23:竜の終わりと日々の始まり
人々は聞いた。それは、人を遥かに超える怪物の声だった。王都の端から端まで轟く咆哮は、人々を眠りの淵から叩き起こす。
人々は見た。恐怖を圧し殺し窓を覗けば、闇に覆われた空を裂く輝ける星があった。
思わず、人々は祈りを捧げた。天駆ける銀の流星に。王都を揺るがす咆哮の主に。真なる怪物足る光の竜に。
━━━どうか魔王から王国を救ってほしい、と。
王都の直上を、銀光は尾を引きながら飛ぶ。
天空を周回して円を一つ、二つ、三つと描いた後に、流星は大きく瞬いた。それはまるで力を溜めているようだった。撓むように膨らんだ後、一際大きく輝いた。
直後、光の塊が落ちた。
雷光のように速く、隼のように鋭く、隕石のように凄まじい力で王城に突き刺さった。
少し前に聞こえた咆哮を遥かに上回る轟音が街中を駆け回る。衝撃のあまり、壁や屋根が崩れる家屋もあった。
目撃した者は皆が口を揃えて言った。"天罰"だと。
崩壊した王城は、人々がそう言うのも無理はないほどに無残な姿であった。
【いつまで死んだふりを続けるつもりだ】
思念の暴風が撒き散らされる。その源は、光の塊だ。
破砕され崩壊した王城。その爆心地とでも言うべき場所に光の塊は居た。いや、光の塊ではない。徐々に光量が下げられ、その姿を露にする。
それを一言で表すならば、細長い。直線的なフォルムの身体は銀の鱗に覆われている。首も胴も、手足も尾も、背に生えた二対の翼も全て細く長い。その細い首の先に、これまた細くかつ鋭い印象を受ける、蛇に似た頭がついている。
剣のような竜だった。肉厚な刃で叩き斬るのではなく、刃の鋭さで斬る細身の剣に似ている竜だ。
瓦礫に埋もれながら様子を窺っていた魔王ゼンド二世は、王城を破壊したのが今目にしている竜であることが信じられなかった。その全身はあまりに細く、華奢に感じられるからだ。
王城に何かが突っ込んできたのは、執務室の窓からでも見えていた。恐ろしい速さであった。瞬いたかと思えば、王城に着弾していた。見た限り、稲光よりも速かったのではないかと、ゼンド二世は感じていた。
だからこそ、信じられなかった。それほどの速さで突撃して、王城を吹き飛ばすほどの破壊力を見せ、それでもなお竜の身体には傷一つない。
衝撃を緩和できるのか、衝撃に負けないほど頑強なのか。もしも後者であるとなれば、それだけで逃亡が選択肢にあがる。
慎重に動く必要があると考えていたゼンド二世だったが、事態はそんな彼を気にせず動き出す。
「……うおぉっ!?」
突然覆い被さっていた瓦礫が除けられ、ゼンド二世は無造作に引っ張り出され、地面に投げ出される。
「手伝いなさい。」
彼の傍らに魔女が降り立った。その表情はいつになく真剣だ。
【魔女まで居たのか、なんだ、元気そうじゃないか】
魔王と魔女に向けて、竜は思念を叩きつける。
「首を斬り落としておいてよく言うわ。」
【ふんっ、ならばあそこで死んでおけ】
魔王が立ち上がる。竜は魔女から視線を外し、魔王を見た。
「よくも、……よくも我が城を!
何のつもりだ、何をしに来た!」
【……なるほど、簒奪した玉座は余程座り心地が良かったらしい
何をしに来たか、そんなものは決まっている
魔王を討ち、魔女を滅ぼす、その為に来たのだ!】
叫ぶように撒き散らされる思念の波に、ゼンド二世は思わず呻く。それでも負けじと竜を睨めば、その竜の顔に爆炎が踊った。
衝撃に仰け反った竜を魔女は笑う。
「なら、やられてもしょうがないわね!」
二度、三度と爆炎が夜を照らす。
これは倒したか、とゼンド二世が気を抜いたところを魔女は見逃さずに咎める。
「手伝いなさいって言ったでしょう!」
そう叫びながら魔女は魔術を止めどなく放ち続ける。爆炎、雷光、衝撃と轟音が辺りを満たして瓦礫をさらに細かく粉砕していく。
「何を言ってるんだ。それだけやれば十分だろう。」
「目玉を抉り取りでもしたの?
