第一話
街は夕暮れ。
買いもの客と帰宅の人々で、その駅前商店街は人ごみでごった返していた。
「うわ~ん バナナとられた~」
子供の声に気づいた母親が振り返るとびっくりして子供を抱き寄せた。
遠ざかる猿のうしろ姿を見たからだ。
「きゃー さ・さる! 猿ー!!」
猿は人ごみの中をすごいスピードで駆け抜けてゆく。
人々は次々に振り返るが、サルはもうどこかに消えてしまっていた。
「こんな街中に猿がいるなんて・・・」
「迷いサルって、そういえば何年か前にもニュースにあったよね」
そんな声が聞こえると、街はまた買物と帰宅の波に戻っていった。
★
『あこがれだった蒼井桜選手が正式に引退を表明した。
近年は大会に姿を現さず、マスコミもすでに次世代のスター選手のことばかり。
あの人ような演技を世界の舞台でやることが、私の夢だった。』
フィギュアスケート全関東大会 ジュニア部門。連盟非公認ながら全日本予選の前哨戦として出るものも少なくない大会だ。
ポニーテールが優雅になびいている。
14歳の鈴原真珠の演技は佳境に入っていた。
ゆったりとした曲調の中、真珠はスピードをあげ前向きのまま全身の神経を左足かかとに集中させ、一瞬ブレーキをかけたように見えるやいなや跳んだ。
『2A +3,50』
真珠の頭の中はまるで、電卓を叩いているかのように数字のイメージが支配していた。
2回転半をキレイに回り右足の着氷も決まる。そのまま右足を使ったコンビネーション。
『2T +1、30』
これもキレイに決まった!優雅に両手を広げ成功をアピール。
『よし! 計算通り! 』
後はファイナルに向けステップで無難につなぐだけ、大技を終え真珠は少し余裕の笑顔を見せた。
「やるわね。真珠ちゃん、ジュニア選手にしたら完璧な演技だわ。」
真珠の所属している縦浜市スケートクラブの相沢コーチはリンクの際で腕組みをしながら感心していた。真珠専属コーチの松山は持っていたレポートを相沢に見せる。
「それだけじゃないのよ。 見て、試合前に真珠が持ってきたの」
相沢はそのレポートを見て驚く
「何コレ?順位予想・・・1位から10位まで選手・・・て!! 何コレほとんどぴったりじゃん! 」
その紙には、1位から10位までの選手の名と技術点と構成点の予想が書かれてあり、そのほとんどが当たっていたのだ
「あ・・・IDスケート・・・すご・・・」
相沢はそのレポートに魅入っていたが、専属コーチの松山に笑顔は無かった。
鈴原真珠は予想、いや計算通りでこの大会を優勝したのだ。たくさんの観客の歓声と拍手の中、表彰台に上る真珠。そして、その顔にも笑顔は見られなかった。
★
まだ街は静かに眠り、東の空はすこし紺色に近い青みがかっっていた。
リビングの時計は4時3分。テーブルの上には湯気が立ち上るコーヒーとトーストが二枚、ちぎったレタスとスライスされたトマト、ゆで卵も添えてある。
壁側の大型テレビは、朝のニュースだ。この時間は新人アナウンサーの練習の場なのか、読み方がどこかたどたどしい。
[さて、続いて迷い猿の続報です。先日から各地で猿を見たという人が相次ぐ中、昨日、午後五時ごろマチダ駅付近でまた猿が出現したとの情報が入りました、子供から食べ物を奪うなどの被害が出ているとのことで、警察は山から降りて戻れなくなったハグレ猿ではないかと見ていますが出現場所がバラバラで捕獲は難航している模様です]
その太い腕でコーヒーを持ったまま鈴原正則(42歳)はニュースを聞いてうすら笑いを浮かべた。
「都会でサルか・・・」
後ろの方で階段を下りる音がする。正則は椅子の背もたれに腕をかけつつ振返る
「おはよう真珠 いつも早いなぁ 」
鈴原真珠がトレ ードマークのポニーテールを結びながらリビングに入ってくる。演技や練習の時は選手は普通、長い髪はポニーテールなどにしてまとめておく。回転の時に視界の邪魔になるからだ。その分、それ以外ではリラックスするようあまりまとめない人が多いが真珠は、リンク以外でも常にポニーテールにしている。すでに制服姿だ。
「お父さんこそ 今日は早いね」
「ん? ああ たまにはな」
