『発現者』
『発現者』とは一体何なのか、今経一と対峙している四本腕の男を例に説明しよう。
もし私たち人間が腕を切り落とされたらどうなるか。それは簡単、もう元に戻らない。
しかし、動物の細胞というのは本来、すべての細胞に分化する能力を持っている。
これを利用して、臓器や器官を作り出す、再生医療というものもある。
では、何故切り落とされた腕は元に戻らないのか?
それは、遺伝子発現の制限がされているためである。
腕を形成する時に発現する遺伝子というのは、胎児の、しかも極々初期段階でしか発現しない。
そのときには、余計な腕が生えないよう、精巧な誘導のもとに腕が形成される。
そして、形成された後は、腕を形成する遺伝子に鍵がかけられる。
それにより、腕を形成することはもう出来なくなってしまう。
だが『発現者』は、随意的にその鍵を外すことが出来るのだ。
余計に生えないよう調整されている腕を、自らの意志で生やすことが出来る。
『発現者』は、機能しないよう調整されている遺伝子を、自らの意志で『発現』させることができるのだ。
そのため、本来生えないはずの3本目と4本目の腕が、彼には存在する。
四本腕は倒れた警察官を上の方の腕で持ち上げ、下の方の腕で殴りつける。
「やめろおぉぉぉ!」
経一は、素早く走り出し、警官を掴んでいる上の腕の手首を殴りつけた。
「うぐっ。」
四本腕は衝撃で警官を離した。警官はそのままアスファルトの上に落ちる。
「なんだよ、もう応援が来たのかよ。」
経一の来ている制服を見て、四本腕は少し落胆した。
「(ほんとに腕が四本ある、、奴を行動不能にするにはどうすれば。)」
「えらく若い警官さんだねえ、もうちょっとこの腕で暴れさせてよ。」
四本腕がもつ腕は非常に鍛え上げられているように思えた。
長い年月をかけて鍛えたというよりかは、鍛えられている状態で『発現』できると考えた方がいいか。
「この腕、気持ち悪いでしょ?でも、この腕にはすごい力があるってわかったんだ。」
『発現者』はその身体異常から通り魔的な犯罪をする者が少なくない。
四本腕は、その典型のように思えた。
「(奴はまだ僕のスピードには慣れてないはず、頭を狙って一発で仕留める!)」
経一は一気に間合いを詰める。
「え、速、」
四本腕の胸元に潜り込む、多少体格差があるが、スローモーションの世界で顎を打つくらい余裕であった。
「うぐっ」
浅い。
体格差もその要因のひとつであるが、気を失わせるほどのパワーを経一は有していなかった。
「普通の人間じゃないね。もしかして君も『発現者』かい?」
そう言いながら、四本の腕を使い、顔と胴体を覆った。
「だったらどうした!」
経一は後ろに回り込み、背中に拳をいれる。
四本腕は即座に距離をとった。
「速い、速すぎるよ、力はないけど、このままじゃ俺はタコ殴りだ。どんな『発現』なんだい?」
「教えない。」
経一は早口でそう言い、再び距離を詰める。
態勢を低く取り、相手の足を抱えるように突撃する。ラグビーのタックルの要領だ。
四本腕は倒され、アスファルトに裸の上半身が擦り付けられた。
経一の『発現』は神経加速である。
神経もまた、『発現者』でなければ再生すらできない器官だ。
我々の体は、五感の情報から、運動の命令まで全て神経というネットワークでやり取りされる。
神経の情報伝達は電流によって行われる。すなわち電流の速度が、神経の情報のやり取りの速度ということになる。
しかし、我々脊椎動物は有髄神経というものを手に入れた。
神経に髄鞘という絶縁体を巻き付けることにより、電流を流すのではなく、電流を跳ばしたのだ。
よって脊椎動物の感覚神経、運動神経は、有髄神経をもたない生物よりとてつもなく速い。
だが、『発現者』である経一はさらにその上をゆく。
経一は神経をより太く、髄鞘をより大きくすることが出来る。
神経は太くなればなるほど電流の流れが速くなる。道が大きければ渋滞が起こりにくいのと同じだ。
髄鞘を大きくすることで、電流を跳ばす距離を増やし、より電流の流れを速くする。
結果経一は、世界を置いていくハイスピードを手に入れることが出来るのだ。
「痛てぇなあ!」
四本腕は屈強な下の腕で足に組み付いた経一を振り払おうとする。
しかし、スローでやって来る腕を避けるのは簡単だ。
素早く下半身から離れ、腕を回避する。
「いいなぁカッコよくて、俺の腕は気持ち悪いだろ?」
経一も自らの『発現』のせいで普通の生活を送ることが出来ない。
外観に異常はないぶん、四本腕からしたらよく見えるのも頷ける。
しかし経一は、『発現者』の評判を下げないために、『発現者』の社会進出のために、ここで戦わなければならなかった。
四本腕はふらふらと立ち上がる。
経一はすかさず顎を狙いに懐へ入った。
胸元から顎へ向かって拳を突き上げようとした、その時。
経一の顔面に鈍痛が走った。経一の鼻に拳がめり込む。
経一はスローモーションの世界ですぐさま理解する。
胸から腕が生えてきた事を。
「こういうとこに生やすとあんまりよくないんだけどなぁ。」
まだ水かきのついた5本目の手を慣らすかのように開いたり閉じたりしている。
経一は頭に強い衝撃を受けたためか、地面に倒れこむ。
「(痛い、痛い、でも、まだ意識はある......)」
「なんだ一発食らっただけでもうフラフラじゃねえか。」
経一は挑発に乗った。
「もっと速く、もっと太く、もっと大きく『発現』する!!」
科学的っぽいことをいろいろ書いてますが、演出ですので真に受けないでください。