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4月2日から始まる3月31日  作者: 麩枕
彼女は起きて月に想う
8/9

7話 フードコートの3月31日



 最近は、雨や曇りが多い。


 …………だけど今日はそれが見えて。雲が光をぼかして、輪が周りを囲って淡く輝く月。その光が目を焼いた。

 電灯だとか、そんな人間が作った光なんか視界の端にも入れず、ただただそれを求める。

 眩しくて、痛い。頭に衝撃が走ったような。頭は奥から痛みがあって。右目は光を映している訳じゃないのに熱を持って。月から目を離せない。



 暗闇に引きずり込まれる


  寒い


   闇が、私を覗いて


    冷たくて熱い


     月に手を伸ばそうと



 欠片が弾けて、景色が流れては消えていく。



「……きっ」


 ──────あぁ、これは、いつのことだったかな。


 覚えていないのに、確かにそれは私の記憶だと確信した。思い出したいのか、知りたいのか。そんなこともわからないまま。だけどそのこぼれていく欠片を掬い取ろうとする。


「…ゆきっっ」





 割れんばかりの痛みのなかで、私は…………





「深雪っっっ!!!」


 ぱちんっと弾けて、欠片は全部吹き飛んでいった。


「……悠月?」

「大丈夫、か?」


 私は後ろを振り返った。口角を上げて、彼の手を掴み、目を合わせる。


「……うん、大丈夫だよ。ちょっと月に見とれてただけ」


 流れていった記憶はさっきまでのあったはずなのに、なかったように小さなものさえ取り出せない。

 彼は躊躇うようにして私を見る。言葉が思いつかないかのように開いてから閉じて、もう一度開いた。


「…………なあ、深雪。今日は3月31日だ」


 彼はどこか不安そうに言う。私は掴んだ手に力を込める。あなたがそう言うなら、私はそれを信じるに決まっているのに。

 

