第4話:空白に刻まれた誇り
1.嵐の咆哮と予測不能の力
女王エアリ率いる「ヘイス」とライトロードによる二国連合軍。
その圧倒的な軍勢を迎え撃ったのは、
オーク最大の国家「レガッカッカ」であった。
世間はヘイスの圧勝を疑わなかったが、
開戦直後、その自信は無残に打ち砕かれる。
かつてヘイスが併呑した旧オナラギ領が、
敵の猛攻により瞬く間に陥落したのだ。
敗因は三重の不運、そして女王の「未知」にあった。
ライトロードの参戦遅延と打倒ヘイスを誓う精鋭たちの集結。
そして決定打となったのが、
レガッカッカ王が放った禁忌の魔術「嵐の召喚」である。
本来、大規模な事象を操る魔法は
「大国の王」のみに行使が許された特権であったが、
その発動条件や具体的な効果は、各国の王ですら全容を把握できていない。
種族ごとに受け継がれる魔法の体系は全く異なり、
エルフであるエアリにとって、
オークの王が天候そのものを操る権能を持っていることは計算外であった。
輸送能力を向上させたはずの船団は、
未知の嵐によって海に沈み、兵站は根底から崩壊したのである。
エアリは自ら精鋭を率いて敵首都を強襲し、
かろうじてレガッカッカを滅ぼした。
しかし、それは勝利と呼ぶにはあまりに代償の大きな一歩であった。
2.傲慢なる入植者と崩れる足音
レガッカッカの滅亡により、旧オナラギ領は再び「空白地帯」となった。
そこへ、遅れて戦場に到着したライトロードの一部の民が勝手に入植を開始する。
彼らは
「我らこそがこの戦いに遅れてでも駆けつけた勝者である」と増長し、
エルフの統治を軽んじていた。
彼らはヘイス軍の生命線である街道を占拠し、通行料を要求した。
さらには、輸送部隊の食糧を「入植の祝儀」として強奪するなどの
傲慢な振る舞いを繰り返す。
この自分勝手な民衆の暴走により、
最前線のレガッカッカ首都に留まるヘイス軍への補給は完全に停滞した。
女王は兵の餓死を避けるため、
苦労して手に入れた首都の放棄を余儀なくされる。
その夜、誰もいない仮初めの王座の間で、エアリは独り静かに座っていた。
月明かりだけが照らす部屋で、彼女は震える指先を肘掛けに這わせる。
そこには、かつて夫である識王ヘスが
愛用していた机と同じ意匠が施されていた。
彼女は無意識のうちに、
そこに刻まれた「ヘス」という名の彫り込みを、何度も、何度もなぞり続けた。
言葉を持たぬ彼女が唯一、
心の底から甘えることができた存在。知略に長け、
自分を導いてくれた夫が生きていたならば、
この「空白」をどう埋めただろうか。
兵の三割を失った今、
入植者の件に対応しないライトロード本国との同盟関係を切るわけにもいかず、
彼女の瞳には覇者の鋭さではなく、
引き裂かれるような孤独と、
亡き夫への答えを求めるような悲痛な色が混じっていた。
だが、夜が明ける頃には、
彼女は再び「沈黙の女王」としての仮面を被っていた。
エアリはこの危機を打開すべく、
ヒツジ亜人の国「シーア」を同盟に誘う。
シーアが同盟に応じた決定打は、
エアリがかつての戦争で絶望の淵にあったヒツジ亜人の一部を救い出し、
ヘイス国内で厚遇し続けていた実績であった。
シーア王はその慈悲を信じ、同盟を承諾する。
しかし、その条件はシーアが長期にわたり交戦し、
攻めあぐねているオークの国「グローリー」の攻略であった。
連合軍の規模はかつてないほど膨れ上がったが、
それが「瓦解」への序曲であることを、まだ誰も知らなかった。
3.グローリー王、不屈の輝き
グローリーの防衛網は凄まじかった。
既にシーアとの長きにわたる戦争で、国全体が要塞化されており、
兵士たちは死を恐れぬ練度を誇っていた。
女王の威光が陰る中、連合軍は多大な損害を出しながら停滞を続ける。
そんな折、グローリーの王は、
自軍を包囲しているヘイス軍内のオークたちに接触した。
王は自分たちが滅びる前に、
自国の民の一部を「空白地帯」であるレガッカッカ領へ
退避させる手助けをしてほしいと、
敵であるはずのオーク兵たちに頭を下げたのである。
「誇り高き同胞よ。死にゆく我らではなく、
未来ある民を助けてはくれぬか」
この王の献身的な姿に、ヘイス軍のオークたちは心を打たれた。
彼らは極秘裏に移住を支援し、
中にはグローリー王の気高さに心酔し、
そのまま兵役を捨ててレガッカッカ領での「旗揚げ(立国)」に加わる者まで現れた。
