#7 目五色に迷うⅦ
引きの悪い人生を歩み続けた颯汰郎は、引き際を弁えていた。
ガチャは悪い文化で廃課金者は嘲笑の対象。そして、運営チームは無能というのが颯汰郎の持論だ。勿論、廃課金は悪いことでもなければ、クリーンな運営を心がけているチームもあるだろう……おそらくは。
少なくとも、颯汰郎が遊んでいるゲームはガチャを引くハードルが低く良心的な値段だと言えるし、ガチャで強くなる要素もないわけで。とどのつまり、八つ当たりだ。
引き際を弁えている颯汰郎は、絶対に深追いをしない。恋愛も同じだ。片想いはするけれど、告白はしない。する気もなかった。する度胸もない、とも言える。
どうせ振られて傷つくくらいなら片想いのままでいい。自分の容姿はそこまで悪いものではないと思いつつも、突飛した部分はなく、夜な夜な悶々と時間をすごして孤独に果てるのだ。それが常。割と早撃ちガンマン。
押してダメなら引いてみろ、は、颯汰郎に適応されない。『押してもいいんだろうか』と長考した挙句、『押さないほうが懸命だ』と逃げてしまう。
そんなヘタレな颯汰郎にも、得意分野はある。FPS──ファーストパーソン・シューティングゲーム。英語圏ではシューティングゲームではなくシューターという──は得意で、ヘッドショットはお手の物だ。
スナイパーライフルを持たせたら二桁キル余裕。凄腕といっても過言ではない。というか、その道のプロを目指せるほどの実力を兼ね備えていたりする。
無課金武装でバッタバッタと対戦相手を屠るがゆえに、ついた字が『廃無課金のコルダー』。
コルダーは颯汰郎のプレイヤー名で、ノリと語感の良さで付けた。しかし、コルダーとは『簡易型スポット冷却器』のことである。まさか自分が簡易型スポット冷却器だと名乗っていることなど、颯汰郎は知らない──知らぬが仏である。
ゲームでは相手を一撃で仕留めるのに、恋愛ではその限りではないというのが颯汰郎の残念なところだ。
逆に、一撃で仕留められる場面でなければ手を出さない、ということでもある。
その選択が正しいか否かの判断は難しいところだけれども、案外、臆病者と確殺のヒットマンは似た者同士だったりするのかもしれない。
「颯汰郎先輩」
名前を呼ばれ、颯汰郎は失意の淵から我に返った。
楽しい時間を邪魔されて悔しい気持ちは残っていたけれど、暗闇を隠すように笑顔を作ってみせる。営業スマイルで颯汰郎の右に出る者はいない──左に薫はいるけれど。
それゆえに、無理して笑っているのを薫は看破していた。同期と言ってもいい時期にアルバイトとして牛丼屋に入社した薫は、颯汰郎の営業スマイルを誰よりも近くで見てきたのだ。
辛いときも、苦しいときも、忙しいときだってその笑顔を崩さなかった颯汰郎が、自分にセクハラしてきた酔っ払いの中年男に激昂したのは意外だったけれども、それが颯汰郎の優しさなんだろうな、と。
だから、颯汰郎に伝えたいことがあった。
入社してからずっと、知り合ってからもずっと、颯汰郎にひた隠してきた秘密がある。その秘密を打ち明けるべく決死の思いでカラオケに誘ったはずなのに、どう切り出せばいいか言葉に迷って悪戯に時間を浪費してしまった。
得意げになって、舞い上がって、颯汰郎に良いところを見せようとした數十分前の自分が憎らしい。悔やみに悔やみきれないまま、沈黙が続く。
「帰る準備をしようか」
颯汰郎が沈黙を破った。
「遅刻したら大変だからね」
勇気を、薫は思う。
胸に手を当てて、大きく深呼吸する。ルームフレグランスの甘い匂いが鼻を抜けて、酸素を取り込んだ脳が活性化するのを感じた。
覚悟を、と思う──嫌われてもいい、勇気と覚悟を。
「あ、あの!」
今はもう時間がない。このタイミングで伝えても、颯汰郎を困惑させるばかりだ。ならば、次の機会を作って、その時に真実を伝えよう。秘密を打ち明けよう。そのために──。
「連絡先を、交換、しませんか!」
ぐい、ぐいぐいっと腰を持ち上げて細かく距離を詰めた薫は、気がつけば颯汰郎の顔の目と鼻の先にまで顔を寄せていた。
潤んだ瞳に艶やかな唇。一人で歌っていたせいか、ちょっと汗ばんでいて──このままキスしてしまえたら、と思うだけで、颯汰郎は邪な衝動をぐっと堪えた。
「近いから、ね? そういうことされるとお兄さんホント弱いから。今すぐにでも地震きてほしいとか不謹慎なことも考えちゃうから!」
シャンプーの匂いがして、脳と視界がぐらあと揺れた。──無論、錯覚である。驚きすぎて自分でもなにを言ったかわからない颯汰郎ではあるものの、どうにか薫の両肩を抑えて引き剥がす。
理性だけは正常な判断を下せることに、一抹の悲しみを感じながら。
「連絡先の交換はしてくれないんですか……?」
「それはする。是非ともしよう。そうしよう」
「五・七・五、ですね」
「これがボクの連絡先です」QRコードを表示したデバイスの画面と、満遍の笑みを颯汰郎に向けた。
女の子らしい桃色のデバイスは、二年前に販売された旧デザイン。透明のケースには、どこで買ったのか見当も付かないバナナのストラップが付いている──ベルベット……なんだっけ? 有名なイギリスのバンドのCDジャケットに描かれていそうなフォルムは、握ったら気持ちが良さそうだ。
などと思いつつ、QRコードを自身のメッセージアプリで読み込んだ。綾瀬川薫の名前とアイコンが表示され、追加と拒否の選択肢が表示される。
いつも思うが、この状況で拒否を選ぶ人間はいるのだろうか。
自分で相手のQRコードを読み込んでおいて、「やっぱりやめた」とか言うヤツとは関わらないほうが懸命じゃないか、と颯太郎は思っていた。
薫のアイコンはアコースティックギターの写真。どうしてアコギなんてアイコンにしているんだ? と疑問にすらしない颯太郎である。ここでその疑問を口にできればコミュニケーションも捗るというのに──。
「あとでなんかしら送るよ」
「はい。楽しみに待ってます」
「まあ、挨拶程度だけど」
「それでも嬉しいですよ? ボクは毎日送ってしまうかも、ですけど」
「お、おう! どんとこいだ」
あ、急がなきゃ! 後片付けを始めた薫に倣い、颯汰郎も忘れ物がないか身の回りを左見右見してチェックする。どうやら忘れ物はなさそうだ。
忘れ物はなさそうだが、忘れてはいけない、大切なことがひとつ増えた颯汰郎と薫であった──。
【修正報告】
・2021年9月11日……誤字報告箇所の修正。
報告ありがとうございました!