003話:引っ越し
煉夜達、雪白家一行は、遠路はるばる、古の都、京都へとやってきた。荷物は既に引っ越し業者に頼んで送ってもらっている。煉夜にとっては2度、火邑にとっては1度、既に訪れたことのある土地だった。中学三年と高校二年、その修学旅行の行先は、どちらも京都だったからだ。
その京都の中心部から少し離れたところに、雪白本家はあった。立派なたたずまいの平屋で、昔ながらの武家屋敷と言った印象を受けるだろう。
煉夜は、家の前について、高速道路に乗っている間に父親から聞かされた京都司中八家について思い出していた。
京都司中八家。京都の中心を司る八家のことで、その起源は、遥か昔にさかのぼる。九王と呼ばれる九つの神になぞらえた偉人達に倣い、京都に司中九家を設けた。しかし、そのうちの一家が偽物で、今の司中八家と言うものになった。ただし、家は変遷している。現在、司中八家と呼ばれているのは以下の八家である。
【呪憑き】の天姫谷、【退魔】の市原、【古武術】の明津灘、【日舞】の雪白、【我流】の支蔵、【殲滅】の冥院寺、【仏光】の天城寺、【天狐】の稲荷。これら八つの家の名前が出た時に、煉夜は、あらかじめ聞いていた「市原」と「明津灘」の名前があって、雷司の母の話が本当であることを信じた。また、話の中には、かつての司中八家である【夜空】の天龍寺や【魔食】の饕餮などが挙がっていた。
この司中八家の中には、西洋と関わりを持つ大らかな冥院寺のような家もあれば、他家との接触すらほとんどない天城寺のような家もある。雪白は中間くらいだ。
「ここが、新しい家かぁ……」
火邑がそう言った。その声はどこか感慨深そうなものが含まれている。今までの生活を捨てて新しい生活が始まる。それも、陰陽師としての修行と言う、今までの人生におおよそなかったファンタジックなものを加えて。それは感慨深くもなるだろう。
「よう、来たか。早かったな」
煉夜の父よりも少しだけ年上、といった風情の男性が家から出てきた。その軽めな口調に、煉夜は少し面を食らったような気分になった。さんざん、脅しのように厳しいと言われていたからだろう。
「高速道路が思ったより混雑していなかったので。お待たせすることなく到着出来て何よりです」
煉夜の父が、敬語で言うと、相手は、苦笑で答えた。どことなく、それを苦手としているような、そんな雰囲気すら感じさせている。
「おいおい、敬語は止めてくれよ。兄弟で敬語なんて気色悪い。全く、昔からお前は、堅っ苦しくてしょうがない」
煉夜の伯父にして、雪白家当主である雪白木連は、一般的感性と態度を持った、司中八家の当主らしからぬ当主だった。
「父上、そのような御振る舞いは、当主らしからぬもの。当主には当主たる威厳と言うものがあるのです。しっかりとしてください」
そう言って、玄関から出てきたのは、黒髪青眼の少女と言うほど幼くない高校生くらいの女性だ。水色の着物を着ている。艶のある黒髪は、とても手入れが行き届いているのが分かる。整った顔立ちは、大和撫子と言う言葉がしっくりくる。そのような女性だった。
「これはこれは、水姫殿。お久しぶりです」
煉夜の父が頭を下げた。煉夜は、その微妙な人間関係の機微を経験で察した。そして、そこで取るべき行動を考える。
(まるで、親の威光で自分も偉いと考える貴族のお嬢様そのもんじゃねぇか。なら、まあ、機嫌を損ねないようにするか)
さっと、慣れた様子で跪き、煉夜は、水姫に声をかけた。
「初めまして、水姫様。俺は、雪白煉夜と言います。どうぞ、お見知りおきを」
その所作に、どことなく、気品と礼儀正しさを併せ持つのは、経験と教えがあったためだろう。その動きに、木連の娘の雪白水姫は見とれてしまった。
「ふ、ふんっ、どことなく西洋かぶれな所作だけれどいいわ、認めてあげましょう。それで、そちらの呆けた方は?」
話を逸らすように、煉夜から目を逸らし、ぼけーっとしている火邑の方へと視線が変わった。一方の火邑は、兄の見たことのない様な所作にあっけにとられていた。
「え、あ、わ、わたし?えと、雪白火邑です」
慌てて挨拶をする火邑を水姫は睨んでいた。抜けているところが気にくわなかったのだ。水姫は幼少より、雪白家の格式の高さを知り、陰陽師のことを明かされる以前より礼儀作法のことはしつけられてきた。それを全くやっていないように見える火邑に少しいらだったのである。
「そう」
簡潔に、興味なさげに、そう言った。自分から聞いておきながら、水姫は態度で興味が無いことを示したのだった。
(うわぁ……性格悪いし、面倒臭いな、この子。まあ、子供なんてこんなものか)
対して年が変わらないはずなのに、この言いようなのは、経験と文字通り生きた時間の長さが違うからだろう。
「それでは、私はこれで」
水姫は颯爽と去っていった。木連は、その姿を見送ると申し訳なさそうな目で煉夜達を見る。いや、本当に申し訳ないのだろう。
