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隣家は、木造二階建ての立派な日本家屋だった。建てられて数十年ほどの月日がたっているだろうか。
この家の住民も、話が聞くことができていない人物の一人だった。
門扉の外から敷地内を覗くと、初老の女性が庭木に水遣りをしている姿が見えた。白いワンピースに身を包んだ、上品そうな女性だった。
女性と目が合った拝島は、微笑みながら女性と無言の挨拶を交わす。
何事かと近づいてきた女性に手帳を見せながら、身分を明かした。
「ああ、小室さんなら、よく知ってますよ。でも、あんなことになるなんてねえ……」
女性の顔が曇った。半年ほど前に隣のアパートに引っ越してきたに過ぎない男を「よく知っている」という証言に、正直驚いた。
「なぜ、よくご存じなんですか?」
率直に聞いてみる。
「以前、玄関横にあるテラスの床が壊れて、困ってたんです。そうしたら、たまたま通りかかった小室さんが直してくださって……。本当に、優しい方でしたよ」
女性の話では、そのできごと以来、ときどき家の修理などを手伝ってくれるようになったという。もともと金属加工の仕事をしていたこともあってか、手先が器用で、足が悪い割に仕事は速く、腕も確かであったと女性は証言した。
にこやかに頭を下げて女性の家を後にした拝島たちは、その後も周辺を歩き回り、さらに証言を集めた。ほぼすべての証言が、小室の人のよさを示す内容だった。
「怨恨の線は、薄そうですね」
坂口が、ごく当たり前のことを述べた。
その後も、十人近くの人物に話を聞いたが、返ってくる言葉は、みな同じような内容だった。
「容疑者の西住は定職に就かずに引き籠っており、経済的に困窮していた……。一方で、偶然に出会った小室は、右足がやや不自由だった。今回の事件が、単純な金銭目当ての強盗であることは、やっぱり間違いないんじゃないですか。きっと、西住にとって小室は弱者であり、襲うには格好の標的だったんでしょう」
聞き込みを終え、小室のアパート前へと戻る道を歩きながら、坂口が得意そうに持論を披露した。
「そうだな」
拝島は曖昧な返事をしながら、道をゆっくりと進む。車が置かれている場所に辿り着くと、ドアを開けて助手席に乗り込んだ。
警察署に戻ると、顔見知りの捜査員である山路が、拝島たちに話しかけてきた。山路は、拝島と同じく県警本部から今回の事件の捜査本部に派遣されてきた刑事だった。
「拝島さん、聞きましたか?」
どのような話を指しているのか理解できずに、思わず聞き返す。
「何のことだ?」
山路は、芝居がかった仕草で左右を見回すと、拝島の耳に口を近づけた。
「ほかの捜査員たちの聞き込みによる情報なんですが……。容疑者の西住雄太はかつて、A市に住んでいたそうです」
A市といえば、被害者の小室幸一が半年前にF市に引っ越してくるまで住んでいた場所だ。
「さらに調べを進めた結果、西住がA市に住んでいた時期は、中学三年生のときに市外に引っ越した十三年前までです。つまり、西住と小室はそのときまで、同じA市内に住んでいたんです」
「何だって?」
拝島は、つい大きな声を上げた。拝島のドスの効いた声に、廊下を歩いていた女性署員が、驚いた様子で振り返った。
*
二日後、拝島はK警察署の廊下を、坂口とともに取調室に向かっていた。
通常の捜査本部内では、外部で関係者に聞き込み捜査をおこなう聞き込み班と、取調室で容疑者と対峙する取調班の間には、はっきりとした役割分担がある。しかし、今回のような比較的、規模の小さい捜査本部では、人手の関係で両者の線引きがやや曖昧になる場合もある。
その事実に加え、拝島はときとして感情を露わにするきらいがあるものの、鋭い質問によって容疑者の心のひだに食い込む取調べで、一部の人々に一定の評価を得ていた。そのため、拝島は本来、聞き込み班であるにもかかわらず、取調べにも駆り出されることとなった。
兼任は心身の負担が大きく、決して楽な役割ではない。しかし、時間をかけてほかの捜査員とわざわざ情報の共有をする必要がないうえ、自分がおこなった聞き込みで手に入れた情報を元に、臨機応変に取調べをおこなうことができるというメリットがある。そのため、拝島にとって、兼任は吝かではないというのが本音だった。
柄にもなく、気分が高揚している自分がいた。だが、その気持ちを、横にいる若者に悟られるのは、ご免だった。
拝島は冷静を装いながら、隣を歩く坂口に尋ねた。
「西住は昨日もまだ、容疑を否認したままだったのか?」
拝島の心情を知ることもなく、坂口は律儀に質問に答える。
「西住の供述は『自分は犯人ではない』の一点張りで……。黙秘している時間も長いそうです」
拝島は、無言のまま取調室に入った。
室内の中央には机があり、その机の両側に向かい合うように二つの椅子が置かれている。入って左手前の隅にはもうひとつ、小さな机が設置されている。取調べの内容を記録し、資料を作成する刑事が座る机だ。窓際の壁の天井付近には、取調べの可視化に必要不可欠である小さなカメラも見えた。
拝島は、中央の机の手前側に置かれた椅子に腰かけると、持参したファイルを開いた。
一昨日、山路から聞いた「被害者の小室と容疑者の西住は、かつて同じ時期にA市に住んでいた」という情報が、どうしても気になっていた。
――二人は、顔見知りだった?
