ジャック期待しないで(1)
「アルベルト様にはそう簡単に近づけないわ」
「エイトレンスの王太子のアルベルト様ですか?」
辻馬車の中で独り言を言った私の言葉に反応して、シャーロットが聞いてきた。シャーロットの顔は好奇心で溢れんばかりの様子だ。
「そうなの。王太子のアルベルト様と話をしなきゃならないのよ」
「氷の貴公子のお噂はかねがね聞いております!憧れのお方ですからねぇ」
シャーロットは両手を握りしめて、うっとりとした表情になった。
私たちは辺鄙な場所にある、寂れたザットルー寺院に馬車で向かっていた。歴史ある寺院だが、特に人気があるわけではなく、辺りには数世紀もの間放って置かれたようなわびしい雰囲気が漂っていた。聖ケスナータリマーガレット第一女子学院に入学してから、一度も訪問したことがなかった寺院だ。
――問題のクリスとソフィアは今頃何をしているのかしら?
私はついさっきまで車椅子で一生過ごすしかないと思っていた事に思いを馳せた。
――クリスとソフィアは私が車椅子になって、さぞ嬉しいといった様子だったわ。
苦々しく思い出しながら、クリスに駅で追われていた時のことを考えた。
――クリスが私をしつこく追いかけて、わざとあの列車に誘導したという可能性はあるかしら?まさか……。
――でも、食堂車の人たちはたっぷりと「魔力」の供給を受けていたはず。それなのに他の人が亡くなった理由は全く分からない。理解できない。
――何か仕掛けられた陰謀でもあったのではないかしら。クリスはそれを知っていて、わざと誘導していたら?まさかね。
クリスから逃げるようにして駅に向かう途中で目撃した「魔力配給馬車」のことを思い出した。確かに魔力の配給はいつものように行われていたはずだ。
だが、621人も亡くなる理由が見つからない。エイトレンスは、「魔力」を買える国なのだから。裕福な特権階級であればあるほど突然死からはほど遠いはずだ。
「着きましたよ」
「ここで待っていてくださる?すぐに戻ってくるから」
ザットルー寺院に馬車が着くと、私は御者に待っているように余分なお金を渡して、ザットルー寺院の敷地内に入った。日曜の朝だからか、寺院には思ったより多くの人が訪れていた。その中でジャックの姿を探し歩いた私は、敬虔な表情で庭を静かに歩いているジャックに出会えてほっとした。
列車事故で彼も亡くなったのだ。もう一度元気に生きているジャックに会えてとても嬉しかった。
――本当に嬉しい。
「ジャック?」
「どちら様でしょう?」
「フローラ・ガトバンよ。アルベルト王太子に至急のようで会いたいの。一言アルベルト王太子に私が会いたがっていると伝えてくれれば大丈夫よ」
「失礼ですが、アルベルト王太子と面識がありますか?」
「あるわ。フローラ・ガトバンが会いたがっていると伝えてくれれば分かるはずよ。今日の午後1時にミラコット競馬場の向かいのサロンの2階の特別室にいるわ。来るまで待っているわ」
私の記憶が正しければ、競馬場が社交場として観戦で賑わうのは来週からのはずだ。今週の日曜日は空いている最後のチャンスになる。エイトレンスでアルベルト王太子との逢瀬を実現させるには、人気のないところを狙う必要が会った。
「わかりました。伝えてみますが、お約束はできませんよ」
「えぇ、わかっています。あなたがここにいると教えてくれたのは、アルベルト様よ」
ジャックの茶色い瞳は見開かれ、驚いたように私の顔を見つめた。流行りの最先端風におしゃれにカットしたヘアスタイルの彼は、駅でスマートにシャム猫を抱いていた時と変わらず、元気な様子だ。
「あなたにアルベルトが教えた?もしや……?」
私はジャックが的外れな期待をし始めたことを瞬時に悟った。
「いえ、アルベルト様はブランドン公爵のことをまだ愛しているわ」
「おふっ……な……るほど?でも、あなたにそれを話したと?」
「そうね。話してくれたわ」
「なんとっ!」
ジャックは両手をパンと叩き、満面の笑顔になった。
――うん?なんか怖い……。
私はハッとした。食堂車の中でも思ったが、ジャックはどうやらアルベルト王太子にブランドン公爵令嬢のことを吹っ切って前に進んで欲しいと願っているようだ。ジャックは私がそのきっかけになると期待していた節がある。
「だめ!記者なんか連れてきちゃダメよ。誰にも知られたくない密会なのよ、密会!」
私はジャックが何を期待したのか分かって、釘をさした。今、ヨーロッパ最後の独身と騒がれている氷の貴公子との熱愛で騒がれて、ゴシップの大波に放り込まれるのは困る。
「わかっています」
ジャックは口にチャックをして、きらりとした笑顔で私にうなずいて見せた。ただ、シャーロット同じく、ジャックが期待に溢れた眼差しで私を見つめ始めた事に戸惑った。
「ジャック……妙な期待はダメよ……アルベルト様はまだディアーナ様にぞっこんよ。じゃあ、伝言をよろしくね」
私はそれだけ言うと、逃げるように外で待たせていた馬車のところまで戻った。ジャックが私を見つめる期待に満ちた眼差しに戸惑った。食堂車で事故の前に何が起きていたか私は思い出したのだ。周囲の人は私をアルベルト王太子の新しいデート相手としてみなしていたようだった。
――違うわ。氷の貴公子は今回の件で私にとっては同志のようなものなのよ。彼はブランドン公爵令嬢にいまだにぞっこんなのだから。
私は胸の奥が疼くような思いに駆られたが、そのことに気づかないふりをした。