「そっか」


 私は笑った。



「……ねぇ悠月」


 月の光が彼を照らし、その黒さを闇の中から浮かばせる。

 その、私が好きな黒を眺めて言う。


「私はきっと、もう外に出られるよ。悠月は、私を外に出せる?」


 一回も言っていなかった『外に出る』という言葉は、思ったよりもすんなりと口から出てきた。


 ドアには鍵がかかって出られないし、彼は私を出そうとはしてはくれなかったけど、私が外に出なかったのはそれだけが原因な訳じゃない。

 結局は出たいと思ったことはあったけど、出ることを渋って行動しなかったことも一つの原因だろう。


 彼は目を見開き、数秒間固まった後ため息をついた。


「……………………深雪が、それを望むなら」


 出したくないだろうに、迷っても結局私の意思を尊重してくれるんだ。


「そっかぁ、ありがと」


 嬉しさが滲んで笑顔になる。腕を引っ張り、彼を下から覗き込んだ。


「じゃあ、明日は休みでしょ? 久しぶりにデートしようよ」

「……どこに?」

「どっかに」


 鼻歌でも歌い出したくなるくらいに嬉しい。あなたと出かけるのは、なんでもきっと楽しいから。


「悠月が場所決めてよ。……ああでも、ついでに食材も買いに行きたいかな」


 彼は少し悩んで、近くの大型ショッピングセンターを言った。


「うん。じゃあそこに行こっか」

「いいのか? 久しぶりの外だし、別に他の所でもいいんだぞ?」

「いいよ。あなたと一緒なら、どこでも楽しいから」


 そう言うと、少し困ったように眉を寄せた。いつもの、照れたことを隠そうとする時の彼の癖。


「暇で暇で仕方がなかったんだよ。ナマケモノにでもなっちゃうかと思ってた」


 くるりと回り、私が笑うと悠月も笑った。









 彼と手を繋ぎ、人混みを歩く。


 右側を歩く彼は、私に気を使っているのだろう。眼帯をしてから外を出歩くのは始めてだし、私を心配してくれるのは少しくすぐったい。

 彼を見るときは顔を全部向けなきゃいけないのは、ちょっと不便だけど。


 顔を向けると、彼も私を見ていたので目があった。


「本屋寄ってもいい?」


 私がそう聞くと、彼は表情を固くしたように見えた。だけどまばたきをすると普通に戻っていたので、気のせいだったかもしれない。


「そうだな、じゃあ行くか」


 彼は手を握る力を強くした。





 ここのショッピングセンターの中にある本屋は品揃えがそこそこ豊富で、眺めているだけでも楽しい。

 引きこもっていた間に発売されていた本をいっぱい買おう。今度はいつ来れるか分からないし。


「悠月、時間かかりそうだから他の所行っててもいいよ?」

「いや、別にいい」


 やっぱり右目のことで心配かけているのかな。


「でもいつもは」

「俺が深雪のそばに居たいだけだ。気にしなくていいぞ」


 私の言葉を遮って私の頭を撫でた彼の手は、少し冷たく感じた。


「そう?」


 こうやって言う時の悠月は頑なだから、気にしないで本を堪能することにする。


 ……どうしよう、凄い楽しい。お金使いすぎちゃうかもしれない。思っていたよりも新刊が多いし、あの本もそこの本も面白そう。


 かごを持って、本をいれていく。悠月がいることも忘れて、眺めたり、パラパラと見てみたり、立ち読んだりしていたらあっという間に時間は過ぎていった。




「ふぁー! 幸せだったぁー!!」

「満足したか?」

「うん、ありがと悠月。ごめん、待たせた?」

「いや、ずっとお前のこと見てたし。本のことになると周りが見えなくなるの、相変わらずだな」


 彼は苦笑して、私の手を握った。ついでにとばかりに荷物も奪われる。


「私持つのに」

「いいから。彼氏に持たせとけ」

「うぅ、ありがと」

「どういたしまして」


呆れたように彼は笑った。頼ることが下手な私の、頼りになってくれるのはありがたい。頼りにして欲しいと、思ってるんだろうな。

彼を見上げて考える。


 ずっと見てたって、それはなにをしていたんだろうか。言葉通りではないだろうし。もし言葉通りだったら、恥ずかしいな。少なくとも一時間から二時間は本屋にいたと思うのだけど、その間中見ていたのだろうか?

 それはそれとして、集中力が切れたからかお腹が不満を訴えてきた。


「お腹すいた…………」

「ああ、もうそんな時間か。ご飯食べに行こうか」

「私、ラーメン食べたいな」

「いいな。俺もラーメンにしようかな」

「じゃあ早く行こ、お腹すいた」





 フードコートは混雑していてテーブル席が空いていなかったけど、カウンター席は空いていたのでそこに座る。話しやすいようにか、悠月は左側に座った。


「悠月、それ一口」

「お前のも」


 私のラーメンと、悠月のチャーハンを一口ずつ交換する。悠月、セットでラーメン付いてるんだから他のを取ればいいのに。




「深雪?」


 二人でもぐもぐ食べていたら、右側から聞き覚えのある声で名前を呼ばれたので振り向く。



「えっ、紗奈、久しぶり……ってほどでもないか。病院ぶり?」


 そこには紗奈がいた。紗奈とは大学の時からの友人だ。私が入院しているときにお見舞いに来てくれてからは、私が家に引きこもっていたのも原因だが、会っていなかった。


「そうだね、病院ぶりかな? 偶然だね」

「うん。凄い偶然だね」


 トレーを置いて右側に座った彼女は、私と悠月を交互に見て「もしかして、デート中だった?」と私の耳元で囁いた。


「うん。紗奈は一人?」

「一人じゃないよ。ごめん紹介するね。こちら聖さん。私の彼氏の友達です。聖さん、こちらは深雪。私の大学からの友達です」


 紗奈の右隣にいた、中性的な顔立ちをした綺麗な人。髪が長く、性別が分からない。こちらを見る茶色の瞳に、機械のような無機的な印象を持った。

 その瞳がチラリと紗奈に向いた後、その人はニコリと笑ったのでそんな印象は消え去る。


「初めまして」


 爽やかにそう言う声も中性的だ。髪の毛長いし、紗奈と、彼氏さんを置いて二人で出かけるなら女性かなとは思うけど、彼氏さんの友達なら男性でもあり得る。


「はい、初めまして。……えっと、紗奈……」


 聖さんがなぜか私をじっと見つめてくるので、紗奈に助けを求めた。


「聖さん、どうしたの?」

「……ああ、すみません。やっぱり創平と色がそっくりだと思って」

「ですよね。深雪の目の色、創平くん、私の彼氏にそっくりなんだよ」

「へえ、そうなんだ。この色珍しいのに」


 確か最近見た中だと、警察官の若い方の人も同じ色をしていた。珍しいこともあったものだ。

 ヨーロッパとかに行くとけっこういるんだけど、日本にブルーグレーの目を持った人は少ない。


「……えっと、やっぱり? どこかで会った事とか、ありましたか?」

「いえ、紗奈ちゃんからよくあなたのことを聞きますよ。仲がいいんですね」

「そうなんですか」


 紗奈の方を見ると、彼女は可愛らしく微笑んだ。


「紗奈、変なこと話してないよね?」

「うん。聖さんとの付き合いは深雪よりも長いからね。深雪のことは仲良くなった頃から話してた」

「へーそうなんだ。じゃあかなり長いね」


私と紗奈が知り合ったのはもう五年位前になるから、この二人の関係は思っていたよりも深いのかもしれない。私はそう思った。






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