小さな約束1
仕事を終え、帰り支度をしてさっさと家路につこうとした時だった。
「なぁ、離人さ〜ん。飲みいこ〜ぜ〜。」
「イヤだ……。お前、俺が酒嫌いなの知ってて言ってるよな?」
「あぁ。知ってる〜。」
聖也はそう言ってニヤリと笑いながら俺より頭一つ分でかい図体を俺に凭れかけてくる。
コイツもまだ若いが、組に入ってからというものオヤジが何かに付けて俺にくっつけてくるもんだからそのうち懐いて何かに付けて俺の後をついてまわるようになっていた。
「なぁ〜兄貴だろ〜。俺より歳上だろ〜。連れてけよ〜。」
「調子の良いこと言いやがって……お前は俺の上司だろうが……」
そう言うと聖也は何かを思い付いたかのように手を叩く。
「よし!解った!上司命令だ!俺を飲みに連れてけ!」
そう言った聖也の顔は満足そうにしてやったりという顔で目を輝かせてこっちを見て笑う。まるで大型犬が遊んでほしくてブンブンと尻尾を振っているような光景だ。
「はぁ……。解ったよ。車回すから前で待ってな。」
「やりぃ!」
聖也の押しに根負けした俺は会社の前に車を回し聖也を助手席に乗せる。車を走らせて暫くすると聖也は唐突に真剣な顔で話しかけてくる。
「なぁ、離人さんはさ……なんでこんな事してんの?離人さんぐらい何でもできたらさ、普通に働いてたって生活できんじゃん。俺はさ……ほら、バカだから。腕っぷしと度胸ぐらいしか取り得ないからさ……。」
聖也は窓の外を眺めながら手元でジッポの蓋を開け閉めしてカシカシと音を立てる。
「別に……俺だって初めから何でもできたわけじゃないさ。たまたまオヤジに拾われたってだけだ。」
「ふぅ〜ん。でも……離人さんはさ、組員じゃないよな?アイツらの中には組員でもない離人さんがオヤジに可愛がられてんのよく思ってない奴らだっているしさ。なぁ!いっそ組員になっちまえよ!そしたら俺と組んでさ!な?」
聖也が助手席から身を少し乗り出し、“いい考えだろ!?”と言わんばかりに期待に満ちたような目をこちらに向けてくる。
「バカ言ってんな。オヤジが認めねーし、俺もそのつもりは無い。組の中には稀に俺みたいな奴がいないと困る事だってあんだよ。
……ほら着いたぞ。降りな。」
三台停められるかどうかという小さな駐車場のなるべく端に車を停めエンジンを止める。
「またココかよ!」
「俺は他には行かん。嫌なら帰るぞ?」
「わかった!わかったから!ココで良いです。」
そこは街から少し外れた小綺麗なスナックで外看板には落ち着いた和文字で“雛罌粟”とかかれてある。
俺が昔ボーイとして働いていた場所でもあった。
店に入り中の客の人数をちらりと確認する。平日で遅い時間だったということもあってから客は俺たち以外に入っていなかった。
俺達がカウンターに座ると、薄灰色地に黒い百合の描かれた着物を着こなし緩く髪を纏めたその人はカウンターの中から柔らかい笑みを俺たちに向けてくる。
「あら、カイくん久しぶり!聖ちゃんもね。」
俺より少しばかり年上の六華さんは未だに俺を源氏名で呼ぶ。
ただ、歳の割に小綺麗で少しばかり酒焼けした彼女の声はどこか心地がいい。
「あぁ、久しぶりだな。」
「うっす。」
聖也も六華さんには多少は気を使う。
俺はココでオヤジに拾われた……
【二十数年前】
「カイくん!恵ちゃんとこにボトル入れといて〜。」
「はい。」
六華さんはそう言うと真新しいタグに‘Kちゃん’と書き込みボトルの首に掛けた。
ニ週に一度は顔を出すその人は和服を着こなしここらではあまり見ないタバコを加えいつも店の入口近くのボックスに一人で座る。四十代半ばといったところだろうか物腰すら優しそうに見えるが、堅気ではないであろう雰囲気をどこか醸し出していた。別にその手の客が珍しい訳じゃないが何となく独自の雰囲気を持っている人だとは感じていた。
「カイくん。ちょっと……」
カウンターの中で酒を作ろうとした俺に六華さんは耳打ちで声をかけてきた。
「? なんですか?」
「いいから……ちょっとだけ恵ちゃんのテーブルに付いてもらっていいかしら。」
「俺が、ですか?」
他にも客はいたが、いつもくる常連がニ、三人程度だった事もあり俺は言われるままに彼のテーブルに付いた。
「ボウズ、ここは何年になる?」
「四年目……ですかね……。」
「お前、何歳になる?」
「二十四です。」
「両親は?」
「死にました。」
「女はいるのか?」
「まぁ、一応は……」
「手先は器用か?」
「たぶん。」
「この仕事以外にやったことのある仕事はあるか?」
「住み込みでパーマ屋に居たので一応免許はあります。
それと、昼は料理屋に……。」
「そうか。」
何なんだ……席に着くなり質問攻めだ。
別に隠すような事ではないし、彼もふざけてきいている感じてはなかったから俺も普通に答えたつもりだ。
「お前なら顔もそこそこ良い方だし手先も器用そうだ、見たところ、相手に話を合わせる術もありそうだしな……お前、俺のところに来る気はないか?」
彼は話のついでとでも言わんばかりにサラッとそんな事を言うもんだから俺は何にどう反応したらいいのか目を泳がせた。
「えっと……?
