Aの目的
新入生がほぼ全員校舎に入っていった所で、俺達写真部の仕事は終わった。
入学式自体の撮影はプロを呼んでいるらしく、俺達の出る幕はない。
まぁそれ自体はいいのだが。
「長い………………」
写真部顧問の柊木が報酬として入学式終了後に焼き肉に連れてってくれるとのことだ。
その為に部室で待機しているのだが、俺と金木征太郎、椿山秋穂の三人は完全に暇を持て余していた。
「もーあかん。腹ペコだよちくしょう」
「しょーがないでしょー。入学式はそりゃー長いよ」
金木のボヤきに秋穂が宥める。
入学式に参加するわけでもなく、ただただ時間が過ぎるのを待つだけの状況ほど刻の流れは穏やかだ。
俺は空腹という状態異常を除けばこの穏やかさは嫌いじゃない。
時間が過ぎるというのは世界が動いているという証明だ。
世界が動けばその分景色も変わる。景色は一分一秒とてまったく同じ景色をしていない。
その変化を俺は楽しみにしている。明日から新学期な為に遠出することは無理だが、次の休日は近場の公園に行ってみよう。そこは変哲のないただの公園だが、通学路の桜並木に負けないくらいの桜を見れる。
去年とはまた違った世界に心が踊り出した頃、部室の扉がスライドされた。
「よお待たせたな。思ったより時間食っちまった」
「やっと来たらぎっちょ! もう腹ペコペコだよ、俺」
春の陽気にやられて熟睡していた金木が覚醒した。
「すまねえすまねえ。教頭のゴルフ談義に捕まっちまってよ。ゴルフなんかこっちは知らねえのに、おニューのゴルフクラブ見せびらかしてきてよ」
「地獄だな」
「早く素振りしたくてウズウズするとか聞かされても、こっちはどうでもいいってのにな。まぁとりあえずこうして終わったことだし、早く行こうか。良い店知ってんだ………って、椿山はどうした?」
そう言えば居ない。俺は寝ていたわけではなかったのだが、いつの間にか部室からどこかに行ってしまったのにまったく気がつかなかった。
「津辻、どこに行ったか知らねえ?」
「知らない」
「仕方ねえな。手分けして探しに行こうぜ」
気怠げに立ち上がり、部室を後にする金木。
「一応メールは送ったけど、先生はここに居て下さい。秋穂が戻ってくるかもしれない」
「おうよ。ちょっとゆっくりさせてもらうわ」
誰がゆっくりしていろと言った。
少しムッときたが、部室に居ればゆっくりしてようがしなかろうが役目は務まるので何も言わない。
一色学園はAからCの三つの校舎がある。それらは全て渡り廊下で繋がっており、上空から見るとカタカナのコの字のように見えるだろう。
A館とC館の校舎は全て四階建てで、A館の二階から四階は各学年の教室がある。B館は二階から体育館があり、その下は道場や格技場が広がっている。奥に進むと各部室があり、写真部の部室もそこにある。
金木はA館に向かっていった事を考えると、俺は特別教室や五年程前に使われなくなったとされる旧昇降口のあるC館に向かうのが無難だな。
大声を出して探すのもいいが、はっきり言って体力の無駄だ。C館で秋穂が行きそうな所を考えればいい。
美術室、音楽室、書道室それぞれ当たってみたがそもそも鍵が開いていなかった。それもそのはずだ。俺達写真部のように顧問から頼まれでもしない限り、今日は部活動などやっていないはずだからな。
廊下を歩いていると、写真部の他にもう一つの例外を見つけた。野球部だ。入学式が終わるのを見計らって部活動を始めようと入念に準備運動中であった。
夏の大会に向けての練習が既に始まっている本格的な部活はやはり違うな。確か春休みでも活動しているのは野球部だけと柊木から聞いたことがある。その心意気を讃えてぼそりとがんばれと応援してみる。聞こえやしないだろうが。
しかし考えてみると当然ながらどの特別教室も鍵が開いていることはなかった。秋穂が立ち寄れるような場所などC館にはないように思える。
となると、C館は外れで金木の向かったA館に居るのかもしれない。
一度部室に戻ってみるかと踵を返す。
途中に携帯電話を確認するが、秋穂からメールの返信はない。送信して十五分ほどしか経っていないが、こうも気付かないものだろうか。
億劫だった為にしていなかったが、電話を掛けてみる。
………………留守電か。
二度目の着信を入れる。やはり出なかったか。
そもそも携帯電話を持ち歩いていない………………?
