011話:追憶の喫茶店
始業式が終わり、この日は学校も終わりとなった。その頃にはもう、煉夜への質問合戦の熱は収まっており、皆が一様に校門を目指していた。煉夜も足早に校門へと向かう。校門には、既に火邑とそして、その横に1人の生徒がいた。
「お兄ちゃん、こっちだよぉ!」
火邑が煉夜に声をかける。その時、火邑の横の女生徒も何気なく煉夜の方を見た。そして、女生徒は、時が止まったかのように、煉夜の顔を見て、動きを止めた。
(レンヤ……君?)
別に火邑から名前を聞いていたわけではない。ただ、その顔を見た瞬間に、その名前がふっと浮かんできたのだ。
「お兄ちゃん、こっちの子はおふてんちゃん!火邑の面倒を見てくれるだって!」
面倒を見てくれるということを嬉しそうに言う火邑に煉夜は頭が痛くなったが、おふてんちゃんなどと言う謎の名前には触れないことにした。
「そうか、おふてんちゃんか……」
よくわからないが、煉夜もそう呼ぶことで納得したようだ。そして、自己紹介をしようとしたら、火邑がそれを遮る。
「こっちがお兄ちゃん!」
そう紹介されたからには、煉夜は、ペコリと頭を下げた。おふてんちゃんも、それに頭を下げ返す。
「よろしくお願いします、お兄さん」
そして、互いに思うのは、「これからこう呼ばれ続けるの?」と言う疑問だった。煉夜に関してはまだしも、おふてんちゃんに関してはいい迷惑以外の何物でもない。
「んじゃ、火邑たちはちょっとお買い物に行くから、お兄ちゃんは先帰ってて!」
そう言って走り出す火邑とおふてんちゃんを見送りながら、煉夜は別の方向へと歩き出す。何か、あるような気がした、としか言えないだろう。その予感めいたものに従って、煉夜は、家とは別の方向へと進んでいく。
なお、この頃、千奈は雪枝に呼び出されて職員室で、明日より煉夜の面倒を見るようにと言いつけられているのであった。
久しく嗅いでいなかった紅茶の香りに誘われて、煉夜は少し怪しげなカフェに入っていった。少し暗めの店内はアンティーク調の趣のある本格的なものだった。京都には似つかわしくない雰囲気も相まって、この中だけはまるで異界かのような異質なものに感じられるだろう。
「いらっしゃい」
出迎えたのは30代半ばの男だった。煉夜は店の雰囲気に言い知れぬなつかしさを覚え、不思議に思った。しかし、すぐにその理由に気付く。
「ゲローィ……」
別に嘔吐の話をしているわけではない。煉夜が思い出したのは、昔通っていた馴染みのカフェのようなバーのような場所のことである。
「男の学生さんが来るのは珍しいね。通りから外れているから、あまり人も来ないんだが。よく来る子もいるが、夏休み中は忙しかったのか来ていなかったから、久々に学生さんが来たような気がするよ」
マスターはそう言いながらメニューを煉夜に渡す。一見分かりづらいメニューを見て、煉夜は注文をする。
「天の川、ミルク多めで頼む」
煉夜は本当に何気なく言ったのだが、マスターは少し不思議に思って、煉夜に逆に問いかける。
「君は、前に来たことがあったかな?」
それもそうだろう。メニューに書かれた天の川、などと言うメニューがカフェラテであると見抜くことが出来る人物はそうそういない。ちなみに、天の川と言うのはこの店のおすすめメニューとして一番上に書かれているもので、他にもコーヒーや紅茶、ウーロン茶、緑茶などもある。ケーキやバームクーヘン、ドーナツ、アイスクリームなども置いてある。別に絵がかいてあるわけでもないのに、この中で天の川なる変なメニューを頼むのは、マスターが説明したことがある客くらいだろう。
「いや、ないが……?」
煉夜は問われていることの意味が分からず首を傾げ気味だ。煉夜は前に通っていた店のメニューの中で酒じゃないときは大体この天の川を頼んでいたため、慣れ過ぎて疑問が浮かばなくなっていた。
「ふむ、まあ、いいか。それにしても、君たちくらいの年齢の子を見ていると、娘のことを思いだすよ」
そんな風に語りだすマスターに、煉夜は、苦笑い気味で、内心では「速く飲み物をくれ」と思っている。
「娘は、ある日、学校に行ったっきり、戻って来なくなったんだ。もしかしたら、この店を継がせるために、コーヒーから紅茶から、豆も茶葉も、いろいろ教えてきたが、それが厳しすぎたのかもしれない、なんて風にも思うんだが」
マスターはここに来る学生には、いつもこの話をしていた。もし、娘を偶然でも見かけることがあるのではないか、と言う思いも含まれている。
「娘……娘ねぇ……。よもや、サユリじゃないだろうな」
煉夜はボソリと呟いた。サユリ・インゴッド、煉夜の友人で先ほどから煉夜が思い浮かべる煉夜の行きつけだった店のマスターだ。
「娘はね、沙友里と言って、とても明るい子だった」
煉夜は噴き出した。まだ飲み物が来ていなくてよかったと、心から思った。マスターの胸元の名札には入神とある。入神沙友里。彼女もまた、煉夜と同類であるのだが、その話はまたいずれ語ることもあるのだろう。
「この天の川の名前も娘が考えたものだよ」
懐かしむように語るマスター。それに対して苦笑い気味の煉夜は、どう反応したらいいのか分からず、少し困っていた。
