005話:陰陽師修行其ノ一
揺れる陽炎、残暑を感じさせるそれは、夏の仕業ではなかった。陰陽師が司る五行。その1つ、火。それを練習する1人の少女によって生まれていた。――雪白水姫。
名は体を表すという言葉があるように、水姫と言う名は、水を表す。故に、水姫は火が得意ではない。名前とは存在の証明であり、この世に存在する上で重要な意味を持つものだ。五行はそれぞれに相生と相剋を持つ。
木は燃えて火を生み、火は灰と化し土を生み、土の下では金属が生まれ、金属の周りに水滴が生まれ、水は木を生やす。
木は土から養分を奪い、土は水を濁らせて、水は火を消し去り、火は金属を溶かして、金属は木を切り倒す。
これが五行の成り立ち。水は土と火と相性が悪く金と木との相性がいい。火は水と金属と相性が悪く木と土との相性がいい。だから、名前に水を冠する水姫は火が苦手だ。火を呼ぶのは相当鍛錬しなくては難しいものがある。それでも、ある程度使えているのは才能故だ。
「流石は水姫殿。僅か数年足らずの修練でここまでとは……」
煉夜の父は驚いていた。普通の陰陽師は、自分の得意な術を極めて他を後回しにする。つまり、他の術に裂いている余力があるということは、得意な術を一定まで極めているということだ。
「なるほど、霊力の性質を変換させて術にしているわけか。呪符を使うのは、変換しやすくするためってところかな」
周囲の力を呪符に伝えて、呪符が変換しているのが主なので普通の陰陽師は効率が悪い。呪符で変換できる上限はあるし、それゆえに、元の素質で無意識に、体内で変換できる得意な術が生まれる。しかし、煉夜は異なる。陰陽術とは異なる手法を持っているがゆえに、体内でおおよその変換が可能なのだ。
「次は、煉夜、お前は水の呪符を渡した。これで、水を出せ」
煉夜の父が煉夜にそう言った。煉夜は、呪符を受け取ると、大体の構造を理解する。既に似た様なものを師匠……もとい、相棒から聞いていたから理解は早かった。
(あ~、これ、水を生み出すんじゃなくて空気中の水分を集めて放出するやつだな)
水を無から生み出すのと、周りから集めるのとでは根本的に違う。そして、これは、集める方だった。無からの創生は、一般的に難しいとされているので、煉夜の父はこちらを選んだのだ。
「《水》」
ただ、一言、呪符から引き出すためにそう言った。周りから集められた霊力は、煉夜の中で水の性質に変質する。そして、呪符へと伝わったそれは、陰陽術として飛び出した。
――ドバッ!
まるで水道管が破裂したかのような勢いで、水が噴き出す。軽くしか霊力を込めなかったとはいえ、あまりにも低い威力で、煉夜は逆に驚いた。しかし、他の面々の驚きはそれを遥かに超えていた。ただの低位の呪符からこれほどの水がでるなどありえないのだ。そう、普通なら。
(こりゃ、あれだな。夏なのもあれだし、さっきの火の陰陽術の出来そこないみたいなので、水分が減っていたっぽいな)
威力不足の原因を解明する煉夜。それに対して、あまりの驚きに放心状態の水姫とどうなっていたのか分からず困惑する煉夜の父。相も変わらずぼけっとしているのは火邑。
「これ、呪符なしの方が威力高いんじゃないのか……?」
呪符での変換と呪符に渡るまでの霊力のロスを考えると、そのまま打ち出した方が威力は高いが、通常は、体内で変換することが出来ないので行われていない。ちなみに、呪符を介さず発動すれば、それは煉夜の言うところの仙術と言うものである。
「これが雪白煉夜の実力、か……。ふむ、水姫よりも遥か高みにいる、と言われてもおかしくないな。やはり、こないだの式をやったのは……」
木連は煉夜の実力に驚愕していた。いくら煉夜の父から話を聞いていたとは言え、やはり、実際に見るのとは違うものがある。信用していても、直視できない部分があるのだ。
「そ、そんな……、ありえません」
水姫は今見たものが信じられていない。嘘だ、幻覚だ、と何度も思った。しかし、事実は変わらない。いくら否定しても、今起こった事実は不動だった。
「え、今の凄いの?」
火邑は、皆の反応の意味が分からず困惑していた。火邑は、まだ、きちんとした陰陽術の訓練を受けていないがゆえに、煉夜の実力の程度を測る物差しすらないのだ。むしろ、イメージする陰陽術を、イメージ通りに煉夜が放っていたのに何がおかしいのか、と疑問に思うほどである。
「実際に陰陽術を使ってみれば分かるだろうね、その差ってのが」
そう言ったのは、その場の誰でもなかった。突如、旋風を纏い、まさしく風の如く現れた男がいた。煉夜は気づいていたが、敵に殺気が無かったので、さりげなく火邑の前に庇うように立つだけで済ませていた。
「ぬ……、支蔵の」
木連はその姓を呼んだ。【我流】の支蔵。その筆頭たる支蔵具紋。強さで言えば、現在の司中八家の次代を担う頭領だろう。ただ、水姫や煉夜、八千代と言った同世代とは違い、年齢が上である。それゆえに、当代と呼ぶか次代と呼ぶかは微妙なラインだ。
