229話:青薔薇の乙女とその家
パリからベルサイユまでは、さほど遠い距離ではない。パリの中心部から少し外れた位置にあるシャルル・ド・ゴール空港ではあるが、それでもベルサイユまではそこまで時間をかけずにたどり着くだろう。
つまり、難しい話を始めたところで、中途半端に話が区切れる可能性があるということである。だから、「移動しながら説明する」という煉夜の意見をルアンヌは止め、家についてからじっくりと話すということで納得したのである。
そうしたことから、車内では、微妙な空気が流れていた。簡単な自己紹介をした程度で、あまり親しいわけでもないのに話が弾むはずもなかった。
「DGSMといったか……?不明物ということは、魔法以外も扱っていると考えてもいいのか?」
だから、適当に、知りたい疑問をぶつけて話題をつくろうとする煉夜の行動も、普通の行動と言えただろう。
「ええ、不明物……この定義は、細かく説明するとかなり面倒くさいのだけれども、魔法、古代物、超能力、それから異界からの漂流物なども担当に入るかな」
この場合の古代物というのは、いわゆるオーパーツのような古いものも含まれるが、もっと正確に言うのならば、神話時代の遺物であったり、聖剣などのような伝承などに記されたりしたものも含まれる。
「異界からの漂流物……?」
異世界に行ったことがある煉夜は、しかして、この世界で一般的に異世界という概念が信じられているかという点においては、信じられていないと考えていた。しかし、異界からの漂流物というカテゴリーがある以上、仏国政府はそれを認識していることになる。
「ああっと、まあ、知らないのならいいことですけれども。フランス自体でもそれを正確に把握しているわけではないのですもの」
それは何ともおかしな話であると、そう考えるのは当然であろう。正確に把握していないものを組織立てて調査まで行うというのは、どうにもおかしい。
「把握していないのなら、それをどうやって魔法だ、超能力だと判断するんだ。感覚か、曖昧なカテゴリーか。異世界からの漂流物も、この世界にない物質が使われているとかそういった判別は可能だろうが、それが超古代文明の遺産であるか、異世界のものかは判断できないだろうし」
少なくとも、魔法に関しては魔法使いがいる以上、ある程度の把握ができているのだろうが、それでも他のものに関しては、あくまで「魔法ではない」という判別結果しか出せない。
「鑑定士がいるの。まあ、この人に関しては有名な人物だから、確かリズも知り合いだったはずだし。あなたも同じ国の人間ならば名前を聞いたことがあるかもしれないけれど」
鑑定、日本人、リズも知っているとなると、煉夜の頭に浮かぶのは、「スファムルドラの聖杖ミストルティ」の鑑定を頼まれていた市原裕華である。しかし、裕華は父から押し付けられた、と言っていたので、そうなるとおのずと答えは見えた。
「ムッシュアオバ。彼のおかげで、異界の存在とそこから流れてくるものの存在が露呈したのですもの」
英国でミスターアオバと称され、仏国でムッシュアオバと称されたのは、間違いなく裕華の父であった。
「なるほど、うわさに聞く人物だ。その評判を聞けば、納得の人物だよ」
雷司の父、そして、裕華の父として、その名前は京都司中八家のあちらこちらで耳にする。だからこそ、仏国でその名前が出ようが今更といったところであった。
「しかし、そうなると、割と説明がしやすいかもしれないな」
通常、異世界というものを信じていない相手に、スファムルドラの至宝の話をするには、異世界の部分をごまかすか、正直に納得させて話す必要がある。だが、この場合、ルアンヌは、異世界というものを認識している。だからこそ、説明は難しくない。もっとも、証明すすることは逆に難しくなるが。
「それにしてもムッシュアオバの名前が通じるのは、こちらとしてもありがたい話。彼のことを交渉に出せる以上、妙なことを言うのは避けるでしょう」
ムッシュアオバがバックにいるということは、嘘やごまかしは後でバレるという可能性が一気に上がることを示している。だからこそ、ルアンヌの方にとっても、その名前が通じるのはありがたいことであった。
「俺にとっては、友人の父という認識でしかないんだがな。各所で噂だけは聞いている」
煉夜にとって、雷司と裕華の父というのは、凄い存在であるという噂を各所で聞いているだけである。京都司中八家や英国、魂の専門家、神奈川県で、と本当に、様々な場所で話だけが出ている状態である。
「ムッシュアオバのご子息というと、……複数いるからどれともいないのだけれども」
煉夜の知己がある範囲でも雷司とその妹たち、そして裕華がいる。そして、それだけではないことは、すでに聞き及んでいた。
「まあ、その辺は、誰と知り合いだとかいったところで、あまり意味のない世間話だろうけどな。雷司と裕華だ。名前を言って分かるかどうかはともかく、2人とも知り合いだという証拠はいくらでもある」
そもそもに、その2人ならば、連絡をすればすぐに証明できるだろう。もっとも、裕華は今、連絡がつく環境にいないので、別の証拠が必要となるだろうが。
「どちらも聞いたことがあるから分かるけれども、まあ、それで得心がいったの。あのアオバ家と知己があるのならば、リズが送り出すのも納得できるのだもの」
この場合は、青葉家というよりも、それが中心となっている《チーム三鷹丘》に知己がいるということが、十分に意味を持っている。それは「ただの日本人」というカテゴリーから外れるからである。
「まあ、俺とリズの関係は、青葉家とはあまり関係ないんだがな。であったのも、去年の冬、MTTの一件で、だしな」
