなっていき、やがて連なるビルに埋もれて見えなくなった。
前を向いて座り直した西住は、坂口に対して静かに問いかけた。
「釈放される人は、いつも送迎してもらえるんですか?」
坂口は、鼻で笑った。
「そんなわけがないだろう。今回は、あくまでも特例だ。しかも、送るのは駅までだぞ。“事件と関係のない一般人”を送るのに警察車両を使ってるってわかっただけで、下手したら税金の無駄遣いって市民から糾弾されかねないご時世だからな」
「入口には、そんなに大勢のマスコミが集まっていたんですか?」
「まあ、田舎町のことだから、黒山の人だかりってわけじゃないが、十人近くはいたかな」
「それくらいの数なら、俺は別に正面玄関から一人で出てもよかったんですが……」
「なあに、本人の身の安全なんていうのは、上層部の建前だよ。マスコミを前に、余計なことを喋ってほしくないというのが本音なのさ。だから、気にすることはない」
警察車両の中で話すにしては、正直過ぎる内容だった。
「今の話、ドライブレコーダーに記録されているんじゃないですか? 大丈夫ですか?」
坂口は、顔色一つ変えなかった。
「ああ、それなら大丈夫だ。一般人を乗せるときは、記録を残さないんだ。プライバシーの問題とか、最近はいろいろとうるさいからな」
そこまで話すと、今まで感情を表に出さなかった坂口の顔が、微かに困惑を帯びた表情に変化した。
「それはそうと……」
坂口は、言い難そうに続ける。
「車の中は二人きりなんだから、その他人行儀な喋り方はやめてくれないか。どうも調子が狂う」
坂口の指摘を受けた西住は、自分が丁寧語で話している事実に、初めて気がついた。
「わかった。じゃあ、次からは“ため口”で喋るよう努力します。いや、するよ」
坂口は、苦笑いをした。同情するような笑顔だった。
「ま、三週間もの間、丁寧語で話し続けていたんだから、急にため口って言われても戸惑うのは仕方がないか。長期間の勾留、本当に大変だったな。ご苦労様」
上辺だけの言葉ではない。心の底からの労いの言葉だった。
恐縮した西住は、思わず坂口の背中に語りかける。
「お前こそ、いろいろと計画を考えてくれて、有り難う。おまけに、あの男、小室を殺す役まで押しつけてしまって、本当に申し訳なかった」
車を運転しながら、坂口は西住の感謝の言葉を遮った。
「いや、それは俺が望んだことだから、別にいいんだ。それよりお前こそ、厳しい取調べに、よく耐えてくれたよ。苦しかったろう」
目の前の男。この坂口こそ、西住と美咲の幼馴染であり、あの事件の当事者の一人である“コウ”こと、坂口康介だった。
「あと、アリバイもしっかりとつくっておいてくれて有り難う。もしアリバイが中途半端で、お前が書類送検された挙句、有罪になったりしたら“わざと”逮捕された意味がまったくなくなるからな」
アリバイづくりなど、造作もないことだった。ただ、坂口の提案通りに行動しただけだった。
そんなことを考えていると、ハンドルを握っている坂口が「それにしても」と、バックミラーを見つめた。
「お前から十数年ぶりに連絡があったと思ったら、あの事件のことでミサキが脅されてるっていうじゃないか。最初は耳を疑ったよ」
「それを言うなら、お前が今回の事件の担当になったときには、もっとびっくりしたよ」
「確かに、それについては俺もびっくりした。それどころか、お前の取調べをすることになるとはね。でもまあ、K警察署の刑事課にいる俺が少しでも事件の近くに身を置くために、敢えてK市内で事件を起こしたわけだから、半分は必然なんだけどな」
確かに、K市のような田舎の警察署は事件が少なく、警察官の人数も大都市よりははるかに少ないという。となると一度、凶悪事件が起こると、刑事課に所属している坂口が駆り出されるのは、半ば必然だった。なるほどと納得した。
納得した西住は、坂口の後ろ姿を眺めながら、サイン会の後、美咲から聞かされた小室の話を思い返した。
小室は、サイン会の開場前にあるカフェで、美咲にこう語りはじめたという。
「俺は十四年前、あんたの家の隣にある、古い木造アパートに住んでいた。覚えているよな?」