……っ、来るわ!」
何が来るのか、聞くまでもなかった。
何故なら、すぐさまそれは来たからだ。
「ゴォアアアァァァァァァァァァ!!!!!」
偉大なる竜の咆哮。
世の全てを押し潰さんとする圧力を至近で浴びたゼンド二世は、指先一つ動かすことはおろか呼吸すらまともに出来なくなった。
銀光が、ばらまかれる。周囲一帯を狙いもつけず無秩序に穿つ光の粒は、ゼンド二世の身体も容赦なく貫いた。
舌打ちをしながら魔女は攻撃の手を止めて、ゼンド二世ごと自身を防御結界で包む。
瞬間、魔女は己の失策を悟った。
竜はそれを狙っていたのだ。
眼光鋭く魔女を睨み据えていた竜の全身が眩く輝く。鉄板が震えるような音が、竜の身体から立ち上る。
「しまっ……!」
光の奔流が辺りを消し飛ばす。
魔女も魔王も、呆気なく呑み込まれた。しかし、竜は油断しない。
キロリと眼球が動く。その目は、光の中を進む何者かを確と捉えていた。
竜の尾が弾かれたように動き出す。地を這うように突き進み、人の脚より太い杭のような先端がそれの胴を貫通する。
竜が貫いたそれは魔王であった。しかも既に死んでいるのに刺し貫いていた。
罠にかかったことに気づいた竜を、間近で笑う者がいた。
「んふふ。私の勝ちよ。〔醜悪の魔剣〕!」
ぞぶり、と音を立てて魔女の携えていた杖が竜の脇腹に深く突き刺される。
魔女は、苦鳴をあげる竜に更に魔術を叩き込み、追い打ちをかける。
「内側から焼いてあげるわっ!」
魔女はそう叫び、竜に刺さった魔剣を両手で掴むと膨大な量の魔力を注ぎ込んだ。
肉の焼ける臭いが広がる。絶叫する竜を見て魔女は哄笑する。
「ガァァァァアアァァァッ!!」
竜が一際大きく吼えた。
竜の尾が鋭く振られ、魔剣を掴んでいた魔女の両腕を二の腕から斬り飛ばす。
ケタケタと笑っていた魔女の声が途絶えた。
顔面を蒼白にした魔女は見た。己に迫る竜の顎門を。
次の瞬間、魔女は竜に食い殺された。
王城跡が静けさに包まれる。そこで動くものは竜しか残っていなかった。
一声、勝利の咆哮をあげるやいなや、竜はふわりと飛び上がる。
飛び上がった竜は、一直線に南に向けて飛び去っていくのであった。
太陽が登り始め、空が赤く染まる。
夜明けが、やって来たのだ。
***
王都から馬車で4日ほどかかる位置にある山中。そこに竜は居た。
それだけの距離を一飛びで来たと言うのに竜に疲れは見られない。ただ、脇に刺さったままになっている魔剣が痛々しい。
人が滅多に訪れないそこで、竜は眠りについた。
気づけばいつか訪れた不思議な空間に私は居た。私は竜となって魔王と魔女を打ち倒し、眠りについたはずだった。覚めることのない眠りにだ。
何故、と疑問が浮かぶ。
魔剣を持たず、才能に語りかけもしなかったというのに、私は門の前に立っていた。
木々の中にビルがあり、それに並んで石造りの建物が立つ。空には飛行機が飛び、地上を魔獣が闊歩する。噴水からは水の代わりにポーションが流れ、竜の咆哮と踏み切りの遮断機の音が一緒に聞こえてくる。
不思議な空間だった。
以前来た時とほとんど変わっていない。
唯一異なるのは、私の他にもう一人、この空間に存在していることだけだ。
その人物は開いたままになった門の向こうかやって来た。
「久しぶりだな、お前さん。」
かつて、魔剣である〔明星〕を売ってくれた鍛冶屋が、気軽に門を越えてやって来たのだ。
「あん時は済まなかったな。説明すると誰も受け取ってくれなんだ。騙すような真似をして悪かった。」
そう言って鍛冶屋は勢いよく頭を下げる。
なんだろうか、文句を言う気が失せてしまった。〔明星〕には十分助けられたし、竜になったのも自業自得ではあるし、とそこまで考えて、あることに思い至った。
「なあ、お前は全部知っていたんだろう?」
「……そうだな、知ってはいた。」
鍛冶屋は苦々しいといった表情を浮かべ頷いた。認めるのが癪でならないといった様子だった。
「察しの通り、私は人ではない。
私こそが世界そのものだ。
