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第六章


 その後も数日にわたり、拝島は何度か西住の取調べをおこなった。が、何を聞いても、西住の反応は鈍かった。のらりくらりと言い訳をしているだけで、真実を語ろうという意思が一向に感じられなかった。

 通常、虚偽の供述を繰り返していると、同じ質問でも回答内容が変わったり、矛盾が生まれてきたりするものだ。そのような矛盾点を逃さず、突破口を見つけていくのが、刑事の腕の見せ所でもある。

 そこで、拝島は何度か、時間を置いて同じ質問をしてみた。ところが、同じ質問には、いつも判で押したように同じような返事が返ってきた。その内容には、矛盾らしい矛盾もなかった。

 どうやら西住は、記憶力に優れているようだった。今風に言う「地頭がいい」と表現すればいいのだろうか。だが、そのような事実を新たに認識したところで、捜査に著しい進展が見られるわけではなかった。

 その頃、同時進行でおこなわれていた防犯カメラによる追跡、いわゆるリレー捜査の結果も明らかになった。

 駅と反対方向にある河川敷の方角からやって来た犯人らしき男が、犯行後に再び河川敷の方角に向かったことが確認できただけで、犯行前にどこからやって来たか、犯行後にどこへ行ったかは、明らかにならなかった。

 ただでさえカメラの台数が決して多くない田舎のことだ。残念ではあったものの、ある程度は予想できた結果ではあった。

 そうこうしているうちに、西住の口数は日を追うごとに少なくなり、やがて口をまったく開かなくなった。完全黙秘だった。


          *


 その日も、拝島は捜査会議に出席するために、坂口とともに会議室に向かっていた。

 会議室が近づくにしたがって、半開きの部屋のドアから漏れ出すねっとりとした空気が、少しずつ濃くなってくる気がする。

 拝島は、その空気の正体を知っていた。

 捜査に行き詰まりを感じはじめた捜査員たちが生み出す、閉塞感と焦燥感に満ちた重苦しい空気だった。

 ――いつからだろう。

 頭が痺れるような不快感を感じながら、拝島は記憶を辿ろうと試みる。

 と、坂口が拝島の顔を覗き込み、小声で囁いてきた。

「ご存知ですか?」

 こちらの反応を探るような眼差しだった。だが、内容がわからないので、反応のしようがない。取り敢えず、口をへの字に歪めながら、不快そうな視線を向けてみた。

「SNSが、今回の事件に関する書き込みで溢れ返ってるらしいんですよ」

 想像以上に、くだらない話題だった。

 拝島は、基本的に電話をかける以外の目的で、スマートフォンを使うことはほとんどない。ことにSNSに関しては、使ってみようと思ったことさえない。

 ――昼間に食った飯だの、休日に出かけた町だのといった、情報としての有用性など一切ない他人の日常を眺めて、何が楽しいのだ。

 常々、そう思っていた。

 拝島のSNSに対する先入観などお構いなしに、坂口は続けた。

「西住を極刑に処すべしっていう主張に対する賛否両論が、拡散されてるみたいなんですよね。加えて、警察は何をしてるんだっていう意見も少なからず見受けられるそうです」

「そんな書き込みに目を通す暇があったら、一人でも多くの関係者に事情を聞くことだ。事情を知らない部外者の意見など、百害あって一利なしだ」

 そう言いながら眉間に皺を寄せたが、ふと思って聞いてみた。

「捜査員たちの中に、そのSNSをチェックしている奴がいるという話か?」

「はっきりと確認したわけじゃありませんが、ゼロとはいえないでしょうね。とくに、若い世代にとっては日常的な情報ツールですから」

 その言葉を聞いた拝島は、ここ数日、捜査員たちが生み出している重苦しい空気の原因を、初めて理解できた気がした。

 無数の部外者が生み出す膨大な量のSNS上の意見が、一部の捜査員に対して、目に見えない影響を与えつつあるのかもしれない。

 SNSだけが、空気の変化の原因というわけではないだろう。だが、多少は影響していると考えるほうが、合理的に思えた。

 もちろん、起訴に持ち込もうという信念は必要なものだし、決して間違ってはいない。だが、SNSに踊らされ、焦燥感に身を任せて盲目的に突き進むのは、危険という以外に表現のしようがない。

