007話:京都散策其ノ弐
煉夜は、陰陽術の修行もないので、少しばかり京都を見て回ることにした。修学旅行等でさんざん来ている京都ではあるが、回り切っていないので、見ることのできていない場所を少し訪れることにしたのだ。
無限に連なるかのように思わせる鳥居。それは、伏見稲荷大社の千本鳥居と呼ばれる場所である。煉夜が主に修学旅行で訪れたことのある鹿苑寺や二条城、清水寺なんかとは少し外れて南側にあるので、まとめて見る機会もあまりない。おそらく、嵐山や大阪の方へと流れてしまう観光客もいるので、最初から伏見稲荷大社を見ようと決めていなければ、ついでで見る、ということもないと考えられる。そう言った経緯から煉夜もきちんと訪れたことはないのだった。
「ここが伏見稲荷、か……」
近年では、千本鳥居の美しさに魅入られた外国人訪れることで、日本国内でも知名度を上げている人気の観光スポットである。夏休みの旅行で京都を見に来た観光客でにぎわっているのも不思議ではないだろう。
なお、この伏見稲荷大社の千本鳥居は、千本以上あるとされていて、一万本あるとかないとか。長く連なった鳥居を煉夜は、くぐっていく。それなりに長いため、煉夜は普通に歩くと時間がかかると判断し、少しペースを速めた。鳥居の途中で写真を撮る観光客などを避けながら、何とか千本鳥居を抜ける。
すると、そこには一対の灯篭があった。これが俗に言う「おもかる石」である。どちらかの灯篭で願いを祈念し、灯篭の空輪を持ち上げてそれが自分の想像よりも軽ければ願いが叶い、重ければ願いが叶わないと言われている。
そんな説明の木板を見て、煉夜は、何を願うか考える。今の彼に願いと言える願いは、あまり思い浮かばなかった。しかし、1つだけずっと思っていることがある。
(できることなら、あいつらともう一度会いたい)
その切実なる願いを込めて、空輪を持ち上げる。その空輪は煉夜が思っている以上に軽かった。本来の人の感想ならば、この程度の丸い石がそこまで重いとは思えないので、予想よりも重い、となる。しかし、煉夜は、かつて、これよりも小さくて、これよりも重い鉱石を持ったことがあるので、その経験から脳が勝手にこの石を思いと錯覚していた。だから予想よりも軽くなったのだ。
(つーことは願いが叶うのか?まあ、願掛け程度にはなる、か……)
そんなことを考えながら、煉夜は「おもかる石」を後にする。そして、またしばらくの後に、絵馬やらなんやらがある本殿の近くまでたどり着く。狐の絵馬は自分で自由に顔を掻くことが出来る。近年では妙な落書きの絵馬が増えつつあるが、やはりきちんと狐を書いてあるものもある。
近くには、スズメの丸焼きなるものが売っている売店もあるのだが、スズメの収穫時期は冬であり12月から2月までくらいに売られている。ウズラの丸焼きがあるので、煉夜はそれを買って物は試しに食べてみる。鳥は鳥なので、普通に鳥肉だ。他にもお土産の狐せんべいなどもあるが、京都府民に京都のお土産を買うのもおかしな話なので何も買わなかった。
そうして、一通り見て歩き、狛犬ならぬ狛狐とでもいえばいいのか、そう言ったものを見ながら、時間を潰すと、気が付けば、周囲に観光客のいない奥地にまで足を踏み入れてしまったようだ。
煉夜は、周囲を見渡すも、木々が邪魔をして自分の位置がつかみづらい。木々を越える高さまで跳びあがってもいいのだが、誰かに見られると厄介だ。いっそのこと転移をすることも考えたが、この伏見稲荷大社がある伏見区の近辺は京都司中八家で言う「稲荷家」の領分なので、「式は使うな」と忠告されているから、そう言った類の霊力、魔力が感知されそうなものは控えることにした方がいいという考えだ。八方ふさがりの煉夜は、勘に任せて適当に歩く。
すると少し開けた場所に出る。大きな岩がぽつんとあり、その周辺には木が生えておらず、少しだけ開けていたと言える。
「あら、迷い人?こんなところまで来るなんて珍しい」
大岩に腰を掛けて空を見上げていた女性が、煉夜を見る。白の透け感のあるシャツで腕や肩、デコルテなどは薄ら透けている。また、紺のスキニージーンズをはいていた。