此度の件も、知ってはいた。オーガストよ、改めて謝罪させてくれ。
私の力が足りずにお前さんに負担をかけた。申し訳ない。」
そう言って鍛冶屋は再び頭を下げる。そうした上で、鍛冶屋自身には何も出来なかったのだと、口にした。
「お前さんがどんな話を魔女に聞かされたかは知っている。あれは嘘だ。だが、まるっきり嘘ってわけでもない。
魔女は真実をそのまま口に出来ない。そういう呪いがかかっていた。」
鍛冶屋は話しながら、門の向こうから椅子を取り出した。門の向こうに椅子は無かったと言うのに。
長くなるからと、椅子に座るようこちらに促して鍛冶屋は椅子に腰掛ける。
「なるべく短く済ませるつもりだ。話すのは得意じゃない。
私からお前さんに話すのは三つだ。
一つ、魔女の成り立ち。二つ、この世界の話。三つ、お前さんにしてほしいこと。
全部関係し合っているから順に話させてくれ。」
「……分かった。聞かせてくれ。」
まだ何かさせるつもりかと思うと、少し苛立つが、ひとまず聞くだけ聞こうと思った。
「まずはあの魔女の話だ。
あの魔女は自分を世界の駒だと言っていたが、そんな事実は存在しない。何故ならあの魔女は、反旗を翻した最初の魔王であるからだ。
それから、あいつは才能の設定に協力などしていない。協力した人物を知っているだけだ。」
鍛冶屋が大きく息を吐く。重々しい溜め息は、彼の内心の苦しみを物語っていた。
頭を振ると、鍛冶屋は話を再開する。
「魔女はかつての世界で生を受けた。とある王国の王女だった。
婚約者が謀反を企て連座で処分されるところで、闇と契約することによって魔王になったのだ。
その頃は勇者もいなくてな、魔王を滅ぼすために作られたのが竜だ。最初の竜は魔女の兄がなった。
酷いものだったよ。力に溺れた竜は暴走し、魔女は好き放題振る舞って、闇は着々と勢力を伸ばした。
もうどうにもならんということで、かつての世界は自壊し、やり直すことになった。そうして生まれたのがこの世界だ。
かつての世界に魔獣はいなかった。これは私たちの敗北の証だ。他にもかつての世界に無かったものは多い。勇者もそうだ。それから、才能も今のような仕組みではなかった。
やり直すために自壊しようという時に、かつての世界の魔女の妹が捧げたのが【才能】の仕組みだ。姉の不始末に対する詫びであったらしい。
かつての世界は魔術が盛んであった。中でも才覚のあった彼女が組み上げたそれは、私にとって大変都合が良かった。……まあ、世界を作り直す時に魔女の奴に細工されてしまったがな。」
鍛冶屋はうんざりした様子で天を仰ぐ。
数秒動きを止めた後、視線をこちらに戻して彼は話を続ける。
「……何で今なんだ。そんなに昔から居たならもっと前に動けただろう。
そもそも、魔女の目的はなんだったんだ?」
「いや、動けなかったんだ。世界を越えて、創造に割り込んで、あいつも力を消耗しすぎてな。
目的についてはなあ、分からんよ。もう一度世界を滅ぼうとしてたのか、何か望みを見つけたか……。
案外、死にたかったなんてこともあるかもしれんな。」
「だとすれば勝ち逃げじゃねえか。」
「そうはならんよ。その辺りも話していこう。」
ギシリと音を立て、鍛冶屋が前のめりになる。つられて私も身体を傾けた。
「魔女については話した。この世界についてもざっくりだが必要なところは話した。
では、最後にお前さんにやってもらいたいことを話す。
門を閉じてくれ。」
「……は?」
「お前さんには門を閉じてもらいたい。
勝手な話であることは承知している。だがお願いだ。才能を放棄してくれ。戦士をやめてくれ。無力な人に戻ってくれ。」
思わず立ち上がっていた。椅子が倒れる音がやけに大きく聞こえた。
「……ふざけんなよ。なんだそれは。何なんだよ!
大人しく聞いていれば、図に乗りやがって!」
睨み付ければ鍛冶屋は申し訳なさそうな目をしていた。だと言うのに譲る気はなさそうだった。
「詳しいことを隠して魔剣を寄越して!思い通りに人を動かして!その上残った力を捨てろだと!
