010話:高校生活
夏休みの途中から引っ越したこともあって、初めての学校に行くのはやや緊張気味の煉夜だが、火邑の緊張はそれ以上だった。元来、社交性に長け、さほど気負わない性格の火邑だが、流石に、新しい生活への緊張と言うのはあるらしい。
夏休みが明け、そのタイミングでの編入と言うのは煉夜にしてもあまり乗り気ではない。特に1年生でもなければ、この時期なら、もう大体のグループと呼ばれるものが形成されているからだ。進学校なら勉強を理由に孤立する例もあるが、少なくとも、煉夜の今日から入る私立山科第三高校はただの共学校で、別に学力が極めて高いなどの特色があるわけでもない。
そして煉夜を憂鬱にさせているのは、それだけではなかった。今朝、煉夜が初めて知った驚愕の事実、出席日数の関係で一学年下のクラスに編入することと言うものが無ければもう少し気分もマシだっただろう。
部活に入っているであろう生徒たちが登校する中を、水姫、煉夜、火邑が縦に並んで歩く。横に並ばないのは、通行者のことを考えてか、それとも仲が良くないからか。おそらく水姫に関しては後者だろう。
そうして、空気の悪い登校をして、校門についたとき、水姫がその重い口をようやく開いた。
「私はここで貴方たちと別れるわ。部室に少し顔を出しておきたいから。貴方たちは真っ直ぐに昇降口から校舎に入ればいいわ」
水姫はそう言うと足早に去って行った。残された兄妹はやや呆然としつつも、職員室へと向かうのだった。
「なぁ、火邑……、この学校でやっていけるかな?」
煉夜はそう呟いた。煉夜の呟きに、火邑はしばし沈黙するが、口を開く。その表情はいつもとは違い、真剣な表情だった。
「お兄ちゃん、大丈夫だよ。みんな、お兄ちゃんを否定するわけじゃないんだよ。それに、もし、馴染めなくってもさ、火邑のところに来ればいいんだよ。休み時間でも、昼休みでも、放課後でも、さ。一人で抱え込んで、いなくなっちゃうのは、もうヤだからね」
火邑は煉夜が行方不明の3ヶ月と言う空白には、何かあったのではないか、悩んでいたのではないか、と思った。それも、もう死んでいてもおかしくないとも思った。そうして初めて、自分が兄に対していつも邪険にしていたが、大切な存在だったのだと気づく。今でも時折火邑が言う「兄貴」と言う呼び方は、その行方不明よりも前の呼び方であり、行方不明後から、改めて「お兄ちゃん」と呼ぶようになったのだ。
「そうだな……ありがとう、火邑」
そんなことを言いながら、煉夜と火邑は、職員室へと足を進めていく。道中、何度も、初めて袖を通した制服の着方が間違っているのではないか、と不安になりながらも、ようやく、職員室に着いた。
――コンコンコン
軽いノックの音が響く。木質のドアは、その音をよく響かせるのだった。それにより煉夜の緊張が一気に高まる。
「は~い、どうぞ」
そして、緊張感のない幼気な声が聞こえてきた。その声に、煉夜はどことなく覚えがあり、一気に緊張をときほぐした。
「失礼します」
「失礼しま~す」
煉夜と火邑、それぞれが言ってドアを開けて入る。職員室独特の緊張感ある空気をその身に感じながらも、煉夜のその緊張は先ほどよりもだいぶマシになっている。
「はい、お待ちしていました。雪白煉夜君、ですよね。それと妹の火邑さん。本日より編入予定のお2人で間違いないですか?」
念のための確認と言ったように、幼い見た目をした女性が言った。初対面の火邑は、「この子、誰か先生の娘さんか何かかな?」と言う顔をしていた。なお、この職員室には、今、ほとんど職員がいない。始業式の準備で体育館に出払っていたり、担任を持つ職員は先に教室に行ったり、部活動の方に顔を出したりしているからだ。
「ええ、間違いありません」
「うん、あってるけど、お兄ちゃん、子供に敬語使うのは馬鹿か変態かのどっちかに見えるから辞めた方がいいよぉ?」
その瞬間、煉夜と教師の時間が止まる。煉夜は、何を言ったらいいのか分からず、少々困った顔をしていた。
「あの、わたしは、焔藤雪枝と言って、煉夜君の担任かつ、この学校の国語教師です」
堂々と胸を張って言う教師。だが、火邑にはいまいち信じて貰えていないようだ。しかし、見た目の印象としては、仕方がないことであり、普通の人間はそう思うため一概に火邑を責めることはできないだろう。
「雪枝先生、俺の担任と言うことですが、その、やはり俺は2年生扱いと言うことなんですよね?」
話題転換かつ、自分の受け入れたくない現実の確認のために煉夜は雪枝に問いかける。雪枝は、転換された話題に乗り、逆に気まずそうな笑みを浮かべて煉夜を見ていた。
「えっと、……そうですね、はい。編入の資料を貰った時に出席の関係で、と言うことになっていました。資料には3ヶ月ほど行方不明になっていた、と言う記述がありましたし、おそらくそのことでしょう」