だが、移住が成功してもなお、グローリーの民の多くは自国に留まった。
王が最前線で民を助けようと泥にまみれて奮闘する姿を見て、
彼らは感動し、移住よりも王と共に戦い抜くことを望んだのだ。
「形ある国など、いつか消える。
だが、この王と共に戦ったという誇りは、魂の空白を埋めてくれる」
このグローリー王の揺るぎない精神性こそが、
後に語り継がれる「空白の誇り」の正体であった。
兵力で劣り、国土を奪われてもなお、彼らの心は決して屈しなかった。
その気高さが、
拡大のみを追求し中身を失ったヘイスという帝国の「不確かさ」を、
残酷なまでに浮き彫りにしていったのである。
4.魔素の氾濫と死者の軍勢
戦局は混迷を極めた。
ライトロードとシーアは「我らはヘイスの指揮下ではない」と独立性を主張し、
足並みは揃わない。
さらに旧レガッカッカ領でオークたちが独立を宣言したことで、
兵站はまたもや寸断された。
女王エアリは、かつての失敗から学び、
数年分の食糧を前線に蓄積していた。
だが、長期化する戦争に苛立ったのは、同盟国の王たちであった。
ライトロードとシーアの王たちは、
己の権威を示すために「王権魔術」を発動した。
炎、そして重力の歪みが激突し、
戦場の大気は異常な魔素の飽和状態に達する。
その結果、最悪の現象が起きた。残留した高濃度の魔素が、
戦場に散らばる無数の死体に干渉を始めたのである。
「……動いている、のか?」
兵士が呟く。
首を撥ねられたはずのオークが、
臓物を撒き散らしたヒツジ亜人が、カチカチと歯を鳴らして立ち上がった。
ゾンビやゴーストと化した亡者たちは、
生者への憎悪を剥き出しにして、連合軍へと襲いかかる。
王権魔術を同じ場所に一つ以上放ってはならない。
後に王達の間で語り継がれたルールの意味を身をもって知ることとなる。
この地獄絵図の中で、
真っ先にその報いを受けたのは、王権魔術の行使者たちであった。
自らが放った魔法によって混沌と化した戦場。
ライトロードとシーアの王は、混乱の中で退路を断たれ、
かつての部下であった死者の群れに引きずり倒された。
断末魔を上げる間もなく、
彼らは生きたまま亡者たちに貪り食われ、無残な最期を遂げたのである。
グローリー領は、もはや攻略すべき土地ではなく、
生者が踏み入れぬ呪われた地へと変貌した。
連合軍は、自らが放った魔法の残滓によって、
手中に収めるはずだった土地を永遠の「空白」へと変えてしまったのである。
この屈辱と恐怖は、兵士たちの心を完全に折った。
5.帝国の瓦解と神の調律
この惨状を受け、ヘイス本国では平人とオークによる大規模な反乱が勃発した。
反乱したオークたちを助けるため、
大陸に散ったオークの国々もこの反乱に加わり一丸となることで、
かつて最大規模を誇った連合軍は、内外から崩れ去るようにして瓦解した。
グローリー王が見せた「空白の誇り」が、
帝国という虚飾を打ち滅ぼしたのである。
また、王と主力を失ったライトロードとシーアの二国も、
もはや国家の体を成してはいなかった。
戦場から逃げ延びた僅かな兵たちは、亡者への恐怖と絶望に染まり、
本国へ戻るなり秩序を崩壊させた。
王位を巡る内紛と、戦力の大半を喪失したことによる他種族の略奪が重なり、
両国は歴史の表舞台から永遠に姿を消したのである。
こうして同盟諸国が共倒れとなって
自滅していく様を冷徹な計算の下で手ぐすねを引いて見つめる者がいた。
反乱を裏で扇動していたのは、超大国レイリアであった。
彼らは平人に武器を供給し、ヘイスの崩壊を虎視眈々と狙っていた。
「……結局、私たちは神の盤上で踊らされていたに過ぎないのですね」
女王エアリは悟った。
自らの急激な台頭も、この無残な幕引きも、
全ては世界の均衡を保つための「調整」であったのではないか。
エアリは最後の力を振り絞り、自らの命と引き換えにレイリアへ厄災を放った。
その結果、レイリアもまたかつての小規模な領土へと縮小し、
大陸の勢力図は神が種族を創造したばかりの「最初の状態」へと回帰した。
後に人々は噂した。女王がなぜあれほどの才覚を振るい、
そしてなぜこれほど唐突に全てを失ったのか。
それは神が女王を操り、
肥大化した帝国を「空白」へと還すためだったのではないか。
歴史の闇に消えた「空白の誇り」。
それは、滅びゆく王たちの意地であり、
何よりも冷徹な神の意志が刻まれた、あまりに儚い勝利の記録であった。
後日談もあります。