そういう意味では、煉夜とリズの付き合いは、かなり短いことになる。それこそ、ルアンヌの方が、よっぽど長い付き合いだ。
「出会って数ヶ月の人間を代理……いえ、護衛という名目とはいえ、簡単に送るとは思えないのだけれども」
それこそ、普通ならば、まず間違いなくありえないことであろう。だが、煉夜の場合は普通ではなかったのだ。
リズとの出会いが、まず、リズを助けるという普通ならありえない出会いをして、かつ、リズと同種の魔術体系を持ち、スファムルドラの聖剣を持っていた。そして、英国の秘宝を魔法盗賊から取り戻し、MTT……グラジャールの輝きの事件を解決した。
それだけの功績を持っている。だが、それ以上に、リズの不可解な生まれ持った能力と不安定なかけた記憶、それらに最も近い立場にいるのが煉夜であった。だからこそ、リズは煉夜を信頼しているし、煉夜もリズを受け入れている。
「まあ、その辺も含めて、詳しい話はあとでしっかり説明する。納得するかどうかはともかく、説明する下地はあるようで安心したからな。湖に沈んでいるものの説明も含めて、その辺をきちんと、ルアンヌさんの家でするさ」
車はすでにベルサイユにまでたどり着いていたし、ルアンヌの家までは、もうあと少しというところであった。
ルアンヌの家は、普通の民家というようなものではなかった。それなりの豪邸という表現が正しいだろうか。敷地もかなり広いらしく、まず日本ではお目にかかれないような風体である。車で敷地に入ってからしばらく、屋敷の前で車は止められた。
洋館、という表現がこの場合、果たして正しいのかはわからないが、日本で言う洋館や異人館という言葉で連想するそれに近い屋敷であることは間違いなかった。もっとも、洋館……西洋館という言葉は、本来、日本で作られた洋風建築物に対して使われるものであるため、本当に海外の建物も洋館というかどうかは微妙なところである。
「ここは、別邸というかゲスト用の館。あなたにはここに泊まってもらおうと思っていますから。それと、一応、護衛ということですから、この『ルアンヌ・シャロン』も、こちらに泊まろうと思っていますが、光栄に思いなさいな」
一々、自身が「ルアンヌ・シャロン」であることを強調するしゃべり方に、煉夜も最初は、推理を間違えて、本物のルアンヌ・シャロンは別にいるのではないか、という風に考えたのだが、どうにも違うようで、間違いなく本物のルアンヌであった。リズが「変わっている」というは、この辺も含まれるのだろう。
「なるほど、ゲスト用か。定期的に使われているようだな」
と、煉夜が見回しながら言った。普段は使わない、というのであれば、もう少し手入れが雑だろう。もっとも、急な来客に備えて、常に手入れがされているという可能性もなきにしもあらずだったが。
「ええ、まあ、それなりにお客様は来るのだけれども、立場上いろいろとあるのだもの」
その言葉だけで何となく煉夜は察した。このルアンヌ・シャロンという人物が仏国内でどういう立ち位置なのかはわからなかったが、それなりに国内にも敵はいる。身分が高いのだから、当たり前だろう。
それなりにセキュリティもしっかりとしているだろうが、どうしても、日常の場というのは緩むものである。つまり、本家に泊められるほど、しっかりとした信頼を寄せていない、どころか、警戒すらしているということである。
むろん、リズからの依頼でやってきた煉夜も、実力を見たとはいえ、詳しい説明も受けておらず、当然、本家にあげられるほど強固な信頼関係は築けていない。
「それにしても……」
と煉夜はあたりを見回した。敷地内に入ったときから気づいていたが、結界の類があることは間違いないようであった。普段は、引っかからないので素通りしてしまうこともある煉夜だが、ここの結界は少々変わっていたので目についた。
「花の結界とはまた珍妙な」
物で結界を敷くということがないわけではない。呪符なども似たようなものである。要は花の配置が魔法陣の役割を果たしているのだろう。だが煉夜が「珍妙」というように、花には普通にはない要素がある。枯れるのである。シーズンによっては植え替えなくてはならないこともあるだろう。そもそも、一部でも燃やしてしまえば結界が破綻して、崩れてしまうのだ。だからこそ、結界として敷くには「珍妙」なのである。
「魔法に美を求めるのは、フランスの魔法の特色ともいえるものだもの」
魔法とは国ごとに特色が出るものであるが、欧州では、各国による地域差というものはほとんどない。もっとも、その歴史によって多少変動する部分はある。例えば、伊国は、ローマ時代からの名残もあるためか、奇特な魔法がある。もっとも、ローマ時代に流行った魔法のほとんどは一度失われてしまっていたのだが、それを復刻させた形となる。独国では、ある時期に魔法の兵器利用の方が研究されていたために、武器や変装魔法等の諜報系などが他国に比べて秀でている。しかしながら、あくまで、それらは多少、でしかない。その多少の差という中に、仏国の美的魔法というのもあるだけである。
「まあ、目を引くし、わかりやすいという意味で、下に敷いたタイルで作った結界を隠すという意味では、本当によくできているし、美しいと思うが」
当たり前ではあるが、そんな場合によっては破綻する結界だけを使うなどというセキュリティがないも同然な状況なわけがなく、目立つ上に分かりやすいという花の結界で、下のタイルで形成している隠ぺいされた結界魔法をカモフラージュしているに過ぎない。
「まあ、さすがに分かるようで安心というか怖いというか……、護衛というのならば、この家のセキュリティを少しは明かさなくてはならないのだから、それを見抜けるのならば嬉しいのだけれども、外部の人間に筒抜けというのはよくないもの」