いや、その可能性は低いだろう。以前アプリゲームに嵌まってからというもの携帯電話を一秒たりとも手放さなくなってしまった秋穂だ。必ず所持しているだろう。
他に考えられるとしたら、何かに集中しているか、人と話しているか。
………………などと意味のない事を考えているが、考え事をしてないと腹の主が声を上げるのだ。
そういえばまだ旧昇降口を見ていなかったな。あんな隔離された空間に行こうと思うかはわからないが秋穂なら行きかねない。まぁ念のためだ。
部室に向かう前に俺はそこへ向かった。
旧昇降口には一度B館へと行き、一階から渡り廊下を利用しなければならない。元々階段があったはずなのだが、最近一階から二階へと続く階段だけ封鎖されている。確か教頭が全校集会で言っていた。理由は聞いてないが。
B館の渡り廊下の扉をスライドさせる。ガラスには養護教諭がどんなに手を入れ込んでも読んでくれないと嘆き、学校中の至るところに貼り出した保健便りが貼られて………………いない。保健便りのものであろう紙の端が一ヶ所セロテープで残されているだけだった。剥がされてしまったのだろう。
少し埃っぽくなっている旧昇降口に入ると話し声が聞こえてきた。どうやらビンゴか?
しかし、なにやら声が慌ただしく、穏やかではないようだ。
旧昇降口の奥、下駄箱の方に秋穂は居た。
ついでに教頭も。
どうやら秋穂は教頭と話している………………いや、叱られているのだろう。
しかし、秋穂が教諭相手に、ましてや教頭を怒らせるようなことをするとは思わないのだが。
「どうかしたんですか」
少し聞いていただけでも助け船を入れてやりたくなるほどの暴言の数々。教頭が生徒に口汚く罵ってもいいのだろうか。
「れっちゃん……………」
秋穂は少し泣いていた。まったく………………え、ん?
先程の俺の位置からでは秋穂が盾となっていて見えていなかったのだが、隣に誰かいるじゃないか。
………………あ、彼女はさっきの桜並木の子じゃないか。
一瞬体が火照り、体温が少し高くなったのを感じとれた。
「なんだね、君は。この子らの関係者か?」
教頭が振り返り、眼鏡の中心部を指で直しながら俺に尋ねる。
「あ、はい。そうです」
「この子らにも言ったが、君は見たところ新入生ではないだが、何故学校に来ているのかね?」
「はあ、俺達は写真部なんですよ。顧問の柊木先生に頼まれて新入生の登校を撮影していました」
「そうかね。だが入学式は既に終わっている。ということは君達の役目もとっくに終わっているのではないかね? 何故下校せずにこんな所にいるのか説明しなさい」
「説明しなさいって言われても………………秋穂、なんで?」
「あたしはただこの子に校舎の案内をしていただけです」
校舎の案内っていうと、やはりこの子は他校の子なのか。いや、教頭が制服が違うことに触れていない事を考えると、教頭はこの子を知っている。となると、転校生なのだろうか。
「だそうですけど、何か問題でも?」
「問題ならある!」
うわっ、いきなり怒鳴りだした。
「校内の案内というなら他にも案内する所があるはずだ。そもそも部活動が終了したのなら即刻帰宅するべきなのだ。これは校則違反だぞ」
「は、はあ?」
校内を案内するのに旧昇降口を案内した秋穂もおかしいと言えば俺もおかしいと思うが、それを理由に激怒するのは妙だ。
教頭の表情を見る限り確実に怒り心頭と言ったところだ。額には汗が溜まっており、目は泳いでいる。
焦っている?
教頭の怒りは他にあると俺は考えた。
それは恐らく秋穂達が何か悪さをしたわけではなく、他の理由。
「あの、いくらなんでも横暴過ぎませんか?」
考え始めたところで秋穂の後ろにいた転校生と思われる女子が言った。
「私達はただここに入っただけで何もしていません。先生が来なければすぐに出ていくつもりでした。それが悪いことなんですか? 立ち入り禁止だったなら謝りますが、それなら立ち入り禁止と貼り紙や扉に施錠するなり対策をするべきではないですか。それを怠った先生達にそこまで咎められる筋合いはないと私は思います」
…………………随分言うな、この子。
俺達の立場からすれば正論だと思う。しかし、ここでははっきり言って火に油だ。今の教頭は冷静な判断が出来なくなっている。そんな事を言ってしまえば………………。
「私に向かって何だその態度は!」
こうなる事は予想つく。
「ちょっと教頭先生。落ち着いてください!」
転校生の女子に掴みかかろうとする教頭の前に出て阻止する。
さて、完全に拗れてしまったが、どうするべきか。
ここまでの怒りはこの子の発言の為だが、その根っ子となるものはなんだ。
この子の発言で秋穂達が教頭よりも先にここに居たってことはわかった。
しかし、秋穂達は何もしていないのに教頭に絡まれたと言う。教頭にとって俺達が旧昇降口に居るだけで都合が悪いのだとしたら?