本来なら3ヶ月なら、学年を下げる措置をする必要はないだろう。しかし、行方不明と言う項目が原因になっている。家出やそれに類する非行などだった場合は、道徳的指導が足りないため、もう1年ほど高校に残った方がいいと判断される。煉夜の場合は覚えていないという証言もあるが、ここは念の為と言うのに近い措置だと言えよう。
「間違いであってほしかったんだけどな……」
独り言のようにつぶやく煉夜に対して、雪枝が少し困ったような笑みを浮かべて、煉夜に言った。
「ですが、成績面は非常に優秀ですし、人格や性格なども少し人と距離を取るような部分があること以外は普通で、その距離も友人によってだいぶ無くなっていたと資料にあったので、本当は3年生でよかったとわたしも思っています」
決定事項なので変えられませんけど、と苦笑いを浮かべる雪枝は本当の子供のように見えながらも大人なのだなと哀愁漂う苦笑いだった。そう言った人の表情の機微に聡い火邑はその顔を見て、本当に大人だったのだ、と悟ったという。
「まあ、あいつらは、こっち側の人間だったという入り口があったから仲良くなれたんだとは思いますけどもね……。まあ、幸いなことにもこの学校には知り合いが妹も含めていますので」
煉夜はそんな風に言った。煉夜はもっと哀愁の漂った苦笑いで、老人が何かを誤魔化しているかのようにも見えた。
「知り合い……そう言えば、雪白さん……雪白水姫さんとは親戚でしたね」
雪枝はそんな話を聞いていたのを思い出した。水姫はよくも悪くも有名なので、担当している学年が2年と言う理由以外にも水姫のことを知っている理由はあった。
「親戚だというのなら、人と距離を取るのも、まあ、納得できなくはありませんけど」
そう、水姫はクラスで孤立している。部活動では、特に孤立することなく仲がいいらしいのだが、クラスでは常に1人のような状態で、よく職員室でも話題に上がる。なお、現状、2年生の成績最優秀者、と言う意味でも話題には上がる。
「と、世間話はこのくらいにして、それぞれの教室にそろそろ案内しましょう」
そう言って雪枝は、火邑の担任である同僚に声をかけて、火邑はその担任に連れられて行く。煉夜は、雪枝と共に職員室を出る。そして、職員室のある1階から1つ上がって、2年生の教室のある2階に着く。
「では、わたしが先に入るので、声をかけたら入ってきてください」
雪枝の声は少し弾んでいた。それもそうだろう。編入なんて言うのはそうそうないことであり、普通は、こういった編入生の紹介なんて言うものは漫画やゲームの中だけだ。それを実際に体験できることに少し興奮しているのだ。
雪枝が教室の中に入っていく。ざわつく教室。その声を外で聞く煉夜、そして、それを受け止める雪枝。どうやら編入生の噂は既にクラス中に回っていたようだ。
「はい、静かにしてください!えっと、みんなもう知っているようですが!転校生がいます!どうぞ!」
雪枝がそう大きな声で言ったので、煉夜は、その扉を開けた。見知らぬ生徒たちが煉夜に視線を向ける。それに一瞬緊張するも、敵意や殺意を含まないその視線に、煉夜は息を吐いた。思い返せば、基本的にどこに行っても殺気や敵意を向けられる日々だった。それに比べれば、こんなもの屁でもない。
軽い足取りで、黒板の前に行き、黒板に「雪白煉夜」と汚い字で書いて、そして、クラスを見ながら言う。
「どうも、雪白煉夜です。雪白水姫の親戚で、家庭の事情でこっちに引っ越してきたので、まだ、慣れないですがよろしくお願いします」
水姫が有名と言うのは、雪枝の反応から何となく察していた煉夜は、その名前をだして、クラスとの距離感をできるだけ縮めようとしていた。
「質問!質問!雪白さんの親戚でこっちに越してきたってことは、雪白さんと一緒に住んでるんですか!」
クラスの男子の声が上がった。煉夜は誤魔化すことも考えたが、ここは素直に言って受け流す方がいいという結論に至った。
「同じ家、っつってもだいぶ広いからなぁ……、部屋の場所も知らないよ」
ここで煉夜の口調はだいぶ砕けたものになっていた。そして、1人、煉夜に視線をジッと送っている女子生徒がいる。いまどきギャルのような雰囲気の女生徒は、疑問に思っていた。
(レンちゃん……?でも、レンちゃんは確か1つ年上だから、3年生のはずだし……。他人のソラニ?にしてはドーセードーメーだし……)
紅条千奈は、悩んでいた。かつて、幼馴染として過ごした雪白煉夜が目の前にいる雪白煉夜と同一人物なのかが分からないからだ。
「前はどこに住んでたの?」
クラスの女子が煉夜に質問を投げかける。その質問に煉夜は、少し答えに迷いながら簡単に答えた。
「千葉だよ。千葉の三鷹丘市」
千奈が反応する。かつて、千奈も同じところに住んでいた。だからこそ、その疑惑は高まる。一方、その視線に気づいているが、何故視線を向けられているか分からない煉夜はやや困っていた。
そして、この千奈と煉夜の誰も気づかない戦いと、煉夜への質問合戦は、別のクラスの担任が「始業式が始まるから早く来い」と呼びに来るまで続いたのだった。




