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落葉

作者:
掲載日:2025/12/15

 秋の放課後、空気はまるで薄いガラスのように透き通っていて、太陽が暖かく僕たちを照らしている。

 僕たち二人は近所の誰も来ないような寂れた神社で遊ぶのが日課で今日も紅葉が最高潮となった銀杏の並木の中で銀杏の不快な匂いを忘れるほどに無我夢中で走り回っていた。銀杏の葉の色は周りの光を集めたような鮮やかな黄色を纏い、視界いっぱいに広がっている。

「香雪、見て!この葉っぱめっちゃ黄色い!!」

 僕たちはいつのまにか色の濃くなった落ち葉を見せ合い、互いに勝負していた。僕は闘争心が湧き上がり、我を忘れて一生懸命に落ち葉を探した。そうして僕は必死で見つけた大きくて濃くなった落ちてきたばかりの葉を持ち、香雪に勝負を挑む。でも、香雪はいない。

「香雪?」

 すると神社の拝殿の後ろから物音が聞こえた。僕はその音のする方へ目をやると、燃え盛るような濃く朱色に染まった葉をたくさんつけた枝を持った香雪が出てきた。

「どうだ!お前よりめっちゃ赤いぞ!!」

 香雪は堂々と鼻高々にこちらへ言い詰める。僕はずるいと言わんばかりに、「どこにあったんだよ!ずるしてないか見に行く!」と意地を張った。

 そうして連れてこられた境内の奥には大きなナナカマドの木が一本立っている。

 それは圧巻だった。

 とても大きく僕の二階建ての家をはるかに超えていた。普通ならナナカマドは多くが連なって美しさを感じるものなのだが、ここにあるナナカマドは一本が勇壮に立っている。それがまた美しさに拍車をかける。葉は一つ一つが紅くなり、ところどころに赤く実った実が紅葉に隠れている。

「嘘じゃないだろ」

 香雪が少し間をあけ、言った。

 僕は眼前に広がる一面の朱色に呆気を取られて、その言葉に何か反応できない

 でも一言だけ言った。

「来年もその次もこの木見れるのかな」

 それに対して、香雪は曖昧に真剣味がないようにあしらう。

「まぁ多分あるでしょ」

 香雪には響いてないみたいだが、僕にはこの赤色が心の底から綺麗だと思えたんだ。


 高校三年生の秋。小学校からの12年間何も変わることもなく、僕は家の前で香雪を待っている。

「おはよう」

 香雪が玄関を出てきながら独り言のように小さな声で言った。今日も何か調子が悪そうに思える。

 息を吸うと、肺の奥に冷たさが溜まる。今年は例年に比べ、冬の気配が早く感じる。そんな早い冬のような乾いて冷たい空気の中、僕たちは学校へと歩みを進めた。

「もう冬みたいだな」

 声に出したつもりだった。でも返事はない。

 何か変な空気が流れる。

 それは快晴でとっても青く広い。でもつんざくような銀杏の匂いがほのかに香る。目の前では自転車がベルを鳴らし、通学中の小学生が走り抜けていく。奥では踏切の音が、規則正しく鳴っている。

 真横では香雪は俯き、相変わらず調子が悪そうだ。僕は空気を変えようと昨日の帰りの話を展開した。

「昨日さ、あのドブ川沿いの角のめっちゃ吠える犬が全然吠えてなかったんだよ。俺存在感消せるようになったかも!」

 言うと、香雪は小さく頷いた。

「……そうか」

 気まずい。

 でも正直反応されないと思ってた。そう思うと、少しだけ安心する。

 そんな気まずい空気の中、高校へ到着した。

 校門をくぐると、人の流れに押される。誰かが名前を呼び、笑い声が跳ねる。いつもの学校。先生たちは受験生の対応でそこかしこを走り回っている。

 そんな喧騒の中、僕たちはそのまま歩みを進める。文化部のだろうか、たくさんのチラシが貼られた階段を登り、3階へあがる。廊下を右に曲がった突き当たりの右にある教室。これが香雪の教室であり、僕の教室だ。

いつものざわめき。机の脚が床を擦る音。ペンが動く音。そんな静かな教室を横切り窓側の自分の席に向かった。香雪は前の席に座っている。

 「香雪、文学国語のノートやってる?やってたらみせてほしいわ」

 横から声がする。

 香雪は少し明るい顔をして鞄を開ける。鞄からノートを差し出した。

「さんきゅ!ナイスすぎな。てか……お前なんか大丈夫?……あ、こないだのことまだ引きずってんのかよ。もういい加減忘れて前を向こうぜ」

 そのやり取りを、僕はすぐそばで見ていた。

 ははぁん、香雪のやつ別れたのか。

 僕は嫌みたらしく笑みを浮かべる。今日の調子がおかしいのも、そのせいか。一人で合点がいってしまった。

 今日はそっとしてやろう。

 最も僕は嫌な人間ではないので、そっとしてやることにした。

 授業が進む。黒板に文字が書かれ、消されていく。僕はノートを取ろうとして、手を止めた。

 ペンが、手に馴染まない。

「……あれ?」

 不思議に思ったが、あまり深く考えなかった。

 昼休み。香雪と屋上に上がり、ドアを開く。勢いよく風が校内へ駆ける。それでブレザーの端がはためく。屋上では空は青く澄み渡っている。心が遠くにいくような。フェンス越しに、街が遠くまで見える。いつもここで昼食を食べるのが二人の密かな楽しみだった。

