悪夢のような日々1
それから暫くして彼女からショートメールが届いた。
彼女の空いている日程と、今上映中の映画のリストだった。
映画は解らないから彼女に決めさせて、時間は俺が仕事を早く切り上げることで調整した。
「離人さん!こっちです!」
彼女は少し離れた場所で手を振る。
「何もそんなに手を振らなくても……」
「すいません……つい……。」
いつもの仕事終わりの服装とは別に彼女はジーンズに薄手のハイネックの上にシャツを羽織るラフなカッコで、後ろに無造作に縛られた髪が何だかより幼さを際立たせて見えた。
そんなことを考えつつ彼女の装いを眺めていると
「……」
「なんですか?なんか変ですか……?」
彼女は自分の姿を見直して不思議そうに俺の顔を覗いた。
「いや……いつもと雰囲気がちがかったからつい……な。」
「離人さんも……ですね。」
言われて自分の格好を客観的に眺める。俺はラフなスラックスにTシャツ、柄の入ったシャツを羽織っている。あまり普段着というものを持っていないせいもあり若干ガラの悪そうな格好にも見える。まぁ、彼女に言われてみれば確かに俺もいつも仕事帰りの服装が多かったせいか彼女と会うときはスーツや作業着が多かった。
「まだ少し時間があるからお茶してから行きません?」
「ああ。」
近場の喫茶店に入りcoffeeを頼む。
「離人さんcoffee好きですよね……?」
「あぁ、別に好きな訳じゃないが何となくな……。」
「私、coffeeは苦くて苦手です。」
「子供なんだな。」
口の端を上げてそういった俺の顔を見て彼女は少し頬を膨らます。
「子供じゃないです!」
「でも、飲めないんだろ?」
「飲めなく無いです!苦手なだけです!」
それから彼女が選んだ映画を見る。
彼女が選んだ映画はそんなにメジャーな映画ではなかったのか観客は劇場の半数ほどだった。
映画が終わり外に出ると彼女は少し伸びをしながら振り向き首を傾げる。
「どうでした?」
「あぁ。良かったんじゃないか。」
「なら良かった。」
彼女はそう言って満足そうに微笑んだ。
「これから仕事か?」
「いえ。今日は休みなんです。」
「そうか。飯でも食って帰るか?映画に誘ってくれた礼に奢る。」
「じゃあ、そうします。」
車までの道のり映画のここに感動した。なんて話をしながら彼女は歩く。
俺はそれをただ相槌を打ちながら歩く。
「離人さん何食べたいです?」
「俺は何でもいいから、澪さんの好きなものにしたらいい。」
「離人さん……私の事、さん付けで呼ぶのやめません?年下なのになんだが変な感じです。」
「あぁ、君がそれでいいなら。」
「はい。そのほうが良いです。」
車に乗り目的地もなく街なかを走らせていると彼女は窓の外に流れる街並みを見つめながら
「何処かゆっくりできる場所が良いですね……。」
と呟くように言った。
「じゃあ、個室のある居酒屋か?」
「はい。そんな感じのとこが良いです。」
「俺の馴染みの店でいいか?」
「はい。」
暫く車を走らせ店から少し離れた駐車場に停める。そこは古びた居酒屋だが何処か西洋風の雰囲気を醸し出す。その居酒屋は俺の昔なじみの店でニ階には個室もあり配膳用の小さな昇降機がある。ニ階から内線で注文をするとそれに乗せられて注文品が届く。
個室を借りて注文の度に会話を切られることはあまり好きじゃない俺にとってはだいぶ合理的なシステムだろうと思う。
店に入り厨房に居るおやじにレジ脇から顔を出して声をかける。
「おやっさん。ニ階空いてるか?」
「ああ、空いてるよ。好きに使いな。」
「ありがとな。」
彼女を案内しながらニ階へ上がる。
「離人さん。なんか不思議なお店ですね……。」
