株式は航海のはじまり
翌朝の目覚めはスッキリしたものだった、昨日と違い普段通りの時間でリビングに向うと父親と母親が朝食を取っており僕を見かけると母親が慌ててキッチンへ向かう。
母親が僕の朝食を用意する中しばらく沈黙であったが父が口を開く
「すまなかったな祥平。確かに父さん弱気になっていたのかも知れん。まだ後3か月あるからギリギリまで就職先探してみるよ。最初条件が合わなかった先も、もう一度聞いてみる…」
「…。父ちゃん僕もごめんなさい。多分半年とかずっと悩んでいたんだよね?俺も俺で出来ることやるから」
そう言うと父親と母親の表情は明るくなりうんうんと頷く。
黒崎さんの話が無かったら素直にというか希望も無く、正直何を聞いても悪態をついただろう。
昨日、放課後の話の後黒崎さんから一冊の本を渡された。
パソコンデスクに置かれた使い古された本は付箋があちこちに貼ってあり、中身を開くと所々にマーカーや書き込みがある。
本の表紙カバーは裏返されて真っ白な面だったので何の本か解らずカバーを取る。
「証券外務員2種テキスト?」
「そう、私のお古だけど最短で勉強するには最適よ。株の取り引きを業務として行うには証券外務員の資格が必要なの。もっとも個人の取り引きなら必要は無いけど株式やその他の基本的な知識を最短で得るにはうってつけの本だわ」
「えっ?最初は勉強ですか?」
「勉強というかルールブックみたいなものね。知らないスポーツやるのにいきなり実践でやっても失敗するわ。ましてや株取引には素人、玄人なんて関係ないし手加減なんて絶対にしてくれない。弱者が飲まれて富を奪われるだけよ」
「えっ?そんなおっかなビックリな世界なんですか?」
「おっかなと言うか株取引は誰かが得をしたら必ず誰かが損をしている富の奪い合いよ。小学校の時にじゃんけん列車をしたこと無いかしら?」
「あー…。負けたら勝った人の後ろに着いてくてやつですよね」
「そう。あれと同じ。勝つ人は沢山の列を得、負けた人はそれに飲み込まれる。列が人でなくお金なの」
「うーん…」
正直いまいちピンとこない。
「まぁ今は解らくて良いわ。とりあえずその試験に1週間で合格しなさい」
「1週間ですか?そんな今見たばかりの本で、しかも結構分厚いし…」
「…。あなた時間が無いのじゃ無いの?」
「あっ…」
父親は3か月後にクビになってしまう。再就職が決まらなければ、そのまま福岡行きだ。
「確かに…。そうです」
「聞き慣れない言葉や用語も多くて大変だと思うわ。ただ試験に合格するのでは無く内容を理解して欲しい。そうじゃないと意味が無いわ」
「内容を理解ですか?」
「そう。試験に合格するだけなら丸暗記でもすれば良いわ。でも大事なのは理解すること。株の仕組みそのものや取引の種類、市場の在り方もろもろよ」
「そもそも株って何なんでしょうか?」
「いい質問ね」
黒崎さんが某有名経済評論家にダブった。
「株の起源は諸説言われているけど古くは大航海時代に遡るの。当時はインドへ行って黒胡椒を持って帰ると億万長者に成れたそうよ。でも誰でも行けるわけじゃない。大航海時代とは言え遠洋に出て帰って来れるのは僅か。船を沢山持っているのは貴族中心だし優秀な航海士を抱えているのは一部よ。赤間くん、あなたインドへ行って帰ってくれば億万長者と解っていたらどうする?」
「もちろん行きたいです。でも船も無いし、当時で言えば航海技術もありません」
「そうね。仮に航海技術があっても船もお金も無いわ。だから資金を募るの。それに使われた方式が株なのよ。仮にあなたがインドへ行った経験のある航海士としたら自分をプレゼンすることで資金を募れる。当時で言えば貴族かしらね。貴族以外にも商人などに資金を募り集めていくの、自分を銘柄として」
黒崎さんは株や投資のことになるとどうやら熱くなるようで僕の周りをすたすた歩きながら語る。
「もちろん報酬は黒胡椒。出資した額によって報酬をわかりやすく返金できるように1口幾らと表示することで更にあなたは出資を増やすことが出来る。これが株の方式よ」
「なっ、なるほど」
と言いながらも若干理解が追い付かなくなる。
「そんな時インドへ10回以上行った経験のある黒崎という航海士が同じ場所で資金を募ったらどうかしら?」
「赤間航海士は資金集めが出来なくなります」
「そうね。出資は止まらないとしてもあなたの価値は落ちるでしょう。これが株よ。黒崎航海士の出資、つまり株価はうなぎのぼり。一方赤間航海士の株価は暴落よ、報酬を黒崎航海士より増やすなりしないと出資が難しくなる。」
「なっ、なるほど」
今度は理解できたなるほどだ。
「ただし実際は二人ともインドへ行く前よ。実際に出発して仮に赤間航海士が先にインドへ着いたと言う情報が流れたらどうかしら?」
「ぼく…、じゃなくて赤間航海士の価値が上がります」
