最終話
『毎朝 4時に起きた 』
始発のバスの中から見た風景を思い出す。
薄暗い朝もやの街・・・ まばらな駅のホーム・・・
『いつもダイエットで空腹に耐えた 』
技が出来るだけではダメなのだ・・・見た目もフィギュアには重要なポイント・・・
太りやすい自分の体をコントロールするため過剰な調整、ダイエットもしてきた。
例えコーチや両親に止められても自分の信念に従った。
『平日も休日もなかった 』
親友なんていなかった。 遊びに誘われてもいつも断ってきた。
寂しいと思ったことなんてなかった。
だって少しでも時間を無駄にしたくなかった。
いつでも氷の上にいるつもりでいた。
そのために、必ずポニーテールで暮らしてきた。
毎日、毎分、毎秒、その時間の積み重ねに曜日なんて関係なかった・・・
『全ては・・・・・』
真珠は最後のジャンプ ”2F”のため、右足のつま先で踏みきり
跳んだ。
お母さん、お父さん、松山コーチ、クラブのみんな、審査員、会場の観客、スタッフ
そして楓、蒼井桜・・・この会場にいる全てに人間がリンクの上のたった一人の選手、
真珠をを見つめていた。
『全ては この一瞬の”美しさ”のために!! 』
美しく、そして完璧な着氷だった。
何百回も何千回も練習したであろう、その演技は真珠の人生14年間そのものだった。
そして、曲のピリオドと共にリンクの中央で止まり大きく両手を天にかざした。
見ている者にはまるで真珠から熱気のようなオーラのようなものが出ているかの錯覚に陥る。かざした手の勢いで汗が頭上に飛んだ。照明できらびやかに光るその水滴がスローモーションで漂っているように真珠には見えた。
「はぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・」
熱い息を大きく吐いた。
『これが・・・・私の全部・・・』
天を見つめている瞳から涙をこぼれはじめる。
『・・・・・・・・終わった・・・・・・・・・』
この瞬間、真珠のフィギュアスケート人生が終わったのだ。
涙が止まらない。
ゆっくりとかざした手をおろしながら涙をぬぐった。
そして、回りをうかがった。
会場は静かだった。
『歓声も・・ない・・・か・・・』
無理もない。楓の高度な演技に比べ、難易度の高い技は皆無だった。
真珠はそれでも微笑を浮かべ見てくれた全ての人にお辞儀をした。何度も。
パチ・・・
お辞儀で下を向いた真珠の耳に拍手の音が小さく聞こえた。
パチ・・・パチ・・・
「え? 」
顔を上げ会場を見渡した
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
堰を切ったような拍手の洪水が起こる。
立ち上がっている者もいる。涙している者もいる。
目の前で繰り広げられた、たった3分30秒に凝縮された真珠の14年間の人生の演技を称えた拍手だった。
真珠は訳がわからず茫然とした。
「あれ・・・私の娘なんです。 私の娘なんです!! 」
真珠の父はまわりの喋ったこともない人達に泣き笑いながら真珠を指差して自慢した。母もうっすらと涙をためて、拍手した。
真珠は意外な数の拍手に驚き再び大きくみんなにお辞儀をして帰っていく。
★
ガン!