階段を登りながら彼女はあたりをキョロキョロと見渡す。
「あぁ、おやっさんがちょっと変わっててな。まぁ、くいもんは美味いから安心しな。」
「とりあえず飲み物……と、澪さ……澪は何にする?」
俺が慣れない手付きでメニューを澪に向かって差し出すとクスクスと澪が笑う。
「呼び捨て……馴れませんか?」
「あぁ、まぁな。澪、何食べる?何か食べたいものはあるのか?」
「そうですね……離人さんのオススメは?」
「そうだな……ココは大体のものはハズレないが、魚が嫌いじゃなければ刺し身や煮付けも美味い。
変わったトコだとここら辺もなかなか美味い。」
そう言って俺はまず居酒屋にはあまり置いて居ないであろうパスタやグラタン、ドリアなどが書いてある場所を指した。
「……! ラザニアがある!」
暫くメニューをあちこち眺めていた澪が一点に目を落とし赤ら様に瞳を輝かせる。
「頼んだらいいんじゃないか?美味いと思う。」
「じゃあ、コレにします!」
澪はラザニアを頼み、俺は定番のカマ焼きを頼む。
「澪、酒は?」
「……お酒は嫌いなのでいりません。仕事以外では飲まないんです。」
「そうか、俺もだ。」
“チン”
食事が運ばれてきて昇降機の音がなると澪は興味津々な顔でこちらを見た、
「面白いですね。」
「ああ……コレか? おやっさんがニ階まで運ぶのが面倒だ……ってな。」
運ばれてきた料理をテーブルに置き昇降機を下に戻す。
「……! 美味しい!」
「だろ?おやっさん、こんな店やってるけど、もともと洋食屋のコックだったんだ。」
「ココ、よく来るんですか?」
「いや。たまにな……。」
「へぇ〜。」
そう……たまに。ここのおやっさんには昔お世話になったことがある。
だからたまに顔を出す。
“コンコン。”
「失礼するよ。」
引き戸を開けて入ってきたのはおやっさんだった。
「なんだよ。珍しいな上がってくるなんて。」
部屋に入って来たおやっさんにそう言うと、澪は優しい笑顔をおやっさんに向ける。
「こんばんは。コレ、とっても美味しいです!」
「おう。ありがとな。
お前こそ珍しいじゃねーか誰かと来るなんて……。」
おやっさんはちらりと澪に目をやると俺の方を見て含みをもたせて笑う。
「なんだよ……。冷やかしに来たのか?」
「いやいや……そうじゃねーんだよ。 最近こいつの調子が悪くてな……。」
そう言っておやっさんは昇降機の方を指さす。
「あれ?さっき下に降ろしたんだが……降りてなかったか?」
「あぁ、やっぱりか。上手く反応しねぇ時があってな。」
「多分、接触の問題だろうな……今度、ウチの機械屋連れてくるよ。見てもらいな。」
「あぁ、ありがてー。よろしく頼むわ。」
そう言って何度か昇降機のスイッチをいじると“邪魔したな”と言い残しておやっさんは降りていった。
「ほんとに美味しい……。」
澪はラザニアを半分ばかり食べ進めると少し食べるスピードを落とした。
「?……どうした?」
「いえ。美味しいんです。 ほんとに……ただ、あまり食べられなくて。」
「食が細いのか?」
「えぇ。」
「気にするな。無理して食う必要はない。 残したからと言ってまずい……ってことにはならんだろ?」
「……ありがとうございます。」
俺の言葉に数秒考えて少し申し訳無さそうに笑顔を浮かべる。
「別に気にしなくていい。それと、敬語も使わなくていい。」
「わかりました。も、敬語だね……。」
澪ははにかんだように笑う。
「そうだな。まぁ、澪がなれるまでは自分の話したいように話せばいいさ。」
「ありがと。」
澪とこうして長い時間過ごしたのはこの日が初めてだったが、なぜか不思議と力が抜けて俺は俺のままで居られた気がした。