006話:休日の学校にて
教師と言うのは、夏休みだからと言って学校に来なくていいわけではない。休みが無いわけではないが、休みっぱなしというわけでもないのだ。仕事もあるし、また、部活動等に来ている生徒がいることもあるからそれらの面倒を見るということもある。不審者が入ってこないとも限らない。
「はぁ……授業プランを考えなくていいのは助かりますが、それでも、一日中、職員室でこもり切りだと流石に肩が凝りますね」
見た目が少女にしか見えない教師は、同僚に向かって言った。そんな同僚は、その言葉で何かを思い出した、とばかりに、資料を差し出して来る。
「これ、君のクラスに来る編入生の資料。忘れてた。くれぐれも校外に持ちださないでくれよ。情報漏洩とかいろいろ言われてるから」
教師は受け取ると、資料を見ないでそのまま思ったことを聞き返した。自分で口を滑らせたとも気づかずに。
「あ、はい。でも、この時期に編入生が2人もいるんですか?」
それを聞いた同僚は、不思議な顔をして、教師に向かって問いかける。
「あれ、編入生が2人って誰が言ってた?」
それを言われて教師は思わずハッとした。自分で口を滑らせたことに気付いたのだ。別に言ってマズい話はどこにもないのだが、それでも教師は誤魔化す。
「あ、いえ、なんとなくです」
実際は、煉夜が3年生で、教師が2年生の担任なので、3年生と2年生で2人と思っただけである。
「まあ、1年の編入生と2年の編入生の雪白兄妹だな。2年A組の雪白水姫の親戚だそうだ」
(え、1年と、2年?でも、彼は3年生じゃ)
そう思い、慌てて資料を見ると、そこには「雪白煉夜」と言う名前と住所や前の学校の成績、そして、年齢と顔写真。
「あの、彼、3年生じゃないんですか?」
煉夜自身の言葉を信じるなら、2年生ではなく3年生であることには間違いないし、そこが一番気になって真っ先に見たので間違いはないことが確認できていた。
「あ~、成績もいいし、問題はないんだが、一時期、学校を無断欠席と言うか、あ~、行方不明になっていたことがあってな。3ヶ月間休んでいたから、出席の関係で、2年生と言う扱いになっている。と言うか、パッと見でよく年齢まで目が行ったな」
元から知っていた話との整合性が気になって真っ先にそれを見た、とも言えない教師は少し誤魔化すように気になったことを言う。
「はい、まあ。それよりも、兄妹と言うことは妹さんも編入ですか?」
同僚は、1年生の担任であり、そのせいもあって先に資料に目を通していたから、知っていることを答えた。
「ああ、1年B組だな。名前は雪白火邑。兄と比べると成績はあれだが、人柄がよく、元気な生徒、らしい。ま、流石に、兄妹だからといってあんまり学校内で気にするようなことはなくてもいいだろうから、名前とあと、顔を覚えておけばいいんじゃないか?」
同僚はそう言うとまた、机に向かって仕事をしだした。教師は、資料を取り出してじっくりと見る。不思議で仕方がなかった、出会った時の印象から真面目、とまでは言わないが、3ヶ月も無断で外泊するような性格ではなさそうだと思った。それゆえに、何故そんなことになったのかが気になって仕方がなかったのだ。
「雪白煉夜……やっぱり、彼ですね。前の学校は、かなりの進学校として有名ですし、それに、成績はほとんどが優良。でも……」
教師の目に映った煉夜の過去の成績。そこには不自然に感じるものがあった。それは、彼の入学当初の成績だ。
「最初は、本当にそんなにいい成績とは言えないのに……3ヶ月の行方不明の後からグッと成績が上がっていますね」
それは普通ではなかった。何せ、行方不明の間と言うのは学校に来ていないわけで、普通はそこで成績が下がるものだ。だから、そこで成績が上がるには、行方不明の間に、成績が上がるだけの何かがあったということになる。まさか3ヶ月も勉強合宿をしていたわけでもあるまいし、奇異なことだと思うのも無理はない。
「一応、3ヶ月の行方不明に関しても資料が入っているんですね。でも……」
そこには、学校の調べたことと、警察の調べたことに関する記述が印刷されて入っていた。3ヶ月もの行方不明に対して、その紙はA4用紙一枚と簡素なものだった。
「記憶がない……?気が付いたら3ヶ月経っていた……?どういうことでしょうか。それも、警察が調べても、彼の3ヶ月の足取りがつかめていないことと、などから彼が何らかの事件に巻き込まれてショックでそのことに関する記憶を失ったと考えられる、ということですけど本当にそうなんでしょうか?だとしたら、彼は相当不安なのでは……」