「そう。赤間航海士に出資した株は一気に価値があがるわ。取り分も黒崎航海士より多いしね。資金がすぐに欲しい人や赤間航海士に出資しなかった人の利害が一致すれば権利の売買も行われる。これが株の市場取引ね。株価は赤間航海士…企業に対する期待値なの」
株という全く見えなかったモノがぼんやりと僕の前に姿を現す。
「株は期待値で上がり、結果で下がる。上がるのは航海の結果が解る前で帰ってきた頃には下がることもあるわ」
「えっ?せっかく上がったのにまた下がるんですか?」
「ただし結果が期待値を上回る時は更に上がるわ。赤間航海士の持って帰った黒胡椒の量が黒崎航海士の量より多かったりするとね」
「う~ん…?」
途中まで納得な展開だったがイマイチ最後が腑に落ちなかった。
「噂で買って事実で売れと言う格言が株にはあるの。今は解らなくて良いわ。とにかく試験に受かって土俵に乗って頂戴」
黒崎さんの眼差しは強かった。僕は勝手に運命めいたものを感じグッと拳を握る。
「わかりました。必ず受かります」
「受験申請はこちらでしておくわ。受験料は特別に活動費から捻出しておくから絶対受かってね」
「受験料って幾らなんですか?」
「大体1万円ね」
「1万円!?」
「だから絶対受かってね」
黒崎さんは笑っていたが目は笑っていなかった。普段は心地の良いクールな声がやたら冷たく聞こえた。
僕は家へ帰ると勉強に取り掛かる。受験勉強以来の猛勉強モードだ。
僕の手法はテキストや教科書を一通り読み大枠を理解する。理解出来なかった所だけマーカーし、そこを反復してまとめつつ問題を解いていくという流れである。
幸いにもテキストには既に黒崎さんのマーカーや知らない語句の解説が書き込まれていて、すいすいと頭へ入っていく。
他には毎日前日のNYダウの価格と日経平均株価と1ドル幾らかの為替を朝の9時と11時半と15時に見て書き留めるように言われていたので勉強と並行してノートやメモ帳に記載をした。
一週間後…。
僕は一週間後の放課後3年生の黒崎さんのクラスへ試験結果を聞きに訪れた。
「試験結果はどうでしょうか?」
僕は恐る恐る聞く。証券外務員は得点率70%以上で合格だ。手ごたえは十分にある。
「おめでとう!合格よ」
今度は黒崎さんの本当の笑顔で祝福してくれた。
僕はホッとするのと同時に黒崎さんの笑顔をみて改めて好きだと思った。またいつかチャンスがあれば告白したい。
「部活では無いけど一応投資研究部という名目で活動しているの。よろしくね赤間くん」
「はい!よろしくお願いします」
「なになに~梨沙のカレシ~?」
二人きりと思っていた教室に突然現れた黒崎さんの友達?同級生の女の子が話しかけてくる。そうか下の名前はリサっていうのか。
「部活の後輩よ。新規入部したの」
「部活?梨沙って部活してたっけ?」
「同好会みたいなものよ。非公式だし」
「ふ~ん…」
容姿からすると黒崎さんと違い少しギャルっぽい感じだ。進学校でもあるウチからすると浮いた存在では無かろうか?
「まっ…いいや先帰るね~」
と手を振り振りして去っていく。
黒崎さんは僕を少し見る。
「彼女ああみえて学年一位なのよ。東大A判定」
「えっ!?」
僕の中でギャップという名の衝撃が走る。てっきり勉強についていけなくて高校デビューした落ちこぼれレベルと思ってしまった。
「私が一度も勝てたこと無い相手。教科別では勝ったりもあるから競い合ってるうちに自然と仲良くなったの。それより投資研究部のメンバーも紹介するわ。日々のスケジュールについて伝えておきたいし」
「えっ?メンバー」
僕は黒崎さんと二人と思っていたというか密かな期待をしていたので少し驚いたしがっかりした。正直勉強の原動力になっていたのもそれがあるからだった。
黒崎さんは視聴覚教室横までスタスタと振り向きもせず歩いていく。前回と違い時間は16時過ぎくらいで少し早い。
「ごめんなさい遅くなったわ」
ガラリとドアを開けると男女一名づつがパソコンのディスプレイに向い座っていた。
「あっ、あっ、お疲れさまです」
一年生?身長150センチくらいだろうか?栗毛の小柄の女の子が会釈をする。
「お疲れ。そいつが新入り?」
男のほうは僕より背が高く、明らかに染めてるっぽい髪形に態度がでかい少しガラの悪そうな容姿である。
「こちらは古賀さん。二年生だからあなたと同学年よ。態度のでかいのは新宮。ダブりの三年生」
「ダブり言うなよ。年上なんだから呼び捨てするなよ」
古賀さんと言う女の子は再び深々と挨拶をする。男の新宮は手をヒラヒラさせる感じで正直いけ好かない雰囲気である…。黒崎さんとは全く合わないとは思うが関係が何と無く気になってしまう。
「梨沙ちゃんさ、女の子ならともかく男なんて俺の稼ぎからしたらいらないっしょ。せっかくハーレム生活だったのに…」
梨沙ちゃん…?黒崎さんをそんな風に呼ぶなんて本当どんな関係だろうかと気になってしまう。