「そもそも、ここには入れないようになっているはずなんだけどね。隙間に入ってしまったのかしら?」
そんなことを言いながら、彼女は霊力を込めて、この周辺の結界を確認する。いわゆる人避けの効果を持つ呪符を使っていたので、本来なら、人は無意識にここを避けるようになってしまう。
(人避けの類か……?しまった、その辺は俺に効かないからな。油断していた)
煉夜ならば、人避けがあることに気付いて、効いていなくても近寄らないようにしていたはずだが、観光地に来たことで気が緩んでいたのだろう。
「まあ、いっか。ここは、あたしのお気に入りなの。いい場所でしょう?」
そんな風に彼女は言った。木々の間をそよ風が伝い、木の葉が揺れる。涼しくて、いい場所だと言えよう。煉夜もそう思った。
「ああ、確かにいいところだな」
だから、その言葉が自然と口から洩れていたのだろう。嘘も脚色もない、飾り無い本音。それだけこの空間がいい場所だと思えた。
「そっか、そう言ってくれるんだ」
そんな風に笑う女性は、小声で「まあ、ここは霊力が安定して供給できるだけの力が湧き出るパワースポットだから、かもしれないけど」と小声で付け足した。
(まあ、魔素がこれだけ多ければ居心地がいいのも納得なんだがな)
そんな風に煉夜は思う。大量の魔素の中にあって心地いいと感じるのは、煉夜のように魔素を持つ人間や、水姫達のように魔素と言う霊力を扱う人間に限られる。その中でもこれほどの量になると才あるものでなくては逆に多すぎて気分が悪くなる。
パワースポット、というのは魔素溜りと変わらない。しかし、あくまで適量な魔素の溜り場なのである。そして、魔素が多すぎると今度は心霊スポットと名前が変わる。この多い魔素溜りというのは、山の中などに多く、それゆえに、トンネルや山の麓などにあることも多い墓地などに心霊スポットと言うものが多くみられるのだ。
「あたしは、八千代。稲荷八千代よ。貴方は?」
半ば予想していた煉夜だが、その名前に「やはりか」と思い、どうしたものかと考える。ただ、至った結論は、こちらがどういった立ち位置なのかが分からないから相手の反応に任せようというものだった。
「俺は雪白煉夜だ」
その名乗りに、目の前の女性は目を丸くした。煉夜の名前に驚いたのだろう。そしてしばし考える。
(雪白ってあの【日舞】の雪白家よね。でも煉夜なんて言う子がいたかしら……。って、ああ、最近来た分家筋の子ね)
その答えに至って、納得する。本当に雪白家の人間なら、偵察と言うことも考えたが、しかし、分家筋で最近来たのなら迷い込むのも納得できると言うものだろう。
「そう、貴方も司中八家だったのね。だったら、明日の式契約の件は聞いているわよね?」
煉夜は「そう言えば、そんな話もあったな」と呟いた。煉夜にとってはどうでもいいことだったので大して記憶に残っていなかったのだ。
「そんな話もあったな、って、貴方、司中八家の次代決めの中でも重要な催しなのよ」
興味がないものは無い、と煉夜はそう思っている。それがいくら家で大事なことであろうと、煉夜には関係がない、と。
「まあ、いいけど。あたしは、目標があるのよ。そこで、九尾の狐をあたしの式神として契約するって」
【天狐】の稲荷家の名の通り、その家は「狐」信仰の家系である。天狐とは四尾の神獣であり、それを宿した例としては稲荷九十七など。そして、その天狐は徐々に、蒼紅家に交じっている。
「お姉ちゃんですら八尾の狐が限界だった。だから、あたしはそれを越えて九尾を召喚するって決めたのよ。まあ、てか、せめて狐を出さないといけないんだけどさ……」
稲荷家の人間が式と契約するために、自分と適したものを呼ぶ場合は、ほとんどが狐になる。尻尾や位に関わらず、狐であることは確約されているも同然だ。しかし、それでも絶対にとは言いきれない。過去には狐以外が出ていることもある。
「まあ、狐以外が出たら、狐を出した人と結婚することになるんだけど」
そう、毎年、誰かが狐を出す。そして、それが稲荷の人間で無ければ、その人間と結婚することになる。それは稲荷の仕来りだ。
「結婚、か……」
煉夜も煉夜で、結婚というワードには少し思い入れがある。それもいい思い出ではない。
