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第四章


 K市の飲み屋街にある路地裏で男性の遺体が発見されたのは、夏の暑さがようやく一段落した、九月十八日の二十一時過ぎのことだった。

 発見したのは、直前まで近くの焼き鳥屋で酒を飲んでいた三十歳代のサラリーマンの男性だった。路地を歩いていて急に尿意をもよおし、用を足そうとビルの隙間に入り込んだところ、地面に倒れている男性を発見したとのことだった。

 被害者は、胸に包丁が刺さったままの状態で事切れていた。死因は胸を刺されたことによる出血性ショック死で、死亡時刻は二十時から発見直前の二十一時の間と推測された。

 K警察署内に、すぐに捜査本部が立ち上げられ、捜査が開始された。

 被害者が持っていた免許証から、ほどなくしてその身元が判明した。F市に住む小室幸一という男性だった。直前まで現場近くの店で飲んでいた姿が目撃されていること、それにもかかわらず財布を持っていなかったことなどから、金銭目当ての強盗に不意に襲われたうえ、包丁で刺されて命を落としたと推測された。

 事件現場には、重要な手がかりが残されていた。犯人が落としたと思われる財布だった。財布には、西住雄太という人物の運転免許証が入っていた。さらに、事件現場付近の防犯カメラには、西住によく似た男の姿も映っていた。

 警察は、すぐに西住と接触を図り、任意での事情聴取をおこなうことを決めた。H市にある西住の自宅に赴くと、在宅していた本人に事情を告げ、K警察署への同行を求めた。西住は、驚くほど素直に同行に応じた。

 西住は、数年前に大学を卒業して就職したものの、職場になじめず一年ほどで退職して以降、ほぼ引き籠りに近い生活をしていたらしい。

 彼の父親は十年ほど前に、母親は数年前に亡くなっていた。親を頼ることができない西住は、生活のための最低限の収入を得る目的で、いわゆる隙間バイトをときどきおこなっていたが、そのほかはまとまった収入もなく、経済的に困窮しているようだった。

 任意の事情聴取のなかで、捜査員が西住に財布を見せると、彼は自分の所持品である事実をすんなりと認めた。ときを同じくして、同時進行でおこなわれていた鑑識班の分析により、凶器からは犯人のものと思われる指紋が採取された。採取された指紋と西住の指紋を照合したところ、完全に一致した。

 さらに、犯行現場に残された靴跡と同じ靴や、防犯カメラに映っていた服装とよく似た服を、数日前にインターネットで購入していたことも判明した。

 警察は、これらの事実を証拠として、すぐに逮捕状を請求し、強盗殺人の容疑で西住を逮捕した。


          *


 県警本部の刑事部捜査第一課に所属する拝島は、被害者である小室が住んでいたF市に向かう車の中にいた。

 拝島は、刑事になって二十数年になるベテラン刑事だった。今回の事件ではK警察署での捜査本部設置に伴い、県警本部から派遣されていた。

 その拝島が、なぜF市に向かっているのか。

 小室の自宅周辺で、住民に聞き込みをおこなうためだった。

 今回の事件が、行きずりの強盗殺人であることはほぼ間違いないと思われていた。しかし万が一、怨恨による犯罪である可能性なども考慮し、小室と西住に接点がなかったかを調べるのが、今日の聞き込みの目的だった。

 隣でハンドルを握っている若い男性は、K警察署の刑事課に所属する刑事で、名を坂口という。今回の事件で、拝島の相棒となった若手捜査員だった。

「今日も、いい天気でよかったですね」

 運転席の若者は、およそ刑事らしからぬ捉えどころのない言動で、しばしば拝島の神経を逆撫でする。

 ――雪だろうが台風だろうが、そんなものは捜査には関係ないんだよ。

 コンビを組んで数日たつというのに、慣れるどころか、苛立ちが募るばかりだった。

「それにしても捜査本部長、今日も気合いが入ってましたね」

 坂口が、思い出したように言った。

 犯人を逮捕することで市民の安心と安全を守るのが警察の仕事だ。気合いが入るのは当たり前だ。半ば反射的に、そう言いそうになった。

 だが、今回の事件に対峙する本部長の熱意には、拝島も尋常ではないものを感じていた。焦燥感を伴った執念とでもいうのだろうか。

 心当たりが、なくもなかった。

「去年、県内で起こった殺人事件のうち、二件が今も未解決のままだ。しかも一件は、誤認逮捕ってことで容疑者が不起訴になるっていう失態まで演じてしまったわけだからな」

 当然、S県警は県民の非難を浴びた。しばらくの間、県警本部では抗議の電話が鳴りやまず、インターネットやSNSも誹謗中傷を含む批判的な意見で埋め尽くされたものだ。以前ほどではないが、警察を糾弾する電話は、今も一日に数本から十数本はかかってくるという。

