012話:水姫の秘密
こうして、煉夜は、喫茶店でバイトをすることになった。木連達に話したところ、陰陽師の修行を疎かにしないことを条件に許可された。木連にしても煉夜の私生活まで縛ろうとは思っていなかったし、煉夜を見極めるうえで、少しでも情報になりそうなことは多い方がよかった。それがたとえアルバイトの接客であろうとも、煉夜と言う人間の片鱗が見られるならば、ないよりはマシと言うものだろう。
そう言った思惑を含め、煉夜は学校帰りに喫茶店によってアルバイトをすることになったのだが、それはすぐさま火邑の耳に入る。そして、当然のことながら、火邑は煉夜のバイト姿を見たいというのであった。
そうしたことから、現在、あまり人の来ない喫茶店には、アルバイトの煉夜と雇い主のマスター、そして、客としてやってきた火邑と火邑についてきたおふてんちゃんの4人の空間が出来上がっていた。
「それではご注文をどうぞ」
煉夜の執事生活とゲローィでの接客で鍛えられた営業スマイルは家族やその友人の前でもきちんと発動する。きっちり仕込まれたのは、その体に直接叩き込まれたからだろう。
「んと、じゃあ、う~ん、レモンティーとイチゴのケーキ!」
火邑は大きな声でにっこりと笑いながら注文をする。それは兄相手だからなのか、普段からそうだからなのか、おそらく後者であろう。
「では、チョコレートケーキとコーヒーでお願いします」
おふてんちゃんは、煉夜の様子をしげしげと見ながらそう言った。煉夜の様子が珍しいのか、それともなぜか感じるなつかしさからなのか、それは本人でも全く分からないことだった。
「注文承りました。コーヒーはお砂糖やミルクなどをお付けしますか?」
煉夜はおふてんちゃんからの注文に対して、そう問いかけた。おふてんちゃんは微笑みながら煉夜に答える。
「いえ、ブラックで構いませんよ」
そう自分で言いながら、おふてんちゃんは自身の変化に微妙な思いを抱いていた。高校生がブラックコーヒーを飲むことが無いか、と言えば飲む人は飲むだろう。しかし、おふてんちゃんは、少し前まで、コーヒーが飲めなかった。カフェオレですら苦いと感じて飲めなかったのだ。それが夏休みの終盤から妙にコーヒーを飲みたくなり、そして、ブラックコーヒーを飲むまでになったのだ。この変化は自身でも戸惑うほどの味覚の変化で、だが、その原因にもなんとなくの心当たりがあった。
「畏まりました。では、イチゴのショートケーキとレモンティー、チョコレートケーキとコーヒーのブラックですね。少々お待ちください」
営業スマイルのまま、カウンターの奥に入る煉夜に思わずマスターが声をかける。
「雪白君、別に知り合いなら普通に声をかけてもいいんだよ?そりゃ、お客さんがいっぱいいるときにそんなことをされても困るけど、彼女達の他には今いないわけだからさ」
マスターの言葉に煉夜は曖昧な表情を浮かべる。煉夜としては、いついかなる時も客に対する態度は崩さないのがポリシーだったからだ。
「執事っぽいお兄ちゃんってかっこいいよ!普段は適当な態度なのに!」
火邑はそんな風に言って、地味に煉夜の言動を喜んでいる。おふてんちゃんも別に気にしていないため、逆にここで態度をいつものようにするのもどうかと思うが、マスターなりの気遣いだと煉夜は受け取った。
「お待たせしました」
そう言って、煉夜は火邑とおふてんちゃんに給仕をする。そして、営業スマイルのまま、カウンターに戻った。それが営業的過ぎて、マスターは少しもどかしい気持ちを抱いていたが、煉夜には煉夜のやり方があるのだろうと割り切った。
それから30分くらいだろうか、火邑とおふてんちゃんは楽し気に話しながらお茶をして、そのまま会計を済ませて帰って行った。そうして、店内には誰もいなくなる。
静かなひと時を打ち破ったのは、ドアが開かれた鈴の音だった。入ってきたのは、一人の学生だった。女子高生。煉夜と同じ私立山科第三高校の女子の制服を着た彼女は、まるで慣れているかのように店内に入った。事実慣れているのだろう、マスターは笑いながら声をかける。
「やあ、久しぶりだね。夏休みの間はあまり来ていなかったけれど、久々に来てくれたね」
煉夜が初めて店に来た時にマスターが言っていた「よく来る子」と言うのが彼女のことだろう。煉夜は見知った顔ながら、あくまで営業スマイルを貫いていた。
「いらっしゃいませ、ご注文はいかがなさいますか?」
彼女は、いつもとは違う別の誰かの声に、誰か雇ったのか、と思い、何気なく店員の顔を見て……固まった。
「なっ、なな、何故?」
彼女は珍しく動揺したように声を震わせて煉夜に問いかけた。煉夜はあくまで営業スマイルを崩さない。
「いえ、そう言えば、アルバイトをしていると……まさか、このお店で?」
煉夜が答える前に、彼女は答えを導き出した。そのような2人のただならぬ様子に、マスターは思わず問いかける。