「まあ、あたしが狐を当てりゃ結婚しなくて済むからね。結婚相手も自分で決めたいし」
そんな風に言いながら八千代は煉夜を値踏みするように見る。八千代は、煉夜の姿を改めて見る。顔は悪くない。むしろいい方だろう。
「……貴方が狐を当てたら、別に結婚してもいいかもね」
八千代の言葉に、煉夜は、過去を思い出す。こういう時、無視はよくない、それに肯定もよくない。それを経験で知っている煉夜は、敢えて言う。
「なんだ、プロポーズみたいなものか?」
茶化す。無視すると怒って意固地になる、肯定すると実際そうなったときその通りのことにある。すなわち、どっちにしてもなってしまうのだ。茶化して「なあなあ」にするのが一番、それが煉夜の考えだ。
「冗談よ。真に受けないで。そもそも、今日初めてあった人に求婚するほどあたしは安くないわよ」
気恥ずかしくなったのか、そんな風に言ってごまかす八千代。ただ、その本心は、本気であった。それを煉夜は感じ取っていたからこそ、敢えて茶化すなんて言う真似をしたのだ。
「ねえ、煉夜。貴方は、……仕来りに反対することはなかったの?」
ポツリと八千代が呟く。それは八千代が思ってきたことだ。別に、八千代自体は当たり前だと思っていたことだから疑問はない。だが、最近やってきたという煉夜は違うのではないか、と思ったのだ。
「別に反対はしないさ。それがウチのルールってんなら」
その瞳の色には嘘や虚言はなかった。それに、煉夜は別に陰陽師になることが嫌なわけではないのだ。
「でも、普通に生きられたかもしれないのに、縛られるのよ。特に、貴方は分家でしょう?それこそ、本家筆頭が急死でもしない限り、貴方が台頭することもないのに」
「俺は表に立って仕切るような性格じゃないしな。それこそ、水姫はそう言う性格だろうさ。堂々として、家を仕切るのは向いているんじゃねぇかな」
そんな言葉に、八千代は何を言おうか逡巡したが、その煉夜の達観したような、表に立つのはもう満足だ、というような何とも言えない顔に息と言葉を呑んだ。
「それに、迷惑したのは引っ越しくらいで、それ以外には特に面倒なこともないからな」
苦笑する煉夜。それを見て、八千代は思う。彼のことが知りたい、彼のことが気になる、そんな心の底から湧き上がってくる思い。
「じゃあ、引っ越す前……こっちに来るまではどんなことをやっていたの?」
そんな風に聞いてみた。煉夜は、「んー」と迷いを見せるも、その迷いは「普通」としか返せないからどう答えるか、という迷いだ。
「別に普通だぞ。高校行って、友達と駄弁って、帰ってゲームやって、そんなのの繰り返しだ。面白くもなんともないだろ?」
だが、八千代はその返しに、決定的な何かを隠しているのではないか、というような違和感を覚える。何かが何かは分からない。
「……ねえ、なんとなくだけどさ、貴方、時々、すっごい年上なんじゃないかって思うような雰囲気を醸し出すときがあるのよ。一見、年相応なんだけどさ。何か、隠してない?」
八千代の鋭い指摘に煉夜は思わずどう反応すればいいのか迷ったが、真実を言ったところで信じてもらえないだろうし、と誤魔化すことにした。
「そんな変なことはない、普通の高校生さ」
八千代はその言葉で言いたくない何かがあると察して、口をつぐんだ。そんなとき、八尾の仔狐と女性が現れる。
「八千代ちゃん、そろそろ身清めの時間だよ」
柔和な雰囲気の女性で、煉夜よりも数歳年上に見えるが、実際は煉夜と同じ年の18歳である。なお、年上にみられることにコンプレックスを抱いている。
「お姉ちゃん。分かったわ。煉夜、また明日、契約の儀で会いましょうか」
そう言った八千代に対して、九十九は煉夜をジッと見る。そして、八千代同様値踏みするようにしばらく見たあとに頷いた。
「雪白煉夜、わたしと同い年だね。それと私立山科第三高校2年生、だったかな」
その発言に煉夜は違和感を覚えたが、其処に言及する前に、九十九と八千代は八尾の狐を連れて行ってしまった。そして、煉夜は気づく。
「……誰か帰り道を教えてくれ」
そう、煉夜は迷ってここにたどり着いたのだ。そうして、煉夜はしばらく道に迷った後に、ようやく道と呼べる道へと出ることが出来たのだった。




