過度な『発現』、『分解』
「もっと速く、もっと太く、もっと大きく『発現』する!!」
経一は、神経をより太く、髄鞘をより大きく『発現』する。
経一の感覚はより研ぎ澄まされ、世界がより遅くなる。
胸骨から手前に突き出すように生えた5本目の腕の存在が、胸元に潜り込み顎を打つ戦法をとらせない。
しかし、今の経一であれば、いわば後出しじゃんけんのような動きすら可能だった。
経一は一気に間合いを詰める、四本腕、いや、五本腕も迎撃のため腕を振り上げる。
経一はそれを見ると、左足を一歩、五本腕の横へ踏み出し、その足を軸足にして回転、そのまま五本腕の後ろをとった。
経一の狙いは後ろの首元の延髄。片手では足りない。両手を振り上げ打ち込む。
思いっきり殴った。のに。経一のみぞおちに屈強な拳が入る。
「腰元を見る余裕もなかったかぁ?」
腰から生えた六本目の腕が、経一を煽るようにうごめく。
経一は首元を狙うのに集中して、周辺を見ることはしていなかった。
経一の神経加速であれば、確認するのは容易だったはずである。
「やっぱ腰は安定してるからいいねえ。あとさ、延髄はもうちょっと上だったね。」
「ぐふっ、クソッ、」
経一はここでひとつ大きな勘違いをする。
経一の攻撃が通らないのは、経一の訓練、実践不足によるものである。
しかし彼は、速さが足りない、そう思ったのだ。
経一は立ち上がった。
「お前みたいな『発現者』がいるから......僕は......」
長年積み重なった怒りを、六本腕にぶつける。
経一はさらに、『発現』した。より太く、より大きく。
経一の世界はさらに遅く、ゆっくりになり、そして。
止まった。
体は動かない、目は見えない、耳は聞こえない、呼吸ができない。
経一はそのまま倒れる。
「結構効いてるじゃん。」
六本腕はそう言うが、違う。
経一は髄鞘を大きくしすぎたのだ。
髄鞘とは、神経に巻き付ける絶縁部である。
本来は、跳躍伝導を行うのに不可欠であるが、これを大きくしずぎた結果、伝導自体が出来なくなったのだ。
しかし、経一がこの状態になるのは初めてではない。
『発現者』であることがわかった幼少期、研究の対象にされた時、この経験は何回もしている。
経一は、今回、脳神経の『発現』を抑える事で、思考だけは確保していた。
「(まずい、やっちゃった、早く『分解』しないと。)」
経一は、随意的な『発現』だけでなく、随意的な『分解』も出来る。
「あれ、息止まってる?」
「(まず呼吸、次に目。)」
「じゃあ、俺は逃げるわ。殴り合い、楽しかったぜ。」
経一の聴覚はまだ戻っていないため、この言葉は聞こえない。
六本腕はそのまま走り出す。
「(走りにくいな、切り落とすか。)」
腰と胸の腕が、ボトッと地面に落ちて、四本腕に戻る。
四本腕もまた、随意的な『分解』が可能な発現者であった。
そうでもなければ、あんなに簡単に腕は生やさないであろう。
しかし、警察はそこまで簡単に犯罪者を逃がさない。
一台のパトカーが四本腕の進行方向を塞ぐように止まる。
「動くな!」
降りてきた警官が警棒を構え叫ぶ。
「それは、銃を持ってる人が言う言葉だろ。」
銃の無い社会法案への皮肉だ。
遅れてもう一人、女の子がパトカーから降りる。
「そこで死んじゃった彼と同い年くらい?ってことは、」
四本腕は小綿が『発現者』であることを察した。
「えっ、死んじゃった.....?」
倒れている経一に気づく。
気弱で、人見知りな女の子小綿は、一歩、二歩と近づく。
「おいやめろ!むやみに近づくな!」
小綿の勝手な行動に警官は制止の念を伝える。
この国の警官は、犯罪者を逆上させないよう気を配る。
「君も『発現者』だね?」
「そうです、だから、あなたを許しません。」
十分に近い間合いにもかかわらず、か弱い拳の、右手の大振りを、四本腕は完全に舐めていた。
「『発現』して!!」
小綿は自分自身にそう呼びかける。
振り上げた小綿の腕は突如肥大化する。四倍ほどの直径となった彼女の腕は、四本腕に重く当たる。
下の腕で受け止めようとしていた四本腕だが、鉄球を叩きつけられたように吹き飛ばされる。
一発。
経一のパンチとは比べ物にならなかった。
四本腕は気を失った。
「おまわりさん、襲われた人を早く。」
真っ青な顔、紫色の唇で小綿はそう言う。
「私はちょっと......貧血で動けないので.....」
「あ、ああ」
警官は状況があまり呑み込めていない。
その時、経一がむくりと起き上がる。
「はぁ、はぁ、はぁ。」
息が異常に上がっている。
「いっ生きてる!?」
小綿が幽霊を見たような声で叫ぶ。
「あ、あれ、四本腕は.....?」
経一は気を失っている四本腕を認識する。
「え、これは、海野さんが......?」
「う、うん........。」
「すごく、強いんだね.........」
経一は再びアスファルトの上に寝ころび、事体の解決に胸をなでおろすのであった。