「おっと、お待たせしてしまったね」
ようやく頼んでいた飲み物がやってきたことで煉夜はようやく一息ついた。出てきた飲み物を飲んでなつかしさに舌鼓をしていると、店に電話がかかってきたようで、マスターは煉夜に断ってから奥に引っ込んでしまった。
煉夜がしばらくカフェラテを飲んでいると、客がやってくる。マスターは奥に引っ込んだままになっているので、マスターに知らせようかと思ったが、奥に上がるのもまずいだろうと思った。結果、煉夜の導き出した結論は……
「いらっしゃいませ」
しばし客の相手をすることだった。幸いなことに、雰囲気の似ているゲローィでは沙友里の不在時に代理をしていたり、ある人物に執事修行をさせられたりしていたおかげで、接客には不自由しないだろう。水姫に初めて会った時の所作もその辺りから来ているものだ。
「こちらがメニューになります。ご注文がお決まりになりましたらお声がけください」
そのように接客用の笑顔を浮かべた煉夜は、カウンターの内側に入った。未だにマスターが戻ってくる様子はない。
そして、しばらくした後、客は煉夜に向かって手を挙げる。注文が決まったということだろう。大して広くない店内の為、呼び出しのために機械などは使っていない。
「あの……私はこの天の川とショートケーキを」
「わたしは、アイスティーとバームクーヘンで」
女性客の注文に煉夜は、接客用の笑顔を浮かべながら、どうすればいいかを思い直して、そして言う。
「かしこまりました。少々お待ちください」
そう言いながらカウンターの向こうに戻る。幸いにも、煉夜の知るゲローィ同様、マスターの作ったケーキ類などは冷蔵庫に保管されている。流れ作業のように天の川を作り、そのまま、アイスティーも入れて、バームクーヘンを切り出して皿に盛り、ショートケーキを冷蔵庫から取り出して同様に皿に乗せて、トレーに乗せて、客に給仕する。
「お待たせいたしました。ショートケーキと天の川、アイスティーとバームクーヘンになります」
机にそっと置いて、笑顔を振りまいてからカウンターに戻る。その様子をマスターは偶然にも見ていた。用事が終わって戻ろうとしたら接客している煉夜が目に入ったのだ。煉夜は煉夜で客に注意がいっていて、マスターに気づけていなかった。
「やあ、どうやら君に助けてもらったらしい。危うくお客さんを逃してしまうところだったよ」
カウンターの中に立っていた煉夜に向かってマスターが声をかける。煉夜はどう反応したらいいのか分からずに少し考えたが、相手が怒っているのではなく感謝しているのだからと、普通に対応することにした。
「いえ、勝手にカウンターに入ってしまって申し訳ありません」
客には聞こえないような声量でマスターに伝える煉夜。高校の制服のまま無理にカウンターに立っているだけに、客からは少し不思議そうに見られている。しかし、この客も「天の川」を注文していたことから分かるように、それなりに来る客である。そのため、マスターの娘の話も聞かされていただけに学生に並々ならぬ思いがあるのではないかと言うことを思っていたので、さほど気にしていない。
「いや、いいんだよ。むしろ助かったからね。君、こういうバイトの経験でもあるのかな?」
マスターはあまりにも手際が良かったので、他の喫茶店などでバイトしていたことがあるのではないか、と予想していた。
「いえ、バイトの経験はありませんよ」
そう、煉夜はあくまで手伝わされていたり、やらされていたりしただけであり、アルバイトの経験は皆無である。
「そうかい、それにしては妙に手慣れているようだけれど」
マスターの言葉に、「あなたの娘の所為だよ」と言いたい気分の煉夜だが、流石に詳細を話すわけにもいかないので愛想笑いを浮かべるだけだった。
「ものは相談だが、ここでバイトをしてみる気はないかい?君みたいに手慣れている子だったら、こちらも面倒を見る手間が省けるし」
最初からできる新人がいるというのは助かるだろう。特にマスター1人だと、教えるのにかかりきりになると客に手が届かなくなり、客に構っていると新人がいつまでも育たないので、結局忙しい、とそう言う理由からマスターはアルバイトを募集しなかった。無論、娘がいつ帰ってきてもいいように、変な人を置きたくないという理由もあるが。だが、今回の煉夜は手際もよく、基礎はできているようで、また、娘と同じくらいの年代だったというのもあり、娘のことを考えても別にこの青年なら大丈夫だろうと思ったのだ。実際のところ、その娘と煉夜はあまり仲が良くなかった、と言えば語弊はあるが積極的に話す仲ではない。どちらも面倒臭いことが嫌いな性格により、微妙な距離感だったのだ。
「そうですね、考えてみます。家のことなどもあるので、入れる日は限られますが……」
煉夜としては、アルバイトは全然かまわないのだが、陰陽師としての修行などがある関係上、入れる日は限られるどころか木連達に反対される可能性がある。
「ああ、前向きに考えてくれると嬉しいよ」
マスターはそう言って煉夜に笑うのだった。そうして、煉夜が接客した客は、しばらく話すと帰って行った。煉夜は天の川を飲みながら両親と木連達にどう伝えるのか考えるのだった。