フィギュア選手の朝は早い。午前五時にはリンクで朝錬があり、その後直行で学校に行くと帰りにまたリンクに戻り帰宅は夜十時近くになる。学校の時間もあるが夏休みでも昼間は一般客がリンクを使っていることが多いため、しっかりと練習をするのにはそういう時間割になるクラブが多いのだ。
キッチンの明かりも点けず真珠は冷蔵庫から牛乳をだしグラスにそそぐ。
「朝メシは? 食べていかないのか?」
おそらくテーブルの上に載っている食事は自分ために正則が作ったものだ。一瞬ためらいながらも、真珠は牛乳を一気に飲み干した。こういう時の正則は何か嫌な話をする前兆なのだ。
「ごめん。いらない」
牛乳が口のはじに少しこぼれた。拭くものを探しあたりを見回す。はやくこの場を出たい。
だが、正則は持っていたコーヒーをゆっくりとテーブルの上に置き、唐突に切り出した。
「真珠・・・そろそろ潮時じゃないか? 」
キッチンの手拭で口を拭いていた真珠はその言葉に動きが止まる。
「才能のいる世界だし・・・残れる子はお前の年には7級を持ってるそうじゃないか」
リビングに点いている明かりが真珠の背中だけにあたって真珠の表情は見えない。
「来年は受験だ。お前は頭も良いんだし、スポーツなら学校の部活でも充分じゃないか・・・それともまだ続けたい、特別な理由でもあるのか?」
正則はバツの悪そうな表情で語る。
真珠は持っていた空のグラスをギュッと握りしめた。
「太るから・・・・」
「あ?」
以外な返答に正則は固まる
「私、将来絶対太るから! お父さんもお母さんもおじいちゃんもみーんなデブだし!今の内に”氷上の美 NO1っていう称号が欲しいのよ!! 悪い!? 」
真珠は怒りの表情で正則をにらみつけ、グラスを流しに置きドスドスと歩きリビングを抜けワザと大きく音が出るようにドアを閉めた。
「デブ・・・・」
正則は固まったまま呟いた。
★
始発のバス。 さすがに乗っているのは真珠だけだった。窓には10月も終わりに近い誰も歩いていない早朝の住宅街が流れていく。真珠はボーっととそれを眺めながら、幼い頃のことを思い出していた。
あれは何歳の時だったか。ちいさい時テレビで見た冬季五輪だった。
天才、蒼井桜・・・あの息をのむ
[ショパン 第二番変ホ長調 ノクターン]
生まれてはじめて鳥肌がたった瞬間だった。
『この人みたいになりたい! 』
私はすぐに両親にせがみフィギュア教室に通い始め、必死に練習をした。
でも物覚の悪い私はついていくのが精一杯。転ぶ回数も一番多く、いつもみんなに笑われていた。
だから私は・・・”考える”ことにしのだ。
学校にいるときも、家に帰ったときもフィギュアスケートのことを必死に勉強した。何冊も本を読み、何回もビデオを見た。
ディープエッヂとは何か? 美しいポジションとは? 要素の配分は? どうしたら試合で点がとれるのか? どうしたら勝てるのか?
どうしたらあの蒼井桜のようになれるのか・・・・
・・・でも、そんな努力をよそに、ノービスを卒業するとき言ったコーチの言葉は・・・
「え? 真珠ちゃんも進級テスト受けるの?」
気づくとバスは降りる停留所のすぐ近くまで来ていた。あわてて真珠は”次止まります”のボタンを押した。
★
リンクはコーチもまだ来ていない時間。最近はこっそり暗証番号を教えてもらった関係者口から入ることにしている。更衣室に直行し練習着に着替えシューズの紐を縛る。腕や足など柔軟運動を軽くしながらいつも通りスケートリンクのドアを開ける。
シャゴッ!
真珠はまだ、明かりもついていないリンクの中で、誰かが先に滑っていることに気づく。
いつも自分が一番乗りなのに、こんなことは初めてだ。とりあえず証明のスイッチを入れに行こうとしたとき薄暗い中で先客がジャンプを跳んだ。
『3F! 』
暗くて良くは見えないが着氷は決まっている、そして間髪入れずジャンプが続く
『3T!! 』
また キレイに着氷した。真珠はリンクのへりにかぶり付いた。
『3F+3Tのコンビネーション 基礎点9,50の大技。 ウチのクラブにシニアレベルのこんなコンビネーションジャンプを跳べる人がいるなんて・・・しかも 上手い! 』
真珠は先客の正体が気になった。もし同世代なら協力なライバルだ。
バリン!
