118話:青葉裕司の憂鬱
ずるずると――、ずるずるずると――、ずるずるりと――、
引っ張られていた。否。引きずられていた。仲睦まじいとは言い難い、市中引き回しのような光景。それも、女が男を引きずるという図は相当に珍しいだろう。
絵面でいえば、見目麗しい女性が、青年を引きずり回しているようにしか見えないだろう。もっとも、見目麗しい女性は、淑やかさや儚さというものをかなぐり捨てて、元気と勇気と気合と関西弁で武装している。
そもそもにして、出会いから奇抜だったが、この2人は妙な関係であった。男女の立場が逆転しがちというか、尻に敷かれていた。
それもそのはずである。本来は逆だったのだから。その因果が反転した結果が今である。もっとも、生来の気質というのも十分に関係しているだろうが。
いうなれば、彼女らは、ガキ大将と近所の気の弱いお姉さんと言ったところだろう。そこらのガキ大将よりもガキ大将らしい女、無ノ淵小豆。事なかれ主義で若干面倒臭がり屋の男、青葉裕司。
これは小豆の身勝手さに振り回される裕司のお話。裕司が抱く、「憂鬱」な日々への苦悶の物語である。
小豆は裕司を引きずりながら、京都市内にある、とあるブティックへとやってきていた。このブティックは服や小物があるのはもちろんなのだが、京都ならではの柄や生地を使ったものが多く、観光客からも比較的人気の高いブティックである。
そもそも、旅行先で、ハワイに行ってアロハシャツというような特色品ならばともかく、普通のシャツを買うことは少ないだろう。つまり、あまり観光客向けにブティックを展開する例は少ない。しかし、ここのブティックは、「ならでは」という要素を取り入れることで、観光客にも足を運んでもらっている。
小豆がこのブティックに来たのは、当然、服を見たかったから、……ではない。アクセサリーを見たかったわけでもないのだ。適当な如何にも京風というものを見たいだけ。
「な!この辺とかむっちゃ京都っぽいやろ。まー、買わへんけど」
そう、見たいだけ。買わない。その辺が小豆らしい。修学旅行にやってきた学生なみに「京都っぽさ」や「物珍しさ」に反応してしまうのだろう。
「あー、まあ、そうだな……」
そして、それを否定せずに流す裕司。この2人だから成り立つ関係だろう。普通なら「買わないんかい!」とツッコミを入れたり、「全然京都っぽくねぇよ、何言ってんだ」とか言ったりするのが普通である。前者ならばまだしも、後者なら、こんなにも長期間一緒に居られないだろう。
「っと、こんなことしとる場合やないな。ほなら、行こか」
商品を棚に戻すと、再び裕司の首根っこを掴み、小豆は歩き出す。もはや、裕司に逆らうという選択肢は存在しなかった。
「それで、行くのはいいけど、どこに行くんだよ。せめて目的地ぐらい教えてくれよ」
行く場所も告げられぬまま、ずるずると引きずられるのは勘弁してほしいと、裕司は小豆にそう言った。小豆は、「う~ん」と唸り、一言。
「内緒や、な・い・しょ」
その表情に陰りがあったのは、裕司からは見えなかった。しかし、連れ添った長さ故に、偽った声音すらも見通せた。だからこそ、彼は、踏み込まない。連れていかれるまで待つことにしたのだ。
「それにしても、ホンマに、京都は変わらんな。あの頃とも、あの頃とも、……世界を変えてもどうやっても変わらへんのやろなぁ……」
かつて、いろいろな意味で、かつて、この京都へと遊びに来ることが多かった小豆は、感慨深そうにつぶやいた。
京都とは、日本という国において、重要な役割を果たしている。否、近畿と表現したほうがいいだろうか。そもそも、日本において、国らしい国として発足した邪馬台国は九州なり近畿なり、いろいろと噂があるが、候補として挙がるくらいに近畿は日本の中心に位置する。
しかし、その次に上がるであろう、大和朝廷は、奈良県で発足したことが分かっている。それから平城京が奈良、平安京が京都、と基本的に、奈良と京都を中心に日本という国は回ってきた。司中八家が出来た時代でもある平安時代の中心が京都である。
つまり、日本という国があるということは、京都や奈良がなくてはならないという結果に帰結する。それゆえに、幾多ある世界の中でも、日本という国があるのなら、おおよそに京都や奈良は存在する、あるいは存在していたことになる。
「京都、かぁ……、正直、あんまり来たことないけど、なんだか懐かしい感覚があるのは、日本人だからかな」
引きずられながら裕司はそんなことをつぶやく。言い知れぬ郷愁にそんな感覚を抱いた。古き良き、そんな言い方が残るくらいに、京都という場所は日本人に根付いているのかもしれない。
「どうなんやろ。裕司も案外、京都に関わりが深かったんかもしれんで?」
