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「本当に懐かしいなあ」

 美咲は、気を失って倒れてしまいそうな感覚に襲われた。小室は、そんな美咲の状況などお構いなしに、落ち着いた表情でコーヒーを啜った。

 その後、小室は当時の記憶を一方的に語ると、こう言った。

「実を言うと、俺はここのところ、少しばかり生活に困っててね。一方で、あんたはというと、とても羽振りがいいようだ。そこで相談なんだが、あの事件の口止め料的な名目で、少々お金をもらえないかな」

 サイン会で出会ったときに小室が口にした「取り引き」という表現から、何となく想像していた通りの内容だった。

「いくら、ですか?」

 美咲は動揺に対して懸命に抗いながら、冷静を装って尋ねてみた。

「そうだなあ。二百万円ではどうかな。今のあんたにとっては、それほど大きな金額じゃないだろう?」

 小室は、再び微笑んだ。その冷たい笑顔は、作品のなかで犯罪者を描くときに美咲が頭に浮かべる、彼らの笑顔そのものだった。

 美咲が答に窮していると、小室は美咲にメモを差し出しながら、一方的に提案した。

「これは、俺のスマートフォンの番号だ。十日以内に金を用意して、この番号に連絡してほしい。それと、あんたの番号も教えてもらえるかな」

 思考が事態に追いつかない状態の美咲は、言われるがままに自分のスマートフォンの番号を、小室に伝えた。


          *


 西住は、美咲の話を黙って聞いていた。

 そんな西住に対して数日前のできごとを話し終えた美咲は、テーブルの上に置かれたカフェラテを静かに見つめていた。

「ここ数日、どうすればいいかわからなくて、一人で悩んでいたの」

 美咲は俯いたまま、唇を噛んだ。

「私の身に起こってることだから、本当はユウタ君に話すべきじゃないのかもしれない。でも今日、偶然ユウタ君と出会って、思わず話したくなっちゃった」

 そこまで話すと、美咲は言葉を止めた。

 カフェの喧騒が急に大きくなり、西住の思考を邪魔した。頭が痺れたような感覚に襲われ、言い返す言葉が見つからなかった。

 ――十四年も前に終わったはずのできごとが、今頃になって白日の下に晒されようとしている。

 西住は、愕然とした。

 それだけではない。

 ――もし、このことが明らかになってしまったら、美咲の作家としての未来どころか、彼女の人生そのものが終わってしまう。

 気がつくと、西住は激しく動揺していた。

 ふと、手を見る。指先が微かに震えていた。

 だが、西住以上にショックを受けていることが明らかな美咲に、自身の動揺を見せるわけにはいかなかった。

 やがて、美咲は覚悟を決めたように顔を上げ、微笑んだ。

「だけど、こんな話、ユウタ君には迷惑だよね。お父さんにあんなことをしてしまったのは、私自身なのに……。ごめんね。やっぱり、さっき話したことは聞かなかったことにして」

 笑い顔にもかかわらず、目が潤んでいた。

 その痛々しいまでの笑顔に、西住は無意識のうちに言葉を返していた。

「迷惑だなんて、とんでもない。俺も当事者の一人なんだから……。話してくれて、有り難う」

 そうだ。

 今回の件は、美咲だけの問題ではなく、西住自身の問題でもあるのだ。

 ――俺は、ミサキを助けなければならない。

 疲れ切った表情で椅子に腰を沈めている美咲に対して、西住は精一杯のつくり笑顔で答える。

「大丈夫だ。俺に任せろ」

 美咲が、驚いた表情で西住を見つめ返した。

 決して、いいアイデアが頭に浮かんだわけではなかった。しかし、憔悴し切っている美咲を元気づけるには、そう言うしかなかった。言いながら、この場で言っておかなければならない注意事項を、心の中で確認する。

 これから先、どんなことが起こるか、今の西住には想像もつかなかった。念のため、連絡を取り合うための手段を限定しておくことが必要だ。

 それに加えて、美咲と西住、そして美咲と小室というふたつの関係を示す証拠も、完全に消し去っておいたほうがいい。

 西住は、美咲に優しく微笑みかけながら、ゆっくりと説明した。

「もし何かあったときのために、小室や俺との繋がりは秘密にしておいたほうがいい。今後、連絡を取り合うときは、公衆電話から電話をかけるようにしよう。数日中に、俺から電話をかけるから、それまでは小室に連絡しないこと。いいね」

 そう言いながら、西住は自分の電話番号を書いたメモを美咲に手渡した。美咲も、手もとにあった紙に電話番号を書くと、同じように西住に差し出した。

 こうして、十四年もの間、暗闇の中に封印されていた殺人事件という怪物が再び姿を現し、事態が急速に動きはじめた。

 そして、その約一週間後、小室は帰らぬ人となった。

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