自分も中にリンクに入ろうと入り口に近づいた時、誰かの忘れ物か、落ちていたシューズのブレードカバーを踏んで割ってしまい大きな音をたててしまった。
その音に気づくと先客はびっくりたように真珠とは反対方向に逃げていく
「え? ちょっとあなた・・・」
真珠が慌てて声をかけるがもうリンクの外にいるようだ。
そのとき、ぱっとリンクが明るくなる。
「あら 真珠 おはよう いつも早いわね」
松山コーチや相沢コーチが他の生徒たちと共にリンクに入ってきたのだ。
真珠は必死に探すがもう先客の姿は見当たらない。
「あ、あの今、私以外の人 見ませんでした?」
「何それ? 幽霊?」
「コワーイ」
コーチたちは意味がわからないようだった。
真珠はゆっくりとリンクの回りを見回しながら歩くと、また何か踏んだ。足元を見るとバナナの皮を踏んづけていた。
「なぜ、バナナの皮がこんな所に・・・」
拾いあげるてゴミ箱に捨てた。
★
小さい子がどんどんリンクに入る中、真珠は念入りに柔軟体操をする。
「いよいよ ブロック予選ね」
松山コーチがグランドコートのポケットに手を入れながら真珠に近づいて言った。
ブロック予選とは、全日本ジュニア選手権の一次予選のことで、地方ごとにブロック分けされておりその上位成績者が二次予選の東日本ジュニア選手権か西日本ジュニア選手権に出られる。更にそこで上位何位かに入るか特別枠で推薦されると、全日本選手権に出られるのだ。世界を目指す位置に行くにはこの大会で勝ち抜くことは必須条件であった。
真珠はコートのポケットに入れてあった紙を松山に渡した。
「先生、これ明日の大会の予想です。」
真珠は柔軟体操を続けながら話した
「112点。 他選手の個々の上達率、傾向、実力など加味してみて予選では112点取れば優勝できますから。」
真珠に表情はない。変に表情を出せば会話が続いてしまう。早々と柔軟体操を終えコートを脱ぎブレードを外し、リンクに一歩入た。
「すごいね 真珠。 やっぱり学校の成績も良いんでしょ?」
真珠の想いもよそに松山は会話を続けた。”来た”真珠には松山からこんな話が来ることがわかっていた、だからここしばらくは必要以上に松山と会話をしたくなかった。
「もったいないよ・・・こんなに、その・・・勉強や研究に才能があるのにフィギュアばっかりやってたら・・・」
松山も下向きで真珠にもらった予想を見ながら話している。たぶんつらそうな顔を見られないようにいているのだ。
真珠はこわばった。口をつむぎ、目を力いっぱい閉じて我慢した。だが爪が手の平を貫きそうなほど拳に力が入っている。要するに今朝、父親にされた話と同じ内容だ。
『お前は才能がないからさっさと辞めなさい。』
親からもコーチからも認めてもらえない。そして今まで人一倍頑張ってきた”考える”ことさえも今、否定されているのだ。14歳の真珠にとって耐え切れない台詞だった。
「わかりました。 もし今度の大会優勝できなかったら私・・・・フィギュア辞めます!! 」
松山に背を向けたまま真珠は切り札のようにその言葉を吐き出した。
この宣言をすれば、とりあえずしばらくはこの耐え難い台詞から逃れられる・・・
と思っていた、だが言った瞬間に深く後悔も襲ってきた。
「え、 真珠!! 私そんなつもりで・・・」
真珠は松山の言葉をそれ以上聞かず練習を始めた
松山は予想の紙を思わず握り締めていた。大きなため息をもらす。やりとりを聞いていた相沢コーチが急いで松山の元にきた。
「バカ 何も大会前にあんな事言う必要ないでしょ!!」
相沢は真珠の気持ちを察して完全に怒っている。
「だって、あなたにだってわかるでしょう・・・」
松山は悲しそうに、握りしめてくしゃくしゃになった予想の紙をのばした
「あの子はもう”伸びない” 一歩手前まで来てる。 だったら今のうちに、フィギュアを大好きなうちにキレイに終わらせてあげたいのよ」
伸ばした紙を丁寧にたたんでポケットに入れた。相沢も大きく鼻息をだした
「残酷だよなフィギュアスケートって・・・小さい可能性にかけるには金がかかりすぎる。そして大切な10代の時間も根こそぎ使ってしまう。そのくせ世界の舞台に出られるのは、ほんの10数人、1大会に2人か3人・・・才能の無い者は去るしかない・・・」
リンクの中に真珠も含めてたくさんのスケート靴の出す氷を削る音がこだましていた。
★
生徒たちのじゃれあうようなザワメキが、いつものように聞こえつづけている。
校庭では様々な部活が準備をはじめた。