何も確証はないが、俺は周囲を見渡した。
ボロボロでニスが朽ち始めている木材で出来た下駄箱。その下には乱雑に放り投げられたような箒と塵取りがあり、ガラスのような物を回収していたようだった。
去年の文化祭で使用したであろう小物なども下駄箱の上に置かれているおり、物置のようになっている。
昇降口のドアは全て透明のガラスで、中央にだけ端が一ヶ所千切れた保健便りのプリントが貼られていた。
ドアのすぐ先は塀があり、滅多なことじゃこの裏を通ることはなく、寂しげな雰囲気が漂っている。
………………なんだあれは。揺れている?
「どこを見ているんだ!」
あからさまに反応したな。
どうやらあれが原因で間違いないだろう。
「教頭先生、まずは俺の話を聞いてくれませんか」
それを利用しない手はない。うまくいけばいいが。
「勝手に入ってしまったのはすみません。つい好奇心で入ってしまいました。でも、不思議に思いませんか? 教頭先生もご存知と思いますが、いつもならここは施錠されていて生徒なんか入ってなどこれない。それなのに今日は解錠されていた。何故だと思います?」
「………………な、何が言いたい」
よし、動揺してくれている。
「当然ですがここの鍵など生徒が借りれるわけがない。ましてや盗むのも不可能だろうしそもそもここの鍵を盗んで侵入したところで目的が見えない」
一瞬不良のたまり場を想像したが今は関係ないので言わないでおく。
「もちろん俺達はここの鍵など持っていません。では何故ここの鍵が開いていたと思いますか?」
「………………生徒に無理なら、先生?」
答えたのは教頭ではなく、転校生の女子だった。まさか答えが来るとは思わなかったので一回咳払いして立て直す。
「そう。仮にそれをAと呼称するとして、そのAは何故ここを開けたのか。ここは人通りもないし広い。隠れて何かをするにはうってつけだ。まぁここまで広げてなんだが、目的については……………」
横目で教頭をちらりと覗く。
………………大分切羽詰まっているな。
「ここでは言及しないでおきましょう。教頭先生、俺の言っている意味はわかりますね?」
「お前………………私を………………」
「俺達は偶然、Aが何らかの目的で解錠した旧昇降口に入ってしまい、濡れ衣を着せられそうになっている。教頭先生、俺達はもともともう帰るつもりだったんです。Aがここを使って何をしようが何を振り回そうが俺達には関係ないんですよ」
とあるキーワードに教頭は目を見開く。よし、仕上げだ。
「なんなら罰としてここの掃除でもしましょうか。ガラスもピカピカにしてみせますよ」
そう言うと教頭先生は青筋を立て、歯軋りを立てる。その姿は怒鳴りそうになるのを必死に耐えているように見え、身体中が震えていた。
正直言って生きた心地はしなかった。逆ギレされでもしたら何のために俺がここまで考え尽くしたのか。
教頭は一度大きく深呼吸をすると、全身の震えが止まった。
それから人が変わったように無表情となり、俺を睨んだ。
「わかった、私にも誤解があったようだ。掃除はしなくてもいい。君達はもう帰宅しなさい」
その声はまだ怒りが籠っていた。しかし、本当に俺達は関係のないことだし、教頭の主張は理不尽なものだ。
「ありがとうございます。では、さようなら」
教頭のことは元々好きでも嫌いでもなく、はっきり言えばどうでもいいという存在だったが、俺からの評価は今回のことで大きく下回った。自らの非を必死に隠そうとしているあの姿はとても醜く見えた。
「秋穂、行こう」
だから頭は下げなかった。一秒でも早くここから出ていきたかったからだ。
秋穂と転校生の女子は俺の後ろをついてきて旧昇降口から脱出した。
律儀に一番後ろに居た転校生の女子が扉を閉めると緊張の糸が切れたのか、全身から汗が噴き出てきた。
「………………ありがとう、れっちゃん」
「いや、気にするなよ。お前のせいじゃないから」
今頃金木や柊木が腹を空かせて待っているはずだ。早く向かわなきゃな。
「あ、あの……………少し聞いてもいいですか?」
転校生の女子から話しかける。教頭とは別の緊張が生まれた。
「何故あの先生は突然帰ってもいいと言い出したのでしょうか。あの先生は尋常なく怒っていました。教頭先生ならばその権限を使って私達に罰としてあそこを掃除させてもおかしくなかったと思います。それなのにあなたが自ら罰を受けると言ってもそれをさせなかった。何故だったのでしょうか」
「話してもいいけど、言いふらしたりしないようにな」
「約束します」
秋穂も気になっていたようで。首をこくこくと縦に振った。