「それにしても、分家の筆頭がここまでの実力を持ってるとは驚いたなぁ……。群介が聞いたら絶対嘘だと笑うところだろう」
群介とは支蔵の分家筆頭である支蔵群介のことだ。現状、急に訪れた具紋に対して、木連は、どうしようか判断を決めあぐねていた。
「分家や本家とかいまいち自覚がねぇけど、あんた、相当できるな……」
(と、言っても、この世界の基準で言えばってところだろうけど。少なくとも、ウチの当主よりは強い)
木連よりも強いが、所詮そこまで、と言うのが煉夜の見立て。そして、それは間違っていなかった。
「いや、君ほどじゃあないさ。雪白家にこんな切り札があったとはな……」
具紋は煉夜を感心していたが、煉夜は、闘気を抑え、警戒はすれど、それを表に出さず、情報を盗まれないようにしていたので、煉夜の上辺すら見切れていない。
「……チッ、この家の警備はザルか、こんちくしょう」
煉夜はそう言いながら、さっきの呪符を別の方向へと向けて素早く陰陽術を放った。放たれた水が一点に飛ぶ。その様は、水の槍の如く。
「うわぁお!《滅》!ちょいちょい、いきなり水でブチ抜きに来るとか信じられんわ!」
そう叫んだのは、敵情視察のために、新たにやってきた分家の様子を見に来た少女だ。薄赤茶の髪に、やや鋭い目つき。顔だちは中の上から上のくらいだと言われるくらいのもの。年は14歳なので、煉夜や火邑たちよりも下。
「なんだ、月姫ちゃんか……。君も偵察?」
具紋が話しかけた少女は、冥院寺家本家次席となる冥院寺月姫。冥院寺家の次女である。
「せや。それが何でまた、こないなびしょ濡れにならなあかんねん」
冥院寺家も京都にある家だが、現当主の夫が大阪の生まれの為、月姫はどちらかと言うと大阪訛りの関西弁である。
「人の家に無断で侵入して、濡れる程度で済んだんだからいいだろ?」
一瞬だった。月姫が気づいたとき、背後から煉夜の声が聞こえて、だが、後ろに目をやってもそこには煉夜はおらず、目を戻せば元の位置に煉夜がいた。しかし、確実に月姫の背後にいた証拠として月姫の髪留めはなぜか煉夜の手の中だった。
「お前、ホンマ何もんや。ウチの叔父ちゃんばりに化けもんやで?」
その事実に気付いているのは、月姫だけ。それほどまでに鮮麗された高度なことだった。その動作に、月姫は叔母の夫である不思議な雰囲気を持つ男を思い出していた。
「偵察はある程度予想していたが、本人たちが直接見に来るとは予想外だったな」
そう苦い顔をして言ったのは木連。木連は、自分が使ったように、式を使った偵察をしてくるだろうと踏んで、それ用の結界は張り巡らせていた。しかし、本人が直接乗り込んでくるとは思っておらず、遠隔操作の式や術のみに反応するようにしたのが、この結果を招いた。
「どうやら、随分と面白いことになりそうだ。これから京都で何が起こるのか、楽しみだよ」
具紋はそう笑う。だが、具紋は知らないのだ。これから京都で起こることがどんなに凄いことになっていくのか、それを彼が楽しむ余裕はないことも。
「面白い、か……確かにそれは言えていそうだ。だから……そこのお前と、それからそっちのお前も出てきたらどうだ?」
煉夜は、様子をうかがっていた残りの2人にも呼びかける。すると、片方は出てくるが、片方は逃走した。
「む、どうやら、片方は逃走したか……?結界が乱れたな」
木連が言った。逃走のために式を用いて逃げたらしい。そのもう1人は追わず、出てきた方に皆が注目する。手を挙げて降参といった様子の人物、黒髪の男だった。
「あれ、結太君やん。何や君も偵察に来とったん?」
月姫が笑いかける。市原家本家次席の市原結太だ。本家筆頭は彼の従妹にあたる人物である。
「やあ、月姫ちゃん。あんまり僕を君付けで呼ばないでくれよ。君よりも年上なんだからさ。ただでさえ威厳がないって言われてるのに」
結太は具紋の3つ年下であり、ギリギリ、次の世代と言われる域に入っている。前の世代かどうか曖昧なのは、具紋とあと2人くらいだろうか。結太と同い年くらいも、あと2人いる。あとは大体20歳に届かないくらいである。
「それに、僕の場合は視察とは少し違うんだよ。無論、視察の意味もあったけど、それとは別に……ああ、別に雪白家に害をなす話じゃないから安心してほしい」
別に疑ってもいないのに否定をされても、と煉夜は思った。敵意が無いのは事実だったのか、煉夜はそれ以上何もしなかった。
「しかし、まあ、これは、荒れることになりそうだ」
それは誰かが発した言葉だが、そこに居る大半の人間の代弁であったともいえるだろう。そして、司中八家の次代の波乱に満ちた日々は始まったのである。しかし、煉夜にとって、それはそれほど波乱に感じない、そんな人生を送ってきた彼にとっては、日常と変わらないのかもしれない。