「あ~、どうにも、娘の方は気が強くてね、すまないな」
木連はそう謝った。当主らしくないと言えばらしくないのだろう。しかし、きちんと謝る木連に、煉夜は好感を抱く。
(娘がああなだけで、当主自身はそこまで無茶な性格ではないみたいだな。尤も、ウチの父さんが真面目だから、仕来りに従ってるので、当主から降ろされるようなことが無いみたいだがな)
煉夜は、感覚として、当主がだめなら、その近くに反逆の意思、その座をかすめ取ろうという人物がいてもおかしくないと思っていた。無論、大きな家ならそれもあり得ただろう。親戚筋が何人もいるのなら簒奪を企てる不届き者が現れる。いや、人が多くなくとも、身内が下種な感情を抱けば、起こり得るのかもしれない。しかし、雪白家は身内が堅かった。当主を裏切らない人間が下にいるだけ、それだけの家だったのだ。
「まあ、これで、雪白の次代も揃った、か……。市原の裕華嬢、稲荷の嬢ちゃん、天城寺の坊ちゃん、他の家も続々と次代の成長が見えてきているんだが……、どうにも水姫は慢心あって、成長が、ねぇ……」
木連のため息。司中八家の全てが同時期に子供が生まれるわけではないので、そうそう世代が重なることはないのだが、稀にこのように、時期が重なることもある。木連としては、その代で磨き合って、立派に娘が成長することを望んでいた。
「無伝家なども頭角をあらわしているようですからね。特に、信姫殿は、不明の式神を扱うそうで、こちらもいろいろ調べたのですが、結局は詳細が分かりませんでした。山梨県の出身と言うところまで掴んでいたのですが……」
司中八家以外にも陰陽師やそう言ったものに連なる家系は数多存在する。その有象無象たちは、司中八家に劣っているだけ。だから有名にならない。だが、稀に、頭角を現す家もある。無伝家や端鍋家など、それらの無名の家々。今代ではそれらがそれにあたるのだ。
「無伝、か……。こちらでも調べていたんだがな。どうにも優秀な諜報がいるようで、こっちのことがばれている節があるし」
木連は少なくとも、これまでの調査でなにもつかめなかったこと、逆に、向こうがこちらの動きを察しているような気配もあることから、情報収集能力に長けていると判断している。
「それはそうと、煉夜君、だったな。いきなりこんな事を聞くのもなんだが、才の方は如何ほどだい?」
本来、聞くべきをことを聞いていなかったことに気付いた木連は、目を細め、煉夜に対してそう問いかけた。正確には、煉夜が下手なことを言わないように先に答えるであろう煉夜の父に聞いたも同然の問いかけだったのだが。
「正直に言いますと……、才はあると思います」
謙遜し、本家を持ち上げると思っていた木連は意外に思った。弟の性格をよく知っているからこそ、本当にそう思ったのだ。
「お前がそう言うってことは、そこまでの才の持ち主だと……?」
木連は、興味をひかれた。少なくとも、水姫の足元に及ぶくらいの才が無ければこうは言っていないだろう、と木連が思っていたからだ。親の贔屓目もあってのことだろうが、それだけ水姫も才あるものだ。
「何の説明も無しに、式を3体、呼べるほどには」
だからこそ、木連がその言葉を聞いた衝撃はそこはかとなかった。まず浮かんだのは「ありえない」と言う思い。水姫を越えることが、ではなく、式を3体呼んだ、と言う事実があり得ないと思ったのだ。
「式を3体、だと。そんなもの、どこの人間にもできないぞ。現に、これだけ修行を続けてきた俺ですら、まとめて呼べるのは2体だけ。他家でも、昔は、百鬼夜行などと言う式神もありはしたが、今や、失われて久しいはず。雑魚でも3体を呼べるとは……」
(これは、水姫に勝るとかもしれん逸材が現れたやも知れんな)
そう思った。話を聞いたときに、衝撃を受けたが、あくまで、呼ぶ相手が弱ければ数体呼べなくもない。だが、同時に呼ぶというのは、回路を組み立てるのとそこに霊力を流すのが非常に難しいのだ。電気回路で、並列ならかかる電圧は同じでも流れる電流はそれぞれ、直列なら流れる電流は同じでもかかる電圧はそれぞれ。それらの配置の仕方が普通ではできない。だからこそ呼べないのだ。
「いいえ、分家の……《雅》、《舞》、《曲》です」
そう、雑魚ならば、木連は納得が出来なくもなかった。しかし、その3体は、本家に伝わるモノと同等の式である。
「馬鹿な、水姫ですら、2体呼ぶのに数年の月日を要したのに、何の説明も無しに3体、だと……?!」
才がある、などと言う言葉で片付けていいものではない、と木連は思った。何かが根本的に異なるのではないか、嘘ではないか、と何度も頭の中で巡らせたが、木連の出した結論は、それが事実であるというものだった。それは弟が嘘を吐くはずがないという信頼と、そも、この家に来た時点で修行をするのだからすぐにバレるような嘘を吐く意味がないということだ。
当の、話題の煉夜は、と言うと、特に気にした様子もなく、京の街並みを見ているのだった。