「教と…………いや、Aにとって俺達は旧昇降口に居てほしくなかったんだ。自らの非がバレてしまうんじゃないかとAはとても焦っていた」
「非……………ですか」
「そう。そもそも秋穂達が旧昇降口に入れたことがおかしかったんだ。普段使わない特別教室でさえ施錠しているんだ。半分倉庫と化している旧昇降口を施錠していないわけがない。まぁそこは知らなかったから、かまをかけてみたけどな。埃が溜まっていたし、確信はしていたが」
「じゃあ誰が鍵を開けたの?」
「いや、それははじめから明確だったろ。ちょっとは自分で考えろよ」
転校生の女子は既に気付いているようだったが、秋穂は唸ったまま戻ってこない。仕方なく耳打ちでAの正体は教頭だということを伝える。
「ええっ、そうなの?」
「いや、わかるだろ普通。とにかく、Aはここで何かをしたかったんだ。ここからは俺の想像だが、Aは根っからのゴルフ好きで、買ったばかりのゴルフクラブを家から持ち出して人に見せびらかすほど熱烈らしい。しかし、Aは教師だし立場もあった。だから買ったばかりのゴルフクラブを素振りしたくてもできなかったんだろう。人通りが少なくて広さがそこそこある旧昇降口以外にはな」
「あ、じゃあまさか」
「そう。Aの非はその行為から及ぼしたもの。恐らく勢い余ってガラスを割ってしまったんじゃないか? すぐに周辺のガラスを箒と塵取りで回収し、B館の渡り廊下の扉に貼ってあった保健便りを剥がし、それで割れたガラスを隠した。相当焦ってたようだからね。保健便りの端が一ヶ所だけ千切れていた」
決め手となったのはプリントがすきま風で揺れていたことだ。あれじゃガラスに穴が空いてるのは一目瞭然だ。
「なる……………ほど。じゃあ外のガラスの後処理をしている最中に私達が来てしまった、という繋がりになるのでしょうか」
「多分そうじゃないか。プリントで割れた穴を塞いだとは言え、気が気ではなかっただろうね。だからAは余計なものを見ていないか執拗に問い質していたんだ。まぁまさか見抜かれた上に脅されるとは思ってもいなかっただろうけど」
「え、脅し………………?」
「そう。Aの前でこの推測を話すことも考えたが、拗れるのは目に見えていたし、逆ギレなんかされてこれ以上時間を使わされるのは堪ったもんじゃない。だから言外にこう伝えたんだ。『あなたの行いを今ここで露見させてもいいんだぞ』ってな」
「え、いつ言ったの」
「だから言外にって言ったろ。直接伝えたわけじゃないんだ。まぁAには伝わったようでよかったけど。とまぁ、こんな感じだ。一応約束は約束だからな。言いふらしたりはしないでな」
「わかりました。………………Aに対しては納得できそうにないですが、理解できました。ありがとうございます」
「あ、いや………………大したことないよ」
「いえ、そんなことないですよ。大した慧眼ですよ。そういえば自己紹介がまだでしたね。私は明日からこの学校に編入することになりました、露草水菜と申します。どうぞよろしくお願いします」
「あ、ああ。俺は津辻。よろしく」
「下の名前は教えてくれないんですか?」
う、聞かれてしまったか。
「あぁ、いや、教えたくないというわけじゃないんだが、あまり好きじゃなくてな」
「"恋"と書いて"れん"って言うんだよ」
「おい、秋穂!」
くそ、だから嫌なんだ名前を聞かれるのは。
男なのに乙女チックな名前なのははっきり言ってナンセンスだ!
恨むぞ親父にお袋!
「津辻恋………………良い名前ですね」
えっ。
ふふふ、と微笑む露草。まさか初見で笑わないとは。
名前を褒められるのは初めてで、どういう反応すればいいかわからない。とりあえず自分からもう一度名乗るか。
「あー、オホン。改めて、俺は津辻恋。よろしく」
「はい、よろしくお願いします」
差し伸べられた手を繋ぐと、体温が急上昇する。この動悸は一体なんだ?
「あたしは椿山秋穂! よろしく!」
「さっきも聞きましたよ、秋穂さん」
と微笑みながら次は秋穂と握手する。少し名残惜しい。
「そうだ、水菜ちゃん。これから写真部のみんなとご飯食べに行くんだけど一緒に来ない?」
「え、それは部活動の人達と行くのですよね。私が行ってもいいのでしょうか」
秋穂の言葉で俺が腹を空かせているのを思い出してしまった。
「大丈夫だろ。柊木なら断らないだろうし」
「そうですか。ではご一緒させていただきます」
「んじゃあ、行こうか」
そう言いながら俺達は部室へと足早になりながら向かった。
途中、鳴りそうになるお腹の音を必死に隠しながら。