それはどういう意味でしょう……。」
「だから、俺の仕事を手伝ってみる気はあるかって聞いてるんだよ。」
「仕事とは……?」
堅気ではないであろう彼の仕事と言うのがどういった仕事なのか、俺にはあまり想像ができなかったし今の仕事も別に不満がある訳でもない俺は少し返事を濁してみせた。
「簡単に言えば万屋だ。なんでも御座れの便利屋ってところだな。表立った仕事もあるが、まぁ堅気の仕事じゃないことは確かだな。」
暫く話し込んでいると、六華さんが合間を見てテーブルに顔を出す……。
「ちょっと!恵ちゃん!カイくんはウチのボーイなんだからね!いきなり連れてっちゃうとかダメよ!」
六華さんはまるで前にもそんな事があったかのように彼のほうを軽く睨みつけて俺の腕に腕を絡ませた。
「あぁ……解ってるよ六華。ちゃんと後は用意してやるさ……。」
「もぅ……そういう事じゃないんだってばぁ……」
六華さんは呆れたように言うと俺から離れカウンターへと踵を返しながら俺に振り向き
「カイくん!嫌なら断っちゃいなよ!」
「あ……はい……。」
そんな事をしていると彼は袖口から道中財布を出しテーブルに五枚ほど中身を出して俺の肩を軽く叩きながら立ち上がる。
「まぁ、ゆっくり考えな……。そんなに焦らす気はねーから。」
「六華、邪魔したな。じゃあなボウズ。期待しねーで待ってっから考えといてくれ。」
そう言ってなにか含んだように微笑みながら帰っていった。
それから一年後……俺は結局オヤジのもとを訪れた。
あれから二十数年は経っているのに六華さんはあの時からあまり変わらない。いつも和服をきれいに着こなして落ち着いた所作のせいか見た目もそう老けた気はしないし、ずつとオヤジの大切な人であり、俺にとっては姉のような人でもあった。
「ねえ、カイくん……。あんた元気にしてるの?」
六華さんは俺に烏龍茶を差し出しながら流し目を向ける。
「何だよいきなり……。見りゃわかるだろ。相変わらずだよ。」
「そ〜っすよ〜。離人さんは元気ですよ〜。」
四、五杯は飲んでいい感じに酔った聖也が口を挟む。
「だって離人さんはまだ現役ですもんね〜〜。俺も女だったら離人さんに惚れちゃいますよ〜。っていうか……俺も離人さんの女になりたいなぁ〜。」
聖也はそう言いながらデカイ図体で俺の肩に凭れかかってくる。
「何言ってんだ……六華さんそろそろコイツ水でいいから。」
「はい、はい……。」
「え〜〜。なんで〜〜。だって、見てくれ良くて、強くて、挙げ句に器用に何でもこなすじゃんか〜〜。ズルいよなぁ〜〜。ママもそう思いません?俺も離人さんみたいになりてぇ〜なぁ〜〜。…………。」
そう言ってカウンターに頭をつけると電池が切れたかのように眠りにつく……こうなったら暫くは起きないだろう……。
「相変わらず、ずいぶん懐かれてるのね……。」
クスクスと笑いながら聖也の頭を撫でる。
「別に……懐かれるようなことは、何もしちゃいないんだがな……。」
「たまには良いんじゃない?疎まれるばかりも嫌になるでしょ?」
六華さんはそう言うと自分のグラスを俺に傾ける。
軽くグラスの当たる音が人が居ない店に静かに響いた……。
「オヤジは?最近見てないが、元気にしてるか?」
「そうね……歳の割には元気よ。そろそろ、引き際だと思うんだけどね……。」
なんとも言えない顔で微笑んだ六華さんは少しばかり寂しげに見えた。
それから他愛ない近状の報告や世間話をして小一時間話した後、会計を済まし俺はぐずねる聖也を車に乗せ帰路へとついた。
「おい!起きろ!」
「う……うぅん……。あれ……?ここって……。」
「俺の部屋だよ。」
俺のベッドを占領して気持ち良さそうに眠る聖也を小突いて起こす。
「‼」
聖也は飛び起きるようにベッドから下りると申し訳無さそうにでかい身体を丸めた。
「何寝ぼけてんだよ……。お前が帰らねーってゴネたんだろうが……。」
結局、聖也はあの後ゴネにゴネて俺の部屋に転がり込んできた。