「きっと本部長は、自分が指揮を執る捜査本部で同じような失態が演じられて、自分が非難の矢面に立たされることを恐れているんだろうな」

「なるほど。さすがは拝島さん。読みが鋭いですね」

 坂口は、まるで感心したかのような言葉を口にしたが、拝島がちらりと表情を窺うと、表情はまったく変わっていなかった。

 ――安い言葉だ。

 拝島は助手席で腕を組み、溜め息を吐く代わりに目を瞑った。

 F市は、捜査本部があるK市から、車で東に三十分ほど走った場所にある、小さな市だ。地方の小都市なので、駅から十数分も歩くと住宅はまばらになり、やがて畑に変わる。

 小室が住んでいたアパートは、JRの駅から歩いて十分ほどの住宅地の外れにあった。半年ほど前、A市からF市にあるこのアパートに引っ越してきたとの話だった。

 不動産屋に借りた鍵で、アパートの部屋に入る。

 小室には親しい身内がいなかったため、アパートの荷物は引き取り手がなく、そのまま放置されていた。ある程度の時間がたった後には、大家によって処分される予定になっているらしかった。

 荷物に、ざっと目を通してみる。しかし、すでに捜査員たちによって調べられた後であるため、目新しい発見があるはずもなかった。

 拝島は、部屋の中に向かって手を合わせる。

 ――犯人を、必ず有罪にして、無念を晴らしてやるからな。

 気持ちを新たにしながら、坂口に言った。

「早速、近隣住民に話を聞いてみるぞ」

 拝島の言葉に、坂口は「はい」と威勢のいい返事で答えた。その声に反応することもなく、拝島は手はじめに隣の部屋の前に移動し、呼び出しベルを鳴らす。

 以前、捜査員が訪れたときには住民が留守だったため、話が聞けなかった部屋だった。

 ベルに反応して出てきたのは、年配の男性だった。恐らくは五十歳代なのだろうが、その割には体格がいい。平日の昼間に家にいるということは、勤務時間が不規則な肉体労働者なのだろうか。

 拝島は警察手帳を示し、頭を下げる。

「県警の拝島と申しますが、お隣に住んでいらした小室さんについて、お話をお聞かせ願いたいのですが」

 男性は、小室の事件について知っていたのだろう。さして驚くこともなく、静かに頷いた。細かい説明が省けたことに安堵しながら、拝島は男性に問いかけた。

「小室さんは、どんな方でしたか?」

 男性は、宙を見上げながら、ちょっと考える仕草をした後、口を開いた。

「どんな方と言われても……。ごく普通の人だったよ。仕事中の事故で右足を怪我したとかで定職には就いてなかったみたいだけど、すれ違うと挨拶をしてくれる、人当たりのいい人だったな」

「なるほど。トラブルなどは?」

 拝島の横で、坂口がすかさずメモにペンを走らせる。

「いいや、俺とは別にトラブルもなかったし、近所の人とのトラブルも聞いたことがなかったと思う」

「人に恨まれるような感じでは、ありませんでしたか?」

 男性は、質問内容に心の底から驚いた様子で、すかさず拝島の言葉を否定する。

「とんでもない。あの人に限って、そんなことはないよ」

 ――要するに、トラブルや犯罪とは無縁の世界に住んでいた人物ということか。

 拝島と坂口は、軽く会釈をすると、男性の部屋の前を離れた。その後、ほかの捜査員がすでに話を聞いている住民にも今一度、話を聞いてみた。しかし、話の内容はだいたい同じようなものだった。

 怨恨による犯行という可能性も、決してゼロではなかった。だが、話を聞いた限りでは、その可能性はかなり低いように思われた。拝島の心の中で、行きずりの強盗殺人という見立てが少しずつ補強されていく。

 拝島はアパートを出ると、続いて隣の一軒家に向かった。アパートの前で立ち止まっていた坂口が、慌てて拝島の後を追ってきた。

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