第八話
会場の観客の視線は完全に楓に集中していた。
その氷上の。楓のあまりの切なさが、見ているモノの胸をつかむ。
そして、楓は再び跳んだ。
3F+3T!
またもや、完璧なまでの技だ。
まるでそのジャンプを祈りに変えているかのようだ。
完璧で美しいその贈り物を神に捧げても、何も答えてくれない神。
まるでそんな印象を受けるジャンプだった。
もう観ている者は技のレベルなど気にはしていない。
楓の”行方”しか観ていない。
そのまま楓は片足でスパイラルに入った。
「なんという伸び・・・なんと、しなやかで滑らかなスパイラル・・・」
審査員の一人がつい呟く。
真珠のコーチ、松山も楓の演技に圧倒されていた。
しかもそれは、やはり技の凄さにではなかった。
その表情にだ。
「なんなの・・・この”切なさ”は・・・この”寂びしさ”は・・・」
観客の一人がどこかで呟く。それは皆が感じ取っていた。
”不安 ” ”寂しさ”
そんな感覚が観ているもの全員の胸に突き刺さる。
まるで、自分自身も一人ぼっちでいるような錯覚に陥る。
真珠もその一人だった。
だが、真珠の中で、ショパンの”ノクターン”は、こんな寂しく悲しいものではなかった。
「普通・・・”ノクターン”って言ったら・・この可愛いメロディーにのせて”妖精”とか”乙女”をイメージするような曲なのに・・・」
楓のそれはまるで違う・・・人生に未来があるような者の表現ではない。
明らかに楓は泣いていた。観客にはテレビカメラでズームアップでもされない限りその涙はリンクの中の楓からハッキリ見えるようなモノではない。
だが泣いているのだ。それが観客には感じられた。
その涙が観ているものの同情を誘う。
「なんでこんな”切ない”・・・まるで家に帰れない子供のような・・・・」
そんな事をつい呟いた時、後ろで蒼井が答えた。
「・・”ショパン”さ・・・」
真珠は蒼井をチラッと見た。
蒼井は楓を目で追いつつ興奮を隠すようにあえて冷静な表情を作っているように見えた。
証拠に明らか瞳がらんらんと輝いている
「作曲者 フレデリック・ショパンは1830年 20歳の時、音楽活動のため故郷ワルシャワを旅立つ。 しかし、その直後。」
真珠は心の中でショパンという人物を想像した。
「ワルシャワは革命を起こし新政府を樹立。しかしほんの数ヶ月でロシアの大群に陥落。
後・・・永きにわたりロシア帝国に属州として蹂躙されるんだ・・・」
真珠は目を見開き楓を見た。そう・・・想像したショパンが楓にしか映らなかったからだ。
「ショパンは二度と家族と会えぬまま、その短い生涯を終える・・・」
楓は大きく天を仰いだ。
「一度の視聴で感じたんだ。 楓は・・・ショパンの”望郷”を・・・」
もう会場内は楓の”切なさ”釘付けだった。
★
見入って危うく審査を忘れそうになりながら、メモを取っている審査員はその曲の解釈より別のことに注目していた。
「それにしても・・・なんという”みずみずしい”演技なんだ・・・」
松山コーチも同じように呟いた。
「普通の選手が完成された料理だとしたら・・・この子はまるで、もぎたての果実・・・」
沢山の選手を分析してきた真珠の目にも明らかに楓の滑りは異質だと感じていた。
「まるで・・はじめて見る感覚だわ・・・次に何が起きるか予想もつかな・・・・! 」
はっとして、真珠はとっさに口をつぐんだ。
気づいたのだ・・その異質の正体に・・・
体が一瞬硬直しビクッと震えた感覚だった。
背後で蒼井が興奮を抑えきれない様子を感じてとれた。
待っていたのだ。 その真珠の疑問を・・・その驚きを・・・
「そんなの当たり前でしょう・・・あの子自身、その刹那、何を踊るかなんて決めていないんだから・・・」
蒼井は冷静さなど装えず、高揚し頬が紅くそして汗まで出ていた。
まるで沸々と体の中でエネルギーが沸騰し湯気が出ているようだ・・・
長年の思いが今、実現しているのが解る。
「ずっと以前から思っていた。 フィギュアスケートは”氷上の美”の競い合い・・」
楓の演技は曲と共に佳境へ、ちいさいジャンプからスピンに入る。
「だったら、もっと思うがままに・・・
もっと感ずるがままに・・・」
スピンはやがて美しいドーナツスピンへと変化していく。望郷の思いがピークに達した。
「・・・・その感性の筆先が自由にキャンバスを描くが如く・・・・」
その言葉で真珠の感覚の中では、楓が七色の筆とともに白いリンクの中をカラフルに描いているかのように見えた。
「圧倒的表現力・・・・・インスピレーションフィギュア!! 」
蒼井の一言と同時に、楓がスピンを止めた!
汗がカクテル光線で美しく散る。
楓は両手を仰ぎ、左手を胸に右手を光り輝く天にかざした。
そして、天に向かって笑顔を見せる。
それは、天国で再び家族に会えたショパンの安堵の笑顔だった。
一瞬の沈黙。
楓はまだ、天を見ている。
やがて、・・・はぁ・・はぁ・・・と楓の息を整える声が静寂の中、響いた。
ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ!!!!
一斉に歓声が上がる。拍手も鳴り止まない・・・
観ているもの全員が感動に包まれた証拠だった。
松山は茫然とリンクの中で、恥ずかしそうに礼をする楓を見ている。
蒼井は、再び冷静を装い、口元だけでわらった。だが胸に組まれた腕の中で拳は感動と達成の喜びで強く握られ震えていた。
真珠は立ち尽くし、その場を動けない。
それはあまりにも圧倒的なレベルの差だった。
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この物語は全11話です。