蒼井はリンクの壁を叩いた。
「・・・ピエトロ・マスカーニ・・・」
楓は大きく拍手をしながら蒼井を見た。
「おそらくコブタは”ピエトロ・マスカーニ”の情熱を表現したのさ。」
「マスカ・・・ ? 」
「マスカーニ。 19世紀末の作曲家さ。」
蒼井は腰に手をやって、帰ってくる真珠を見つめた。
「パン屋の息子に生まれながら音楽家にあこがれたマスカーニは幾度も挫折を繰り返し苦労の末、たった一度その実力を出し切った渾身の一曲を書き上げ、時代の寵児とまで言われるまでになったんだ」
楓は拍手を止めた。
「そして、その曲こそが・・・
”カヴァレリア・ルスティカーナ” 今の曲のことさ。
おそらく引退を決意しコブタは自分の全てを出し切ることに専念した。それが曲の持っている作曲家のオーラと見事に一致したんだ。」
蒼井の額にはうっすら汗が出ていた。その汗は興奮というより、恐怖の冷や汗と言った方が正しい。その証拠に未だに細かく蒼井は震えていた。
(自分も知らないうちにね・・・・・)
蒼井は唇をかみしめ、真珠を待つ松山の横顔を見た。
(あのコブタのコーチのなんとかって女。とんでもない策士だ。
おそらく、他のコーチもコブタの両親も全く気づいていない。
私だって今の演技を見るまでは、コブタを努力家の凡人だと思っていた。)
腰に当てている拳を再び強く握った。
(コブタは凡人なんかじゃあない。
いくら練習したところであそこまで安定感のある演技が出来るものじゃない。
あのまるでブレードまで神経が通っているようなディープエッジは天性のものだ。
おそらく、コブタは幼い頃から楓並みのセンスを持った天才だった。
だが、あのコーチはそれを封印したのだ。
理由は解る。
コブタは、異様なまでに貪欲だ。それは3Aを隠れて練習する姿でもよくわかる。インラインスケートを改造し地面で練習しようなんて普通はしない。
先を急ぎすぎ、技術とクリアにこだわるコブタをそのまま育てれば薄っぺらな技術しか身に付かない所で満足し引退してしまっていたかもしれない。
そんなコブタを上手く育てるには、本人、まわりも含めて全員に”凡人”として接し少しずつ上手くなる面白さを味あわせていったのだ・・・。
自分を”凡人”として認識したコブタは努力を積み重ね少しずつ、少しずつ・・・着実に小さな”好き”を”完璧”に変えていった。
まるで太く歴史の刻まれた桜の大木のように育ちそして、満開の花を咲かしたんだ。)
蒼井が血が出そうなほど下唇を噛んだ。
(10年・・・・コブタがいつフィギュアを始めたかなんて知らないが、
おそらく10年近く・・ずっと・・・ずっと・・・あのコーチは、まわりをだまし続けた。いつも引退ぎりぎりの決意の元で飛躍的にコブタの技術を伸ばしてきた。
たぶん今回も私が言わずとも何らかの形でコブタがもうすぐ急激な発育が来ることを伝え引退の決意をさせ、精神的に追い詰め自分の人生の悔いを残さないような演技をさせることで、本当の”表現力”を引き出すつもりでいた・・・・
私が全部言ったことは、かえって好都合だったのだ。)
★
拍手の洪水の中、真珠はリンクの出口に到着した。
松山はブレードカバーを真珠に渡しスケート靴にカバーをつけると、こらえきれず
真珠を抱き寄せた。
「先生・・・?」
「よくやった・・・本当によくやったわ・・・」
松山は真珠の両肩に手を置き真珠の目を見つめた。
松山も泣いていた。
「今の。今の”全部出す”感覚を忘れちゃだめ。」
「・・・・・でも・・・私もう・・・」
その時、楓が走ってきて真珠に抱きついた。
「コブタちゃん!! すごーい!! やっぱりすごい!! 思ったとおり!! 」
「楓・・」
その後ろから、蒼井がゆっくりと歩いてきた。その顔は怒りに満ちている。
「な・・・なんか蒼井さん怒ってる? 」
「あー先生はアル中で負けず嫌いだから・・・」
「誰がアル中だぁー!! 」
楓のコメカミをゲンコツでグリグリと閉めると ギャーと叫びながら魂が抜けたように床に落ちる楓。そんな楓を無視して蒼井は真珠をキッ睨んだ。
「このアタシに勝ち逃げなんて許さないよ」
「・・・・勝ち逃げって・・・だって、優勝はたぶん・・・・」
真珠は蒼井の言っている意味が全くわからずキョトンとした顔をしている。
蒼井は松山の方に視線を移した。
「ふん・・・上手くやったね。 アンタの作戦通りなんだろう?