「えっと、2人は知り合いだったのかな?」
マスターの問いかけに、彼女は僅かに逡巡を見せてから、決意したようにマスターに答える。
「私は、雪白水姫と申します」
流石にマスターと客と言う関係で、水姫が相手に名乗るはずもなかったので、マスターは水姫の名前を知らなかったのも無理はないだろう。そして、その名前を聞いてマスターは合点が言ったようにうなずいた。
「えっと、と言うことは、家族かな?」
兄弟姉妹のようなニュアンスでマスターが問う。別に首を突っ込むわけではないが、このくらいなら状況説明の範疇だろうと聞いたのだった。
「ええ、彼は従兄にあたります」
少し棘のあるような言い方をする水姫だが、煉夜は微塵も気にした様子はない。その様子から複雑な家庭環境を感じ取ったのかマスターはそれ以上野暮なことは言わなかった。
「まあ、親戚同士ならいろいろとあるんだろうけど、ひとまずは、落ち着いてね」
そう言って、マスターは仲裁の意味も込めて、水姫のテーブルにあるお菓子を置いた。緑茶とともに。
「ば、ばぁむくぅへん……!」
水姫は目を輝かせた。鉄面皮の執事モードの煉夜を一瞬揺らがせるほどに、今までのキャラを崩壊させるほどの満面の笑みを浮かべてバームクーヘンを見ているのだった。
そして、ハッとする水姫。慌てて煉夜を見て、いつもの顔に戻す。そして、照れたような、拗ねるような、何とも微妙な顔で煉夜に言う。
「な、なによ、私が洋菓子を食べるのがいけないとでも言うの?」
水姫は西洋かぶれを嫌っているような、そんなことを煉夜に初対面の時に言ったことを気にしている。それゆえにそんなことを言ったが、当の煉夜はそんな事、とうに忘れているため、何をそんなに焦っているのかが分からないというような顔をしている。
「ちょっと来なさい!」
水姫は、煉夜の裾を掴んで強引に引っ張っていこうとする。抵抗しようと思えば容易にもできたが、煉夜はマスターに一瞬視線を送ると、マスターが頷いたので渋々引きずられながらついていくことにしたのだった。
水姫は店を出てもそのまま引っ張っていく。そして、しばらく歩いて、人目のない路地裏に入ったところで足を止めた。
「いい、私だってバームクーヘンくらい食べるわ。しっとりとしていて程よい甘味とあの食べた後に乾いた喉に流し込む緑茶の味との一体感、それを味わう権利はあるのよ」
どれだけバームクーヘンが好きなのだろうか、と煉夜は思いながらも別にそれを否定する気はなかった。と言うより、煉夜にしてみれば、食べたいなら好きなだけ食べればいいだろう、とほぼほぼ無関心である。正直に簡潔に言えばどうでもいいのだ。
「ご自由に食べればいいではないですか。俺は、貴方の趣味にも口を出す気はありませんので」
あくまで、業務的な対応だった。それでも煉夜の本心である。口出しする気はないし、そもそも口を出すほどのことでもない。
「っ……貴方はっ!」
水姫が何かを言おうとしたその瞬間、煉夜は空が輝いたような気がした。そして、周囲の魔力の流れが大きく変わり、空へと流れ込んでいくように動いている。
「……なんだ?」
煉夜は思わず虚空を見上げる。何もないはずの空に、ぽっかりと穴が空いていた。まるで大きな口が空いたような、その先には何もなかった。真っ黒な何かが永遠に続いているような、それに煉夜は見覚えがあった。
「マシュタロスの外法かッ!」
煉夜の視線につられて上を見上げた水姫はゾッとした。通常とは異なる何かが永遠に続いていくような、そして、それがそう言う何かであるということを認識させられてしまっているという事実に異常性を感じていた。
「…………!」
そして、その穴から何かがせり出して来る。穴の向こうから落ちてくるのではない。穴の出口から急に何かが生まれるように出てきているのだった。煉夜はそこに魔力が集まっていることに気が付く。
「しかし、見ている分には不思議な光景だな……」
にょきにょきと生えてくる人間の足を見ながら煉夜は呟いた。かつては自分が同じように出てきたのだろうが、それを想像すると煉夜はげんなりとした気分になった。
そして、人間が空から降ってきた。それは一人の少女だった。いや、少女ではないのだろう。見た目の頃は、煉夜と同じが、1つ下程度にしか見えないが、それでもその雰囲気がどことなく大人だった。
「んみゃっ」
奇怪な声を上げて地面に落ちたのは煉夜の見知った顔。馴染みのバーともカフェとも取れる外観の店のマスター。
「久しぶりだな、サユリ」
サユリ・インゴッド。入神沙友里。煉夜がアルバイトをしている店のマスターの娘にして、煉夜の顔なじみである。
「んぁ?レンヤ?」
呆けた顔をした沙友里と、苦笑いの煉夜、驚嘆の表情を浮かべる水姫。3人はしばらくの間、沈黙に包まれるのだった。その沈黙の中、煉夜は沙友里との日々を少し思い出すのだった。




