##15 隴を得て蜀を望むⅣ
「男がこんな格好してるのって、変……ですよね」
薫は寂しげに微笑んだ。
中学生の頃、薫は『男子』として生活していた。
とても内気な少年だった。
周囲にいる同級生たちは、当然のように上着を脱いでプールに入る。
でも、薫はそれがどうしても嫌だった。
ある日、一人の少年が薫にこう言った。
『なんで綾瀬川はプールの授業を休むんだ?』
彼は悪気があってその言葉をぶつけたわけではない。
しかし、その言葉は薫の心にひどく突き刺さった。
『男子なんだから男子らしくしろ』と、薫には聞こえた。
自分が周囲と違うことは、薫自身が一番理解している。
入学前、母親が学校側に『女子の制服を着させてほしい』、『女子として扱ってほしい』と掛け合ったが、学校側はそれを認めてはくれなかった。
『綾瀬川さんの事情は理解しましたが、生徒一人を特別扱いすることはできません。こちら側としましても、できるかぎりの配慮はしますが、校則がある以上は、それに従っていただくほかありません』
取りつく島もなかったが、学校側の言い分もわかる。仮に女子として扱うのを許可したとして、トイレは女子側を使うのか、水着や体操服など、着替える必要がある場合はどうするのか。問題点を一つ解決しても、新たな問題点が浮上してくる。
何よりも、薫が『男性』だと周囲に気づかれてまったら、一番に傷つくのは薫だ。
入学してから、学校側はできる限り薫をフォローしてはいた。プールや体育の授業は欠席しても良いが、その代わりに課題を提出してくれ。でも、プール以外の授業はなるべく出席してほしい。──無理な要求ではないし、薫もその条件を呑んだ。
だけど、薫の事情をしらないクラスメイトたちはそうではない。どうして薫だけ授業を見学しているのかと、不満は蓄積されていく。
その結果、一部の男子グループから目を付けられて、陰口を叩かれたり、放課後、校舎裏に呼び出されて服を脱がされそうになったこともある。
それでも薫は逃げ出さなかった。ここで逃げたらいけないと歯を食いしばり、襲い来る罵声と暴力に必死で耐えた。相手を認めさせたいのであれば、自分から行動しなくてはならない。理解されなくてもいい。負け犬にだけはなりたくない。
そうして抵抗を続けた日々は、薫に芯の強さを与えた。
この頃に出会ったランブルも心の支えとなっていた。ランブルのボーカルに憧れて中古のアコースティックギターを買い、ひたすらに練習を続けた。
薫の原動力の源は、常に逆境からのスタートである。
そういうわけがあって、制服がない高校を選んだ。
私服登校が許される学校であれば、女子の服装をしていても文句は言われない。それに、何かにつけて『自由』を主張する高校だ。ありとあらゆる面でフリーダムである。
校則がなかったのは衝撃的で、テストも宿題もないのだからカルチャーショックの連続である。おまけに、授業を無断でサボっても教師は特に気にしなかった。顔を合わせれば「授業サボるなよ?」と言われるけれど、咎めているようには思えない。コミュニケーションの一環のような軽い口調だった。
居心地が良い学校に入学できて、バイト先も優しい人たちに恵まれた。中学時代は苦しい場面も多かったが、それでランブルに出会えたからいいや、と割り切ることができた。対話しても通じない人がいると知れたのも、良い経験だった、と薫は捉えている。
芯が強く、ひたすらに前向き。更には妹気質もあり、要領がいいとは言えないが努力家である。苦々しい現実を知っても尚、それに負けずと足を踏み出す勇気もある。
颯汰郎のタイプまっしぐらであるがゆえに、懊悩した。
友だち以上恋人未満という関係ならば妥協できる。二人きりでいる時に知人に見られても、「可愛いだろ? 友だちなんだ」と言い訳できるからだ。
──それは卑怯すぎるだろ、オレ!
颯汰郎にも良心があってなによりだ。
……打算的すぎる嫌いはあるが!
持ち前の瞬発力は、巣穴に引っ込んだまま出そうにない。唯一の長所をここで発揮せずにどこで発揮するのか疑問である。
だがしかし、片想いしていた相手が男だった、という事実は、颯汰郎の長所を引っ込めてしまう理由になり得るだろう。ずどーん、とか、がびーん、とか、擬音で表現するのが相応な表情で、氷が溶けて薄まったコーラを一口飲んだ。
「ボクの秘密を知って嫌いになりましたか?」
「そりゃ驚きはしたけど、嫌いにはならないな。だって、オレは綾瀬川さんのいいところ、たくさん見てきたし」
「颯汰郎先輩……」
「悔しいけど、いまも、めちゃくちゃ可愛いって思ってる」
と言って、しまった! と焦って口元を隠したのだが、零れてしまった本音は、目の前に座る薫の耳に届いてしまった。
「あ、ありがとう、ございますぅ……」
薫は頬と耳を真っ赤に染めて、もじもじしながら俯いた。
──やっちまったあああああッ!
恋愛経験がない颯汰郎にとって、好意を寄せている相手に「可愛いね」と伝えることは、愛の告白をしたのと同じだった。そして、薫もまた恋愛経験などないわけで──ここでようやく、颯汰郎が自分に好意を寄せていることを理解し始めたのである。
──もしかして、颯汰郎先輩ってボクのこと、好き、なのかな? でもそれは、女子だったから好きになったのであって、男子だとカミングアウトしたボクに対しての好意じゃないよね……。
カミングアウトしていなければ、と一瞬思った薫だったが、付き合うことになったら秘密を隠し通すなど不可能だ。恋人を騙してまで付き合いたいとは思わないし、そんなことをしたら、自分を嫌いになってしまう。
──颯汰郎先輩が恋人になったら、かあ……。ふふっ、ちょっとワクワクしちゃうなぁ。憧れの先輩と付き合うことになった少女漫画の主人公みたい。
だとしても、颯汰郎が受け入れるかどうかは別問題だ。理想はあくまでも理想でしかないことを、これまでの経験を通じて痛感している。
現実はそう甘くはないんだって自分に言い聞かせながら、颯汰郎の言葉を待った。
【修正報告】
・報告無し。