才能のことも、マスカーニのことも。だが、技術の上ではまだまだ、楓の方が何枚も上手だからね。」
蒼井は完全にコーチとして敗北を感じていた。
真珠の大木のようなフィギュアスケートに比べれば、どんなに美しくても楓の演技は薄っぺらい一輪の花にしか感じない。
松山は複雑な表情を浮かべつつ真珠の肩を再び抱いた。
真珠は何のことかわからず、2人の顔を交互に見ていた。
松山は、間をおき言葉を選ぶように言った。
「蒼井さんは、なにか大きな勘違いをしている・・・・」
「? 」
蒼井は睨みつけるような表情から眉を上げた。
「私はただ・・・・・そう・・・伝えたかった。
フィギュアスケートの選手寿命というのは本当に短い。でも、その中で人生で大切なことを私はこの子に伝えたかっただけです。」
松山は優しい目で真珠を見た。
「”全力を出すこと” こと10代のこの子達において大事なことは結果じゃない。自分の力をどれだけ出せるようになるか。それが一番大事なことなのよ。」
「・・・・・・・」
蒼井は無言のまま一度舌打ちをした。そして、また睨みつけるような目で真珠を見た。
「今、この国のフィギュアスケートは完全にスポーツだ。 やれ3Aだの、4回転ジャンプだの、ポイントにつながること勝つことばかり注目する。テレビ中継に至っては、解説がうるさくてじっくりその子の演技を見せる気なんて、さらさらない。
・・・技術も勝利も大事なことさ。でもさ、本当わさ・・・・」
蒼井は誰も居なくなったリンクを見た。
会場はさすがに拍手が終わって、真珠の得点表示を待ってザワザワとしている。
「”美しさ”。 ”氷上の美しさ”を競うものなんだよ。フィギュアスケートは。
選手はみな、アンタだって、それを求めてやってるはずだ。
だが、それでも注目されるのは技術のことばかりなのは・・・結局、今の選手が見せきれてないってことなのさ・・・本当の”美しさ”を・・・
今はまだ、この国に世界のトップを狙える選手が何人もいるからいい。でもその子達がいなくなったら、またフィギュアスケートはマイナーなイメージに逆戻りしてしまうだろう。 ただでさえ続けるのに障害が多い競技だ。それにフィギュアの華はやはりアマチュア選手の演技にかかっている。」
蒼井は突然真珠の肩を掴んだ。
あまりの迫力にビクッと真珠の体が震えた。
「いいかいコブタ。 絶対に上がってくるんだ。 その”才能”を埋もれさせちゃだめだ! 」
「・・・さい・・・のう・・・?」
真珠は耳を疑った。 自分に対し初めて使われた言葉だったから・・・・
ずっと言って欲しかった言葉だから・・・・だが才能があると言って欲しかったわけじゃない。真珠の目にはうっすらと涙がにじんでいる
「でも・・・あたし・・・もうすぐ成長して重心が・・・」
松山が真珠の頭をなぜた。
「・・・・そう・・・だから私は、今まであなたに3回転を教えてこなかった。
体の感覚が変わってしまえばまた、全部やり直しかもしれないから・・・でも・・
それから。成長の落ち着いたところで全部最初から、そしてその時こそ次のステップへいこうと思っていた。きっと、あなたなら出来る。」
真珠は衣装のスカートの端を思い切り掴んだ。
『・・・・いいんだ・・・・』
涙は頬を伝い、鼻水まで出てきた。
『まだ・・・ここ(リンク)に居ていいんだ・・・・』
松山がハンカチで鼻水をふいてくれた。
その時、場内で結果を知らせるアナウンスが流れた。
{ただいまの演技の得点・・・・}
全員が電光掲示板を見つめた。
{技術点 48、10
構成点 50、80
鈴原真珠選手の得点・・・・・98,90!}
ワァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!