人を何だと思ってやがんだ、てめえは!」
怒鳴り付けても鍛冶屋の様子は変わらない。申し訳なさそうに、しかし強い意思を隠さずにこちらを見ていた。
ただ、黙ってこちらを見ていた。
じっと見つめてくる瞳の昏さに、重ねてきた歳月の重みを感じてしまう。改めて意識した彼の存在の厚みに気圧される。
言葉が止まった私に、鍛冶屋は話しかける。その顔はくしゃくしゃに歪んでいた。
「お前さんを人に戻す。そのためには魔剣の放棄が必要だ。お前さんは【魔剣士】の才能を限界まで稼働させて、〔明星〕を身体と同化させている。それを分離させるには、【才能】を停止させなければならんのだ。
こうなったのは私の見通しが甘かったからだ。お前さんより前に竜となった者は二人いた。その二人とも、魔剣と同化したりしなかったのだ。
今回もそうなるものだとばかり思っていた。済まない。」
燃え上がった怒りが、静まっていくのが分かる。
〔明星〕に何かあることは分かっていたのだ。竜になるとまでは分からなくとも、リスクがあることは承知の上だった。それでも振るっていたのだ、自分の意思で。
力が抜ける。べしゃりと地面に尻餅をつく。
もう私は怒れなかった。私も見通しが甘かったのだ。
鍛冶屋はおもむろに立ち上がると、門に近づいていく。ゆっくりと、話しながら。
「魔女はまだ生きている。竜に食われたくらいでは死なんのだ。
そして、魔女はここにいる。ここはお前さんの腹の中だ。本当に腹の中に存在するわけじゃないが、魔女だってそういうことから飛び出した存在だ。」
鍛冶屋が門の前に立つ。
門の向こうに手を伸ばし、何かを引きずり出す。
首元を掴まれ引きずり出されたそれは、血に塗れ、手足が失われていたが、確かに魔女のようである。
そのまま無造作に放り投げられ、魔女は地面を転がった。雑に扱われているのに魔女はピクリとも動かない。
「お前さんが門を閉じる時にこれを放り込む。閉じられた門と私の間に存在する無窮に封印するわけだ。こいつを放り込んで門を閉じればもう出てこれん。」
「門を閉じた時、ここにいるあんたはどうなる?」
「接続が切れた時点で消失する。残ったりしない。安心してくれ。」
「そうか……。
……門を閉じよう。」
言葉にすると覚悟が決まった。
立ち上がり、門に近づいていく。
門の前に立ち、しげしげと眺める。
思えばこうしてじっくり見るのは初めてだ。そして、これが最後になる。
そう思った途端に身体がうまく動かせなくなった。怖いのだ。指先が震え、膝が笑う。覚悟を決めているはずだと言うのに、才能を喪うことが恐ろしい。
口はパクパクと開くだけで声にならない。
どれだけの間立ち尽くしていただろうか。
いや、ほんの数秒だったかもしれない。だが、私には万倍にも引き伸ばされて感じられた。
『門を開いたからとてそれに縛られる必要はない』
背後から声が届き、時間が動き出す。
『門を閉じれば、お前の全てが無に帰すのか』
凍えていた指先にまで、熱い血潮が巡って行くのがはっきりと感じ取れた。
『お前の剣はどこにある』
そうだ。才能は行動を制限しない。才能があるから出来るのではない。鍛練を積み出来るようになったから出来るのだ。
忘れていた。
大事なことを。魔剣士だから冒険者オーガストなのではないのだ。己の剣を定めていたから冒険者オーガストであれたのだ。
『思い出したか、オーガスタス』
「……爺さん、助かったよ。」
『よい、孫は世話をかけるものだ』
爺さんが近くにいることは分かる。だが、そちらは向かない。
顔を見せるのではなく、背中で、行動で成長を示したかった。
『剣が折れ、万策尽きようと、死ぬまで戦いは続く
己の剣を示せ、オーガスタスよ!』
裂帛の気合いを込めて門を閉じる。
ここは私の中、これは私の力なれば、肝要なのは成功を思い描くこと!
「オ、オオオォォォアアァァァァ!!!」
手が触れなくても動かせる。届かずとも捕まえられる。それはそうだ。全てが私の心の中。思い描いた通りになる。
ズズゥン……。
門が重々しい音を立てて閉じられる。最後に閂がかかり、完全に閉鎖される。
振り向くとそこには誰もいない。
世界も魔女も、我が師匠も。皆が姿を消していた。
それこそが成功の証。寂寞と達成感とが同時にやって来る。
ふと、『よくやった』と、滅多に人を誉めない爺さんがこそばゆそうに呟いた気がした。
ゆっくりと、だが確実に意識が浮上していく。
傷を負った。愚かさの代償を支払い、大切なものを失った。だが、それでも生きている。
生きていくのだと決意を新たにし、光の射す方へ向かって行く。
その先に確かな明日があると信じて。