 ――過度な感情移入は、ときに真実を覆い隠す。

 ――そんな余計な感情をもって今回の事件に臨むのは、捜査本部長だけで十分だ。

 そう思いながら、拝島は会議室に入った。

 会議室は、やはり不穏な熱量に満ちていた。

 席に座りながら、坂口が小声で続ける。

「で、SNSに引き摺られるように、事件に対するマスコミの注目度も高まってるみたいなんです。捜査員に対して、捜査の進捗状況を確認しようとする取材が、日に日にしつこくなってるようで……」

 そのとき、前のドアから会議室に入ってくる本部長の姿が見えた。

 本部長に気づいた坂口は、言葉を途中で飲み込むと、緊張した面持ちで前を向き、居住まいを正した。


          *


 捜査会議の後、会議室を出た拝島は、坂口とともに駐車場に向かった。

 今日は、西住のかつてのアルバイト先で、会社の人事部の人物に西住の勤務態度や経済状況について話を聞くことになっていた。

 警察署の通用門から屋外に出て駐車場の車両に乗り込もうとした、まさにそのときだった。

「拝島さん」

 背後から、声が聞こえた。

 振り向くと、一人の男性が立っていた。がっしりとした体格に、濃いグレーのスーツがやや窮屈そうに見える、大柄の男性だった。

 見覚えがあった。S日報の社会部に所属する記者である田丸という男だ。

 年齢は、確か四十歳代半ばくらいだったろうか。取材されるこちらが辟易するほどのしつこさから、県警本部の刑事部の面々からは眉をひそめられる存在だった。

 ただ、県警本部周辺ではよく顔を見かけるものの、K警察署で出会うのは初めてだった。

 嫌な予感がした。

「拝島さん。お忙しそうですね」

 田丸は拝島に歩み寄ると、一八〇センチはあろうかという長身を折り曲げるようにしながら、拝島に笑いかけてきた。

「ああ、忙しいよ。わかってるのなら、声をかけてくるな」

「そんなに邪険にしないでくださいよ。こっちも仕事なんで、声をかけないわけにはいかないんですよ。本当に申し訳ないとは思ってるんですよ」

 そう口にする割には、悪びれる様子の一つも見せない。

「で、用件はなんだ」

「例の、K市内の飲み屋街での強盗殺人事件についてです。当初、容疑者の西住は容疑を否認していたそうですが、その後、進展はありましたか」

 嫌な予感は、当たっていた。捜査の都合上、答えられるはずのない内容だった。

「それは言えない。ノーコメントだ」

「そんなこと言わないでくださいよ。今、この事件がSNSで注目を集めてることは、拝島さんもご存じですよね」

 田丸は怪しげな笑顔をさらに大袈裟に歪め、これ見よがしに手帳とボールペンを取り出した。

「ネット上では、事件にまったく関係のない第三者による無責任な憶測や主張が飛び交っている状態です。なかには、未解決事件が続いている事実に対して、目に見えない力による陰謀論を主張する輩もいるようですよ」

 拝島は、思わず立ち止まり、田丸を睨んだ。もっともらしいことを言ってはいるが、田丸の目は明らかに打算と功名心に満ちていた。

「この事態を鎮静化させるためには、ある程度の情報開示をしたほうがいいと思うんですが、いかがでしょうか」

「とにかく、それは言えん。悪いが、急いでるんだ」

 拝島は田丸を無視し、坂口がハンドルを握る車両の助手席に、素早く体を滑り込ませた。

「近いうちに、捜査本部長が捜査の進展に関する記者会見を開くはずだ」

 答えながらドアを閉める。それを待っていたかのように、坂口がゆっくりとアクセルを踏んだ。

「待ってくださいよ!」と声を上げながら小走りで追いかけてくる田丸の姿が、車の加速とともにはるか後方に遠ざかり、やがて見えなくなった。

「お知り合いですか」

 ハンドルを切りながら、坂口が尋ねた。

「ああ、S日報の社会部の記者だ」

「オールドメディアといわれて久しいマスコミも、やはりSNSを無視できないんですね」

「世間が注目する事件について詳しく報道すれば、それだけ新聞の評価も上がる。そのために、奴らも必死なんだよ」

 拝島は腕組みをし、目を瞑った。

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