――もしそうだとすると、怨恨による犯行の可能性もあるのか?
だが、拝島はすぐにその考えを自ら否定した。
怨恨などの動機で顔見知りを殺害する場合、犯人は通常、入念な計画のもとに実行する。そのため、よほど想定外の事態が起こらない限り、財布や指紋がついた凶器、防犯カメラの映像などの証拠を不用意に残すことは、まず有り得ない。
一応、怨恨による犯行の可能性を考えて、ここ数日間、拝島を含めた捜査員たちは二人の知人などに対して聞き込みをおこなっていた。が、やはり二人の間に接点は確認できなかった。
それだけではない。かつて同じA市に住んでいる時期があったと判明した時点で、西住が市外に引っ越すまで通っていた中学校のクラスメイト、そして小室の知人に対する聞き込み捜査が、すぐにおこなわれた。連絡が取れた十人弱ほどに対する聞き込みではあったが、彼らの証言から、過去においても二人の間に明らかな接点を見出すことはできなかったとの話だった。
結局、金銭目的の行きずりの犯行であり、怨恨が動機ではないという見立ては、揺るぎようがなかった。
――しかし、いずれにしても西住は否認している。
否認を受けて、念のため、協力者がいる可能性を考えた捜査もおこなわれていた。
今回の事件のように、見知らぬ相手に対して、もし複数で強盗をおこなう場合、遊び仲間などで協力し合うことが多い。そのため、まずは西住の現在の交友関係が綿密に調べられた。
だが、西住は会社を辞めて自宅に引き籠りがちだったことで、交友関係は非常に狭かった。しかも、聞き込みを通じても、そのような危険な人物との繋がりはまったくと言っていいほど見えてこなかった。
そこで、知人ではなく、その道に通じた人物を探し出して依頼したという推測に基づいた捜査もおこなったが、スマートフォンにもパソコンにも、そのような人物と怪しげな遣り取りをした記録は一切、残っていなかった。
さらに、そのような人物に依頼する場合には金銭の授受が発生する場合が多いため、西住の銀行口座なども調べたが、報酬らしい高額の金銭の遣り取りがおこなわれた形跡はなかった。
そもそも、単純な金銭目当ての強盗である以上、赤の他人に依頼するというのも考えにくいし、もし殺害をそのような人物に依頼したのなら、財布や指紋がついた包丁をわざわざ現場に残した意図も、やはり説明できない。
さまざまな要素を検討した結果として、協力者がいるという可能性も捜査の見立てからほぼ排除された。
そんなことを考えていると、ドアがノックされる音に続いて、制服の警察官と一人の男が入室した。容疑者である西住だった。
身長が一七〇センチ台半ばの、痩せぎすの男だった。背格好は、ちょうど相棒の坂口と同じくらいだろうか。今年二十八歳になったばかりとのことだったが、ここ数日の勾留生活が原因であろう無精髭のために、外見からは年齢が想像し難い。
西住を連れてきた警察官は、敬礼をすると西住を拝島の向かいの椅子に座らせ、再び敬礼をして部屋を出ていった。それを確認するように、坂口も着席する。
拝島は、正面から西住を見つめる。一方の西住は、拝島と視線を合わせることを避けるかのように、目を伏せていた。