「あぁ……何となくっすけど覚えてるような……。」
職場では一応上司という手前もあり敬語なんて一切使わないくせに、何かと金魚のフンのように付いて回る……。
別に他人に関心のない俺にとっては毒にも薬にもならないから放っておくが。
「……で、飯はどうすんだ?食ってくのか?」
「え!作ってくれるんすか⁉食べる!!」
「あるもんで作るから適当なもんしか出せねーぞ。」
「うっす!」
冷蔵庫の残り物で適当に二人分の朝飯を作る。
サラダにポーチドエッグ、フレンチトーストとコーヒー。
適当に作れるものを作って食わせる。
「!美味いっ!やっぱ離人さんはズルいよなぁ〜。適当なもんっつってこんなの作られたらまじ惚れるし……。」
聖也は飯を噛み締めながら俺の方にチラリと目をやり溜息をつくように頭を下げる。
「バカ言ってないでさっさと食って帰れ。」
「う〜っす。」
聖也が帰ったあとの片付けをして俺はいつも通りやることも無くただ時間を潰す。
テレビの無い俺の部屋では時間を潰す方法といえば珈琲でも飲みながら外を眺めるぐらいだ……。
そろそろ5月も半ばに入る。昼間は春の陽気が少しづつ夏へと近づく頃だろうか。
今日は珍しく仕事もない。
基本、依頼が無ければ俺の仕事はないが表も裏も……と言うやり方だと殆んどと言っていいほど、まる一日休みになる事は無かった……。
取り合えず、日課のトレーニングを済ませシャワーを浴びてまた珈琲を煎れる。
“どうするかな……やる事もない、やりたい事もない……。”
基本、我欲や物欲が無い俺は休みとなると何をするべきか決めあぐねたまま結局、何もせずに一日が終わる。
やることが無いからと言って一日座っているのも性に合わない気がしてとりあえず家を出る。
街の雑多の中、行き先も決めずに歩き、街に溢れ出る音を一つ一つ辿っていく……。
行き着く先はいつも違うがそれなりに時間潰しにはなるもんだ……。
平日の昼前だというのにそれなりに人通りの多い駅前で今日はどの音を頼りに歩きだそうか……そんな事を考えながら立ち止まる。
微かに聞こえてきた小さな子供の声……遊んでいるのだろうか楽しそうに笑うその声を頼りにふらりと歩きだす。
駅裏のまだ少しだけ昭和の町並みが残るような通りを歩き道すがら、入ったことの無いであろう路地裏に入る。古びた家々が並ぶ景色に少し懐かしさを覚える。
少し窓の開いた家々から漏れる洗い場で片付けをするような食器のあたる音やTVの中の笑い声……聴き取れない会話……
路地を抜けた先の小さな公園、平日の昼下がり人が多い訳じゃない、ただ幼子の楽しそうな笑い声だけが響く。
公園の端のベンチに座り何をするでも無く途中のカフェで買った珈琲を啜る。
仕事のない日なんて、だいたいこんなもんだ。
結局ふらふらと街を歩き何もせずに日が暮れて家に帰る。
そしてまた変わらない日常が始まる。
「おはよう。」
「おう。今日は表仕事だ。予約表見て人のいない所のヘルプを頼む。」
「解った。」
聖也は職場では人の目を気にして絶対に敬語を使わない。立場上、聖也のほうが上司であることと、他の奴らに示しがつかない……という理由が大きかった。
基本、俺は職場では表仕事の人手不足のヘルプ担当、仕事の指名は取らないし、専門職しかできないような仕事もある以上ヘルプが妥当なところだろう。
今日は草刈りや家電の設置、水回りの掃除もろもろ四件ほどの仕事を回る予定にした。
まぁ、早く終わって仕事が残っていたらまた追加すればいい……。
なんだかんだで簡単に終わりそうな仕事を六件ほどのこなして事務所へ戻ると人の疎らになった事務所の中で聖也が小さく手招く。
「何だよ。」
「ちょっと……」
「……?」
「いいから……ちょっと。」
事務所の中でも殆んど人の来ない応接室に連れて行かれ、聖也は申し訳なさそうに俯く……。
「何なんだよ?」
「申し訳ないんすけど……。」
「何が?」
「多分……今日、離人さんが休み無しに仕事してるのは解ってんすけど……。」
