009話:陰陽師修行其ノ参
火邑はやや緊張した面持ちで、見式台へと足を進めた。途中、転びそうになるなど、その鈍くささは火邑らしいと言えばらしいが、緊張のためか、いつもよりも多かった。煉夜はため息を、水姫はあきれ顔をしていたのは言うまでもない。そうして、水姫が下りた見式台にだいぶ時間をかけて上がった火邑の目の前には、ずんぐりむっくりとした犬のような、それでも犬ではない、簡単に言えばタヌキが現れたのだ。
「おぉ……タヌキだ……。お兄ちゃん、タヌキだよ」
やや興奮した口調の火邑は、出てきたタヌキを撫でたり触ったりとして弄ぶ。そして、火邑は言った。
「よし、決めた。この子は《タヌ吉》!」
子供が猫を拾ってきてタマ、犬を拾ってきてポチと名付けるくらいに安直だ、と煉夜は思ったが、いまどき、そんな名前を付ける方が珍しいだろう。逆に個性的と言えるかもしれない。
「本当にそんな名前でいいのか……?」
煉夜は思わず口に出してしまったが、皆の気持ちも似た様なものだっただろう。ただし、やけっぱちで《焼き鳥》などと名付けてしまった八千代は除く。
「はぁ……、こういう時、最後ってのは嫌だが、前があれだったから良しとするか」
そんなことを言いながら、煉夜は、見式台まで行く。そして、見式の陣に入った瞬間、その違和感が煉夜の身体を襲った。
(これは……)
煉夜の持つ魔力が吸い取られるようなそんな感覚があったのだ。そう、その人に合った式神を呼ぶにはどうするか、と言えば、その資質を感じられるようなものを参照するしかない。普通なら、周りの霊力を、体を通して、陣に流し込むことで、その力量を測るのだが、煉夜の場合、霊力を通す以前に、自身の身体に大量の魔力がある。陣はその魔力を霊力と誤認して一気に吸い上げる。
(おいおい、洒落にならねぇぞ。大規模魔術を使った時くらい、一気に奪われたじゃねぇか)
煉夜の持っている量だからこそ、外の霊力と間違われるほどであり、しかも、さらに、皆が使った後の減った霊力でありながらも、それをその身に通して陣に送っている。
そして、煉夜の対面には、何やら怪しげなものが何本も生えてくる。今までの式の大きさの比ではないほどに大きい。そして、その体は、見式台の大きさを遥かに超えている何かだった。
「それで……儂を呼び出したのは、主様ですか?」
発せられる霊気が神々しく、尋常ならざるものであることを、その場にいた全員が思い知る。身体が動かないのだ。指先すら、顔の筋肉すら動かない。まばたきの一つもできない。
ただ、雪白煉夜と言う例外を除いては、ではあるが。
(ほぉ……中々の力。魔物や怪物よりも神や精霊に近い存在だな。いわゆる神獣ってやつだろうかな?)
そんなことを考えながら、煉夜は、目の前のそれに対して向き合った。それは煉夜に視線を固定する。
「ああ、そうだ。俺があんたを招いた」
煉夜の物言いがどこかおかしかったのか、それは笑った。そして、その笑い声を交え、言う。
「面白いですね。今まで、随分と人間を見て、或いは聞いてきた儂ですが、『あんた』だの、『招く』だのと、まるで、儂を人のように扱うとは奇怪です。普通は、『お前』とか『これ』とか物を扱うようだと聞いているのですがね」
「何、狐とはやや縁があって、ね。ミーシャの件では、いろいろと迷惑をかけたものだから、ついあんたのような存在には物や動物として扱えないんだよ」
そう、煉夜の前に居るのは、九尾の狐だった。幼体で現れた七雲の八尾などとは違い、れっきとした成体で、煉夜の前に存在している。
「契約するにはこのように面白い人がいいですからね、気分が悪くならないので。おっと、いつまでもこの姿では、儂の神気に当てられるものもでてくるでしょうな」
そう言って、子狐の九尾に変わってしまう。変化、そう呼ばれるものだが、その原理は陰陽師でも解明できていない。
「なるほど、6色目……いや、この場合は、何本目だろうか?」
彼の知る狐とはただの狐ではなく、目の前の狐もただの狐ではない。狐に縁があるという彼の言葉の通り、狐をそれなりに知っている。
「なるほど、儂の体質も存じておられるようで」
そんな風に鳴く九尾の子狐。煉夜はため息を吐きながら、その名前を適当に考える。九のつく名前をと思ったが安直すぎる、と思った煉夜は決める。
「じゃあ、行くか、《八雲》」
はて、ここで発生した名前の問題。稲荷家本家三席の七雲と名前が近いのである。これは意図したものではなく偶然だ。何せ、煉夜は七雲の名前を知らないのだから。
「……ねぇ、煉夜。いえ、煉夜さん。いえいえ、煉夜様!」
見式台を下りる煉夜のところに台風もかくやと言わんばかりのスピードで八千代が駆け寄ってきた。その面倒臭そうな気配から逃げようとするが、一歩遅く、襟首をグッと掴まれ、煉夜は危うく首が締まって死にかけた。
「ちょっと、なんで逃げるのよ!貴方、昨日の話覚えてるでしょ!」
煉夜は「覚えているから逃げるんだよ」と言いたかったが首が絞まっているため言えなかった。