放課後。
真珠は前から二番目の窓際の席で居眠りをするように腕組みを枕に机に頭をもたげていた。窓の外でトンビが一羽、遠くの空で旋回していた。この辺には割りとおおい。窓越しの空を見ながら呟いた。
「私に・・・いったい何が足りないんだろう・・・」
もう何年も何回もこの言葉を真珠は頭の中で囁きつづけていた。
だんだんと生徒が教室を出て行く。真珠もだるそうに腰を上げ鞄を肩にひっかけた。
『世界大会デビューはあの時見た蒼井桜と同じ”ノクターン”て決めてたのにな・・・』
オレンジが強くなった午後の光が廊下を照らす。みんな楽しそうに忙しそうに下校や部活をしている。今日は特に足が重い。親からもコーチからも”選手生活はそろそろ終わりだ”と引退勧告を渡されたのだ。
真珠だって一生氷の上で生きていけるとは思っていなかった。でも真珠にはまだフィギュアスケートの中で納得というものをしたことがなかった。こんな形で、まわりにじわじわと締め付けられながら、まるでタイムアップが来るように辞めることは絶対にしたくなかった。
トボトボ歩いていると一年の時担任だった国語の小粥先生が帰りの挨拶をしてきた。
さばさばとした男っぽい先生だ。
「さよなら 鈴原! あ、そういや明日大会なんだって? 先生も見に行くからな気合入れていけよ。」
小粥先生はニンマリとしがら鈴原の肩を抱いて激励した。真珠は自然とため息が出てしまった。真珠の様子に小粥は気づいた。
「どうした? 怪我でもしたのか?」
「先生・・・才能って何なんですかね・・・・」
唐突な質問に小粥先生は言葉に困った。
「えっ、えっとー お前突然難しいこと聞くなぁ んー」
口元に手をやり目をきょろきょろさせばがら小粥先生は考えていた。真珠は質問したにもかかわらず返答にまるで期待してなかった。すみませんと言って帰ろうとしたとき、小粥先生は返答した。
「一口には語れんが、才能なんて変に追い求めるもんじゃないんじゃないか? 要は結果でわかることだからな。それに昔から”天才”なんて呼ばれた大抵の偉人たちは、その才能のため変人、偏屈扱いされて幸せな人生なんて送ってないってのが常だし」
真珠にはその言葉の意味がよくわからなかったが、才能を持っていて苦労するなら喜んで苦労してやると思った。真珠の目は自然と伏し目で廊下を見つつ歩きだした。
「・・・どーも」
小粥先生はその姿を見て頭をかいた。
「うーん、あえて言うなら、才能ってのは奇抜な・・・その・・・」
小粥は閃いたように壁をたたいた。
「うん! 凡人の予想を裏切ることなんじゃないのか?」
真珠は足を止め、目を見開いた。振り返り小粥先生に深々とおじぎをした。
『予想を裏切る! 』
何かが閃きそうな感じ。真珠の頭の中はピカピカ何かに照らされたような感覚だった。
★
10月の夕方は早い。西の空がだいぶ赤くなり始めていた。
明日は予選なので、夜の練習はせずに体を休ませることになっていた。久しぶりに家まで直帰する通学路を真珠は呪文のように呟きながら歩きつづけた。
「予想を裏切る。 予想を裏切る・・・」
さっきはあんなに、ひらめいた気きがしたのに、全然答えが見つからない。逆に悩みはじめてしまった・・・
「予想ってどうやって裏切るの?」
一瞬、また小粥先生に聞こうかと立ち止まってしまった。そこは木の多い森林公園の前で歩道の前は腰の高さ程のつつじが50メートルほど続いていた。
その時、足元でガサガサとつつじの茂みから聞こえたと思ったら突然!!
にゅっと手が現れ真珠の左足をつかんだ。 真珠はとっさに左足の方の茂みを見た。そして目を見張った。
顔の上につつじの葉がたくさんついた、泥だらけのサルと目があった。
「ぎゃー!! サルー!!!!」
真珠は大声で叫び、サルの手を振り払いその場から逃げ出した。
「ま、待ってぇ~」
真珠は大きく口を開けたまま立ち止まった。”待って?”人間の言葉だ。
「この辺りに・・・すずはら・・まじゅ・・ちゃんて人すんでいませんか?・・」
サルが人間の言葉を話して自分を探してる?
きゅるきゅるきゅるるるるる~
倒れたままのサルのお腹から大きな音が聞こえる
「あ、あんた誰・・・!」
サルがまじまじと真珠の顔を見た。
「もしかして・・・コブタちゃん?」
サルの言葉に真珠は固まった。
(続く)
「コブタの真珠」を読んで頂き本当にありがとうございます。
この物語は全11話で構成されています。
是非最後まで、読んでみてください☆