聖也は申し訳無さそうに話を勿体ぶった。こういう時の事は大体のことは想像がつく。裏の仕事でも入ってこれからもう一仕事してほしいときの顔だ。
「……仕事か?」
「はい。」
このタイミングで裏が入る……。まぁ、俺にしてみればたいして珍しい事では無いからいいんだが、聖也からするとかなり無理強いしているように思えるらしい。
「別にかまわねーよ。で?今回はなんだ?」
「ちょっとばかり厄介な客の出入りがあるみたいで……今回は俺も一緒に行くっス。」
「あぁ、解った。……で?場所は?」
「GaRUMです。」
「了解。」
裏の仕事とはいえ大したことのないことなら聖也自身が対処するか、他の組員に仕事を回すかするのだが、どうも今回は一筋縄じゃ行きそうにないと聖也は判断したらしい。
俺は事務所にストックしてあった裏用のスーツに着替え車を回し聖也を乗せ、まだ少し早い飲み屋街に向かう。
「お疲れ様です。」
「あぁ。」
GaRUMに着くと、受付のイカつい男が挨拶をしてくる。まぁ、何度かここには来ているし俺がどういう客なのかも理解しているのだろう。ただ、俺よりも二十センチはデカイ見るからにレスラーのような体型のやつに頭を下げられるのは毎回の事だがどうもしっくりと来ない。
「どこだ?」
「奥の三番VIPです……」
「解った。」
薄暗い店内、まだ時間は早いというのに席の七〜八割は埋まっている。
店内一番奥のローマ数でⅢと書かれた個室の前に立つ。
「離人さん……。」
聖也は少しばかり躊躇ったように声をかける。
「何だ今更。何なら俺一人でも十分だが……?」
「イヤっす!俺も行きます。」
そう言うと覚悟を決めた様に目を吊り上げた。
声も掛けずにルームに入る。
「あ゛?何だおめーら?」
二十代半ばと言ったところだろうか見るからに堅気じゃないガラの悪い男が三人。女を侍らせる。
「あんた等今、誰のシマで何してるか解ってるか?」
「あぁ?しらねーよ!オメーにカンケーねーだろ‼」
見るからにこの三人の中では下っ端であろうその男は勢いよく椅子を立ち俺に真っ直ぐと向かってくる。聖也が俺の前に出ようとするのを左手で制し俺は掴みかかってきた男の腕を逆に捻り上げると喧嘩慣れはしているものの格闘慣れしていない男はいとも簡単に俺の前に膝をつく。
俺は男が力任せに立ち上がろうとするのを関節を捻り背中に軽く膝を乗せ制止させる。
「てめぇ!」
立ち上がるニ人に軽く殺気立たせた視線を送り威嚇し男を捻り上げていない左手を立ち上がろうとする残り二人に向ける。その俺の後ろであからさまに殺気を撒き散らしている聖也が睨みを利かすと立ち上がろうとする姿勢のまま静止したニ人にもう一度同じことを問う。
「今、誰のシマで何をしているのか解っているか?と聞いたんだが?」
そう言いつつ聖也に俺は何も言わず顎先で支持を出す。聖也は俺の意思を汲み取ったのだろうそんな二人に睨みを利かせながら男たちが侍らせていた女達を店内に避難させた。
「離人さん……もう大丈夫っす。」
聖也はものの数分で帰ってくると俺の脇に寄り小さな声でそう囁くと一歩下がった体制で待機する。
「何なんだよ……お前ら。」
あからさまに同様を隠せないといった様子でソファーに座り直した男の一人が俺に視線を向ける。
「ここいらは、俺のオヤジのシマなんだ……面倒な事にはしたくない。言ってることは解るか?」
その問いに連中は何かを感づいたかのように気不味そうな怪訝な顔をする。
「お前らさぁ、ポリ公にパクられないだけマシだと思えよ。何なら今から呼んでやっても良いんだぜ?」
その顔を見た聖也は肩を竦め呆れたような顔をすると補足を加える。
「解った……解ったからそいつ離せ。」
「あまり抵抗してくれるなよ。持ってる分は全部ここに出して行ってもらおうか。」
俺は捻り上げた男の手を離すと、男は仲間のところへ戻り捻られていた腕を擦りながら俺を睨みつける。ただ、もう二人はある程度の察しはついていたのだろう、ニ人はポケットの中に入っていた小袋を取り出し、カバンから小袋が数枚入っていた袋を机に置いた。