「っと、あ、……ゴメン」
八千代は自分が首を絞めていることに気付いて、煉夜の襟首から手を離す。やっと解放された煉夜は地面へと落ちた。
「こ、殺す気かよ……。なんだ、俺が狐を引いたから亡き者にしようとでも?」
咳き込みながら煉夜は言った。無論、そんなつもりがないことくらい煉夜も分かっているが、殺されかけた恨みからからかったのだ。
「ち、違うわよ。それにしても、何だって貴方が九尾の狐を呼べるのよ!おかしいじゃないの!」
八千代が怒鳴り散らすが、正直言って、煉夜にはどうしようもない話のため、肩を竦めるだけだった。
「俺がどうにかできる話じゃないだろう?」
煉夜がそう言って、立ち上がる。一応、これで、今回の式神の召喚に関しては終了した。もう、これ以上、この場にとどまる意味もなくなっているのだ。もう、無沙士はこの場から姿を消している。
「ちょっと、やちお姉ちゃん、人に八つ当たりしてないで帰るよぉ!」
七雲が八千代の首根っこを掴んだ。そして、無理やり引っ張っていく。煉夜はそのようすを見ながらため息を吐いた。
「ったく、昨日話していた通りの展開になるなんてな。あの時、フラグが立ってたってことか。最悪だ。まあ、八千代が狐を引けたかどうかはともかくとして、俺が狐を引くことはないと思ってたんだがなぁ……」
既にミーシャがいるから別の動物が来ると、煉夜はそう考えていた。しかし、現実としては、ミーシャがいたからこそ、狐が来たということだろう。
こうして、式神の契約が終わったのだが、それぞれの家に様々な問題が生じたことは言うまでもない。そして、それは雪白家でも同じだった。水姫、煉夜、火邑が帰宅して、各自が自室で寝ているのを確認した後、木連達は集まっていた。
「やはり、結果はこうなるか……」
木連の呟きは、静まった部屋にはやけに大きく聞こえた。煉夜の父、煉夜の母、そして美夏。この部屋にいた他の者は誰もしゃべっていなかった。それだけ今回の式神契約が驚きだったということである。
「水姫殿が人型の式を呼ばれたのは当然と言ったところでしょうが……、煉夜が神獣と契約するとは」
煉夜の父は困惑したように言う。水姫の実力なら人型の式は当然契約できる、と言うのは全員の見解だった。しかし、煉夜の実力を測り損ねていた彼らは、煉夜も水姫同様人型がいいところだろうという意見にまとまっていた。木連以外がそのように思っていたからだ。
木連だけは、もしかしたら人型以上の何かを呼ぶ可能性もあることは考えていたがその可能性は低いと思っていた。
ここ100年近く、司中八家の人間で、神獣と契約したのは2人しかいない。それもどちらも本家の筆頭であり、生まれながらに頭角を現していた神童だった稲荷一休と市原栄那。最近の中で、最も強いのはこの2人だろうと言われている。木連や煉夜の父は栄那と知己があったが、その強さは夢でも見ているかのようだった。一休は、行方不明となったため、どうなったかは知られていない。
「かの栄那殿と同じ域に居る……と言うことなのでしょうかね」
憧れ、けれど決して届かない位置にいると持っていた存在に、自分の息子がいるのかと思うと煉夜の父は複雑な気持ちになった。
「よもやそこまでとは思わないけどね」
話にしか聞いたことがない美夏は、栄那の実力は分からないが、それでも伝説に並ぶ存在と言われている人物と分家の人間が並ぶなんてありえないと考えている。
「しかし、この京都にいる中で唯一、神獣を引き当てたという事実は認めねばならないだろう。おそらく他の家でもこの事実について話し合いが進んでいるのだと思う」
それは事実であり、特に稲荷家、市原家では話し合いが進んでいる。稲荷家の問題は特に顕著の為、おそらく夜通し話が続けられる。
「その力が如何ほどか……、測れればいいのだが……」
木連ですら、煉夜の力がどのくらいかがいまだに分かっていない。底が知れないことが恐ろしくも感じた。
「《調識》の式を使って分からなかったのですか?」
煉夜の父の言葉。《調識》とはその名の通り、調べ識る式のことである。しかし、それで
分かるのは、自分の認識が届く範囲までだ。それも、煉夜自身に気付かれないように使うには相当時間と手間がかかる上に、分かる範囲も狭まるだろう。
「全く分からない。それこそ、名前とかそう言ったことしかわからなかった」
そう、得意の系統や魂の性質はおろか、年齢すらわからないということになる。それは本来おかしいことなのだ。意図的に妨害されていないのだとしたら、そうなるはずがない。木連はそう考えていたが、その事実は違う。煉夜は妨害などしていないし、分からないのも当然なのだ。
自分の認識できる域……煉夜の年齢は木連の認識とズレているし、陰陽術の系統とは別の系統を得意としているし、そして、その魂の性質は魔女によって歪んでいる。それゆえに、木連がそれらのことを計り知ることなど到底不可能なのだ。
それが分からない彼らの話は夜が深い時間になるまで続いていくのだった。