会場が沸く。
再び、拍手が起こった。
真珠は自分の予想を大きく超えて、構成点を伸ばした。
そして、トータルで139、4点というスコアで、楓の128点を上回ったのだ。
松山はまた真珠を抱きしめた。
蒼井は、目の前で歓喜する真珠と松山に小さめに拍手を送ると足元で失神している楓を脇に持ち上げ重そうな荷物も同時にしょった。
「じゃあね。 そろそろアタシらは行くよ。」
「え 表彰式は・・・?」
真珠の問いかけに蒼井は目をあわさず答えた。
「あたしわね。もう”銀”には興味がないんだよ。」
そう言うと、関係者通路の方に足早に去る。
真珠は蒼井に抱えられた楓のおしりを見ながら、軽く微笑んだ。
『またね・・・楓・・・・』
そして楓が、もしショートをちゃんとやっていたら・・・という事を少し想像した。
おそらく史上最高点で優勝だったろう。
でも・・・不思議だった。前ほど、その実力の差が恐ろしくなかったからだ。
真珠は拍手する観客たちをもう一度見て、そしてお辞儀した。
『いいんだ・・私はまだリンクに居られる。そこで”全力を出す”・・ただそれだけだ』
拍手は長く長く鳴り止まなかった。
その音は通路にも響き渡る。
蒼井は面白くなそうな顔で足早に歩いた。
「・・・・先生・・・・・」
失神して抱えられていたはずの楓が呟いた。
「なんだ、やっぱり失神なんてしてなかったね このサル娘! 」
楓は自分で蒼井の脇から降り、蒼井の腰に抱きついた。そして明るいリンクの方を振り返る。
「・・・先生・・・私、もっと上手くなりたい・・・もっと・・・もっと・・・」
「・・・・・」
蒼井は松山の言葉を思い返した。
そして、自分がいかに、今しか見てないことに気がついた。
楓の人生はまだまだこれからなのだ・・・・そして自分の人生も・・・
「・・・ああ。 頑張ろうな・・・・ 全力で・・・」
蒼井も再びリンクの方を振り返り、楓の頭をなぜた。
その時、楓のお腹の音が鳴った。
「そういえば・・・今日外食ですよね? なに? 松坂牛? ステーキ?」
らんらんと輝く楓の瞳にガンを飛ばしつつ舌打ちをして、蒼井は無言で出口の方に歩きはじめた。
「ちょっと、先生!! さっき言ったじゃん! 約束じゃん! 」
蒼井の後をブーブー言いながら楓がついていく
「うるさい! 」
「せぇんせぇ~!! 」
2人はゴチャゴチャと言い合いながら会場から姿を消した。
★
3月。
まだ、うす寒い朝に始発のバスが住宅街の中のバス停で待っている。
運転手は時間を気にし腕時計を何度か見た。出発時間が迫っている。
「ごめんなさーい 」。
バス停の先の信号を渡って女の子が走ってくる。
まだ春休みだけあって、今日は私服だ。バスの入り口のステップを駆け上り、定期を読み取り機に当て、チャラーンと反応の音がする。
「おはよう! なんかまた、大きくなったね」
「おはようございます! 育ち盛りですから・・・」
女の子は息をきらしながら、いつもの一番前の席に座った。
バスはドアを閉め走りだす。
カバンの中から去年のスポーツ新聞を切り抜いたファイルを取り出した。
そこには、大きく
”フィギュアスケート日本選手権ジュニア大会。歴代最高得点優勝 天才現る!! ”
という見出しがおどっていた。
その記事に写っている子は表彰台の上でバナナを持っていた。
記事を見ながら女の子は真剣な表情をした。気合を入れるためのモノなのか、いつも儀式にしているらしい。
「おお キレイだなー 」
不意に運転手が女の子に聞こえるように呟いた。
バスの外は満開の桜並木が散り始めヒラヒラとピンク色の道を演出していた。
「・・・でも桜って。せっかく咲いても散っちゃうんですよね・・・」
女の子は切ない表情で窓の外を見て言った。
運転手は聞こえなかったのか無言で次のカーブに備えてハンドルを持ち直した。
女の子はファイルをカバンに閉まった。
車内にアナウンスが響く。
{次は縦浜駅西口。 縦浜駅西口。お降りの際は忘れものにご注意ください}
女の子はボタンを押した。
バスはゆっくりと駅の脇の銀行と花屋の前のバス停にとまった。
ドアがプシューっという空気の音と共に開き、女の子が荷物を持って再び定期を機械にあてた。
「でもね。桜はまた咲く。去年より大きくキレイになってね。」
運転手は前方をぼんやりと見ながら独り言のように言った。
女の子はニッコリと微笑んだ。
「行ってらっしゃい。」
「行ってきます!! 」
元気よく、勢いよく女の子はバスを降り、駅の階段に向かった。
また 満開の花を咲かせるために。
<おわり>
「コブタの真珠」最終話を読んで頂き本当にありがとうございます。
また最後まで読んでいただいた方、本当に感謝しております。
つたない文章だとおもいますが、感想など頂けたらもんどりうって喜びますので
よろしくお願いします。 次回作も鋭意構想中です!!