それに習うかのように俺を睨んでいた男も小袋を机に置く。
「二度とここら近辺で粋がってくれるなよ?顔は覚えた。次は無いと思え。」
小さく頷いた三人は荷物をまとめ上着を腕にそそくさと掛けると店を後にした。
「助かったわ。いつもありがとう。」
そう言って奥から出てきたママは茶封筒を手渡す。
「いや。これが俺達の仕事だ。」
オヤジのシマでは合法であろうが無かろうがそういった類いの物は禁じられている。もちろん裏の業界の人間なら暗黙の了解があり売る側の人間も決してオヤジのシマで使うなと注意喚起はしている。
ただ、稀に粋がった若い奴らがチラホラとそれを持ち込む事がある。
店主はそれを俺たちに報告する義務がありそれを解決もしくは抹消するのが俺達の仕事だ。
だから俺は組みには属さない。万が一の場合、組の名前が出るのを防ぐ為、俺はチンピラのままでいる事を選んだ。
それ自体が正規に組みに属している奴等からは疎ましいのだろう……。
「離人さん……ごめんな。 俺がやれれば良いんだけど……」
「気にすんな。帰るぞ。」
奴等が置いていったものを総て手洗い場に流し店を後にする。
聖也を事務所に送り、車を適当に停め何となく俺は彼女の居た場所へ足を運ばせていた。
彼女が来るとしてもまだ時間は少し早いだろう煙草を咥え壁に保たれる。
この時間はまだまだ街がざわつき裏路地に入った俺は遠巻きに聞こえるその雑多な音を聞き流しながら星一つ見えない空を仰いだ。
どのぐらいの時間が経ったのだろう……足元にバラける吸い殻が時間を物語る。
そろそろ引き際かと煙草を消し帰路に着こうかと足を踏み出そうとした……
「離人さん!」
遠まきに呼び止められた声に足を止めた。
「やっぱり!離人さんだった!」
振り向きざまに見たのは穏やかに微笑みギターを抱えた彼女だった。
「今帰りですか?」
彼女は俺がいた場所まで小走りで近寄ってくるとギターケースを地面に置き俺に向き直る。
「あぁ……。」
「もしかして……ずっと待っててくれました?」
「いや……少し通りかかっただけだ。」
俺の脇まで寄ってきた彼女はそう言った俺と地面のタバコの吸殻を見比べてクスッと笑う。
「嘘つきですね。」
「…………。」
何となくバツが悪い俺に対して、そんな事を全く気になどしていないといった様子で彼女は話をすすめる。
「お腹、空きません?」
彼女はそう言って俺を覗く。
「歌……歌いに来たんだろ……。」
「いえ、良いんです。今日は……。」
何となく寂しそうな、悲しそうな顔で笑った彼女にそれ以上何も言えなくなっていた。
「何食いたいんだ?」
「この時間だし……あんまり量は食べられないから……。」
彼女は考え込むと何かを思い付いたように手を打った。
「あ!アソコにしましょう!」
「……?」
「いいから!ついて来て下さい。」
そう言ってあるき始めた彼女の足取りはさっきまでのどこか憂いをおびた微笑みがまるで無かったことのようにどこか軽々としていた。
< |lucis ortus《ルーキス·オルトゥルス》 >
真夜中には似つかない様なガラス張りの外見が特徴のどこか西洋風の喫茶店。あまり明るく照らされた訳ではないが明かりは灯っているから開いてはいるのだろう。
店内は柔らかな明かりが灯り俺たち以外に2組ばかりの客。静かに流れるStandardJAZZが客同士の会話を掻き消していた。
中庭らしき場所のガラス面に面した一番奥のテーブルに座った彼女の向かいに座る。
「離人さん。何にします?」
彼女はチラリとメニューに目を落としただけで俺にそのメニュー表を手渡す。
「君は?」
「私はもう決まっているので。」
そう言って俺に差し出したメニュー表をちらりと覗く。
「じゃあ、珈琲と……君のオススメは?」
彼女は逆側からメニューを覗いて軽く顎に手を当てながら考える。