「今日はなんだか寒いね。こないだまで暑かったのに、」

 そう言うと、香雪は少しだけ目を細めた。

「……美味しいかい?」

 その声は低く、静かで優しさを感じた。

「あ、もう食べる感じ?それなら早く食べよっか」

 弁当を広げる。香雪はあまり手をつけず、空を見ている。

「食べねぇのかよ」

 返事はない。でも、香雪は箸を置いたままだった。

 午後の授業は、やけに長く感じた。窓の外で、銀杏の葉が微細だが僅かに揺れている。風は止んできたみたいだ。

 放課後。帰り支度をして、教室を出る。

「じゃ、帰ろっか」

 そう言って歩き出す。香雪も少し遅れて、同じ方向に進んだ。

 気づくと、香雪の足が自然と神社の方へ向いていた。

 「ちょっと見に行こうよ。あの時の紅葉を」

 誰に言うでもなく、そう呟く。

 境内は静かだった。銀杏の木はすでに葉を落とし始めていて、黄色は地面に溜まり、踏まれて色を失っている。その現実離れした景色の中にツンと銀杏に実の匂いがほのかに香る。

 香雪はそんな景色を素通りし、拝殿の奥へ進んでいく。その奥で香雪が立ち止まった。

 赤い色が、視界に差し込む。ナナカマドの木だった。

 あの日と同じように、一本だけで、堂々と立っている。葉は深い赤に染まり、ところどころに赤い実が揺れていた。

 香雪は何も言わず、ただ見上げている。

 風が吹き、葉が擦れる音が、静かに境内に広がった。

「茜……綺麗だな……」

 その言葉は、僕に向けられたものだったのか、記憶に向けられたものだったのかわからない。

 香雪の肩が、小さく震えた。次の瞬間、膝から力が抜けるように、その場にしゃがみ込む。

「茜……なんで、死んだんだよ」

 香雪の声が掠れていた。僕は一歩近づく。

「香雪」

 名前を呼ぶ。でも、声は届かない。赤い実が一つ、地面に落ちる。 乾いた音が、やけに大きく響く。香雪は顔を覆い、嗚咽を漏らす。

「そうか……俺、死んだのか」

 その背中を、僕はただ見ているしかできなかった。


 冬はいつの間にか終わっていた。気づけば、朝の空気は刺すような冷たさを失い、吐く息も白くならなくなっている。春だと呼ぶには、まだ少し頼りない。それでも、確かに季節は前に進んでいた。

 私は久しぶりに、神社へ足を運んだ。茜に会いたかった。そう思うと、ここへ向かって歩いていた。

 境内はひっそりしている。風は穏やかで、鳥の声が遠くに聞こえる。冬のあいだに積もっていたものはもうほとんど残っていない。

 いつものように拝殿の奥へ進むと、一本の木が見えてくる。

 そこに立っていたのは、完全に枯れた姿のナナカマドだった。

 赤く燃えるようだった葉は影もなく、枝は細く、空に向かって骨のように伸びている。

 実もなく、色もなく、ただの樹木としてそこにあった。

 足を止める。

 あの日、あの赤さに圧倒されたことを、はっきりと思い出す。息をのむほど綺麗で、胸の奥がいっぱいになった。

 でも今は、違う。茜の死の悲しみは、確かにまだ残っている。消えたわけではない。

 けれど、それはもう、香雪を縛りつけるものではなかった。

 地面に、乾いた葉が落ちている。赤でも黄色でもない、色を失ったナナカマドの落ち葉。

 一歩、前に進む。

 足の裏で、そのナナカマドの葉がかすかな音を立てた。崩れるような、ほどけるような音。

 後ろには、誰もいない。ずっと前から誰もいない。それでも、香雪は小さく息を吸い、言葉を選ぶように間を置いた。

「ありがとう」

 声は、春の空気に溶けていく。返事はない。それでいいと思う。

 もう一度、ナナカマドの木を見る。

 枯れているのに、不思議と寂しさはなかった。役目を終えたものが、静かにそこにあるだけだった。

 もう一歩進む。

 ナナカマドの落ち葉を踏み締め、振り返る。

「ありがとう。ばいばい」

 ただ、それが言いたかった。

 私は前を向き、境内を後にした。春の風が、背中を押すように吹く。まるで落ち葉が春への芽吹きを支えるように。

 季節は、また巡っていく。

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