黒崎さんはお構いなしにスタスタと奥の席に着くとパソコンを起動させる。
「三人ともそれぞれ事情があってこの活動に参加しているわ。それはあなたも同じね。そして株の取引についてだけど朝9時から11時半までが前場、そこから1時間休憩を挟んで13時半から15時までが後場で取引を行えるわ」
「えっ?思いっきり授業と被っていますが…」
「そう。だからこの同好会に入る人間は特別枠で授業を受けるの。今はスマホで取引も出来るけど、授業中にそんなことやってても集中できないしね」
「特別枠って完全に授業全部なんですが…」
「来週からは朝7時授業を開始。場所はここで大丈夫。そして9時から株取引開始、前場が終わったら4時間目の授業からは普通に出てもらう流れね」
「あれ午後?ゴバ?の取り引きは良いのですか?」
「後場は取引しない。やっていくうちにわかるけど株式は前場の取り引きが主で後場は取引量が落ちたり値動きが鈍くなるケースが多いから授業時間も考慮して前場取引のみにしているのよ」
「あっ!出来高ってやつですよね」
「そう株式の取り引きで売買が成立した量を出来高って言うの。基本的にこれが多いほうが取引に参加してる人数や金額などが大きいケースが多いから収益を上げるチャンスも多いの」
「俺は後場もやってけどね~。おいしいし時はおいしいし」
新宮先輩?はディスプレイ越しに手をヒラヒラさせながら話を挟んでくる。
「そして、それでも足りない1週間分の3時間目の授業を土曜日に来て受けて貰うわ」
「え~っ…」
思わず声が出る。土曜日に5時間授業か、せっかくの土曜日が丸一日潰れてしまう。
「確かに面倒だけど高校生活と株取引を両立させる場合はこれが限界ね。学校側の協力も必要だし。それに土曜日出るのは理由もある」
「理由ですか?」
「そう。あなたにNYダウの値段と日経平均の値段をこの1週間書き留めるように言ったけど気付いたことあるかしら?」
「えっと…アメリカなので夜?取引があってる、とかですか?」
「そうね。正確には向こうの日中取引時間が時差で日本は夜なだけだけどね」
「月曜日を基準にすると日本は世界で一番早く株取引が始まる市場よ」
「へ~そうなんですね」
「そしてアメリカの取引は日本で言う金曜の深夜に取引が終わる。それに加えて株価などに影響を与える経済的な発表が金曜日に集中してるから土曜日は結構重要な日なのよ」
「わ…私たちは土曜日の1時間目はその確認や話し合いに充ててます。授業は2時間目からです」
古賀さんの顔はディスプレイで見えないが話しかけてきた。
えっ…じゃあ実質6時間授業じゃん。
金曜日に映画やYOUTUBEを見て夜更かし。土曜日は昼まで寝るが僕のルーティンだったが今後は無理そうだ。
「他に毎日値段を見ていて気付いたことはあるかしら?」
「えっと…」
しばらく考える。多分この質問には意図があるように感じたからだ。
「あっ!絶対では無いですがNYダウが下がると翌日の日経平均も下がっている気がします。ん?日本から月曜日の取引が始まるから逆?」
「そう…
と黒崎さんが言いかけると新宮先輩が先に声を発する。
「お~っいいじゃん!」
「…。そうねいい所に気が付いたわね。それにちゃんと意識して値段を書き留めていたようね。日本株の取引している量のうち70%近くは外国人投資家やそれに準じた金融機関の取引なの」
「えっ?日本株なのにほとんど外国人が取引しているんですか?」
確かに言われてみれば日本人の個人金融資産に占める株式などの比率は2割ほどだと黒崎さん言っていたな。
「そうね。外国人と言ってもメインはアメリカ中心かしら?正確な数値まではわからないけど」
「それだけじゃないぜ。アメリカは世界一の株式市場で世界の市場規模の40%以上を占めてるんだ。ちなみに日本は暫定2位な」
「暫定…?ですか?」
「まぁ細けぇことはいいよ、おいおいな」
そう新宮先輩は言うと手をヒラヒラさせた。
「つまり日本の株式市場はアメリカの影響をかなり受けると言うことよ」
「なるほど…」
今までアメリカと日本はなんとなく関係が深い気はしていたが理由がぼんやりと理解出来た気もする。
株式が日本にとってどれだけ重要かはわからないが70%を握られてる感覚としたら実質支配されているのも同然では?と正直思った。
「ついでだからあなたにマンツーマンで伝えておく事があるわ」
それを聞いて僕はドキッとした
マンツーマン…
なんて感銘な響きなんだろう
「お前なんか変な期待してそうな顔してるけど普通に投資の勉強だからな?」
「いや…そんな新宮先輩じゃあるまいし…」
「あ〝?」
新宮先輩のドスの効いた声に咄嗟に謝る
「すみません…」
「赤間君は3つの三要素て聞いた事あるかしら?」
「ありません!!」
その僕の回答を聞いた黒崎さんは妙にドヤ顔であった