「お腹空いてます?」
「いや……それ程でもない。」
「甘いの平気です?」
「甘過ぎなければ……。」
「……じゃあ。コレはどうでしょう?」
そう言って彼女が指さしたのはフレンチトーストだっだ。
「あぁ、じゃあ、それで。」
運ばれて来たのは俺の珈琲とフレンチトースト、彼女のハーブティーとパンケーキ。
「いただきます。」
「……あぁ。いただきます。」
彼女の言葉につられてついつい言った“いただきます”何年ぶりに言った言葉だろう……。
第一、プライベートで誰かと食事をするなんて聖也にせがまれた時以外にまずない。そんな事を考えながら運ばれてきたトーストを眺めていると
「……? 食べないんですか?」
と彼女は不思議そうにこちらを覗いてきた。
「あぁ、食べるよ。」
彼女は幸せそうにパンケーキを頬張る。俺も彼女につられるようにトーストを口に運ぶ。
確かに美味い。
「離人さんって何してる人なんですか?」
「……⁉」
いきなりの唐突な質問に一瞬口に含んだトーストを丸呑みしそうになり少しむせこんだ。押し流すようにコーヒーを啜り一息つく。
彼女はクスクスつと笑って俺にナプキンを差し出す。
「そんなに変わった質問でしたか?」
「い……いや。突然だったからつい……。 俺は万屋だ。まぁ、なんでも屋って所だな……。」
「へぇ〜。なんでも屋さん……。 私の職業は何でしょう?」
そういった彼女は子供のように悪戯な顔で笑った。
「……夜の仕事だろ。どっかのキャバ嬢とか。」
「ハズレ……じゃないけど、キャバ嬢っていう言い方はなんか嫌です。」
頬を膨らせてこちらを少し睨む彼女はやはりどこか幼さを感じた。
「あぁ……すまない。ついな……。」
「良いんです。世間一般から見たら夜の女なんてみんなキャバ嬢ですから……。」
それからお互いの勤め先の話やら、どんな客がいるなんて、他愛のない話を暫くしていた。
もちろん俺は裏の話など一切しなかったが、彼女の店には俺の知っている組員が数人通っているようだった。
他愛もない話だったが仕事以外でこんなにも他人と話したのは何時振りだったろう……。
そんな話をしていると店員がテーブルに来て声をかけてきた。
「すいません。ラストオーダーの時間になりましたがなにか追加はございますか?」
「あ、大丈夫です。」
彼女はそう言うと一口ほど残っていたハーブティーを飲み干した。
「そろそろ出るか?」
「そうですね。時間も時間ですしね。」
そう言われて壁にかかった時計を覗くと針は三時を指していた。
「すまないな。長居をさせてしまった……。帰りは送って行こう。」
「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて。」
そう言って彼女はまた微笑む。彼女は仕事柄なのだろうか笑顔を絶やさない。
「会計を済ませてくる。出る用意をしておいてくれ。」
そう言って荷物を持たない俺は会計に向かうと彼女は焦ったように上着を手に掛けギターを持って俺が会計を済ませる前に横に並ぶ。
「焦らなくても良かったんだが……。」
「ダメです!離人さんお会計払っちゃうじゃないですか!」
「あぁ。ここは俺が出す。」
当たり前のように俺がそう言うと
「だからダメです!ちゃんと私が食べた分は私が払います!」
そう言ってギターケースのポケットから財布を出すと彼女はトレーに自分の食べた分のお金を置いた。
俺としても彼女に奢るほどの仲でもなかったつもりだ。彼女が出すというのなら断る理由もない。
「解ったから、上着を着ろ。まだこの時間は空気が冷える。」
「はい。ありがとうございます。少し待っててくださいね……。」
ギターを下ろし上着を着ると、お待たせしました!と言わんばかりの顔をこちらに向ける。
「ご馳走様でした。」
店内の誰に言う訳でなく振り向きざまにそう言うと、彼女は店を後にした。
彼女を送る道すがら静まり返った時間に微かに響く彼女の鼻歌は優しく穏やかだった……。