そんな風に考えてしまうのは、ただの教師としての一生徒に対する感情と言うのとはどこか違うようにも見えたが、彼女自身がそれを認識することはなかった。
「あの時の彼の様子を見る限り、そんな過去があるようには見えなかった。それは、向こうできちんとした友人たちがいたからでしょう。それなのに転校することになってしまったら、それこそ不安なはず。大丈夫でしょうか」
たった1度あっただけの青年に対して、いろいろ考えてしまうのは、煉夜の態度が他の人とは違ったことに由来するだろうが、その違ったという事実が、彼女の中でどれだけ大きかったか、それは彼女自身が気づいていなかった。
そんなとき、職員室にノックの音が響いた。どうやら、部活を終えた生徒が鍵を返しにやってきたようだ。
「おお、丁度よかった。少し話があるんだが、大丈夫か?」
同僚がやってきた生徒にそうやって声をかけた。生徒は不思議そうにするも、同僚教師のもとへと近寄った。
「どうかしましたか、先生」
礼儀正しく頭を下げる生徒に、頭を掻きながら同僚は生徒に対する頼みごとをする。
「いや、すまないんだが、来学期からクラスに新しい仲間が増える。その面倒をお前に頼みたいんだ。気にかけてくれるだけでいい。名前は雪白火邑だ」
クラス委員で女子ソフトテニス部の部長と言う人望のある立場なので、転校生を任せるには十分な素質があると見られたのだ。
「雪白……?」
だが、生徒の反応は芳しくなかった。と言うよりも、反応が見られなかったという方が正しい。何か気になることがあったのか、生徒は同僚に何も答えることはなかった。
(雪白……ユキシロ……何か、聞いたことがあるような気が……)
彼女の頭のどこかで、その名前が引っ掛かっていた。その様子に、同僚は、何かを思いついたように反応をする。
「ああ、雪白は京都の旧家だからな。今の京都の有名企業の娘だったら知っていることもあるか?」
そうではない、と彼女は思った。確かに、雪白と言う家は聞いたことがあるし、そこの娘である水姫とも面識はあるが、それではないのだと。
「いえ、そうではないんですが……、なんといいましょうか。とにかく、分かりました。転校生と仲良くしますが、ウチのクラスでは問題はないと思いますよ」
そんな風に社交辞令を言う生徒だったが、実際のところ、編入生だからと言っていじめなどが発生するような陰湿なクラスではない。むしろ、少し能天気が多い気前のいいクラスだけあって、火邑もすぐ馴染むだろう。
「まあ、そうなんだがな、一応、面倒を見てもらえる奴が1人か2人いたほうが、気が楽だろうしな」
その言葉に、教師は、ハッとする。妙案を思いついた、というような表情を浮かべながら考えるのだった。
(彼が、友人のもとを離れてしまったなら、こちらでそれと同じくらい気の許せる友人を作ってもらえばいいんですよ。でも、彼のことを頼める生徒、と言うと……)
自分の教え子の顔を浮かべる教師。浮かぶ光景は、「子供先生」と自分のことをからかう生徒たちのことだった。
(むしろ、彼のことを見習わせたいくらいですねぇ……。特に紅条さんとかは、……はぁ、先が思いやられます。そう言えば、紅条さんも一応、出身は彼と同じ千葉県でしたね。まあ、年代が近いとはいえ、そうそう関わりがあるとは思えませんけれど。まあ、同郷同士ならではの話題もあるでしょうし、紅条さんの面倒を見てもらうという意味でも、彼の世話は紅条さんに任せましょうかね)
そんなことを考えながら、彼女は、新学期のことを考えるのだった。一方、火邑のことを託された生徒は、と言うと、悩んでいた。
(雪白……ユキシロ、なんでしょうか、どこか、心の奥底に蟠る、この優しい気持ちは、何を意味しているのでしょう)
自分の心の奥にあるものが分からずに、それを胸中にしまい込み、彼女は職員室を後にした。その脳裏には、不思議な声が響く。
――おい【■■■■■】ッ!
――じゃあね、レンヤ君。これでお別れだよ……
そんな青年と女性のやり取りの声が、頭に響いて離れないのだった。レンヤ、という彼女にとっては聞き覚えのない名前がやけに耳に心地よく、残る。
巨大な化け物を前に、青年と女性と、少女が立つ。そんな幻想を一瞬だけ、生徒は浮かべる。それが何を意味するのか、それは、今はまだわからない。