そんなことを言いながらも、2人は進んでいく。古都小路をゆっくりと、かみしめるように、懐かしむように、歩いていく。
やがて、家が見えてくる。いや、家は、様々見えていた。しかし、目的の家はここしかなかった。全てがかつてのまま、残されていた。もっと、古ぼけていると小豆は思っていたが、そんなことはなかった。
「ここは?」
裕司が短く聞く。小豆は、家を見たまま、僅かに涙を流しながら、告げる。滅多に見せることのない泪と共に、その家の名を。
「市ノ瀬の本家や」
市ノ瀬家。それは、市原家の分家であり、そして、小豆の前世の生家である。今生の姓、無ノ淵は市ノ瀬の大元となる言葉、一ノ瀬と対になる言葉である。それもまた運命というものなのだろう。姓が反対ならば、性も反対ということか。
市ノ瀬亞月。それがかつての名前である。裕司の父と伯母とは幼馴染であり、裕司の母とは親戚で仲が良かったこともあり、3人にはその死が大きな影響を与えた。
「ったく、移しとるとは聞いとったけど、手入れもしとるなんて聞いてへんで。あん阿保どもが……」
この世界は、元々、亞月が来た世界線とは別の時空にある。つまり、本来なら、彼の生家は無い。それゆえに、小豆の……彼女の生家とするべき場所はこの世界には存在しないはずだった。だが、市原家がこの世界に移る過程で、市ノ瀬家も移したのである。
「ここがお前の家か。いい家だな」
心に思ったことを素直に吐露する裕司。家の雰囲気とでもいうのだろうか、なんとなくではあるがいい家だと感じる家であった。
「せやな、ホンマにいい家やったわ。暖こうて、優しい、そんな家やった」
それは心からの言葉である。懐かしい日々を思い返す。実際的には、この家に居た期間は短く、三鷹丘に居た期間が長いのだが、生家は生家。時間云々ではなく、特別な何かがそこにはあった。
「無ノ淵ん家も変わらんと、優しい家やけど、あぁ……ここも、やっぱりウチんちやなぁって思えるわ。ほんま、懐かしいなぁ……」
そんな小豆の横顔に、裕司は一瞬だけ、何かを思い出しそうになる。しかし、それが何かは、結局思い出せずに、霧散していくのだった。とても大事なことだったはずなのに、喉元まで出かかっているのに、出てこないそのナニカを、裕司は仕方なく嚥下する。
「さ、ほなら、行こか。いつまでもここに居ったら、それこそしおらしい女になってまうわ」
泪を払い、小豆は振り返る。己が家を後にするように、来た道を戻り始める。その光景が、裕司の脳裏のどこかに焼き付いた光景と重なり合う。
――なぁなぁ、亞月、ホンマにトーキョー行くん?
――ああ、せやで!俺は、向こうで強ぉなるんや!そんで、おばはんも、おっちゃんも、ユウ兄も、ユイ姉も、ユノ姉も、カノンも、みんな助けたるんや!
――でも、トーキョーってこっちと違うて、けったいなモンいろいろあるんやろ?それに、亞月かて、トーキョーモンの言葉話せへんし
――大丈夫や、大丈夫。俺は俺やから。向こう行っても変わらへんわ!
――おお、久しぶりやな!元気しとったか?
――亞月!帰ってきてたん?もう、連絡しぃや。それで、どうなん、トーキョーは
――ああ!それがな、俺も勘違いしとったんやけど、東京やのうて千葉やってん。三鷹丘言う場所なんやけど、おもろいダチもできたわ
――ふぅん?亞月がそないなこと言うなんて珍しいやん。そんなおもろいんか?
――ああ、むっちゃおもろいわ!言ってることは難しゅうて、ようわからんけど、あいつらと居ると楽しくてしゃあないねん!ホンマ……ええやつらやねん
――亞月、何してんのやろ……。こっち戻ってくるって言うてたんやけど……
――ヒロ、よく聞きや
――どないしたん、おかん。そんな顔して。おもろないわ
――……亞っくんが、死んだ。明後日には葬式や。学校は休ませたるから、……その、な、気張りや
――な、なに言ってんねん。その冗談、おもろないわ。なあ、嘘やろ、なあ!嘘なんやろ!おかん!おかん!!何か言えや!
――亞月、アンタが死ぬなんて、そんなはずないやろ……。何があったんや……、なあ、何が……
――■■■■、もう一度、市ノ瀬亞月に会いたいですか?
――なんや、アンタ、その名前、出した意味、分かってんのやろな?
――貴方にはそれを叶えるだけの力がある。絶望により開花した《古具》が、その手にある。使い方を知りたければ、私についてきてください。
――意味は分からん、けど、もう一回亞月に会えるんやったら、ええで、その話、乗ったるわ
――それでは、改めまして、私は、――
まるで走馬灯のように裕司の頭を駆け巡る記憶の断片。一瞬に見せられた白昼夢のような光景に、何とも言えない寂寥感を抱く。それを言い表す言葉を裕司は知らない。しかし、気がふさぐ、気が晴れないという意味では、「憂鬱」と表現してもいいのかもしれない。




