#2 目五色に迷うⅡ
殴られても文句を言えないような状況でも、暴力はいけない。当然、店側は不祥事を起こした颯汰郎を放任するわけにもいかず、自主退職という形でクビにしたのが四日前のこと。
唯一の救いは、酔っ払い中年男が警察沙汰にしなかったのと、助けた同僚の女子から感謝されたくらいで──颯汰郎はその女の子に片想いしていた──その件を機に恋が実るはずもなく、鶴の恩返しもなければ笠地蔵のような展開もなく、無駄な正義感を振るったせいで働き口を失った颯汰郎は、失意の中、無性にアイスが食べたくなって二日ぶりに外に出た。
コンビニに到着した頃には、アイスを食べるよりも喉を潤したい欲求が強くなり、アイスを買う目的だったはずがスポーツドリンクを手に取っていた。
「ひゃくごじゅうえ〜ん、にひゃくきゅうじゅうはちえ〜ん。合計よんひゃくよんじゅうはちえんっす。お釣り、ごじゅうにえんのおかえしでーす。あららっした」
駅近くのコンビニだけあって、レジの前は列が出来ている。レジに立つフリーター風の店員は、のんびりと気怠そうに、そして、CDジャケットがダサいと評判だったヒップホップグループのボーカルみたいな声でレジを打っていた。
抑揚のない読み上げに若干苛つきながらも、デバイスに入れたコンビニ専用アプリケーション『hachiko』を立ち上げて待っていた颯太郎は、「この時間帯はあのにいちゃんしかいないのかよ」不満をなんとか呑み下す。
大人しく順番待ちしていると、背後に並ぶ誰かさんに左肩叩かれた。
右手にスポドリ、左手にデバイスを持った状態で振り返る──そこには、五日前に庇った元・バイト先の後輩女子が立っていた。
くりんと内側にカールした茶髪のセミロングボブに、吸い込まれそうな黒の双眸。
唇はぷるんと潤った紅を差したアヒル口で、それがあざとくも可愛らしい。
縹と白の横縞模様の七分袖シャツにデニムのサロペットを重ね着している彼女の姿は、どこか活発な少年のような印象も受ける。
もう絡むことはないだろうと思っていた相手が目の前にいる状況に、どうして自分はこんな格好で外出したんだと悔いても手遅れだった。
あまりにもショックで、デバイスを落っことしそうになった。最新機種に傷を付けまいと、地面に落とすすれすれで無事にキャッチ。瞬発力だけが取り柄の颯汰郎は、その才能を活かすことなく持て余して腐らせている残念な男である。
「颯太郎先輩、ですよね!」
「綾瀬川さん?」
小動物に似た可愛さを誇る彼女の本名は、綾瀬川薫という。
颯太郎と二日違いで入社したので実質的には同期になるのだが、律儀にも薫は颯太郎を『先輩』と呼び、誰に対しても敬語で接している。特別、颯太郎を敬っているというわけではない。
高校一年生男子とは多感な時期であり、クラスは違えど、同じ高校に通っているだけで運命を感じてしまったりしていた。
青臭くて痛々しい。それが男子という生き物で、結婚しても、おじさんになっても、おじいさんになっても、いつまで経っても男子なのだ。立派な考えを持つ男性が少ないのも、そのせいだと言える。
「お久しぶりです、颯太郎先輩!」
薫の身長は、颯汰郎と頭一つ分違うので、薫は自分よりも背が高い人と話すときに、ひょこんと背伸びして目線を合わせるのが癖になっていた。
なぜそのようなあざとい仕草が癖になったのか、颯汰郎は知らない。むしろ、知らないことのほうが多いくらいだ。同じ高校に通っていても、クラスが違えばそんなもんだ、である。
「あ、うん。ひ……久しぶり、です」
「どうして敬語なんですか?」
背伸びをやめると、薫の身長がガクッと低くなったように感じる。まだあどけない雰囲気が残る童顔は、夏の太陽のせいで頬が仄かに赤くなっていて。
子どもっぽい仕草も相俟って、颯汰郎の脳内は『綾瀬川さんかわいい綾瀬川さんかわいいかわいいかわいいきゅんです』で溢れてしまっていた。
「いや、なんとなく、です」
勿論だが、なんとなくDEATHしたい気持ちを表明したわけではない。以前は『同じ職場の先輩』という立場と大義名分があったが、もう使えない。
同じ高校であるという大義名分はあれど、それはまた別の話であって、急に赤の他人──元々赤の他人ではある──になってしまったかのような感覚に陥り、自然と敬語が口を衝いて出てしまった小心者である。
道すがら中学時代の知人とすれ違っても「もしかしたら他人の空似かもしれない」と無闇矢鱈に声を掛けたりしないし、仮に確信が持てても「やっぱり空似かもしれない」と声を掛けたりはしない。
例えそれが片想い中の相手であったとしても、遠くから大声で名前を呼んで手を振ったり、ましてやデートに誘うなど以ての外だと思う超奥手なのだった。
【修正報告】
・2021年9月6日……誤字報告による箇所の修正。
報告ありがとうございました!
・2021年9月9日……本文の微調整。